Ty Hassyの敢えてwokeなブログ

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弱い者いじめ、差別主義、排他主義、民族主義、排外主義的愛国主義、独善主義に断固反対し、今の社会の在り方や世界観や生き方に、ちょっとだけ新たな視点を提示するブログです。


今日、ついにベンチプレス130kgが挙がったので、記念に動画を撮ってアップしよとしたら、なんと!トレーニングパンツに穴があいてるのを発見して、慌ててモザイクをかけるハメになり、記念の動画がちょっといかがわしい動画に成ってしまいました😂❗
#ベンチプレス #130kg #筋トレ #ジム



 

これまでのベンチプレスのMaxはずっと125kgでしたが、たった2.5kgの差で127.5kgはずっと挙がりませんでした。

でも、先日ついに挙がったので記念に動画に撮ってアップしておきます。

あれ程不可能に思えた127.5kgですが、一度でも挙がると、次は130kgが視野に入ってきました。

130kgが挙がったら、またアップします。

ついでに、他の重量とそれぞれの回数も撮ったので一緒にアップしておきます。

 

尚、この動画に使っている音楽は、今、世界的に大注目されているガールズバンドのBand Maidのfrom now on という曲です。珍しく歌の無いインストロメンタルですが、その迫力と演奏スキルの高さが伺えると思います。

あのレッドツェッペリンのジミーペイジが、バンドメイドの演奏を聞いて衝撃を受け、長いロックの歴史の中でも特筆すべき現在世界最高のロックバンドの一つであると称賛したそうです。

彼女達の演奏を聞けば誰もが納得すると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リンゴ


 先の投稿で、昨今の陰謀論ブームは、敢えて荒唐無稽な陰謀論を沢山の人々に流布することで、陰謀論の馬鹿馬鹿しさと、それを真に受ける人々の浅はかさを、強烈に世間に印象づけようとする、いわば、陰謀論潰しの為の、巧みな「陰謀」であることをお話しました。 
 本稿では、本来の陰謀と言われるものとその起源についてお話ししたいと思います。
 先ずは、旧約聖書の創世記に登場するエデンの園の話から話を始めたいと思います。
 旧訳聖書は一神教の共通聖典であり、一神教圏では圧倒的影響力をもって来たわけで、その後の人類文明は、それとどう向き合うかが、大きな分かれ道に成ってきた面があります。
 端的に言ってしまえば、この旧約聖書の大前提に従うか、それを真っ向から否定するかの二通りの在り方があった訳ですが、この大前提に従う在り方は、大雑把に言えば、普通のキリスト教かユダヤ教かイスラム教徒として生きる事でしたが、真っ向から反対する生き方は、言わば、旧約聖書で悪魔であるとされている存在の思想に同調して生きることと同義でした。そういう生き方は完全なる異端である為、その思想を公言する事は絶対に不可能で、公言したとたんに、社会的に抹殺される可能性があったという事です。
 という事は、そういう思想を持ち続けるという事は常に命がけの危険を伴っていたため、必然的に秘密にするしか無かったし、団体であれば秘密組織するしか無かった訳です。
 世の秘密組織というものはこの様にして出来上がって来たわけで、別に理由も無く面白がって秘密組織にしたわけでは無いのであります。
 という事は、秘密組織である以上、必ず、世間に知られてはまずい要素を隠していると言える訳です。
 世界的に有名な友愛団体なども、普通の友愛団体なら、何も秘密にする理由など無いはずですが、世間に知られてはまずい要素をもっているから、今でも秘密組織なのであります。
 しかし、世間に知られてはまずい秘密というのは、必ずしも、いわゆる悪い事とは限らない訳ですが、確かに言える事は世間の大多数の人々の信仰の在り方に反する思想を持っていると言う事です。
 世間の大多数の信仰の在り方に反してしていると言う事は、神の意に背く、いわば悪魔の様な輩と見なされる訳で、そういう輩は信心深い人々からは何をされるか分からないので、ずっと秘密組織としてその本当の思想は隠してこざるを得なかったのだと思われます。
 しかし、彼らはとてもしたたかだった為に、秘密裡にしかし着実に、旧約聖書的な考え方を否定して、彼らの思想の方がまともであるという考え方を長い時間をかけて世間に浸透させて来たのです。
 その証拠に、これからご紹介するエデンの園の話と、そこから導き出されるキリスト教の教えと、サタンの思想とされるものを比較すれば、どちらの言ってる事が正しいと思えるかは、あなたがどれほどサタンの思想に既に洗脳されていて、反キリスト教的な考え方に成っているかの尺度になると思います。
 では、冒頭のエデンの園の話に戻りましょう。
 当初、永遠の楽園であるエデンの園で、神の意のままに生きていた人類の始祖のアダムとイブは、やがて悪魔の化身である蛇に次のように言われます。「あなた方は、そうやって全て神の意のままに自分では何も考えずに生きているが、この知恵の実を食べれば、神の様に自分で善悪の判断が出来るようになって、自分で考えて判断出来るようになる。何故、この知恵の実を食べないのか?」と。イブは「神から、知恵の実を食べると死ぬと言われてる。自分達が死なないように食べるなと言われているのです。」と答えました。蛇は「知恵の実を食べても死ぬことなんかありえない。神が食べるのを禁じているのは、人間が知恵の実を食べると、神と同じように、自分で善悪の判断が出来るようになってしまって神をないがしろにしようするからだ。」とイブに言います。それを聞いて、イブは知恵の実を食べてしまいます。そして、アダムにも食べるように勧めてアダムも知恵の実を食べてしまいます。
 するとアダムとイブは知恵がついて自分で考えられるようになって、何故自分達は裸なんだろう?などと様々が疑問が限り無く沸き起こって来ました。
 その様子を見て神はアダムとイブが、決して食べてはならないと命じていた知恵の実を蛇に唆されて食べしまった事に激怒し、アダムとイブを永遠の楽園のエデンの園から追放し、彼らの永遠の命は失われて死すべき存在となり、イブには出産の苦しみを与え、アダムには労働の苦しみを与えたということです。
 つまり、人類の始祖であるアダムとイブは、知恵の実は絶対に食べるなという神の命令の本心に疑念を抱いて、その命令に背いて、自らの意思で知恵の実を食べてしまい、初めて神の意に逆らってしまった訳です。その神の意に逆らった罪で永遠の楽園を追放されて、地上界で死すべき存在として、それぞれの苦しみを与えられ、その二人の子孫も人類としての(神の意に背いた)原罪を背負うことになった訳であります。
 そのような原罪を背負ってしまった人間が、再び神に許されて神の意のままに生きるには、神の意に逆らおうとした罪(原罪)を自覚して、ひたすら神に許しを請い、その人類の原罪を贖ってくれた神の子イエスに自分の全てを委ねて救いを求めることによって、神の愛を自らの内に受け入れ、神の意が自からの内に働くようになって初めて、悪から離れて、神の意と愛のままに生きることができる、というのが、キリスト教の教えなのであります。
 つまり、キリスト教では神の意を無視して、自分の能力と知恵を過信して、独自の判断で生きることは最大の罪であり、キリスト教における最大の悪の権化とも言える地獄の大悪魔ルシファーは、あのエデンの園でイブをそそのかしたあの蛇の正体でもあって、ルシファーは人間を神の忠実なしもべから、自分の仲間にするために意図的に知恵の実を食べるように唆したのでした。
 ルシファーとは、元はと言えば神に匹敵するほどの能力と知恵を持った大天使だったのですが、その自らの能力への過信と自己愛から、神を越えようとの野心を抱き、神の怒りをかって、地獄に堕とされた堕天使なのでした。
 つまり、ルシファーとは知恵第一の大天使であって、その化身であるエデンの園の蛇は、人間の始祖のアダムとイブに対して、神の意のままに生きるのは、自分で考えようとしない馬鹿のすることであって、人間もちゃんと知恵を身に着けて、自分で考えて、自分で自分の生き方を考えるべきだと教えたわけですが、その誘いに乗ったアダムとイブは、その時点で、神を裏切って、大悪魔ルシファーの影響下に入ったと言える訳です。
 従って、我々人類は、そのままでは大悪魔ルシファーの影響下にある訳で、だからこそ原罪を背負っていると言われる訳です。
 そういう原罪を背負った思いあがった自らの知恵では真の善などなすことはできず、先にも述べたように、その自らの原罪を悔い改めて、自らの全てを神に委ね、そうやって神の愛を自らに受け入れてこそ、神の愛の力で他者を愛することもできるようになって神とともに生きられる様になるとキリスト教では教えられている訳です。
 しかし、そのような神の意のままに生きる生き方に、本当に価値があるのか、そんな生き方は、自分自身の生き方とは言えないのでは無いか?教えられるまま、言われるままに生きるのは他人の人生を生きるようなもので、やはり、人間として生まれたからには、自らの意志と気持ちと知恵で、自分独自の人生を生きなければ意味は無い、というのが、蛇つまりルシファーの言い分なのでした。
 ここで、このルシファーの言い分とほぼ同じ主張をしている有名なスピーチをご紹介しておきます。
 「あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。ほかのことは二の次で構わないのです。」これは、あの有名なスティーブジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチの終わりの部分の言葉です。
 これを読めば、何故アップルのロゴがかじったリンゴなのかが良く分かると思います。ただのリンゴでは意味は無いのです。リンゴがかじられている事こそが重要なのです。皆さんもリンゴをかじりましょう!ということです。スティーブジョブズは敢えて分かる人には分かるように合言葉のようなロゴを使い、誰かに決められた生き方では無く、自分の知恵と思いと直感に従って生きるように多くの人々に呼びかけたわけです。つまり、彼こそは現代版のエデンの園の蛇だったとも言えるのかも知れません。
 スティーブジョブズのあのスピーチを聞いて、感動してしまった人は、既にルシファーの思想にかなり染まっているのかもしれません。
 しかし、そうなるには、ちゃんと理由がある訳で、そうなるように歴史的にも大変な努力が為されて来た訳であります。
 実は、彼の様に考える人は歴史上でも少なからず居て、彼らは神の言うままに生きるよりも、知恵の象徴として夜空に光り輝く金星のようなルシファーこそが、我々の目標であるとして、正統派の神ではなく、ルシファーを師として崇めるグループを組織し、圧倒的大多数の神の信者達からの弾圧を避けるために、秘密組織として深く地下に潜って連綿と活動を続けてきた訳であります。
 そして、長い長い沈黙の期間を経て、14世紀になると先ずはイタリアでルネッサンス運動が始まります。これは、教会の絶対的な権威と支配から、人間一人一人を解放しようとする運動で、社会的・宗教的束縛から人間個人を解放しようという運動でした。ただ、この時点では、社会一般の変化としては、教会から押し付けられた信仰を、人間一人一人のものにするといういわゆる宗教改革として、信仰の在り方に変化をもたらすに留まりました。
 次の大きな一歩は、啓蒙主義思想の広がりとして17世紀から始まります。啓蒙思想あるいは啓蒙主義とは、無知の暗闇に光を照らす、ということで、教会の絶対的な権威の元に人々は何も考えず何も知らない知の暗闇状態が長く続いた状態から、人間一人一人が、自らの理性の光を頼りとして、自らの知恵と判断で生きる事ができるように奨励する運動なのでした。
 もうお気づきの方もおられると思いますが、この啓蒙思想・啓蒙主義こそが、あの蛇の言葉、ルシファーの思想をそのまま公然と主張した内容だったわけですが、直接、キリスト教を否定しているわけでも無いし、社会的・政治的文脈でも語られているので、その思想が明らかなルシファーの思想で、反キリスト教的な思想であることに気づく人は多くは無かったと思われます。そもそも啓蒙の原語はenlightenmentあるいはilluminationでどちらも光で照らすという意味です。そして、知恵第一のルシファーは正に光の天使だった訳であります。
 人類文明の近代化をもたらした、近代合理主義の土台となったのは、この啓蒙思想だった訳です。
 そして、この啓蒙思想は近代思想の代表として、世界中に広がり、世界中の人々が、この啓蒙思想を半ば常識として学ぶようになった訳です。従って、現代人の殆どは、この啓蒙思想的な考え方こそが、進歩的な考え方であり、古臭い、社会風習や因習や迷信や盲目的な信仰から人間を解放し、人間一人一人の理性と知性によって、善悪を判断して、生き方を決めて主体的に生きる道を示すものであると信じるように成った訳であります。
 つまり、かつては、神の意に背く大悪魔ルシファーの思想であったものが、今や名を変えて、世界中の進歩的な人々の常識となったわけであります。
 ただ、キリスト教の側もそれを黙って見ている訳ではなく、アメリカなどでは、進化論は神の教えを否定するものであるとして、保守的な地域では学校で教える事が禁じられている所もあったほどですし、堕胎問題では国を二分する大論争に成っています。
 つまり、キリスト教の教えでは堕胎は明らかな殺人であり、神の教えに背くものなので、熱心なキリスト教徒は絶対反対なのですが、個人の自由と判断を尊重する人々は、女性の堕胎する権利を主張して、いわゆるpro-lifeとpro-choice論争として、世論を二分しており、その対立は年々激化しています。
 かつては、圧倒的な大多数派だったキリスト教信仰ですが、今では、ルシファー派の長年の努力が実って、今や世界中で多くの人々が知らず知らずのうちにルシファー思想の信奉者になっているのです。
 ただ、殆どの人は、それがルシファー思想であるなどとは思ってはおらず、ただ普通に合理的で近代的な考え方をしているだけだと思っている訳です。
 スティーブジョブズのスピーチを聞いて世界中の多くの人々が感動するのも、既にその前提となる思想を教育を通じて学んでいるからです。普通のキリスト教徒ですら、スティーブジョブズの思想が、ルシファーの思想であると気づいている人は殆どいないようです。
 かじったリンゴのロゴにも何の疑念も抱かずに快適にアップルのパソコンを使い、アイフォンを使っているのです。それほどまでに、今やルシファーの思想は人々の間に深く浸透しているのです。
 そして、先にも言いましたが、このルシファー思想を積極的に広めて来た人々は、ずっと秘密結社として活動して来たわけですし、そもそも知恵第一のルシファーを信奉していることからして、その時代のトップクラスの叡智と能力を持った人々の集まりだった訳ですが、当然ながらそういう人々は経済的にも成功しており、富が富を生みだして、今や、世界中の経済を動かしていますし、それにともなって、世界中の国々の政界、マスコミに多大なる影響力を及ぼしていることも事実です。
 しかし、彼らの目的は世界中の人々が自分の理性で自分で判断できる人間になる事を後押しする事であって、それ以上でもそれ以下でもないというのが本当の所なのかも知れませんが、実際の真意は不明です。
 ただ、確かな事は、彼らの事を悪魔だとして糾弾しているキリスト教は最大の敵で在り続けるでしょうが、彼らは世界中の人々が自分の理性で自分の判断で生きられるようになれば、キリスト教など自然消滅すると確信しているのかもしれませんし、それが彼らの目標なのかもしれません。
 従って、秘密結社が世界の闇の政府として世界中を支配しているという疑念は、ある意味本当であり、そういう意味では、各国政府の枠組みを超えた所で、世界が動いているというのも本当だと思います。
 しかし、だからと言って、彼らがあからさまな悪巧みをしたり、とてつもなく悪い事をしている根拠はありませんし、そもそも、全てを手に入れている彼らが、わざわざそれ以上の分かりやすい悪い事をする必要など無いと思われます。
 ただ、彼らが目指しているのは、個人の自由を束縛するあらゆるしがらみから、個人を解放することなので、個人を束縛するあらゆる既存の制度や体制を廃絶することを目指しているのは確かなようです。
 具体的には、国家、宗教、家族制度、結婚制度、人種差別、性差別などを廃絶する事です。
 このような思想は200年ほど前なら、とんでもない思想で、社会を破壊する危険思想でしかなかったと思いますが、不思議な事に、今では、それほど、あり得ない考え方でもないと思えるのが不思議です。
 国家や宗教はあらゆる紛争の元に成ってきていますし、もう国家とか宗教とかそういう枠組み自体を無くしてしまえば戦争も紛争も無くなると思えます。正にジョンレノンのイマジンの世界です。家族制度や結婚制度も、多様な性の在り方を考えると、従来の様な画一的な制度は見直すべき時期に来ているようにも思えます。そして、人種差別や性差別などは言わずもがなで、無くすのは当たり前だと今では殆どの人に思われています。
 しかし、200年前に、このような思想と計画が世間に暴露された時には、そのあまりにも過激な内容のせいで、反ユダヤ主義の根拠になってしまい、後のヒトラーによってユダヤ人抹殺計画の根拠にもされたので、その計画自体が荒唐無稽の捏造であったと見なされるようになりました。
 今日の陰謀論はその頃から盛んに言われだしたものなのであります。
 しかし、その後の世界の変化とその方向性を良く観察してみると、正に200年前に暴露されて大騒ぎになった計画書どおりに世界は変化しており、その時の計画書では、少しずつ少しずつ世間の人々がそう思うように思想を流布して、それを確信させるような出来事を起こしていくとされていましたが、正に計画通りに世界は動いてきて、今や、SDGsとして国際的な市民権を得て、公然と世界中の国々と人々が目指すべき指標にもなっていることをみると、彼らの計画は本当に予定通り、実行されていることが、疑問の余地なく確信する事ができます。
 問題は、彼らの計画が本当にとんでもない過激思想で、社会を破壊する反社会的な絶対的な悪に塗れたものなのかどうかという事です。
 多くの人々は、この思想を歌にした、ジョンレノンのイマジンを聞いて、本当にそうなれば良いのになあって思ったと思います。
 果たして、そういう思想はキリスト教から反キリストの悪魔の思想と糾弾されるような恐ろしい思想なのでしょうか?
 今の僕には本当の正解は分かりません。
 ただ、ちょっと気に成るのは、彼らが長い年月をかけて、彼らの思想を多くの人々に浸透させる活動をして来た中で、国家や宗教の弊害を人々に確信させるために、敢えて、国家間の紛争・戦争や宗教間の紛争を、彼ら自身がたきつけて、時には仕組んで、仕向けて来た可能性があるということです。
 それによって、多くの人々の命が失われ、犠牲になったわけですが、彼らはそれは崇高な目標達成の為のやむを得ない犠牲だったと思っているだけなのか、実際には彼らは関わってはいないのか確かな事は分かりませんが、少なくとも彼らの中の一部の人々が積極的に関わっていた可能性は充分にあるように思えます。
 あのオクラホマ連邦政府ビルの爆破で爆殺された人々も、反連邦政府主義的ミリシア運動を壊滅させるためとは言え、あれほど多くの無実の人々が殺される必要は無かったと思います。数多くの国家間の戦争やテロ事件もそうです。
 目的の為には手段は択ばないという、とても非情な冷酷さが感じられる所が、やっぱりルシファーは大悪魔なのかも知れないと不安を感じてしまう点です。
 しかし、国連を中心とした人道主義的な活動によって実際に多くの人々が救われて、SDGsの活動によっても沢山の苦しんでいる人々が救われている現実を見ると、一体、どちらが本当なのだろう?という疑問と戸惑いを感じざるを得ません。
 彼らは今後我々人類をどこに連れて行こうとしているのか?天国なのか地獄なのか?
 正に神のみぞ知るところなのかもしれません。
 ただ、昔から陰謀論の震源とも成って来たのは、知る人ぞ知る聖書のヨハネの黙示録であり、終末に登場するとされる偽キリスト「獣」に関する記述です。そこでには「獣」は666という数字で暗示され、その数字が無いと物を買う事も出来なくなるとされています。
 奇しくも、今や全ての物品に付けられているバーコードは、左端と真ん中と右端に区切りの為の様なバーがありますが、そこには数字は書かれていませんが、よく見るとそれが6を表すバーであることが分かります。つまり、今や、全ての物品には人知れずこっそりと666の数字が刻印されているわけです。
 これが、単なる偶然なのか、正に世界は黙示録の予言通りに動いている証拠なのかは定かではありませんが、黙示録の予言に依れば、今後、この数字は人間の右手か額にも刻印されることになるそうで、それがマイクロチップによるものなのか、見えないバーコードの様なものが刻印されるのかは分かりませんが、カード紛失などのトラブルを考えれば今後は完全に手ぶらでも買い物が出来るようになる時代が来ることが予想され、本当に全ての人の右手か額に何らかの刻印がされる時代が来るかもしれません。
 もし、本当にそうなってきたら、2000年も前に書かれた書物に書かれている事が、現実になる事自体が極めて不思議な事であり、予言が当たったと考えるか、逆に予言通りに、色んな事が実行されていると考えるか、あるいは単にとても不思議な偶然と考えるか等、様々な解釈がありえますが、いずれにしても、もし、予言の通りにいろんなことが実行されているとすると、それを実行しているのは「獣」つまりサタンの側であるはずですが、何故、サタンの側が聖書の予言通りに行動する必要があるのか、それではまるで、聖書という台本通りにサタンもその役割を演じているだけの様な話になり、本当にサタンは自らの自由意思に従って自由に行動しているのか、神の決めた枠組みの中での役割を演じているだけなのか等々さまざまな疑問が湧いてくるわけです。
 もう一つの疑問は、世界には一神教の以外の宗教もある訳ですが、世界は聖書を中心とする一神教的世界観を中心に動いているように思われますが、仏教などのその枠組みに入らない思想の立ち位置はどうなるのかという問題です。
 ルシファーが知恵第一の光の天使であり、人間一人一人に知恵を持って自ら判断できるように奨励しているのは、すこし、仏教にも似ているように思われます。しかし、本当に、仏教の説く智慧とルシファーの言う知恵は同じものなのか、或いは全く違うものなのでしょうか?
 あのスティーブジョブズも表向きは仏教を信奉していたことになっていますが、では、仏教とルシファー思想とは親和性があるのか?
 しかし、仏教でも確かに智慧の重要性は強調されますが、あの空の思想を説き直した龍樹は、ある時、弟子から智慧が先か慈悲が先かを問われた時に、慈悲が先であると断言している所を見ると、仏教においては、人間の智慧はあくまで慈悲を前提としたものでなければならず、慈悲を前提としない智慧だけというのは、あり得ないし、あったとしても無意味なものとされています。
 それを考えると、そこら辺に、仏教とルシファー思想との境界線があるように思われます。 
 更に仏教は本来的な無我を説き、個の突出あるいは我への執着は仏教においては妄想の根源であるとみなされている点を考えると、ルシファー思想のような個としての欲求の解放を目指すと言うものは、仏教のように、個としての観念を超えて全ての存在との無限の繋がりの実感と共感の境地に至ることこそが仏の悟りであるとする考え方とは、真っ向から対立するものになるのかもしれません。
 そうだとすると、仏教においても、ルシファー思想は、やはり「魔」的な考え方になるのかもしれません。
 そういう意味では仏教はむしろキリスト教と同じ側の立ち位置にいることになりますが、いずれにしても、この問題はとても複雑で奥が深い問題なので、この件については、引き続き考察を続けたいと思います。

 

 

ENGLISH
 

 

 昔から陰謀論というものは、密やかに囁かれるもので、決して公然と主張されるものではありませんでした。

 しかし、昨今は世界中で公然と陰謀論が語られ、一部では政治運動にさえなっています。

 昨今の陰謀論の特徴は極めて単純明解化されていて、勧善懲悪的で、陰謀を巡らす側は完全なる悪で、世界中の政府もマスコミも支配下に置きながら、ありとあらゆる悪だくみを実行しているという分かり易いもので、そこらの井戸端会議で話題になれば、単純な人なら、納得して、信じてしまいそうな明快なものに成っています。

 しかし、その内容は笑える程荒唐無稽なものばかりで、ちょっと良識のある人なら直ぐにガセネタである事が分かるものばかりです。

 多くの研究者によると、それらの最近の陰謀論の殆どは、その発信源を辿って行くとロシアあるいは海外在住のロシア人に辿り着く事が分かっています。

 その目的は、人々に自国政府に対する不信感を抱かせる事です。特に欧米を中心とする主要国の政府は全て、闇の政府に支配されており、地球規模の壮大な陰謀に加担している悪の手先であり、唯一、ロシア政府だけがそれと戦っていると人々に信じ込ませる内容になっています。

 ヨーロッパ各国での反政府的極右運動の殆どは、それらロシアの情報局による国際情報操作によって扇動されたもので、当然ながら、それら全てはロシア支持です。

 ルーマニアなどでは、ロシア情報局によるネットキャンペーンにより無名の人物が大統領の有力候補に成ってしまった程です。

 この様に、今や世界中に蔓延している陰謀論や反ワクチン運動や極右運動は、西側諸国で反政府運動を扇動して、これまでの欧米的価値観が、闇の勢力による陰謀であり、それと戦っているのがロシアであるという、みえみえのロシアの情報機関による情報操作なのに、主要なトランプ支持者であるQアノン信者達も、反ワクチン運動家も日本のネトウヨ達も、自分達がロシアに操られている事には全く気付いていないようです。

 彼らが、ロシア情報局に洗脳されているのかどうかを見分ける簡単な方法は、彼らが親ロシアであるかどうかです。

 そう言う意味では、先のヨーロッパの極右運動もアメリカのQアノンも当然ながら親ロシアであるだけでなく、日本のネトウヨも反ワクチン運動も衆議院で議席をとった新政党もみんな見事に親ロシアなのです。

 つまり、彼らの殆どがロシア製の荒唐無稽な陰謀論に洗脳されているか、その陰謀論の世界観を深く信じて、その信念に基いて、闇の政府との戦いや、反政府運動や、反ワクチン運動や、政治運動などを展開しているのです。

 要するに、彼らの殆どは、無自覚にロシアの手先としてロシアに有利な活動をしてしまっていると言う事です。

 この様に欧米諸国の政府が全て闇の政府の手先で、ロシアのプーチンこそがそれに立ち向かう戦士であるいう設定自体が、よく考えれば、ロシアだけに都合の良い、非現実的な作り話であることは直ぐに分かるはずですが、そのような見え透いた作り話に簡単に騙されしまう単純な人々と、騙されない人々との間に深刻な分断が生じ、互いに憎み合う様に仕組まれているのが、ロシアの情報操作の巧妙なところです。

 しかし、このような偽の陰謀論に簡単に騙されて信じ込む人々と、逆に陰謀論そのものを馬鹿げていると思って頭から否定する人々に分断されればされるほど、もし世界が本当に陰謀で動いているのだとすれば、今の状態は本当の陰謀を企てている人々からすれば1番都合の良い状況であると言えるのかも知れません。

 つまり、全く荒唐無稽な陰謀論が蔓延すればするほど、本当の陰謀には誰も気付かないし、そもそも陰謀論自体を誰も信じなくなるからです。

 一部の単純な人々を除いて、多くの良識ある人々は、やっぱり陰謀論なんて信じる人々は頭がおかしいと思います。そして、その陰謀論の内容が明らかなガセネタである事が判明したら、もはや、陰謀論に対する世間の嘲笑は決定的になります。

 それこそが、今のように荒唐無稽な陰謀論の蔓延が放置されている真の理由なのです。
 つまり、陰謀論を語れば語る程、陰謀論を語るのはちょっと変な人であると思われるように仕組まれている訳です。
 そうやって、あらゆる陰謀論は誰にも相手にされなくなり、結果的に誰にも邪魔されずに、本当の陰謀は着実に実行されていくという訳です。
 では、そもそもの本来の陰謀とは何かについては、次回お話ししたいと 思います。
 

 

 

 バッハのゴールドベルグ変奏曲の中に第26変奏という曲がありますが、巨匠グレングールドはそれをわずか55秒で弾いています。

 なので、とても短い曲であると思われていますが、よく聞くと55秒で弾くにはもったいないほど美しい曲であることが分かります。
 そこで、この曲の美しさを存分に味わうために、あえてこの55秒の曲を5分かけて弾いてみました。すると、思った通り、美しさが心に染み入るような味わい深い曲である事を再発見する事ができたのです。

 どうぞ、聞き比べてみてください。

 

 

 

 今から30年以上も前に当時の宮澤喜一首相は次の様な国会演説をしました。
 「近年、我が国において、異常な地価や株価の高騰などでバブルと言われる現象が生じましたが、額に汗している人々が、自分が取り残されたという感じを持つようなことになれば、九割が中流意識を持ってきた国民の間の連帯感や社会の安定感にも、ほころびが出るおそれがあります。」
 そして、かつては9割が中流だった日本国民の貧富の格差はその後どんどんと拡大し、今や、日本の貧困率は16%を超えているそうです。そして全国民の6人に一人が年収112万円以下の生活をしているそうで、母子家庭の50%以上は貧困家庭で、そこに生まれた子供たちは生まれながらにして貧困生活を強いられることになっているようです。
 なぜ、これ程までに貧富の格差が拡大したのでしょうか?
 それは、これまで企業の収益は社員に分配される事によって社員も豊かになり、全企業の社員が豊かになれば、多くの国民が豊かになり、それによって、国民の購買力が増して、売れ行きが伸びて収益も上がり、それがまた社員に分配されるという、資本主義の理想形が出来上がろうとしていたのにも関わらず、ある時より、企業の収益は社員に分配されるのではなく、その大部分は株主に還元されるべきという、まあ資本家の本音のようなものが公然と表に出る様に成って来た訳であります。
 そして、社員の給料は株主の収益を減らす必要悪であるかの様な扱いを受けるようになり、いつの間にか、人権費というのは出来る限り減らすべきコストであると見なされるように成ってしまいました。
 しかも、おかしな事に、社員自身が株主の収益を少しでも増やす為に、人件費の削減に邁進して、それが当然の如く思ってしまっている場合は少なからずみられます。
 そして、今や世界の人口の1%以下の人々が世界中の全資産の90%以上を独占するに至っています。
 つまり、今の経済構造は全世界のまじめにコツコツと働いている人々が生み出した利益を、人口1%の人々に捧げる構造に成っており、まるで私たち一人一人は、人口1%の女王蜂のような人々の富を増やす為に下働きさせられている言わば働き蜂のような状態になっているという事です。
 しかも、その事に疑問を持つ人はむしろ少数派で、大多数の人々は、会社の為と信じて、ひたすらに自分達の人件費を極力抑えて、女王蜂の取り分を増やす事に邁進している訳であります。
 何でこんなことになってしまったのでしょうか?19世紀にマルクスが唱えた、労働者を搾取する資本家を撃滅して労働者革命を起こそうなどと言う時代はとっくに終わったはずだし、自由主義と資本主義は全ての人々を豊かにするはずだったし、現に戦後数十年間はそういう時代も確かにありました。
 その頃はアメリカの企業も日本の企業も、企業の利益は充分に労働者に還元していたし、また、それが企業の役割であり使命でありモラルであると信じられていました。
 所が、1980年代になって資本主義国家のライバルだった共産主義国家が崩壊し、共産主義の非現実性が世界中に暴露された頃より、それまで、共産主義に勝つ為に、国民にも富を分配して、おとなしく遠慮していた資本家達は、もはや、遠慮する必要は無くなったとして、公然と株主の収益最優先の方向に舵を切り始めたのです。
 そして、より株主の収益を効率よく増やせるように、その邪魔になる人件費が安い国へと多くの企業は生産拠点を移すようになりました。
 そうなると、安い人件費で生産した企業は製品を安く販売できるため、販売競争に生き残れる反面、人件費の高い国内生産を続けた企業はどんどん生き残れなくなって行きました。
 そうして、グローバル経済の名の元に、多くの企業は生産拠点を人件費の安い国へとどんどんシフトするのが当たり前になってしまいました。
 そうなると、人権費の安い国で作られた製品に対抗する為に、先進国の労働者の賃金も下げ止まりするようになってしまったのです。
 かくして、配当金がどんどん貰える株主は、際限なく豊かになり、その収益を生み出すために削減された人件費を貰っている労働者は、どんどん貧しくなっていくという正に19世紀にマルクスが唱えたようなあり得ないような不当な状況が本当に生み出されてしまった訳であります。
 そして、先にも述べたように、世界中の富の90%以上が世界中の全人口の1%の株主の人々に集中するという、正に資本主義の中で想定され得る最悪の状態へと今世界中が成りつつあるわけであります。
 本来なら、マルクスが期待したように、搾取された圧倒的大多数の労働者たちが怒って革命が起こって、あっという間にその1%の大金持ちは99%の貧しい労働者によって打倒される筈ですが、何故か全くそういう気配はありません。
 その理由は、99%の労働者は革命を起こす程には困っては無いし、貧しくもないのと、そもそも、自分達が搾取されているとは殆ど思っていないからです。彼らにとっては、株主の存在は殆ど見えず、実際に見えるのは自分が働いている企業であり、その企業が倒産しないように生き残ってもらう事が、最重要課題だと思っているからです。
 実際問題として、株主の配当を減らして、従業員の給与をあげるように要求しても、そうして従業員の給料が上がってしまった企業の製品は価格が高く、国際競争に負けて直ぐに倒産してしまうという危険性があるので、そんな中で給料をあげるように要求するのは自分の首を自分で絞めるようなものなので、誰もそういう馬鹿げたことはしないだけです。 
 では、どうすれば、良いのでしょうか?
 わずか、1%の人々によって、99%の人々が生み出した利益の多くが吸収されてしまっているのに、99%の人々は、自分達が働く企業の存続を人質に取られたような状態で文句ひとつも言えない状態が続いているのに、この状態をどうにかしようと思う人は殆ど居らず、皆あきらめてしまっていることが、今の状態を益々悪化させている最大の原因であると思われます。
 もし、世界中の99%の人々が、今の状態はどう考えてもおかしいので、皆の力で現状を変えようと、決意さえすれば、今の状況はあっという間に変えられるのです。 
 それは、とても簡単な方法で出来ます。

 株主への配当金の上昇率は労働者の賃金の上昇率を上回っていけない。

 という法律を国際法で制定し、世界中の企業はそれに従わないと、企業活動は出来ないという国際的取り決めをすれば良いのです。

 これは、世界中の99%の人々がその趣旨に賛同し、各国の国会でそういう法律を制定し、国連でもそれに基づく国際法を作れば、直ぐにでも出来る事です。 
 しかし、何故、このような簡単な事を誰もしようとしないのでしょうか?それは、株主への配当金の上昇率が労働者の賃金の上昇率を上回ってはいけないという法律の驚くべき有効性を殆どの人が知らないからです。
 実際に、労働者の賃金の上昇率が株主への配当金の上昇率よりも上回るようになれば、今、どんどんと株主へと集中してしまっている富の流れが、逆流するようになり、どんどん世界中の労働者へと富が流れていく仕組みを作れる訳です。
 しかし、一企業単位や一国単位でそういうことをしても、それこそ人件費が高騰して、製品の価格があがり、あっというまに国際競争で淘汰されてしまうので意味はありません。
 だからこそ、誰も抜け駆けできないように、全世界で一斉に国際法を制定して、全世界の企業が株主の利益より労働者の賃金を優先せざるを得ないようにすれば良いわけです。
 そうすることで、資本が他に逃げるとか、人権費の安い企業に負けるとかの心配も一切なくなるわけです。
 もし、国際法に従わずに抜け駆けする企業や国があった場合は、国際的な不買運動して、経済制裁をすれば良いだけです。
 そうすれば、世界中の労働者の賃金は上昇し、購買力も倍増して、企業の収益はどんどん上がり、その収益が更に労働者に還元されるという正に理想の経済システムが出来上がる訳です。
 後は、このような方策に賛同する人々の数を世界中に増やして、99%の人々に支持してもらうだけです。
 というか、これ程のメリットだらけの方策を支持しない人が果たしているのでしょうか?
 皆さんはどう思われますか?

  2年前のちょうど今頃、群馬県の館林市にあるつづじ公園に行って来ました。

 丁度、つづじが満開で目が覚めるような美しさでした。その時に撮った写真でスライドショー動画を作り、シンセサイザーで弾いたバッハのゴールドベルク変奏曲をBGMにつけて見ました。

 今が見頃なので是非ご紹介したくここにアップ致します。

 


 

 

 

 

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 これまで、シンセサイザーを使ってヒーリングミュージックを作ってきましたが、合間に聞く、バッハの音楽を聴くたびに、その天界の音楽のような美しさに圧倒されて、本当の大天才の凄さを思い知らされてきました。

 そこで、ふと思いついたのが、大天才のバッハの曲をシンセサイザーで弾くのが一番のヒーリングミュージックになるのではないか?と。

 もちろん、既に数多くの天才ピアニストやチェンバリストがバッハの鍵盤曲を弾いてきたので、今更、シンセサイザーごときでバッハを弾くのは大天才に対する冒とくではないかとも思われましたが、実際に試してみると、冒とくどころか、もしバッハが生きていたら、絶対に気に入ってくれただろうと思われる作品群が出来上がりました。

 バッハの音楽性は、演奏する楽器の形式など遥かに超えていく無限の可能性を秘めていることを改めて思い知ったのです。

 結局、バッハの主要な鍵盤曲を16のアルバムに纏めて、Amazon Music や Spotify や Apple Music などに配信して、いつでも聞けるように致しました。

 ここには、それぞれのアルバムに収録されている全ての曲の最初の部分を収録した紹介ビデオをアップ致します。

 それぞれのビデオの解説部分には全曲を聞くことができる Amazon Music や Spotify や Apple Music へのリンクが貼ってありますので、そこからストリーミング再生やダウンロードが可能になっています。

 是非、お楽しみください。

 

イタリア協奏曲 BWV971

https://youtu.be/GvbpFn13oDU

 

平均律クラヴィーア曲集 第1巻の1(BWV 846~BWV 857)

https://youtu.be/X3XB6pIWUWg

 

平均律クラヴィーア曲集 第1巻の2 (BWV 858~BWV 869)

https://youtu.be/kb91JixqU_0

 

平均律クラヴィーア曲集 第2巻の1(BWV 870~BWV 881)

https://youtu.be/YVLeaaYBtLs

 

平均律クラヴィーア曲集 第2巻の2(BWV 882~BWV 893)

https://youtu.be/Z6rvKT9Vaz4

 

ゴールドベルグ変奏曲の1~16

https://youtu.be/0PZm92DXJUE

 

ゴールドベルグ変奏曲の17~32

https://youtu.be/5HH4qc4IF3A

 

フランス組曲 第1番&第2番 BWV812-BWV813

https://youtu.be/PPNhUP8YkJY

 

フランス組曲 第3番&第4番 BWV814-BWV815

https://youtu.be/sK2iylVAkeA

 

フランス組曲 第5番&第6番 BWV816-BWV817

https://youtu.be/F6GLulV45M4

 

イギリス組曲 第1番&第2番 BWV806-BWV807

https://youtu.be/imBA-onqJjU

 

イギリス組曲 第3番&第4番 BWV808-BWV809

https://youtu.be/YAlV7hajISY

 

イギリス組曲 第5番&第6番 BWV810-BWV811

https://youtu.be/F6GLulV45M4

 

パルティータ 第1番&第2番 BWV825-BWV826

https://youtu.be/X5srAaz7O2c

 

パルティータ 第3番&第4番 BWV827-BWV828

https://youtu.be/JxU2-Gd4UKw

 

パルティータ 第5番&第6番 BWV829-BWV830

https://youtu.be/DSSRYI-EahM

 

 外国人による犯罪が多いので、外国人を排斥しようという意見や政治運動がありますが、この様な考え方は人種差別的などという大げさな話を持ち出すまでも無く、そもそも論として、人間一人一人をその人の人格や個性や人柄で判断するのでは無く、その人の見かけや属性によってのみ判断しよとする極めて幼稚で愚かな発想に基づくものであると言えます。

 犬でも、一目見ただけで、その人の人柄を感じ取って、それに応じた対応をします。

 そういう意味では、人間をその属性だけで判断して、その対応を決めるなどというやり方は、犬以下の愚かな考え方であると言えます。

 外国人の犯罪が多いからと言って排斥するのは、東京で凶悪犯罪を犯した者が、埼玉県人だったからと言って、埼玉県人の東京への越境を禁止するの同じです。コメディーなら笑えますが、そういう事を本気で考えている人は、半ば精神的に病んだ人々であり、むしろ自分達の病的排他主義の根本原因を治療するのが先決であると思われます。

バイデン大統領の5月31日のニューヨークタイムズへの寄稿文 


5月31日のバイデン大統領のニューヨークタイムズへの寄稿文は、アメリカがウクライナ戦争の今後の行方を外交交渉の方にカジを切ろうしている事を思わせるものでした。今後のウクライナ情勢のカギを握るとも思われますので、その和訳を載せておきます。


バイデン大統領:ウクライナでアメリカがやること、やらないこと (2022年5月31日)


ウラジーミル・プーチンが数日で終わると思っていた侵攻は、今や4カ月目に突入している。ウクライナの人々は、その犠牲、気概、戦場での成功によって、ロシアを驚かせ、世界を鼓舞した。米国を筆頭に自由世界と多くの国々が、前例のない軍事、人道、財政支援でウクライナの側に結集した。


戦争が進むにつれ、こうした取り組みにおける米国の狙いについて、私は明確にしたいと思う。


アメリカの狙いは単純明快だ。さらなる侵略を抑止し、自らを守る手段を備えた、民主的で独立した、主権と繁栄に満ちたウクライナを見たいのである。


ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領が言ったように、最終的にこの戦争は「外交によってのみ決定的に終結する」のである。すべての交渉は、現地の事実を反映している。私たちは、ウクライナが戦場で戦い、交渉の席で最も強い立場に立てるよう、大量の武器と弾薬を送るために迅速に行動してきた。


そのため、ウクライナの戦場で重要な標的をより正確に攻撃できるよう、より高度なロケットシステムと弾薬を提供することを決定した。


我々は、主要経済国に課された史上最も厳しいロシア制裁について、同盟国やパートナーとの協力を継続する。我々は、ジャベリン対戦車ミサイル、スティンガー対空ミサイル、強力な大砲と精密ロケットシステム、レーダー、無人航空機、Mi-17ヘリコプター、弾薬などの最新兵器の提供をウクライナに継続する。また、議会で承認された通り、さらに数十億ドルの資金援助を送る予定である。我々は、ロシアの侵略が悪化させている世界的な食糧危機に対処するために、同盟国やパートナーとともに取り組んでいく。また、欧州の同盟国やその他の国々がロシアの化石燃料への依存を減らし、クリーンなエネルギーへの移行を加速させるのを支援する。


また、米国および他の同盟国の部隊と能力により、NATOの東側陣地の強化を継続する。つい最近、私はフィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請を歓迎した。この動きは、民主的で高い能力を持つ2つの軍事パートナーを加えることにより、米国と大西洋横断地域の安全保障全体を強化するものである。


私たちは、NATOとロシアの間で戦争が起こることを求めてはいない。私はプーチン氏に同意しないし、彼の行動は言語道断だと思うが、米国はモスクワでプーチン氏を失脚させようとはしない。米国や同盟国が攻撃されない限り、ウクライナに米軍を派遣したり、ロシア軍を攻撃したりして、この紛争に直接関与することはないだろう。ウクライナが国境を越えて攻撃することを奨励したり、可能にしたりすることはない。ロシアに苦痛を与えるためだけに戦争を長引かせることはしない。


この危機の間、私の原則は "Nothing about Ukraine without Ukraine"(ウクライナ抜きのウクライナはありえない)である。私はウクライナ政府に対して、公私を問わず、領土の譲歩を迫ることはしない。そうすることは間違っているし、確立された原則に反する。


ウクライナとロシアの協議が停滞しているのは、ウクライナが外交に背を向けたからではない。ロシアがウクライナを少しでも多く支配するために戦争を続けているから、話し合いが滞っているのだ。米国は、ウクライナを強化し、紛争の交渉による終結を達成するための努力を支援し続けるだろう。


いわれのない攻撃、産科病院や文化センターの爆撃、何百万人もの人々の強制移住によって、ウクライナでの戦争は深い道徳的な問題となっている。私はポーランドでウクライナ人難民に会った。女性や子どもたちは、自分たちの生活がどうなるのか、ウクライナに残った愛する人たちは大丈夫なのか、わからないでいる。良心ある人なら、この惨状に心を動かされないわけがない。


ウクライナの窮状に寄り添うことは、単に正しいことではありません。平和で安定した欧州を確保し、「力は正義ではない」ことを明確にすることは、われわれの死活的な国益にかなうものである。ロシアが自らの行動に対して大きな代償を払わなければ、他の侵略者となりうる者たちに、彼らも領土を奪い、他国を服従させることができるというメッセージを送ることになる。それは、他の平和的民主主義国家の存続を危険にさらすことになる。そして、ルールに基づく国際秩序の終焉を告げ、他の国への侵略の扉を開き、世界中に破滅的な結果をもたらす可能性があるのだ。


世界中の多くの人々が、核兵器の使用を懸念していることは承知している。しかし、ロシアが時折見せる核のサーベルを鳴らすようなレトリックは、それ自体が危険であり、極めて無責任である。この紛争でいかなる規模の核兵器が使用されたとしても、私たちにとっても世界にとってもまったく容認できないことであり、深刻な結果をもたらすだろう。


アメリカ人は、ウクライナの人々とともに歩んでいくだろう。なぜなら、自由は無料ではないことを理解しているからだ。自由の敵が罪のない人々をいじめ、抑圧しようとするときはいつもそうしてきたし、今しているのもそうだ。ウラジーミル・プーチンは、これほどの団結や私たちの反応の強さを期待していなかった。彼は間違っていた。もし彼が、今後数カ月でわれわれが揺らいだり分裂したりすると思っているのなら、それは同じ間違いである。