おはようございます
本日は大晦日ですね
皆さまはいかがお過ごしですか?
本日もお仕事の方はホントお疲れ様です。
お休みの方はホントごゆっくりなさって
くださいませ。
『ん』
さて、「あいうえ作文?^ ^」
も、本日がラストの
「ん」
ん。
んん?
んんんんん???
んん〜ん


「を」よりも難解やんけ〜
まあ、でも、最後やしさ、
なんとか書き進めて参りましょう^ ^
適切な単語が、脳みそからいくら捻っても
見つからないから
用法として扱います。
物事には必ず終わりがある。
終わりがあるから始められる
ん。
がピリオドの最後の語句だとしたら、
代表的な言葉が、
ごめん。
人を傷つけたらごめん。
自分を傷つけてもごめん。
御免
は本来、
免じる側を敬ってのものだけど、
今は免じられる側の用語となっていて、
随分と不遜な言葉ではあります。
言わば、
謝ってるんだから許せよ的な
感じ。
まあ、
でも、
でもでも、
そうは言っても、
ごめん
で終わらせるっていうことの方が
良いって場面はかなりある。
ごめんですんだら警察いらんわい
は、
関西人の常套句
おまわりさんのお世話になるくらいの
ことをしてがしたんだから、
本来は、
ごめんしながら警察に行かんかい
が正しい用法だとは思うのですがね。
でも、
口癖のようにそんな風に言う人が多い。
(関西人の全ての人が言うわけじゃないよ
念のため。口には出さなくとも、
そんな風に思っている人、
日本人には多いんじゃない?)
で、
私は思うのですね。
謝罪をしている人を
追い詰めてはいけない。
勿論、犯罪であるならば別だけれど、
素直にごめん や
心からごめん や
誠実なごめん や
それらを感じられないから
ごめんですんだら云々と人は言う。(思う)
でも、
素直さや心からや誠実さなどという
極めて主観的な漠然としたものなんて、
謝られる側の感覚でしかないものだから、
実際のところは誰にも分からんやん。
だから、
ごめん
で終わりにしないとって思うのさ。
終わらさないとさ、
今時、
ヤ○ザやさんでも使わない
誠意を示さんかい!!
なんて言葉にすり替え
いつまでも引っ張ることとなる。
抱えるものが多くなるってこと。
で、
引っ張り癖があるということは、
即ち、
それは自分の弱さを
明らかに証明しているものなのに、
大概の人は、
強くなりたい
なんて言うのにも関わらず、
その逆のことである
弱さを更に強化しているって
ことに気づけない。
発展的に例えて言えば、
いわゆる
打たれ弱い
なんてやつも、
打たれ弱くていいやん
僕、私、
とっても打たれ弱いから優しくしてね
って、看板ぶら下げて歩くことが、
ホントの強さというものだと私は思う。
ただし、
看板ぶら下げていたら、
余計に叩いてくるどアホがおるし
あー、そんな人はめんどくさいから
お付き合いせんとこ
って奴もおるし、
看板ぶら下げたら、
看板ぶら下げたなりの覚悟がいる。
つまりは、
自分で決めるってことなのよね
翻って、
ごめん
に関してもさ、
ごめん
と言われたら
それ以上に、
ごちゃごちゃウジウジ言わない
ルールを自分に課していく
マイルール
ってやつ
を持つ。
だから、
終わりがあるから、
始められるのよね
早く終わらせ、早く始められるってこと。
僕らは、誰もが
上手に終わらせることが、
めっちゃヘタクソ
で、
ヘタクソって認識をもっと持った方が良い。
しかも、
めっちゃね
だから、
マイルールが
必ず必要となってくると感じます
生き辛い人には、
マイルールが極端に少ない。
って気がしてなりません。
(裏返すと、生き辛くしている
マイルールがめちゃくちゃ多い
)
許す
ってことにおける
確固たるマイルールを、
自分にも他者にも持つとさ、
それは、
自身の変化に繋がり、
望んでいる
強さ
ってやつを手に入れることが出来る
一番の早道なんじゃない
そう私は思います
ごめんをいつまでも聞き入れず、
そこに執着しながら生きることの辛さ
ってさ、
やっぱホントに辛いことだからさ、
許す、許さないってのは、
勿論、その事の重大さによって
大きく変わるものだからこそ、
日常的なささいなトラブルは、
相手のゴメンで終わらせる。
そんな癖をつけた方が、
賢明だと思います。
それは、
許すことを学ぶ
大切な機会でもあるのだから。
ご参考まで
本年最後のブログは、
夜にアップさせて頂きます。
素敵な大晦日をお過ごしくださいませ。
つむらけんじ

