勉強するということは、理想でもなく、何かのために行う手段でもなく、ごく当たり前に行う必要のある原理原則です。このことは、前回『勉強することの意味』で書きました。
このことはつい見失いがちですが、とても重要です。
学習成果は成績という形で現れます。
成績は努力の結果を測るものであり、同時に目標としても使えるためよい指標となります。
しかし、成績だけを追いかけ、本質を見誤ると必ず反動があります。
定期テストの場合、『一夜漬け』という方法である程度成績は上げられます。
成績重視の学習塾であれば定期テストがターゲットになりますので、表現はよくないかもしれませんが、
時に大規模な『一夜漬け』になりがちです。
当学習塾も例外ではありません。
定期テストで点数がとれるものに限定した『丸暗記』です。
するとどうなるか。
定期テストの点数と評定はある程度とれますが、学力は追いついていません。
よって、中3になって摸試を受けても高い偏差値は残せません。
ところが近年の埼玉県の私立高校入試では内申のみの推薦基準を採用しているケースが散見されます。
高い大学合格実績を誇る、自分の学力(=偏差値)よりはるかに高い高校です。
内申(評定)が良ければ学力がついていなくとも進学が決まってしまうのです。
これを是と考えるか、非と考えるか。
もちろん、高校進学を決めた後に学力をつけても問題はありません。
しかし、ここが人の性なのか、高校が決まってしまうと勉強量は極端に落ちます。
勉強することが原理原則ではなく、「高校進学のため」になっている場合、
その原則に従えば高校進学が決まれば学習は必要なくなるからです。
中には高校進学が決まったとたん塾を辞めさせるご家庭もあります。
もちろん、自学に問題のない、一定の学力をもつ子供なら問題はありません。
しかし、辞めてしまう生徒、ご家庭は得てして勉強が「高校進学のため」です。
内申こそ届いているものの、学力は追いついていません。
その後学力を上げられるだけの学習は当然望めません。
すると、高校入学時には極めて最下位に近い形での入学となってしまいます。
このような学習への向き合い方だと高校進学後に遅れた分を取り戻す学習にも期待はできません。
当然その高校が誇る進学実績は『全員』ではありません。想定や期待とははるかに異なる結果となります。
これが、原理原則を忘れ勉強が進学のための手段と化してしまう最悪のケースです。
とはいえ、私自身のいつの間にかブレてしまうときが無いとは申しません。
ですので、判断に迷うことがあるときは常に原理原則に立ち返るよう心がけています。