蟻のまま
こんにちはありのままに生きる。とても甘美な言葉です。ただ、私も好きなこの言葉なんですが、捉え方を間違えてしまうととんでもないことになる可能性もある。私はこのありのままを謳う時、蟻のままと自分の中でいつも変換しています。それはつまり、自分は蟻のような存在かも知れないけれど、蟻には蟻としての価値がある。小さな弱い存在かも知れないけれど、決して背伸びをせずに生きている。蟻は、蟻以上でもなく蟻以下でもない。(これも既に人間目線であり、小さな弱い存在だっていう決めつけがあるから蟻さんゴメンねって思います。)(自分という)存在そのものを全て認めて生きましょうってのが、ありのままの本来の意味だと感じます。アナやエルサはお姫様??(ちゃうかったらゴメン)アナやエルサのありのままと蟻さんのありのままは本来的、本質的には全くの同意ではあるが、蟻さんが無理矢理にアナやエルサになりなはれ!ではないということ。アナやエルサのありのままはアナやエルサのありのままであって、蟻さんが真似して行おうとすると必然的に無理が生じ、その無理が生き辛さを招く。ありのままは微妙な僅少な個人差があって然るべき。誰もがそのままで価値はあるけれど、そのままの価値を殊更に大した価値だと思う必要もないし、大した価値がないと殊更に自分を矮小化する必要もないし、そんな二つの思考性をも呑み込んで理解している自分をキチンと認めて生きる。そいつが、ありのままってもんだと私は思いますありのままは、あなたの素晴らしさを認めましょうもっと誇りましょうを謳うけど、そこには、ありのままを謳えない人々がいて、そのありのままを謳えないのがありのままじゃないでしょって理屈があり、(ここにアナとエルサのありのままが入ってくるからおかしくなる。)いやいや素晴らしいとか素晴らしくないとかがそもそもがおかしな話であって、私たちの存在は、素晴らしいところもあるし、素晴らしくないところもあって、存在性自体を見ればそりゃ素晴らしい。(生きていること自体が素晴らしい奇跡なんだけど、そう思えない人々にありのままは甘美な言葉として映る。)ただそれだけのことであり、それをただ、認めて生きれるかどうか?にかかっていて、ありのままの甘美さだけに捉われてしまうと、それはヒエラルキーの助長ともなり得るし、そのままのあなたではいけないですよを暗に示していることにもなり得る。だから、私は蟻さんには悪いけど、蟻のままにを採用し、活用させて頂いています。ありのままの解釈は、様々な観点が存在するでしょうし、その全ては間違いではないと思います。でも、私たちが注意しないといけないのは、ありのままとあるがままであり、ありのままだけならまだ良いが、あるがままと結びついた時、そうあろうとすることにより他者を傷つけたり、自分さえ良かったらがありのままなんだからを根拠にまかり通る可能性もある。そして、日頃、ありのままを声高に叫ぶ人もあるがままの行為を自分に仕掛けられるとありのままじゃいけないよ!迷惑なんだから!ってソッポを向いたりし、そんなおかしな矛盾を平気で言ったりもする。どっちやねーん??って思いますありのままvsありのままなんて変な図式が出来ているのをよくよく見かけます正解vsこっちが正解じゃ! 的なアホくさだから、殊更にありのままを持ち出さない方が良いし、そもそもが、そんなこと言わなくとも、全ての人々は、もう既にありのままで生きている。ただ、その自分のありのままってのが何かを知らないだけであり、見つけようとしないからアナやエルサのありのままをありのままってそういうものだとして、無理が生じたり自分に落胆したりもする。ありのままに生きたいのなら、自分の嫌なところを受け入れ認め、許しなはれ自分の素晴らしいところを受け入れ認め、伸ばしなはれただ、それだけのことなのにね。正解は、自分の中にしかございません蟻のままにご参考まで。どうぞ素敵な夜をお過ごしください。関連記事「ありのままに生きるとは」生き塾ブログ今夜は、閃きのままに心理カウンセリングキャリアコンサルティングココロテラスつむらけんじ