前回の続きですが、裏千家では、玄々斎以降、急に小棚の好み物が増加します。

 正確にいうと、玄々斎の孫、円能斎の時代からで、婿の又玅斎は、三つしか棚を好んでいません。その内の一つは、表千家、武者小路千家と共同で好んだ三友棚で、これはいわば丸卓系、香狭間棚は、運び棚で、紹鷗水指棚風の透かしで、表千家の抱清棚を角ばらせた感じ。四方卓は、杉木地ですが、更好棚を一重にした大きさで、そして、腰に竹と板を低く回した簡素な感じです。下が四方卓です。

 三つくらいなら覚えやすいのですが、次の円能斎は、小棚だけで十一種、次の淡々斎(無限斎)は、なんと三十種、次の鵬雲斎が、多分十幾つ、今の坐忘斎家元も少なくとも五つは小棚を好んでいます。これには、再好みや小棚以外の棚は数えていません。明治以降の近代、裏千家では六十余りの小棚が生まれたわけで、幕末まではせいぜい十幾つだったのが、一挙に増加したわけです。これだけ数が増えると、名前を覚えるだけでも厄介で、名前を言われても「どんな形だっけ?」となる人が多いのも当然でしょう。勿論、それぞれ細部の意匠は違うのですが、二本足の割と単純な一重棚などは、どうしても似通った感じのものが多くあります。名前も、尚古棚と尚歌棚とか、似たような印象の名が結構存在して、これまたややこしい。他流の棚と、意匠や名称がバッティングしそうなものもあります。総体的に装飾が過多なものが多く、勝手付きの側面、つまり客から見えやすい面に、装飾が施されている例が多く、勿論、両側面や正面に装飾が施されているものもあります。水指よりも棚の方が目立つ、存在感が出てしまうということもあります。

 装飾性が強い棚の始まりは、円能斎の好んだ吉野棚あたりでしょうか。客付き側面に、大きな円相を開け、勝手付きの面に障子を嵌め込んだ形で、風炉の時期には障子を簾に変えるという棚です。高台寺に、吉野太夫遺愛の茶室とされる円窓のある遺芳庵が移築された時、

献茶を行ったのを記念して、円能斎が好んで命名したものです。色合いからも非常に華やかな感じの棚です。よく使われる棚で、円能斎の好みの代表視されます。そのためか、余談ですが、かって大河ドラマ「八重の桜」で、主人公が円能斎から茶の湯も稽古を受ける場面でも吉野棚が使われていました。ただし、ドラマの設定は明治時代なのに、この棚は大正11年に好まれたものなので、ありえないミスでした。

 同じく、円能斎好みの源氏棚も、勝手付きに源氏香の図を透かした意匠の板を嵌め込んだ

装飾が際立つ棚です。基本形は更好棚と同じで、側面に装飾性を持たせたわけです。

 円能斎の装飾的な棚では、他に巴棚、つぼつぼ棚がありますが、他の寒雲卓、温故棚、花月棚、円能卓などは、基本形を少し変えただけのシンプルな棚です。下は寒雲卓。これは、運び棚として、裏千家ではよく使われる棚です。

 少し長くなりましたので、又、次回に。

    萍亭主