遠州のお好み
前回の続きですが、国焼茶入の中で、中興名物の肩書を持つ品が、一番多いのは、高取焼でしょう。大正名器鑑は、九つの高取茶入を紹介していますが、七つまでが中興名物です。 福岡の高取焼は、もともとは、朝鮮の陶工によって始められた窯ですが、小堀遠州の指導により一段と飛躍したとされます。高取焼は、茶入に向いている焼物かも知れません。光沢のある茶褐色の明るい釉は、瀬戸の茶褐色を基調の茶入にも遜色がないし、白や浅黄の釉の交じる景色の華やかさや、薄作りで、瀟洒な感じがして、自由な形態があり、いかにも綺麗サビの遠州好みという気がします。中興名物の「秋の夜」「染川」「横嶽」「手枕」「腰蓑」など、その他もすべて遠州の所持か、銘を付けるなど関係していて、遠州が無関係のものはありません。現代でも、高取八山、亀井味楽などの家では茶入を作り、備前や丹波茶入よりは見かけることが多いようです。 滋賀県の膳所焼も、領主石川忠総が小堀遠州に依頼して指導を受け焼かせたと言い、大正名器鑑には、中興名物の「大江」と「白雲」が載っていますが、やはり遠州好みらしく、すっきりしています。名物でなくとも古い膳所茶入は、あれば貴重だという話を聞いたことがありますが、滅多にあるものではなさそうです。膳所焼は、石川忠総の死後、まもなく廃絶し、大正年間に岩崎健三が復興するまで途絶えました。岩崎家は、割に多くの茶入を作り、千家の箱書などもありますが、どちらかといえば、使いやすい稽古用のものが多く、重宝されているようです。 遠州の好みの窯としては、静岡県の志土呂もそうで、大正名器鑑には「口広」一点だけが紹介されていますが、中興名物の肩書はありません。あまり茶器は焼かれず、現代では、遠州流の関係者が窯を開き、茶入も焼きはするようです。なお、同じく遠州好みと言われ、高取焼とよく似ている上野焼には、何故か名物の茶入はありません。そこそこ古そうな上野焼茶入を見掛けることもあり、現代も熊谷家など茶入を作る窯元もあるのですが。 薩摩焼は、今の一般の人には、華麗な色絵陶器のイメージが強いでしょうが、江戸時代前期までは、黒褐色の渋い茶入を作っています。ここも遠州の影響が見られ、瓢箪形の中興名物「甫十」などは、遠州の発注品として有名ですし、広口の「後藤(別名、宿の梅)」は遠州の書付です。中興名物で細川三斎所持だった肩衝「忠度」や、文琳の「亀尾」など、種々の形の茶入があります。現在は茶入を作る薩摩焼窯元はないようです。 唐津焼は、茶碗の方が主力の窯で、茶入は少ないのですが、中興名物に「思河」があり、遠州の命銘で書付です。 こうやって見ると、国焼茶入の名物は、ほとんど全部が、遠州が好み、見出し、発注したもので、茶入の歴史が、遠州により、大きく左右された。いまだに茶入に関しては、我々は、遠州のお好みに操られているとも言えるでしょうか。 萍亭主