討入りの日
やっと今年も冬らしく寒い日が続くようになりました。気付けば今日は、赤穂浪士吉良邸討入りの日です。 毎年、この日が近づくと、テレビでは一つや二つは忠臣蔵関係の特番などが放送されますが、茶の湯の世界では、義士茶会が催されます。これは宗徧流の独占事業(?)と言って良いでしょう。ご承知のように、宗徧流の流祖山田宗徧は、吉良上野介の茶友であり、また赤穂浪士大高源吾の師でもあったということで、その繋がりから、この事変関係者への慰霊、供養として、献茶、茶会が行われるわけです。古いしきたりではなく、流儀として行われるようになったのは、昭和8年、再興の祖、8代家元山田宗有が始めたものです。それでも90年は経っているわけですね。最初は、戦前の忠君愛国思想時代には、赤穂義士の顕彰が主題だったそうですが、宗徧は被害者の吉良上野介の方が関係が深いんだろうにという声が出て、戦後は、両者の慰霊という風にテーマが変わったんだという説を耳にしたことがあります。最初は、当然泉岳寺で行われていましたが、近年では宗徧流では、全国義士会と銘打って、全国大会を兼ねて、どこかの支部で家元臨席で行われるそうで、今年は九州の唐津で開催されたと仄聞しました。もっとも、これまた恒例の泉岳寺で行われる義士祭でも、仮装行列などと共に、献茶が行われるようで、これも宗徧流が担当らしい。余談ですが、両国回向院で、歳末助け合い義士茶会という大寄せが、コロナ以降に行われているとか。回向院は吉良邸の近所なので、その縁なのか、主催はどこなのか、教えてくれた知人も、その辺は詳しくありませんでした。勿論、宗徧流以外の茶人でも、討入り趣向の釜を掛ける人もいるかもしれませんが、どうも宗徧流の専売特許風で、私は同流の茶会以外、この趣向の茶席に入ったことはありません。桂籠花入とか、陣太鼓の香合や蓋置とか、雪の文様の茶器とか、槍の鞘や大脇差の建水とか、夜討銘の茶杓(写しですが)など、らしい道具組が行われるようです。 ところで、我が家には、こんな棗があります。 作も時代も不明ですが、この紋所は、赤穂浅野家の紋章の筈です。鷹の羽紋は、いろいろな種類があり、広島の浅野本家は浅野鷹の羽という、少し違うものなのですが、分家の赤穂浅野家は、この斑入り違い鷹の羽紋で、各資料を見ても間違いなさそうですが、ただ、羽の重なり方が違うようでもある。 何故、こんな棗が我が家にあるのか、先代がいつ何処で何の為に入手したのか、全く聞いたこともないので不明です。他にそれらしき道具もないので、討入り趣向の茶を催したとも思えません。私自身、そういう趣向の釜をかけようという意思もなく、この棗の使いどころがありません。一度、知人の宗徧流の先生が、討入り趣向の会をしたいからというので、お貸ししたことがありますが、それ以外は、箪笥に眠りっぱなしです。先代の遺品なので、むげに処分も出来ず、他の使い道も思い起きず、こういう道具も困ったものです。 ちなみに、宗徧と吉良、赤穂浪士と茶の湯については、当ブログの2019年12月9・11日のブログで詳しく取り上げていますので、御覧頂ければ幸いです。 萍亭主