天龍寺の茶室
前回の続きですが、天龍寺の書院を出て、渡り廊下を通り、ガイド共十名で茶室へと向かうこちのなりました。 渡り廊下は、嵐山渡月橋の古材が利用されているとかいうことですが、茶室棟に上がるところで、庭からの上り口が合流しています。下がその写真。 庭の写真は撮って良いということなので、後に撮ったのが以下の写真ですが、茶室棟の向かい側は、書院から多宝殿に連なる長い回廊で、その途中に、腰掛(茶の湯の腰掛待合風ではなく、向かい合った駅のベンチ風ですが)があり、茶会の待合に使われるのだそうです。そこから庭に下り、川を渡り、途中で分かれて広間小間それぞれに上がる仕組みのようです。 小間側から見た広間入り側。 ここの立ち蹲は、渡月橋の礎石の転用とか。 茶室棟に入ると、台目畳十枚を縦に敷き並べた入り側に二方を囲まれた広間。十畳に二畳の上段床の付いた残月亭の写です。特に独自の特徴のある写でもなく、新宿の柿伝ビル内の写にl比べれば開放感はあるようにも感じたのは、入り側のある故かもしれません。見終わって、広い水屋を抜けて、続く小間の水屋から茶道口をl入って、中へ。この小間はなかなか変わっていました。織部の三畳台目、遠州の四畳半台目など言いますが、ここは五畳半台目。この形の茶室は初体験です。口で説明するのも難しいので、素人の下手な図を以下に。 特徴は、鱗板を入れて、斜めに給仕口を設けていること。貴人口が二つ、向かいあって対象的にあること。点前座の対面に、敷居まで達する大円窓があり、躙口上の横長の連子窓、大きな墨跡窓に突上げ窓と合わせ明るい席であること。天井は、点前座は落ち天井、床前は平天井、その他は化粧屋根裏の掛け天井だが、通常掛け天井は一方に流れるのが、躙口方向と、点前座から見て向かって右の貴人口方向と二方に流れていること。床柱は翌檜(あすなろ)だそうで、中柱は赤松、棚は一重棚でした。天井がかなり低いせいもあってか、この広さの割には、小間の雰囲気は十分保っています。下は、向かい側から望んだ小間。 下は、広間の入り側の方から見た小間の貴人口が。 ここの蹲は、いわゆる流れの蹲で、川の中に設けられています。 面白いと言えば面白い茶室で、何故、こんな小間を作ったのか、建設時の昭和9年頃は、大寄せ茶会がそろそろ一般的になってきた頃で、多勢の客を予想したのでしょうか。ガイドの説明では、広間は毎年、開山忌に茶会で使われるそうですが、小間は使われることは殆どないそうで、小間の右側の貴人口は、庭からの出入りは出来るが、使われることはないという話でした。三十分ほどの見学を終えて、明るい日差しの中、多宝殿、方丈、曹源池庭園をめぐりました。 上二枚は大勢の観光客が途絶えた瞬間に奇跡的に撮れた曹源池。来た時と同じルートで京都駅に戻り、八条口のホテルに早めに投宿。一日目を終えました。 萍亭主