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Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

弱い者いじめ、差別主義、排他主義、民族主義、排外主義的愛国主義、独善主義に断固反対し、今の社会の在り方や世界観や生き方に、ちょっとだけ新たな視点を提示するブログです。

先日高速道路に迷い込んだクマが「駆除」されました。

何故か、クマという動物は初めから駆除の対象の様で、保護の対象には滅多にならないようです。

理由は、人間が襲われるかもしれないからだと思いますが、クマも好き好んで人間を襲っているわけではなく、自分の身を守るために襲わざるを得なくなっているだけだと思います。

そもそも、クマは人間が寄り付かないような山奥にひっそりと遠慮しながら生きていたのに、人間の方がどんどんとクマの生息領域に進出したり、人間の森林開発によってクマの生息領域が減少し、食糧不足に陥ったクマたちがやむを得ず食料を求めて人間の居住地域にまで降りてくるようになっただけだと思います。

元はと言えば、人間の活動によってクマが人間と接触せざるを得ないように追い込まれたのに、その責任をクマに問うがごとくに一方的にクマを殺害するなどということは、アメリカの白人がインディアンを抹殺していったのと同様に極めて理不尽なことである言わざるを得ません。

今の日本に、クマの言い分を代弁する者が居ない限り、今後も人間の理不尽な振る舞いはずっと続いていくと思います。何故に、日本と限定したかというと、クマを見たら駆除するというのは世界中で普通に行われている訳ではないからです。

もし、人間の居住地域にクマが出没したら、麻酔銃などで眠らせてから、本来の生息域に戻すということが普通に行われている国々も多いからです。

そういう意味では、日本のやり方は極めて野蛮であり、今や世界中で見直されつつある人間中心主義的な自然保護・環境保護政策の理念から見ても、その後進性は否定できないと思います。

あの高速道路のクマも、殺害して遺体をどこかに運んで破棄するのも、麻酔銃で眠らせて本来の生息域に戻すのも、手間の面ではそれほど変わるわけではないと思います。

それが、何の躊躇もなく、他の選択肢を考えることもなく、即座に駆除という選択肢を選ぶということは、その選択肢が当然であり、それに対する世論の批判などあり得ないと当局が高をくくっているからだと思います。

ということで、私は日本全国のクマたちを代表して、日本の当局の今のような理不尽で一方的なやり方に断固として抗議するものであります。そして、日本の国民の皆様の中からも私のご意見に賛同されて、今のような当局の理不尽なやり方を糾弾し、今後は他の選択肢も考慮するよう当局に圧力をかける世論形成にご協力頂きたいと思います。

クマにも生存権はある訳で、人間がクマの生息域を狭めたせいで、人間とクマが接触する機会が増えたのであれば、その原因を作った人間の方が、そうならないような対策を考えるべきであり、クマも人間も互いに安心して共存できる環境づくりのために人間の側がもっと本気で取り組むべきであると思うわけであります。

 前回のハロウィンの蘊蓄の中で、祖霊信仰の世界観では、子孫によって正しく祀られた先祖は死後時間が経つにつれて神的集合体である「祖霊」に融合するが、正しく祀られなかった先祖や事故などによって死んだ先祖は、祖霊には成れずに永遠に彷徨い続ける浮遊霊になって、時には災いをもたらすと信じられていると説明いたしました。

 そして、そのような災いをもたらす祖霊に成り損ねた浮遊霊は、祖霊が人々と交流する時には一緒にやってくるため、彼らを追い払うための儀式が全国各地の悪霊退散のお祭りなどの形で残されていること、その中でも特に節分は昔の大晦日に当たり、大晦日の時に年神様を迎えるにあたって一緒にやってくる上記の浮遊霊や災いをもたらす精霊などのいわゆる「鬼」を追い払うために豆をまくという趣旨でした。そして、それは、同じく大晦日に当たる10月31日に祖霊を迎えるにあたって、一緒にやって来て災いをもたらす者達を追い払うために怖い格好をするというハロウィンと同じ趣旨のものであるとお話ししました。

 しかし、祖霊に成れなかっただけで永遠に彷徨い続けて邪魔者扱いされる浮遊霊はちょっと気の毒ではないか?と思われた方も少なくないのでは無いかと思います。生きている人々にとっては邪魔者ですが、邪魔者扱いされた方はどうにかして欲しから余計に色んな形でその存在をアピールするのだと思います。

 ということで、祖霊信仰の世界観では祖霊になり損ねた先祖はトラブルメーカーとして厄介な存在だったわけですが、そこにある意味で救世主が現れたのです。それが仏教僧だったということです。

 日本には6世紀ごろに仏教が紹介されましたが、それ以前からも非公式には朝鮮半島からの渡来人ともに伝わっては来ていたようです。渡来系の新興豪族であった蘇我氏が、天皇家の既存の宗教アドバイザー勢力に対抗するために、新たな外来宗教である仏教を積極的に導入し、天皇に仏教導入による日本の国際化を進言して、まんまと実権獲得に成功したわけですが、それはともかく、その頃に建てられたお寺はプライベート寺院が中心で、各豪族の祖霊を祀る氏寺としての性格を持っていました。

 日本最初のお寺である飛鳥寺も元は蘇我氏の祖霊を祀るための氏寺でした。ということで、日本の仏教はその始まりから、日本古来の祖霊信仰の中での役割を果たすことを期待されて導入されたという事です。

 ただ、実際に仏教の修行をした僧侶達はそれなりの霊力を発揮したようで、特に上記の祖霊信仰おいて古来からの厄介な問題であった祖霊に成り損ねた浮遊霊によるトラブルを鎮めるのに仏教僧が大いに力を発揮したことが数々の文献に記されています。

 仏教僧たちは仏の慈悲の教えにより、浮遊霊達を邪険にはせず、経を聞かせて迷いから目覚めてもらい、仏教的な次の世へと送り出すことが出来たものと思われます。

 いずれにしても、確かなことは、祖霊に成り損ねた者達によるトラブルに頭を悩ませていた古代の人々にとっては、仏教僧達は正に天の助けとでも言えるほどの存在だったようで、仏教あるいは仏教僧=災いを鎮める、というイメージが出来上がっていったものと思われます。

 そして、やがては国家規模での災いを鎮めることまで期待されて、東大寺を本山とする国分寺が日本全国各地に作られ、国家公務員としての仏教僧が各地に配置されて、各地の災いを鎮めることが期待されるようになります。いわゆる鎮護国家の仏教です。

 かくして、仏教本来の教えはともかく、仏教僧は死者供養と災いを鎮めるプロとしての認識が人々の間に広がり、やがては、人が死んだら仏教僧に供養してもらうというパターンが常態化し、今日の、僧侶=葬式のメインキャスト、という原型ができあがっていったものと思われます。

 このように、日本の仏教は日本古来の祖霊信仰の手薄な部分を補う役割を期待されて人々に受け入れられて行った訳ですが、それが仏教本来の目的や役割であった訳でないことは言うまでもありません。

 また、仏教僧にとっても死者供養は衆生済度の活動の一環なので意味はある訳ですが、本来は、仏教というものは生きている人々の為のものなので、そっちの方よりも死者供養の専門家としか見なされないというのは、副業がいつの間にやら本業に成ってしまったような話な訳です。

 その上、日本の人々は、古来お坊さんの本業である仏の教えそのものよりも、とにかく、ちゃんと災いが無い様にしてくれたらそれで良いみたいな感じだった為、仏教国と言われる日本ですが、未だに仏の教えについて語れる人が殆どいないという奇妙な現状になっているのだと思われます。

 

 

あなたもスタンプをGETしよう

 今日はハロウィンの日であります。

 去年の今頃もハロウィンについての蘊蓄を述べましたが、今年もせっかくなので、その去年の投稿をコピペしてちょっとだけ加筆して今年のハロウィンの蘊蓄にしておきます。

 とういうことで、今年のハロウィンの投稿はちょっとだけ省エネ横着投稿となっております。

 

 人類の歴史をよーく調べてみると、ホモサピエンスが登場してからしばらくすると、自然神・精霊信仰が広がり、その後、農耕・牧畜をするようになるとそれらの生活手段をもたらしてくれた先祖を祀る「祖霊信仰」が一般的となりました。

 そして、キリスト教などの一神教が広がった地域以外では、それらの原始以来の習俗は残存し、今でもアフリカやアジアの辺境の地ではそのままの形で残存しています。

 祖霊信仰というと、どうしても東洋の風習のように思われている節がありますが、それは単に東洋の方が今でもそれが残存している地域が多いからに過ぎません。

 実は西アフリカのなどの辺境の地域でキリスト教やイスラム教の影響が及んでいない地域ではいまだに祖霊信仰が行われているのであります。そして、その状況を事細かく調査報告した論文も出されている訳であります。それらを読むと、西アフリカの祖霊信仰の風習というものがアジアや日本に残存する祖霊信仰の風習と多くの共通性を持ち、発想も世界観もほぼ共通していることが良く分かります。

 祖霊信仰以前は、自然神・精霊信仰が原始人類共通のものでした。つまり、あらゆるものに神や精霊が宿るという信仰です。狩猟採取が主な生活手段であった原始人類にとっては自分たちの運命は自然の状態に大きく左右されることが多く、必然的にありとあらゆる自然物を拝むようになり、猟や採取の出来不出来も自然神や森の精霊のご機嫌次第と信じるようになったものと思われます。

 しかし、人類が農耕や牧畜を始めると、そのような新たな生活手段を子孫に継承していくシステム(日本ではそれを「家」と呼び、いわゆる家制度の元になっています)が確立され、そのシステムの管理運営者達が死後もそのシステムと子孫の存続繁栄を見守ってくれると信じられるようになりました。それが祖霊信仰の始まりです。

 そのような先祖によって開拓された耕作地や牧場を継承する子孫の義務は、そのシステムの創始者や代々の管理運営者を祀り、作物や家畜の安定した生育と自分たちの日々の生活の安全を祖霊に祈願することであり、祖霊はその祈願に応えるように、子孫のための安定した食糧供給と安全な生活が実現されるように常に見守って守護してくれるとされています。

 祖霊というのは一つの神的集合体であり、個々の先祖は時が経つにつれて、祖霊という集合体に融合します。しかし、子孫によって正しく祀られなかった先祖や事故や疫病などで死んだ先祖は祖霊には成れず、死後行き場が無くなって永遠に彷徨い続けることに成ります。そのような祖霊に成り損なった先祖は子孫にも作物にも災いをもたらすとして厄介者扱いされることになります。

 また、祖霊信仰の世界観では所謂あの世は存在せず、祖霊も、浮遊霊も精霊も全て我々と同じ世界に存在し、普段は、少しだけ人里離れたところにいるが、年に何回か人里に降りて来て人々と交流するとされています。

 日本の伝統で言えば、山の神も田の神も氏神様も年神様も全て祖霊の別名と考えてよいと思います。お盆も正月も本来は祖霊と人々との交流の日であったわけです。お盆は仏教の行事だと思われていますが、本来は仏教とは全く関係のないものです。中国も祖霊信仰の国であった為そこら辺で仏教と結びつけられたものと思われます。

 この人々と祖霊との交流の日には、先に述べた祖霊に成り切れずに行き場を失った浮遊霊達も一緒に参加しようとするため、日本でも全国各地で今でも悪霊退散のお祭りが行われています。あの悪霊とは、鬼と言われるものですが、鬼とは特に中国での元々の意味は死者の霊のことで、先に述べた祖霊に成り切れなかった浮遊霊のことを意味しています。

 そして、日本においては、精霊起源の災いをもたらす者や先の浮遊霊も全てまとめて鬼と言って、彼らを追い払う行事が数々あるという事です。節分の豆まきなどもその一つです。

 ということで、随分と前置きが長くなりましたが、本題のハロウィンは、ケルト民族の原始以来の精霊・祖霊信仰の宗教行事がキリスト教の影響力を掻い潜って現在まで生き残ったものと思われます。10月31日は彼らにとっては年末に当たり、年神様を迎えるにあたって一緒にやってくる悪霊たちを退散させるために、色んな格好をして彼らを驚かせて退散させようという趣旨です。そういう意味では、上記の日本の各地のお祭りの趣旨とほとんど同じであることが良く分かると思います。

 また、今ではキリスト教の行事日になってしまった11月2日の万霊節も、元は各民族の精霊・祖霊信仰の行事だったものが、キリスト教的に解釈変更されたものと思われます。

 従って、ハロウィンなどは、今でもアメリカの原理主義的なキリスト教教会では御法度となっており、熱心なキリスト教信者はハロウィン行事などに参加してはならないことになっております。

 ということで、日本はもともと元祖ハロウィンの国で、お盆も秋祭りも正月もみんな本来はハロウィンと同じ趣旨のものであったという事です。

 ただ、昨今の日本のハロウィンは元々コスプレ大国であった日本が、ハロウィンの時期に合わせて行うようになった新たなコスプレイベントとしての意味合いが強く、そういう意味では、欧米とは意味合いの違う独自の文化現象であると言えるかもしれません。

 上記の「会社は社員の心身の健康に注意義務を負う」という文言は、平成3年に、とある超有名広告代理店の社員が過労自殺したときの、最高裁の判決文の文言です。これは、極めて当たり前の判決であり、その会社はこの時も、最高裁から注意を喚起されているにも関わらず、一向に社員の心身の健康などには一切注意を払おうとせず、相変わらず社員を無茶苦茶な労働環境に置き放しにした上で、あたかも健康管理は自己責任であるかのごとくに無責任な態度を取り続けて来たわけです。

 そして、その後も何人もの過労死や過労自殺者を出しておきながら、誰も何も責任を取らないまま無責任体質は放置され、先日の女性の過労自殺事件が起こりました。

 健康管理は、自己責任と言いながら、会社側が社員に対して健全な勤務体制が取れるような施策をせずに人員配置もせずに、長時間労働が行われていることを知りながら放置していたということは、会社側が「社員の心身の健康の注意義務」を果たしていないどころが、むしろ暗黙の内に「社員が心身の健康を損なうような労働環境」に置いたのも同然で、これがアメリカであれば社員からの訴訟だけであの会社はあっという間に破産していたと思います。

 日本人はお人よし過ぎであり、そのような過酷な労働環境に置かれながらも、企業の責任を問わずに自分を責め続けたりするので鬱になったり自殺したりしてしまうのだと思います。

 上記の会社の様な極めて無責任で、ある意味とてつもなく悪質な会社は、アメリカならばpunitive damage といって懲罰的損害賠償というもので、何百億円という損害賠償が請求されることに成ります。

 懲罰的損害賠償とは個人が受けた損害だけでなく、社会的に許されないことをしている企業に対して社会的な制裁をするためのもので、会社の規模に応じて、その会社にとって相当の痛手となる額を支払うように裁判所が命令するわけです。

 有名なところでは、マクドナルドのコーヒーが熱すぎて火傷をしたという訴訟で、やけどをした本人に対する賠償に加えて、上記の懲罰的損害賠償が加算され、結局マックは100億円もの損害賠償を払う事になったことがあります。

 上記の件はアメリカの裁判制度のやり過ぎ具合の象徴的事件になっていますが、コーヒーで火傷するのは常識的にも本人の責任だと考えるのが当たり前ですが、アメリカではそれでも企業に注意を喚起する意味で100億円もの懲罰的損害賠償を支払わせるのです。

 それが、上記の広告代理店の場合は最高裁から再三注意を受けていたにも拘らず、全て無視して全く企業体質を変えようともせずに、社員を過剰労働をせざるを得ないような環境に置きっぱなしにし、そのせいで、何人もの社員が過労死や過労自殺をするに至ったことに対する企業としての責任は重大であり、その社会的制裁として相応しい懲罰的損害賠償の額は、熱いコーヒの責任が100億円なら、おそらく5000億円は下らないと思います。

 上記の大手広告代理店は、自分たちがそれ程罪深いことをしているのであり、企業としては極めて無責任な儲け主義一点張りの悪徳企業に成り下がっていることを自覚すべきであると思います。

 そもそも、上記の有名な広告代理店に限らず、従業員を慢性的に過酷な労働環境に置き放しにして何らの改善策もとろうとしない企業は、この日本には腐るほどあります。

 全国民の殆どが何処かの企業の従業員であることを考えると、従業員の心身の健康と福利に注意を払わず、結果的に従業員に肉体的・精神的なダメージを与えるような企業は、社会の敵であり、反社会的な組織であると認定されるべきだと思います。

 そして、法的にももっと従業員の心身の健康と健全な勤務体制を厳格に保護させるような法整備をすべきであり、上記の大手広告会社のような働き方は法律的にも全面的に禁止されるようにするべきであると思います。

 何度も言いますが、この世の中の殆どの人はどこかの企業の従業員であることを考えると、企業の従業員が手厚く保護されることこそが、全ての人々が手厚く保護されることに繋がる訳であり、それ以上に優先されるべきことは何一つないということです。

 収益の関係で従業員に手厚い保護が出来ない会社などは潰れれば良いのです。従業員を保護できる会社だけ生き残ればいいのです。何故なら、従業員を手厚く保護できないような会社は存在する価値がないからです。企業が従業員の生活を犠牲にしてまで、存在し続け成ればならない理由などないからです。株主が損をするかもしれませんが、株主の利益のために従業員の生活が犠牲になるようなことがあっては絶対にならないと思います。

 所が、現在の状況は正にそのあってはならない状況がまかり通っている訳です。株主の利益のために従業員の給料は減らされ続け、正社員はもっと給料の安い非正規社員に置き換えられ、非正規社員は永遠に貧困状態から抜け出せなくなっています。

 すべては、企業の存続のため、と言いながらその実は株主の利益を充分に確保するために、従業員にギリギリの生活を強いているだけです。そして、ひどい場合は従業員を過労死や過労自殺にまで平気で追いやる企業まであるにも関わらず、それらの企業は何らの社会的制裁も受けずに、平然と同じ勤務体制を今も続けているのです。

 日本人は自分に厳しく人に優しいというのが、特筆すべき美徳の一つですが、上記の様な悪徳企業はそのような日本人の美徳を逆手にとって、それに便乗し、それを利用して従業員を酷使しながらぼろ儲けしているに過ぎません。

 今こそ、全国の日本人は、生真面目すぎるお人よしの性格で自分ばかり責めるのをやめて、それに都合よく便乗している悪徳企業の化けの皮を剥がして、一刻も早く全ての従業員が企業から手厚く保護され、今や全世帯の6分の一とも言われる貧困家庭を無くし、親の貧困のせいで惨めな生活を強いられている子供達に明るい笑顔が戻ってくるにように我々一人一人が声を上げるべき時が来ていると思います。

2016-10-20-PresidentialDebateFinal from hsgch3 on Vimeo.

 

 日本時間の10月20日の10時からアメリカ大統領選挙の第3回目のテレビ討論が開催されました。  

 今回は、ドンピシャの平日でしかも会議と重なったために、ライブで見ることは全く不可能でした。結局、夜になってからYou Tubeの動画で見ることに成りました。

 ということで、もう既にニュースで報道されているし、今更という感が否めず、気の抜けたビールの様な投稿に成ってしまいましたが、取りあえず、そのニュースも見逃した方のために一応印象を書き残しておこうと思いました。

 最初は、それぞれが大統領になった時にどのような最高裁判所の判事をノミネートするかという質問に対して、クリントン氏は、民衆の立場に立ち、大企業や金持ちを優遇する人ではなく女性や同性愛者の人々の権利も尊重する人をノミネートするとしたのに対して、トランプ氏は妊娠中絶反対で合衆国憲法修正第2条の銃の保持の権利を尊重し憲法を本来の趣旨通りに尊重する判事をノミネートしたいとしました。

 次に司会者が銃規制についてのそれぞれの意見を聞いたところ、クリントン氏は、合衆国憲法修正第2条の銃の保持の権利を尊重するし、個人の自由を尊重するが、年間3万3千人が銃で亡くなっている現状を考えるにつけ、子供を銃の事故から守る為など、多少の制限があってしかるべきだと思うとしました。

 トランプ氏は、現実には銃規制が厳しくても銃による死者が最も多い場合もある。基本的には合衆国憲法修正第2条の銃の保持の権利はいかなる制限も受けるべきでないとししました。

 次に妊娠中絶についての両者の見解を聞いたところ、クリントン氏は基本的には女性の選択の自由が保障されるべきで、本来女性自身が選択すべき問題に政府が介入するべきではないとしたのに対して、トランプ氏は、生命は尊重されるべきで無制限に胎児の命が奪われるのを放置すべきではないとしました。

 この銃規制と妊娠中絶の問題は、これまでの大統領選挙でのお決まりの争点だったので久しぶりにその話題が出て、それぞれがお決まり通りに保守とリベラルの見解を披露したという感じでした。

 次に移民問題についての見解を聞かれ、トランプ氏はメキシコからの不法移民と麻薬の密輸によって、多くのアメリカの青少年の安全が脅かされている。これらの侵入を防ぐためにも国境に壁を作ってでも不法移民と麻薬密輸は防がなければならないとしました。

 クリントン氏は、アメリカで生まれた多くの子供たちが親が強制送還されることによって家族がバラバラにされる危機に直面している。より開かれた移民法に見直していくべきであるとしました。

 その後、クリントン氏がロシア政府がトランプ氏の当選に向けて様々な工作をしている事実を指摘し、外国政府がアメリカ大統領選挙に介入しようとすることなど前代未聞であるとしたのに対して、トランプ氏はロシアと協力関係を築けた方が良いに決まっているし、民主党政権はロシアに甘くみられており、核兵器削減でもロシアは好き放題しているのにアメリカだけ不利な立場に追い込まれているとしました。

 それに対して、クリントン氏はトランプ氏こそ日本や韓国やサウジアラビヤに核保有を勧める発言しており、核の削減どころが核の拡散を助長しているとしたのに対して、トランプ氏は皆アメリカに頼るだけでなく自分で自分の国を守るように言っているだけだし、アメリカに守って欲しかったらそれなりの金を出せと言っているだけだとしました。

 次にそれぞれの経済政策について聞かれたのに対して、クリントン氏は政府主導によるクリーンエネルギー事業の推進などによる中間層の収入と雇用機会を増加を期し、小規模事業への援助による雇用の創出と、最低賃金の底上げによる所得の増加、そして貧困層の大学の学費免除などの施策よって庶民の生活を豊かにすることを目指すが、その分の財源は大企業や富裕層に出してもらうことに成るとし、それに比べて、トランプ氏の政策は大企業や金持ちへの大幅減税をするだけなので、問題解決には繋がらないとしました。

 それに対して、トランプ氏はクリントン氏の政策は大幅増税に繋がるだけであるとし、自分は、今、日本や韓国やドイツの為に使っている軍事費をそれぞれに国に払ってもらい、NAFTAもTPPも見直して、外国に流出した雇用をアメリカ国内に戻して、アメリカに有利な内容にする。その上で、大幅減税を実施するとしました。

 クリントン氏は富裕層以外への増税はしないし、財政赤字が増えることは一切ないとし、これまで財政赤字を増やしてきたのは共和党であり、我々がその尻ぬぐいをしてきたのであるとしました。

 そして、司会者がトランプ氏に、保守的な専門家でさえ口をそろえてトランプ氏の経済政策を非現実的であるとしているがどう思うかという質問に対しては、トランプ氏は中国やインドが高度経済成長を実現しているのにアメリカの成長率は1%以下である。民主党政権によって仕事が全部外国に流出したからである。先ずそれを取り戻すことが先決であるとしました。

 それに対して、クリントン氏はトランプ氏は仕事の海外流出や貿易不均衡を問題にしているが、中国からの不正輸入は大きな問題になっているのに、トランプ氏がこのラスベガスに建てたホテルにはその中国から不正輸入された鉄骨が使われているとして、トランプ氏の言行不一致を指摘しました。

 ここまでは、これまでの1回目と2回目の討論ではあまり掘り下げられなかった政策論議が、比較的きっちりと行われたので、そういう意味では今まで討論の中では一番内容があったと思いました。

 ここから後は、それぞれの大統領としての適性についての話題になりましたが、前回同様のトランプ氏の女性に対する扱いの酷さと、クリントン氏のメール問題の繰り返しで目新しいものはありませんでした。

 今回の討論会は今ままでの中で一番まともな政策論争がされたと言えますが、いずれにしても、トランプ氏の政策が、司会者が言った通り、殆どの専門家が非現実的であるとしているように、スローガンやアジテーションの域を出ておらず、具体性に欠けるだけでなく実現可能な政策とはいえないものばかりあることが良く分かる結果となりました。

 いずれにしても、今回の討論会を見てトランプ氏を支持しようと思うようになった無党派層は殆どいないだろうという印象を受けました。

 臨死体験と言えば事故や病気で生死をさまよった人が、一時的にあの世の光景を垣間見るような体験をすることを意味しますが、これまでは多くの脳科学者達は、昏睡状態での脳の働きによって夢のような体験をしたに過ぎないとしてきました。
 しかし、そのような見解を主張する急先鋒で世界的にも著名な脳科学の権威であったアメリカのハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医のエベン・アレグザンダー氏が、ある日突然、細菌性髄膜炎に掛かり、7日間に渡り意識不明の昏睡状態に陥り、7日目に奇跡的に意識が回復し生還するという体験をしました。
 その時には彼はいわゆる臨死体験をしたわけですが、彼の意識は七日間にわたりずっとはっきりしており、その間の記憶も全部残っていたのです。彼は臨死体験でよくあるトンネルを抜けてお花畑のある実に素晴らしい所に行き、そこで見たこともない美しい女性に出会い、その女性がずっと自分に付き添ってくれて色んなところに行ったそうです。その間の彼の意識状態は、夢の時とは明らかに違い、非常にはっきりとした現実感があるもので、普通の現実の時の意識状態よりも更に現実感の強いものだったという事です。
 彼は、その案内してくれた女性と7日間にわたり時を過ごしたあと、境界線のようなところで、その女性から、ここから先へは貴方はまだ来る時期ではありませんと説得されて、来た道を帰るように言われて、帰ったらベッドの上で目が覚めたということでした。
 回復後に、科学者である彼は、自分が昏睡状態にあった時の脳波データを徹底的に調べ上げた結果、愕然としたのです。彼が昏睡状態にあった時の彼の脳の状態はほぼ脳死寸前の状態で、脳波も極めて微弱で夢を見ることなども絶対に不可能なほどの不活性状態にあったことが分かったのです。
 自分が経験したあの夢とは比較にならないほどの現実感のある意識状態など、その脳波の波形からは絶対にありないものであることが分かった訳です。
 彼自身が脳科学の権威であり、脳波と意識状態の関係も熟知していたからこそ、自分が昏睡状態にあった時の脳波データと自分自身の経験した意識の状態とのあまりの違いに、彼は意識というものは、脳が作り出しているものではないという事を確信するに至った訳であります。
 むしろ、脳というのは意識と肉体とを繋ぐインターフェースの役割を担っており、意識通りに肉体が動くように機能しているということで、脳が炎症によって機能停止状態に陥ると、肉体との繋がりは失われるので肉体も植物状態に陥りますが、意識そのものは脳や肉体の状態に関係なく活動し続けており、脳というインターフェースが失われた状態では、普通以上に意識状態が鮮明になるというのが、彼が普段以上に現実感を感じたということの理由の様でした。
 その後、彼は臨死体験で出会った女性のことが気になり、いろいろ調べた結果、自分には妹が居たことが分かり、幼い頃に自分は父親に引き取られていたため、その後に妹が生まれたことは知る由もなく従ってもちろん一度も会ったこともなく、その存在すら知らされて居ませんでした。その彼女は20代で他界していたことも分かりました。
 そして、いろいろ調べた結果、ついに彼女が生存していた頃の写真を見せてもらう事が出来たのです。その彼女こそが、自分をあの世で案内してくれたあの美しい女性だったのです。
 自分が会ったこともなく、しかも成人した姿など見たこともない妹とあの世で出会い、その姿が生前の彼女そのままであったといことも、臨死体験が単なる個人的な夢のようなものではなく、第三者との交流も含む客観的な出来事であることを彼は確信するに至った訳です。
 彼は自らの体験を本にして2012年Proof of Heavenというタイトルで出版しました。その結果、なにせ脳科学の権威であった人が自らの体験をもとに書いた本である為、懐疑的だった他の脳科学者たちも否定のしようがなく、それ以来、臨死体験というもの対する脳科学者の見解は大きく変わつつあるといことです。
 もちろん、人の話など信用しない頑固おやじは何処にもいるもので、未だに多くの脳科学者は臨死体験なんて夢に過ぎないと思っているようですが、それが本当かどうかは彼らが実際に死んだ時に始めて分かるのだろうと思います。
 でも、その時は時すでに遅しで、自分の考えは間違ってましたと、この世に戻って来て言うことも出来ない為、相変わらず、否定的な脳科学者の数は減らないということなのだろと思います。

http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/116806.html


PresidentialDebate-10-9-2016 from hsgch3 on Vimeo.


 日本時間の今日の朝10時からクリントン氏とトランプ氏によるアメリカ大統領選に向けた二回目のテレビ討論会が行われました。
 最初に最近暴露されたトランプ氏が女性を軽視した発言が話題となり、クリントン氏は、これまでの大統領選挙ではお互いの政策についての見解の違いと論争はあったが、今回のように、そもそも大統領にふさわしい人間がどうかが問題にされることはと無かった。トランプ氏の女性を性的対象としてか扱わない態度や、人種差別的な考えや特定の宗教に対する偏見などは、共和党陣営からも、大統領としてふさわしくない人間だという意見が出ているほどだ述べました。
 それに対して、トランプ氏はあの暴露された会話は男のロッカールームでの会話のようなもので、もちろん本気ではない。それより、ヒラリーの夫のビル・クリントンこそ沢山の愛人をそこら中に作って、多くの女性を苦しめてきた張本人だと反撃しましたが、なにせ、ヒラリー本人のことではないためその反撃は不発に終わりました。
 次に、トランプ氏はクリントン氏が個人のEメールアカウントで国家機密に関わるようなメールを扱っていたことを攻撃しましたが、これはクリント氏が謝ってそれで終わりでした。
次に国民健康保険の問題が話題になり、質問者が保険料が上がっているのに支払われる額が減っているのをどうするつもりかを問いただしたのに対して、クリントン氏は確かに自分も今の状況には問題を感じているので保険料が下がる工夫をしなければならないと考えていると答えました。
 それに対して、トランプ氏はそもそも今のオバマ大統領が始めた国民健康保険制度は破たんしており、国の財政を悪化させる元凶になっている。あんなものはとっとと廃止して、保険などは全部民間に任せればよいと応じました。
 それに対して、クリントン氏はせっかく貧しい人でも誰でもが最低限の健康保険の適用を受けられる制度ができたのに、トランプ氏が大統領になれば全部が振出しに戻って結局またお金のある人しか保険に入れない状態に逆戻りしてしまうと応じました。
 次にトランプ氏のイスラム教徒の移民を認めないという政策について、今でもそう思っているのかという質問に対して、トランプ氏はイスラム教過激派を入国させないという趣旨だ。紛争地域から来る移民の入国は制限されなければならないと言っているのだと答えました。
 それに対してクリントン氏は。我々の敵はテロリストであって、イスラム教徒ではないことを忘れてはならない。トランプ氏は、数々の発言によって、不要にイスラム教徒に対する偏見と差別を助長してしまっているし、我々は同盟イスラム諸国と協力してISISと戦う必要があるのに、イスラム教徒を蔑視しているトランプ氏が大統領になったら、同盟イスラム諸国の協力も得られなくなってしまうと応じました。
 次に、ウィキリークス情報によると、クリントン氏が大統領は公式見解と私的見解を持つことがあると言ったと言うことに対して質問され、リンカーンの映画を見て、公人としていろんな政策を進めるためには、様々な見解を述べる必要があるということだ述べました。それに加えて、同じくウィキリークス情報によると、ロシア政府はあらゆる手を使ってトランプ氏が勝つように手を尽くしているようだか、これまで、アメリカの大統領選で外国が関与することなんて前代未聞であるとしました。
 次に、税制の問題が話題になりましたが、トランプ氏はクリントン氏が大統領になれば今よりもっと税金が上がるとしたのに対して、クリントン氏はトランプ氏自身が過去何年間も税金を払ってこなかったし、彼が大統領になれば、彼のような大金持ちだけの税制が益々優遇されるだけで、その分のしわ寄せは必ず庶民の増税となって現れると反論しました。
 次にシリアの惨状について質問があり、クリントン氏はシリアのアサド政権とロシアとイランの同盟軍が反対派を一掃すべく攻撃をしている。彼らの敵は必ずしもISISではない。自分が大統領になったらロシアとも交渉し、不当な戦争犯罪は必ず追求するつもりであるとしましたが、トランプ氏はすべてはオバマ政権の弱腰外交が引き起こした結果であり、下手な軍事戦略のせいであるとしました。
 今のシリアの行き詰まり状態を打開するためにアメリカ軍を派兵する積りはあるかとの質問に対しては、アメリカ軍を派兵する積りはない、ISISを排除する最良の方法はクルド人勢力を支援してバグダディをターゲットにすることだ思うとしました。
 あとはそれぞれが自分で大統領候としてふさわしいと思うかという質問に対して、自分はもちろんだが相手候補ではそうではないという話と、エネルギー政策などについてのそれぞれの見解が問われ、最後の質問者が、討論の内容は別にして、それぞれ相手の良いところを言って欲しいという質問に対して、クリントン氏はトランプ氏の子供たちは素晴らしい子供たちであると褒め倒したのに対して、トランプ氏はクリント氏のやろうとしていることに対しては反対だが彼女のあきらめずにやり通す姿勢は尊敬しているとしました。
 今回は政策に対する双方の意見も聞けましが、今回もやっぱり、トランプ氏はスローガン的な話は得意なようですが、具体的な政策論になるとやっぱり素人丸出しで、ずっと政策に携わって来たクリントン氏との実力の差が如実に表れていたように思えます。
 やはり、今回の討論をみても、無党派層がトランプ氏を支持したくなるような要素は全くなく、逆にクリントン氏の冷静さと聡明さが際立つ結果となりました。今回もトランプ氏の完敗と言っていいと思います。
 今日もMSNで都市伝説の特集をしておりましたが、都市伝説と言えば必ず出てくるのが、フリーメーソンとイリュミナティであります。
 彼らは、古くからこの世界を陰で操っているということになっており、今や世界経済はもちろん、国連もアメリカもEUもあらゆる報道機関も全て彼らのコントロール下にあって、それに加えてインターネットそのものも彼らの計画に沿って開発され、フェイスブックの創業者もイリュミナティの重鎮の息子で、世界中のSNSを使って全人類の情報が収集されていて、将来創設される世界政府の元に、あらゆる国と国民がその完全なるコントロール下に置かれることに成っているといことです。
 そして、今後は世界中で皆がうんざりするほどの民族紛争や宗教間紛争が起こり、それらを完全に無くすためには世界中から、軍隊も含めたあらゆる武器を無くす、つまり、豊臣秀吉の刀狩りを全世界規模で行うしかないという国際世論を作り上げ、最終的には国連軍と世界警察だけが武器を持つようになり、彼らが世界の安全を守るということに成るそうです。
 そして、紛争や格差の原因でもある国というものを最終的には無くして、ひとつの世界国家、人類みな兄弟的な世界を作ることを目指しているそうです。今の国連はそれらの計画の母体になって今後は国連を元に世界が統一されていくということです。
 そもそも、このような計画は昔からあったそうで、たまたま1776年にアダム・ヴァイスハオプトがドイツで作った組織が後に官憲に摘発され、その時に彼らが進めていたとされる今後の計画なるものが発見され、それが世に出てしまったということです。
 彼らの計画というのは下記の通りです。
 1.国家の廃絶 2.宗教の廃絶 3.男女差別の廃絶 4.結婚制度の廃絶 
 5.家族制度の廃絶
 これらの五つの目標を、漸進政策と言って、少しづつ誰も気づかないうちに進めて行くとされていました。その為には、世の中の人々が上記の五つのものは廃絶した方が良いと思うような出来事を数々起こし、それに代わる新しい考え方を世界に広めることによって、少しづつコンセンサスを作って行くというものでした。
 非常に興味深いのは、そのような計画が暴露されたのは今から200年以上も前の事であり、その頃には、上記の五つのうちのどれ一つとしての無くなりそうだと思えるものは全く無かったという事であります。
 上記の五つの彼らの計画は捏造ではないかという意見は昔からあったようですが、事の真偽は別としても、ただ一つ言えることは、今の世の中が確実にその計画の通りに進んでいるということです。もし、その文書そのものが捏造であったとしたら、何故、今の世の中が200年以上前の文書の通りに進行しているのか?という大きな疑問が残る訳であります。
 200年前にはとんでもない発想であったことが、今の時代では、まだ反対が根強いと予想されるのは結婚制度と家族制度ぐらいだと思います。結婚制度も今の離婚率を考えると結構危うい状況にあるとも言えます。
 このイリュミナティというのは、ここでも以前にちょっと触れたこともありますが、啓蒙運動の一環として組織されたものであります。啓蒙運動または啓蒙思想とは、人間個人としての理性・知性の可能性を信じ、人間の持つ理性を最大限に活用することによって得た智慧によって全てが判断されるべきで、あらゆる迷信(盲目的な信仰を含む)や社会慣習や国家の束縛から、個人を解放し、完全なる自由(リバティー)を獲得することが目標であると考えられています。
 つまり、無知なる闇に理性による光を照らすこと、そしてこの光を照らすことを今でもイリュミネーションというように、イリュミナティーとは光に照らされた者達なのであります。
 この光を照らす又は輝くという言葉に英語でLucidという言葉がありますが、これはラテン語から来ている言葉で、その同じ語源で「光を照らす者」という言葉がLuciferつまりあの有名な光の堕天使で大悪魔のルシファーなのであります。
 つまり、キリスト教では「無知なる闇に(智慧や理性で)光を照そう」などという発想はあのエデンの園の蛇の言い分であって、正に悪魔そのものの発想であるとされている訳です。
 人類の始祖のアダムとイブは悪魔の化身である蛇の進言に従って「智慧の実」のりんごを食べてしまい、それ以来自分で考えるようになって、神の教えに疑問を感じるようになった結果、神の怒りをかい、永遠の楽園のエデンの園から追放されて、以来人類は生まれながらにして神の言いつけに背いた「原罪」を背負っており、「自分の理性で何でも判断できるなどという慢心を悔い改めて、自らの無力さと罪深さを心から認めて、ただひたすらに神の恩寵におすがりすれば、神に許されて、神の力が自らの内に働くようになる」というのがキリスト教の教えなのであります。
 それ以来、欧米の歴史というものは、神の恩寵を信じる人々と人間の理性の可能性を信じる人々との見えない暗闘が展開されており、神の恩寵の中に生きるか、神の束縛から完全なる自由(リバティー)を獲得するかの、二者択一を人々は迫られてきたわけです。
 しかし、実際にはそんなことを意識している人はごく稀であり、あのイルミナティの漸進政策のかいもあってか、殆どの人は自分は一応キリスト教徒であるが、基本的には自由に生きたいと思っている人が多い訳です。
 ただ、そのようないい加減な人は本当のキリスト教徒ではない!と熱心なキリスト教徒は思っており、彼らから見れば、今や世界中の多くの人々がサタンつまりルシファーに洗脳されてしまっていると見ている訳です。つまり、エデンの園以来の蛇の言いなりになっている人がどんどん増えていると思っている訳です。
 そして、前にも言いましたように、そのような個人の自由(リバティー)を求める人々がリベラルと言われる人々なのであります。
 アメリカの独立もフランス革命もイリュミナティを中心とするフリーメーソンによって成し遂げられたとされており、それは、フランス革命の人権宣言の文書の頭に、あの有名なアメリカの1ドル紙幣のピラミッドの上にある「万物を見通す目」と同じ目のマークが燦然と輝いているのが何よりの証拠であるとされています。
 また、フランスのフリーメーソンからアメリカのフリーメーソンに建国100周年を祝って送られた贈り物があの自由の女神で、その台座に書かれている正式名称はTHE STATUE OF "LIBERTY ENLIGHTENING THE WORLD”となっており直訳すると「世界を目覚めさせる自由の彫像」となっているのであります。
 正にあのエデンの園の蛇の主張が脈々と受け継がれて来ており、欧米先進諸国はその理念の上に建国され、今でも殆どの欧米政府の首脳はフリーメーソンとは無縁の人の方が少ないとされています。
 まあ、ということで、一番興味深いのは、これほどまでに世界中で陰謀論が語られているのに、いつまでたっても、誰も真剣に本気で心配する気配がないのは、これらの陰謀論には必ずガセネタが無数に仕込まれているからであります。
 秘密結社の秘密を完全に守ることなどは不可能なので、初めからある程度情報が洩れることは見込んだうえで、あえて全くのデタラメ情報も沢山流すのであります。そうすることによって、一体どれが本当でどれが嘘なのか分からなくなって、結局誰も本気で取り合わなくなるということです。
 例えば3.11の大地震は陰謀によって起こされたという都市伝説がありますが、あれなどは典型的なガセネタです。ところが、陰謀論が好きな人はああいうネタにもすぐに飛びついて、人に言いふらすので、それを聞いた多くの人は、やっぱり陰謀論なんて信じる人はちょっと頭がおかしい人が多いね!?と内心思う訳です。そうやって、陰謀論など誰も信じなくなれば、誰にも邪魔されずに計画通りにことを進めることができるという訳です。
 また、ヒットラーもオーム真理教も、近い所ではあの障害者施設で19人もの人を殺した犯人もみんな陰謀論者で、陰謀論者は頭が狂っていて、凶悪な犯罪を犯す人が多いという評判まで世間に広がるので、陰謀論者は社会の敵みたいな見方まで広がる訳です。
 実際、陰謀論にのめりこむ人はだんだん全てが疑心暗鬼に思えて来て、身の回りのこと全てを陰謀論と結びつけてしまって最終的には正気を失うというケースも少なくないのであります。
 ということで、もし本当にこの世の中で壮大なる陰謀を企てている人々が居たとしても、誰もそのことを本気で追及することは出来ないし、問いただすことも、阻止することもできないようになっているということです。
 信じるか信じないかは貴方次第です・・・
 日本時間の今日の朝10時からクリントン氏とトランプ氏によるアメリカ大統領選に向けた公開討論会がありました。
 最初は今のアメリカの失業率の高さやアメリカの産業の弱体化は、これまでの前クリントン大統領も含む民主党政権のせいであるとしてトランプ氏が攻勢に出てクリントン氏は守勢に回りましたが、後半はクリントン氏がトランプ氏の汚いビジネスのやり方やあらゆる手を使って税金逃れをしてきた事実を指摘し、更に彼が人種差別主義者である証拠の数々を列挙した結果、リアルタイムで表示される視聴者の反応はクリントン氏に同意する人が圧倒的に多く、トランプ氏が話すたびに、「同意しない」の表示が多数を占めるなど、少なくとも今回の討論会ではトランプは信頼できる大統領候補ではないという印象を多くの人がもったようです。
 もちろん視聴者の反応は系列メディアによって視聴者の政治姿勢が違うため、必ずしも僕が見たMSNBCの視聴者反応が全体の反応を示しているとは限りませんが、いずれにしても、今回の討論会ではクリントン氏が優勢であったことは間違いないと思います。まだ、討論は続いて言いますが、ほぼ大勢は決まったと思います。

 

 アメリカでは今年だけで123人もの黒人が警察官によって射殺されているそうです。

 その中には上のビデオのように何も武器を持っていない黒人が射殺されるケースも含まれています。

  7月初めにもルイジアナ州とミネソタ州で警察官による黒人の射殺事件が発生し、その抗議デモの参加者が報復で5人の警察官を射殺するという事件が起きました。

 そしてまた、今月の16日にはオクラホマ州タルサで上記のビデオの事件が起きました。

 そして9月20日はまたもやノースカロライナ州シャーロットで警察官による黒人射殺事件が起き大きな抗議デモに発展しています。

 一体何故このような悲劇が繰り返されるのでしょうか?

 僕自身も昔 L.A.に住んでいる時に、交通違反で(初めて!)警察に止められた時、当時まだ警察に止められるのに慣れていなかった僕としてはどう対処してい良いのか分からずに、車を止めて車外に出ようとしました。普通は無断で車外に出ては絶対にいけないのでした。

 すると、後ろから警官二人が銃口をこちらに向けて、「動くな!動くと撃つぞ!」と大声で叫んでいるではありませんか。本当に今にも銃撃してきそうな殺気立った雰囲気にかなりビビりましたが、取りあえず両手を上げて、言われる通りにしました。

 それで免許証を見せろと言うので、その時はまだ赴任したてで、正式な免許証も出来上がっておらず、運転免許所でもらった紙の仮免許の様な書式しかなかったので、免許はバッグに中にあると答えると、「何でバッグの中にあるんだ!?」と怒られて、自分でバッグを触ろうものなら即座に撃たれそうな感じだったので、手を挙げたまま、口だけで助手席にバッグがあるからその中に仮免許の紙があると説明すると、一人の警官が僕に銃口を向けたまま、もう一人の警官がバッグを取り出してその中から仮免許を見つけてくれて、ようやく怪しい奴ではなさそうだという事を分かってくれて、普通に話してくれるようになりました。

 それまでの約5分間はその警官二人はこちらに銃口を向けたまま、ずっと大声で叫び続けていて、あの時に僕がちょっとでも更に変な動きをしていたら確実に今頃はこの世にはいなかったと思います。

 警察に止められるのが慣れていなかった僕の行動は、彼らからして見れば、不審者そのもので、完全に射殺する気まんまんであったことは確実でした。何故なら、銃社会のアメリカでは、警官が少しでも隙を見せたら、即座に銃で反撃される為、警官も命がけなのであります。

 あのとてつもなく殺気立った大声は、彼ら自身の恐怖心の表れであり、こいつはまともじゃないから必ず反撃してくると思われていたのであります。

 上記のビデオの黒人もぶつぶつと独り言を言っていたらしく、警官から超怪しい奴だと思われてしまったのだと思います。そうなったら、どこに銃を隠し持っているか分からないので、彼の手がちょっとでも下がったら、次の瞬間には自分が撃たれるかも分からないため、ちょっとしたことで撃ってしまったのだと思います。

 やはり、自分が殺されるかもしれないという恐怖心と、黒人は犯罪者が多いという偏見によって、このような悲劇が繰り返されるのだと思います。

 せめて足とか死なない所を撃てばいいのにと思うかもしれませんが、お互い銃を持っているという前提では、急所を外した方が殺されるという鉄則があり、撃つときは必ず相手が死ぬように撃つのであります。

 それが銃社会の恐ろしい現実なのであります。

 アメリカでは年間1000人位の人が警官に射殺されるそうで、警官は30人位犯人よって射殺されるそうです。

 つまり、警官に射殺される人の方が圧倒的に多い訳でありますが、その多くが警官の恐怖心と撃たれる前の予防策として殺されている場合が多いという事だと思います。

 射殺されるというのは死刑と同じなわけですが、実際に死刑になるのは余程の凶悪犯罪でないとなりません。そう考えると、大したこともしていないのに、場合によっては、本当に何もしていないのに、簡単に射殺されてしまうというのは、法治国家としては実に理不尽な話で、そういう意味では銃社会のアメリカは、法治国家としての基本原則に悖る現状であることをもっと反省すべきではないかと強く思う訳であります。