前回のハロウィンの蘊蓄の中で、祖霊信仰の世界観では、子孫によって正しく祀られた先祖は死後時間が経つにつれて神的集合体である「祖霊」に融合するが、正しく祀られなかった先祖や事故などによって死んだ先祖は、祖霊には成れずに永遠に彷徨い続ける浮遊霊になって、時には災いをもたらすと信じられていると説明いたしました。
そして、そのような災いをもたらす祖霊に成り損ねた浮遊霊は、祖霊が人々と交流する時には一緒にやってくるため、彼らを追い払うための儀式が全国各地の悪霊退散のお祭りなどの形で残されていること、その中でも特に節分は昔の大晦日に当たり、大晦日の時に年神様を迎えるにあたって一緒にやってくる上記の浮遊霊や災いをもたらす精霊などのいわゆる「鬼」を追い払うために豆をまくという趣旨でした。そして、それは、同じく大晦日に当たる10月31日に祖霊を迎えるにあたって、一緒にやって来て災いをもたらす者達を追い払うために怖い格好をするというハロウィンと同じ趣旨のものであるとお話ししました。
しかし、祖霊に成れなかっただけで永遠に彷徨い続けて邪魔者扱いされる浮遊霊はちょっと気の毒ではないか?と思われた方も少なくないのでは無いかと思います。生きている人々にとっては邪魔者ですが、邪魔者扱いされた方はどうにかして欲しから余計に色んな形でその存在をアピールするのだと思います。
ということで、祖霊信仰の世界観では祖霊になり損ねた先祖はトラブルメーカーとして厄介な存在だったわけですが、そこにある意味で救世主が現れたのです。それが仏教僧だったということです。
日本には6世紀ごろに仏教が紹介されましたが、それ以前からも非公式には朝鮮半島からの渡来人ともに伝わっては来ていたようです。渡来系の新興豪族であった蘇我氏が、天皇家の既存の宗教アドバイザー勢力に対抗するために、新たな外来宗教である仏教を積極的に導入し、天皇に仏教導入による日本の国際化を進言して、まんまと実権獲得に成功したわけですが、それはともかく、その頃に建てられたお寺はプライベート寺院が中心で、各豪族の祖霊を祀る氏寺としての性格を持っていました。
日本最初のお寺である飛鳥寺も元は蘇我氏の祖霊を祀るための氏寺でした。ということで、日本の仏教はその始まりから、日本古来の祖霊信仰の中での役割を果たすことを期待されて導入されたという事です。
ただ、実際に仏教の修行をした僧侶達はそれなりの霊力を発揮したようで、特に上記の祖霊信仰おいて古来からの厄介な問題であった祖霊に成り損ねた浮遊霊によるトラブルを鎮めるのに仏教僧が大いに力を発揮したことが数々の文献に記されています。
仏教僧たちは仏の慈悲の教えにより、浮遊霊達を邪険にはせず、経を聞かせて迷いから目覚めてもらい、仏教的な次の世へと送り出すことが出来たものと思われます。
いずれにしても、確かなことは、祖霊に成り損ねた者達によるトラブルに頭を悩ませていた古代の人々にとっては、仏教僧達は正に天の助けとでも言えるほどの存在だったようで、仏教あるいは仏教僧=災いを鎮める、というイメージが出来上がっていったものと思われます。
そして、やがては国家規模での災いを鎮めることまで期待されて、東大寺を本山とする国分寺が日本全国各地に作られ、国家公務員としての仏教僧が各地に配置されて、各地の災いを鎮めることが期待されるようになります。いわゆる鎮護国家の仏教です。
かくして、仏教本来の教えはともかく、仏教僧は死者供養と災いを鎮めるプロとしての認識が人々の間に広がり、やがては、人が死んだら仏教僧に供養してもらうというパターンが常態化し、今日の、僧侶=葬式のメインキャスト、という原型ができあがっていったものと思われます。
このように、日本の仏教は日本古来の祖霊信仰の手薄な部分を補う役割を期待されて人々に受け入れられて行った訳ですが、それが仏教本来の目的や役割であった訳でないことは言うまでもありません。
また、仏教僧にとっても死者供養は衆生済度の活動の一環なので意味はある訳ですが、本来は、仏教というものは生きている人々の為のものなので、そっちの方よりも死者供養の専門家としか見なされないというのは、副業がいつの間にやら本業に成ってしまったような話な訳です。
その上、日本の人々は、古来お坊さんの本業である仏の教えそのものよりも、とにかく、ちゃんと災いが無い様にしてくれたらそれで良いみたいな感じだった為、仏教国と言われる日本ですが、未だに仏の教えについて語れる人が殆どいないという奇妙な現状になっているのだと思われます。