こんばんは

『を』
をろがむ
って言葉があるらしい。
拝む
ってことなんだってさ
手を合わせ、
目を閉じ、
想いを込める。
願いを込める。
特別、
誰かの為の願い事などが何もない時は、
神社仏閣の前なんかでは
やはり、
自分のことを拝むことの方が
回数としては多いんだろね
でも、
日々の暮らしの中において、
大切な人に頑張ってって声をかけたり、
大丈夫って心配したり、
そんな時に
僕らは心で手を合わせている。
ましてや、
声をかけれなかったり、
心配を装わなかったりすればするほど
心で手を合わせ拝んでいる。
そんな時は、
何に対して手を合わせているのだろうか?
誰に祈っているのだろうか?
誰に願っているのだろうか?
明確に、
神様や仏様って方々も多いでしょうし、
信仰をされている方々は、
特定の信仰する対象の方々が、
そりゃいらっしゃるでしょう。
でも、
神様、仏様や特定の対象の方々が
いらっしゃらない場合、
相手のことを想って心の手を合わせるのは、
それ以外を考えると、
相手の力に対してだろうな
って私は思います。
無事を祈る だとか、
上手くいくことを祈る だとかは、
その相手の中にいる力に対して
拝んでいるんじゃなかろうか。
拝むことと祈りは挙動であり、
拝むは手のひら同士。
祈りは手のひら同士の組み合わせ。
その違いはあったとしても
その心根は
やっぱ、
人間の生命というものに対する
畏敬の念が僕らには必ずあり、
神様仏様などの拝む対象が
いらっしゃらない場合での
心の中の手合わせは、
生命というものの畏敬に対する祈りや願い
なんだろうと思われる。
頑張れ!
や
大丈夫!
なんてのは、
相手が絶対乗り越えれるって
信頼しているからこそ出る言葉ですが、
受け取る側は、
励まされている状態だから、
心の力が必然的に弱っていて、
言葉によるそれらの励ましや慰めは、
ただ単に、
言葉じりの音階や定型詩のようなものに
過ぎないものだと
ついつい軽く受け取ってしまうけれど、
それらは、
相手の自分に対する
想い
に他ならず、
想いは
つまり、
心で手を合わせてくれているのと同じ。
何に対して?
僕らの生命力
に対してさ
僕らの生命力に再び力を宿してほしい
っていう訴えかけであり、
自分の生命力の一部を相手の生命力に
与えるような意味合いだと私は思うな。
をろがむ
拝む
なかなか素敵な言葉でございますなぁ
素敵な夜を。
つむらけんじ

