日本では、「法は家庭に入らず」という基本的方針がとられているが、端的に言ってこれは法治国家の否定ではないだろうか。親子愛が「自然」なものである、家庭が自律的に機能するはずだという隠れた前提があるが本当か。
親子愛は、極めて人工的な、役割演技的社会制度である。そもそも人間関係の自然状態が理性的なものであるなら、法など不要なはずである。実の親から虐待を受けた子供を守るのは、強制的に子を親から引き離す「一時保護」であるが、その職権を唯一認められた児相が十分機能していない。
それは少なくとも二つの要因が考えられる。一つは児童福祉司の人数不足。長崎県の例でいえば、相談件数495件、一時保護の必要165件に対して児童福祉司27人、児童心理司14人では全く対応しきれない。二つ目は一時保護の客観的な適用基準の未確立。
悪意に晒される業務は、人間をとことん消耗させる。虐待をしてしまう親に毅然と対応するためには、心身の余裕と、判明な規準を設ける必要がある。子に虐待を受けさせないこと、そして、親に虐待をさせないこと。司法と行政の責任である。