またしても棚の無駄話ですが、千家系に沢山の棚があるのと同様、武家諸流派にも、当然、独自の棚があります。
私は、武家諸流派の茶の湯に暗いので、あまり語る資格もないのですが、乏しい経験で言うと、式正織部流の故松本瑞勝先生から「織部流の棚は、みんな朱塗りなんですよ」と、教えられた覚えがあります。席にも何度か伺いましたが、二重棚のものと、一重のいずれも四方形の棚を拝見したかと思います。棚の名前をお聞きした筈なのですが、よく覚えていません。多分、二重棚というようなシンプルな名前だったので、印象にないのかと。
大昔、大寄せで、待合で長時間待っている時、たまたま隣の人と無駄話をしました。その人は石州流の人で、石州流は随分沢山の派があるのですが、その方が何派か、伺った筈ですが、忘てしまいました。さて、その方が「裏千家さんは、いろいろな棚を使われるようですが、うちの流儀は、利休好みの丸卓しか使いませんのじゃ」と言われ、経験の浅かった私は、そんなものかと思っていたのですが、後年、何人かの石州流の先生と知り合いになり、何かの折に「だそうですね」と言ったら、「そんな事はありません、石州公の好んだ棚はいろいろあります」と、否定されました。もちろん、自分のところでも利休好みの棚は使うし「それしか使わない派もあるかもしれませんが」という注釈付きでしたが。同じ石州流と言っても、派によって違いがあり、あまり交際はないのかもしれません。その時、石州流には、土俵棚という四本柱が多少斜めになった、相撲の土俵を思わせる棚とか、隅切り棚という山里棚に似た棚があるんだと教わりました。ものの本を読むと、確かに石州好みの棚は他にもあって、吉祥棚、清和卓、春慶水指棚、上・下二種の二重棚などが出ていますが、私はどれも見たことがない。石州流の席も何度かは入った経験があるのですが、棚のことを何にも覚えていないのは、多分、長板とか、オーソドックスな棚が使われていたせいだろうと思います。何かの展覧会で、三本足の扇形で、唐物のように華麗な檜扇棚というのを見て、遠州好みかと思ったら、石州好みとあって、びっくりしたことがありました。
遠州好みと言えば、大棚で、青貝だの七宝だの華麗な装飾を施した袋棚系のものが、東美特別展とか、和美の会とか、高級道具市で折々見かけます。天板が利休袋棚の半分くらいしかないとか、天板はちゃんと長いが中板が省略されているとか、袋の装飾もまちまちで、同一形式ではありませんが、「こういうのは、皆、遠州棚でいいんです」というのが、道具屋さんの説。水指棚も、最初は紹鷗好みだけだったが、後に遠州好みが出来てから、それぞれの名を冠して呼ぶようになったが実は遠州水指棚は一定の形はないんだと、これも道具屋さんの講釈。また、いろいろな材質の木を組み合わせた、これも一定形式はない寄木棚というのも、遠州好みというが、実は誰の好みか正確にはわからない「要するに、繊細で華麗な細工は遠州好みと言ってしまうのが茶の湯の常識なんですね」と教えられたこともあります。遠州の好みの棚というと塗り物が多いように感じますが、流儀の代表的な棚の一つ、品川棚は桐木地の棚です。遠州が品川御殿で将軍家に献茶した折に好んだという由来で、これは、遠州流の席で拝見した覚えがあります。私は遠州流の席には数えるほどしか伺っていないのですが、近年伺った席では木地の清稜棚というのが使われていました。恐らく近代の家元の好みでしょう。遠州流には、在中庵棚とか、転合庵棚とか、その茶器や茶室専用の棚があるとか、色紙棚とか糸巻棚とか優美な棚もあるそうですが、武家流派と縁の薄い私は、一生見ることもありますまい。
こうやって振り返ると、やっぱり私は武家流派の棚について云々出来る立場ではなさそうです。
萍亭主