目標をもつということは実は奥が深く難しいです。
以前は生徒に目標をたてその目標に向かって努力していただくことに何の疑いも無かったのですが、最近は使い方を考えるようになりました。
志望校やそのために必要な成績を目標として頑張る指標とするわけですが、その目標と現実の努力の乖離が激しくなることがあります。
『とりあえず』目標を設定し、『そのためにこれだけのことをする』という意識が無くなってしまうのです。
この場合、そもそもその目標設定にモチベーションが存在しないことが多いのですが、では『夢』の場合はどうでしょう?
以前、「夢がないから勉強しない」という声を何度か聞いたことがあります。
しかし、『夢』があったところで、現実には夢や目標は、それはそれとして「だから頑張る」となる子は多くないように感じます。
また、夢のために勉強が存在する場合、その夢が希薄になってくると勉強に対する動機づけがなくなってしまうケースも少なからず見受けられます。
目標設定は大切だと思います。
しかし、夢や目標へのモチベーションが希薄である場合、学習がそのための手段となると、学習の意味が非常に危うくなることもあります。そして、その確率は比較的高いように感じます。
「夢がないこどもがいるわけがない。」
最近どこかで聞いた発言ですが、本当にそうでしょうか。
私自身、10代のときは特に『夢』というものは持てませんでした。
私の周囲にも、小学校の作文通りに夢をかなえた人と言うのはほとんど見たことがありません。
したがって、私は学習の原理原則が大事だと思っています。
何か夢をもってそのために勉強するのではなく、何かのために「学び、考え、覚える」のではなく、人として当たり前に「学び、考え、覚える」ことを身につけるべきだと思います。
当たり前のように聞こえるかもしれませんが、意外にここがブレてしまうことは多いように思えます。