若いころには考えがまったく及びませんでしたが、年を重ねるにつれ痛感します。
学ぶこと、考えること、覚えること、これらは人間の本質的な行為です。
時に勉強というのは何か特別なことのように扱われることがあります。
楽をしたいと考えるのも人間の本質です。
勉強に限らず努力することに抵抗を覚え、それを特別なことと感じてしまうのも無理はありません。
しかし、例えば自分のいる組織の中で人選を行うとき、『学ぶこと、考えること、覚えること』をしない人をリーダーや要職に選ぶ人がいるでしょうか?
「自分はそこまでやりたくない・・・。」と考える人でも、要職に就く人には必ずそれを求めるはずです。
『学ぶこと、考えること、覚えること』は、組織の存亡、ひいては個人の存亡に関わります。
体力面の比重が高い肉体労働においてもそれは重要です。
与えられたことをこなすだけであっても、どれだけやるかは別にして必要であることは変わりません。
「勉強なんかしても社会に出てから関係ない。」という人がいます。
そんなことはありません。
学校で学んでいる勉強は「訓練」です。「学ぶこと、考えること、覚えること」の基礎です。
企業にとっての学歴とは「証明書」であり、確率です。
企業は、その存亡をかけて「学び、考え、覚えることのできる人」を求めます。
学歴の高い人はそれができる、少なくとも学生時代それができていたという証明です。
中には勉強はできても仕事はできない人もいますが、確率では圧倒的に学歴と仕事は比例します。
なぜなら、仕事も勉強も本質は「学ぶこと、考えること、覚えること」だからです。
面接だけでその人の本質を見抜くことは困難です。
だから、その人が「学ぶこと、考えること、覚えること」ができるのかどうかを「学歴」という証明書によって判断の基準とするのです。
そして、長い歴史の中、その確率が非常に高かったから現在もそれを重視するのです。
就職を例にとってしまうと「就職のために勉強する」となってしまいがちですが、そうではありません。
スポーツの一流選手は例外なくプレイの一つ一つを学び、考え、覚えています。
何をするにしても「学ぶこと、考えること、覚えること」は重要なのです。
努力すること、工夫すること、継続すること、逃げないこと、我慢することなど、勉強には大切な要素がたくさん詰まっています。だからその人の人となりの『証明書』になるのです。
勉強するということは、理想でもなく、何かのために行う手段でもなく、ごく当たり前に行う必要のある原理原則です。
現代社会は複雑なので、この原理原則をつい忘れてしまいがちです。
学習塾に置き換えるとつい目先の成績や進学先にとらわれてしまいがちですが、この原理原則を常に念頭におくよう心がけています。