今回、私が学校図書館から直ちに撤去されるべき「悪書」として糾弾したいのは、J.D.サリンジャーによる長編小説『ライ麦畑でつかまえて』である。
口語的文体による青春小説の金字塔とされているが、あらゆる意味で学校に不適切な、きわめて危険な書物だと言える。
口語的文体による青春小説の金字塔とされているが、あらゆる意味で学校に不適切な、きわめて危険な書物だと言える。
高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドが学生寮を飛び出し、クリスマス前のニューヨークを彷徨う物語である。本作は学校の基本的価値観を全面的に否定しており、さらにはジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンにも思想的な影響を与えたとされている。
作中描かれている未成年飲酒・売春・暴力も問題であるが、最大の問題は学校や教師に対する主人公の考え方である。
二人の教師が出てくる。老いた歴史教師スペンサーはホールデンに「ルールを守ることの重要さ」を説こうとするが、まったく伝わらない。人生観が全く異なるとしてホールデンは話を聴こうとしない。
若い英語教師アントリーニに対しては、わずかながらホールデンは心をひらこうとする。だが、アントリーニ先生は、寝ているホールデンの頭を撫で、それを性的な接触だと感じたホールデンは飛び出してしまう。
ホールデンは、アントリーニ先生に、ヴィンソンという教師の授業形式についての不満を述べていた。スピーチで本題からずれた「脱線」をすると即座に不合格にされてしまうのだ。ヴィンソンは「単一化しろ、簡略化しろ」と厳しく指導する。ホールデンは、アントリーニ先生なら、ヴィンソンのやり方ではない価値観を持っているに違いないと考えていた。アントリーニ先生は、以前、自分の主義主張を絶対に曲げず挙句の果てに飛び降り自殺をした生徒ジェームズ・キャッスルの遺体に真っ先に駆け寄って自分の上着を優しくかけてあげた教師だったからだ。
見かけ上の浅薄さを越えて、この作品には複雑な思考が展開されている。
現時点でまず言えることは、ホールデンの学校アレルギーは、ある種の正しさを持っているが、かなりゆがんでいること、そして、発達の途上にある生徒たちがそれに触れると、好ましくない形で不満や疑問が増幅され、反って成熟への道を自ら閉ざし思考停止してしまう可能性があるということである。高等教育課程に進んでから自分の成熟の道なりを検討する際には役立つが、中高生にはふさわしくないと考える。