12月1日に放送された大河ドラマ「光る君へ」の中で、おやと思うシーンがありました。

 主人公紫式部が、太宰府の官舎で、太宰権帥藤原隆家から抹茶の接待を受けるのです。茶の湯の歴史書の方では、栄西禅師が中国の宋に渡り、喫茶の法を学び、茶の種を持ち帰って

日本での栽培が始まった、それが日本での抹茶の始まりだとします。栄西は茶祖と称されるわけですが、栄西が二度目の中国渡航から帰国したのは、西暦1191年。ドラマの時代設定は「刀伊の入寇」女真族が対馬・壱岐を侵略した年となっていますから、西暦1019年で、栄西の帰国より、170年以上前です。当時の日本の記録には、抹茶は一切出てこないので、当然、創作のフィクションではありますが、「そんなバカな」とも一概には言い切れません。抹茶が中国で飲まれるようになったのは、宋時代だとされますが、それがいつの頃かは明確ではありません。宋が建国されたのと同時に始まったわけでもないでしょうし、こういう嗜好品の始まりは、いつ誰が何処でとは確定しにくい。ドラマでは太宰府には、かなり多数の宋の商人や医者が来ているように描かれていて、誰かが嗜好品として持ち込んでも、不自然じゃないように見えます。ただ、この時期は、宋が建国されてから、まだ60年ほど、三代皇帝真宗の時代で、南方の嘉木である茶が、宋の禅院を中心に広まるのは、やはりもう少し後なんじゃないかという気もするのですが、太宰府に来ているのは、南方地方からの宋人だと言われれば、反論も難しい。まあ、この時期に九州に抹茶が来ていれば、鎌倉時代になる前に、もっと早く、日本全国に、少なくとも、西国や京に流通したんじゃないか、記録だって何かは残るだろうとは思いますが、所詮ドラマを、これ以上追求することもありますまい。

 ドラマでは、茶を点てるのに使う茶筅が、現在のものではなく、柄を長く、穂先もささらの様に、太く長い少数の割竹で作られていて、いかにも茶筅の祖型らしくて、それっぽいのがよかったと思います。この茶筅の形、ボテボテ茶でしたか、何となく似た感じのものを見たことがあるような。茶碗が、覆輪の付いた白天目で、天目台に載せて複数が供されるのですが、確かに高級感はあるのですが、こんなもの、平安時代に輸入されてたかな、と思わせる。天目茶碗の記録は、案外古く、宋時代初期の中国の文献にあるそうですが、白天目はどうでしょう。普通の黒の、覆輪などもないものの方が、古風に見えたかも知れません。ドラマには、時代考証の学者さんもついている様ですし、素人が、あれこれ言うのは、この辺でやめにしましょう。

   萍亭主