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ぼくは占い師じゃない

易のブログ……だったのですが、最近は白橋 升としての創作活動「遊星出版」の話題や日常雑記を綴っています。遊星出版のサイト(Googlesite)で作品を紹介しています。活動や作品の紹介はこちら(遊星出版公式サイト)→https://sites.google.com/view/yuusei-press

遊星出版です。

以下、ふたつのイベントに参加します。
よろしくお願いします。


(1)【2024/12/1(日)開催/文学フリマ東京39】

   出店名: 遊星出版
   ブース: ね-41 (西3・4ホール)
   イベント詳細:→
   遊星出版webカタログ:→

いつもは幻想文学のジャンルで出ていますが、今回は現代詩、散文詩のジャンルでの出展です。

(2)【2024/12/14(土)開催/NO WAY MANIACS -COMET- RETURNS】

   開催時間:11:00-16:00
   開催場所:大田区民プラザ 展示室 入場無料
        146-0092
        東京都大田区下丸子3-1-3
        東急多摩川線 下丸子駅 目の前

   以下、数点ずつお持ちする予定です。

   ○ マギステリウム(CDサイズ絵本)→
   ○ 聖なる20(マギステリウム注釈)→
   ○ トモルオン(文庫)→
   ○ 空鏡録(文庫)→
   ○ 夏がはじまりおわるころ(文庫)→
   ○ テンポウ航海記(新書)→

   頒布価格と内容については上記リンクをご覧ください。

豊かであること。

   ☆

昔はわかりやすかった。一見すればわかった。いい家に住んで、いいものを食べて、いいものを着て、便利なもの、高いものをたくさん持っている人がいれば、その人は豊かなのである。
今はどうだろう。中には浮かない顔をしている人もいる。

たまたま耳にした曲があった。
Lush life。直訳したら「豊かな人生」となるらしい。

酒は豊富。豊かにある。好きなだけ飲むことができる。
いつまでも酔い潰れていることだってできる。
酒瓶の山に囲まれた酔っ払い。
酒瓶で囲まれたその中から一歩も外へ出ることができない。
もちろん、その気もない。

経文を見ると、所々「吉」とは書かれているが、卦名とは裏腹に、あまりいいことが書かれていない。豊か……大きくなっていくのは、家を覆ったり囲ったりする、蒙卦を彷彿とさせる幕のようなもので、そんなものが大きく豊かになっていくと、家は当然暗くなり、風も通らなくなり、カビも生え、人も住まなくなる。

「豊か」ってなんだろう。そういえば昔、誰かがいっていた。
「ドーナツを食べる時は、穴ばっかり見てるんじゃないぞ」

つき従う素直さ。

  ☆

この卦には影がある。
「本意ではないが」という自己犠牲的な影が。

従うものは自然の「流れ」ではなく、百パーセント人為の、政略的な営為である。

「つき従う素直さ」としたが、嬉々として波に乗るような無邪気さではなく、ある種の暗さがある。

「本意ではない」という影は、心の奥深くに隠されている。
たおやかに微笑む、平素とかわらない表情からは、決してわからない。

あと一歩。
にじり寄る。

   ☆

結論は決まっている。
「飛翔すること」。

天高く舞い上がる。
これは約束されている。

今はその直前。
全過程が凝縮されている最後の一歩。

飛べ。
 まだ飛ばない。

飛べ。
 まだまだ。

飛べ。
 いや。まだだ。

[鴻|おおとり]は天空に一番近い頂にたたずむ。
空を見つめ、最善の時宜を読むもうとしている。

易の本以外、同じ本を二度以上読むことはまずありません。
読み終わった本は、デイパックに詰めて、近くの古書店まで売りに行っていました。今は、荷造りさえしておけば取りに来てくれるバリューブックスさんのサービスをよく利用しています。

バリューブックスさんが出している本で「本だったノート」という「本」があります。昔、新潮かどこかが出していた何も印刷されていない白い文庫本(今でもあるのかな)みたいなものです。

商品として引き取れなかった本は古紙回収されます。その一部が文庫本サイズの「ノート」になったと。再生された本の活字が残っていることがあります。もちろん偶然の産物でやたらには見当たりません。

痕跡本、いや、痕跡ノートです。
いかにも古本屋さんらしい。


【残った活字】

紙質はそれなり、お値段はちょっと高めです。
まあそこは心意気を買って三冊注文しました。

用途をわけて使っていましたが、それぞれに使っていないページが残りました。

ずうっと前に簡易な製本をやったことがあって、寒冷紗とかスピンとかパーツが残っていました。

未使用部分をくっつけて一冊にしよう!

イキオイで背固めまでしたのはいいんですが、クルむのに適した紙がみつかりません。

わざわざそれ用の紙を買いにいくのもな~
家の中をあちこち見て回りました。

目に付いたのは、カミさんのスケッチブック。
死蔵されている気配です。

丁度いいや、使っちまえ。
表紙をちょん切りました。

その紙でクルミ製本してみました。
糊とか寒冷紗とかがハミ出てます。

雑です。


【本だったノートだったノート】

アースブラウンはけっこうよかったなと思っています。あれ、なに、このスケッチブック、フランス製じゃん。


【Made in France】

フランスのお土産かなにかだったりして。
そんなわきゃねえか。まあ、いいや……


【怒られるかな】

ちょん切った所が見えないようにして、元の場所へコソッと戻します。目下のところ詩(の原石)を書き付けています。

おしまい。

静止。
動かないこと。

   ☆

大陸を旅する番組だった。
老人が屋上に置かれたイスに腰かけている。

なにしてるの。


山ぁ、見てる。

取材者は人が「なにかしている」様子に慣れ親しんでいるので、そうきいたのだろう。

番組内の後の話では、その山は村では生命の源、祖山と見なされているとのことだった。

山は、なにもしていないように見えた。

地図を描いてみた。
今書いているお話の舞台になる架空の土地である。

お話は……
エンタメではない。

やたらに長い。
手を出すなら最後まで……
とは思ってはいる。

   ☆

以前によく聞いていた遊佐未森さんの詩(うた)では、錆びた思い出を売り捌いて、きらめく金貨を手に入れ、どの店を覗いてみても探していたモノばかりが並べられているマーケットで、地図を手に入れる。このお話の主人公は、女性の影を追っているようでもある。

この曲をよく聴いていたのは遙か昔のことだけど、なんだか知らないうちにずいぶん影響を受けているものだなあ、と思った。

いや、影響というよりも、以前の記事でも書いたが、そもそも物語って、目の不自由な人と象のたとえじゃないけど、どか~んと、で~っかい「物語」がひとつあるきりで、みんなそれぞれ、そのデカイ「物語」の断片を自分の作品だと思って書いてるんじゃなかろうか。

あらためてそんな気がした。

このブログでは易のエッセイも続けているが、易という仕組みも、どか~んと、で~っかい宇宙? 世界? 人事百般? という物語の「地図」なのかもしれない(これも以前に書いたかな)。

遊佐未森さんの詩では、買った地図(たぶん買えたと思う。お話はおそらくは露店の店主に「その地図を一枚ください」というところで終わってる)の帰り道は破れかけている。ちぎれてなくなってしまう前に、家にたどり着ければいいのだけれど。ぼくもあなたも歌の主人公も。


☆参考★

ファンタジー世界の地図を描く

Jared Blando (著),

加藤 諒 (編集)

株式会社Bスプラウト (翻訳)

ボーンデジタル 2015

 

バー ー ー ー ーン!

   ☆

ずいぶん昔の話。

夏だったか。
初夏だったか。
曇った昼下がりの午後。

海の近くを走る電車に乗っていた時だ。
居眠りしていた頭をぼんやり起こした。

突然。

空気がはり裂けるような破裂音。
なにが起きたかわからなかった。

あたりが一瞬にして真っ白になり、何も見えなくなった。
数秒後、光景はまた元に戻り通勤電車は走り続けていた。

混んではいなかった。
空いてもいなかった。

座席はすべて埋まっていた。
何人か立っている人もいる。

アナウンスもない。
誰も何も言わない。

ざわつくこともない。
静まりかえっていた。

そのまま列車は駅に着いた。
見た目の天気は変わりない。

雨は降っていなかったが、
多分落雷だったのだろう。

三本足による安定。
神聖な[過程|プロセス]。

   ☆

「鼎立」とすると対立するニュアンスが含まれる。
しかし本来、この卦に対立のイメージはない。

「鼎」は三本足で、神への捧げ物(料理)を煮炊きして献上する祭器である。ほんとうにこの漢字のままの姿をしている。
対立していては祭祀を執り行うことはできない。

キーになるのは、「神聖」であること、捧げ物を準備する「[過程|プロセス]」、そして「三」という数。

前の卦(第四十九卦「革」)からの意味の流れで、「リセット」、改めること、前任者の澱をよくさらっておくことも(初六)重要だ。

神聖な祭器は使い捨てなどではなかったはずである。
三本足の器は連綿と受け継がれていく。


 

古いやり方では、新しいドアは開かない。

   ☆

大人は、すばやくやり方を変え、

君子は、さっさと別のドアに向かい、

小人は、いつまでも同じドアをガチャガチャ。

いつまでも同じやり方で。