サザン史・外伝(特別編)~「桑田佳祐VS長渕剛」のリンク集~ 「1994桑田・長渕戦争」について | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~

法政大学野球部を中心として、東京六大学野球についての様々な事柄について、思いつくままに書いて行くブログです。
少々マニアックな事なども書くと思いますが、お暇な方は読んでやって下さい。

現在、私がこのブログで書いている、

「1992~1996年のサザンとユーミン」

のシリーズは、残すところ、あと「1回」の予定であるが、なかなか記事を書く時間が取れない事もあり、記事のアップは少しお待ち頂くとして、今回は、このブログの「過去記事」のリンク集をご紹介させて頂く事としたい。

それは何かと言えば、今から5年前、2019(令和元)年9月に私が書いた、

「桑田佳祐VS長渕剛」

というシリーズ記事の「リンク集」である。

従って、今回の記事は「新作」ではなく、テレビに喩えれば「再放送」のようなものだが、ご了承頂きたい。

 

 

私は、このブログで、私が大好きなサザンオールスターズに関連した記事を色々と書いて来ているが、

「サザンオールスターズと野球界の40年」

というシリーズは、言わば私が書いた「サザン史」の「正史」という位置付けだとすれば、

それ以外に、「サザン史・外伝」という事で、これまた色々な記事を書いている。

そして、「桑田佳祐VS長渕剛」のシリーズも、「サザン史・外伝」の一つである。

今から30年前の1994(平成6)年、桑田佳祐が、

『すべての歌に懺悔しな!!』

という曲を発表したが、この曲は、リリース当初から、長渕剛の事を揶揄しているのではないか…と噂されていた。

その後、長渕が激怒し、桑田に対する怒りをぶちまけ、遂には、桑田佳祐長渕剛「全面戦争」へと発展してしまった。

そして、長渕の桑田に対しての「怒り」の背景には、長渕の桑田への10年以上にわたる積年の「恨み」が有った…。

…という事で、世間が大騒ぎとなった、

「桑田・長渕騒動」

を、私は、事の発端から詳しく書いたので、宜しければ、この機会(?)にお読み頂ければ幸いである(※ちなみに、桑田と長渕の事だけではなく、ついでに(?)当時の野球界の出来事も色々と書いている)。

それでは、ご覧頂こう。

 

(2019/9/9)<サザン史・外伝(特別編)~桑田佳祐VS長渕剛①…1978~1983年「邂逅」~>

サザン史・外伝(特別編) ~桑田佳祐VS長渕剛①…1978~1983年「邂逅」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1956(昭和31)年9月7日、長渕剛は鹿児島県に生まれた。

一方、桑田佳祐は1956(昭和31)年2月26日、神奈川県茅ケ崎市に生まれた。

学年で言えば、桑田は長渕よりも1つ上になるが、年齢は同じである。

長渕は、九州で、泥水をすするような地道な「ドサ回り」の音楽活動を続け、1978(昭和53)年10月5日、

『巡恋歌』

で、ようやくデビューを果たす。

一方、桑田佳祐青山学院大学時代に結成した学生バンドを母体としたサザンオールスターズを率いて、1978(昭和53)年6月25日、サザンは、

『勝手にシンドバッド』

で、華々しくデビューを飾った。

こうして、全く対照的な形で世に出て来た桑田(サザン)と長渕は、その後、ヒット曲を連発し、それぞれ音楽界で地位を確立して行った。

そして、1983(昭和58)年のある日、桑田と長渕は「邂逅」するのだが…?

 

(2019/9/10)<サザン史・外伝(特別編)~桑田佳祐VS長渕剛②…1983年「事変」~>

サザン史・外伝(特別編) ~桑田佳祐VS長渕剛②…1983年「事変」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1983(昭和58)年夏のある日、桑田佳祐長渕剛は初めて会い、彼らは酒を酌み交わした。

桑田と長渕は、旧知の仲のように、忽ち意気投合した。

そして、桑田が長渕に、

「今度、一緒にコンサートをやろう」

と誘い、長渕も二つ返事で了承した。

だが、1983(昭和58)年7月29日、中日ドラゴンズの本拠地・ナゴヤ球場で行われたサザンオールスターズのコンサートで、長渕はサザンの「前座」扱いをされてしまう。

長渕は、

「話が違う」

と激怒したが、その後、更にとんでもない「大事件」が起こる。

後々まで続く、桑田佳祐長渕剛「因縁」はここに始まったが、長渕はこの時の「恨み」をずっと忘れなかった…。

…という事で、

「1983ナゴヤ事変」

の顛末を書いているが、更に詳しく知りたい方、ご興味が有る方は、是非とも↑のリンクからどうぞ…。

 

(2019/9/11)<サザン史・外伝(特別編)~桑田佳祐VS長渕剛③…1984~1988年「確執」~>

サザン史・外伝(特別編) ~桑田佳祐VS長渕剛③…1984~1988年「確執」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

「1983ナゴヤ事変」

で、事前の約束とは違い(?)、サザンの「前座」扱いという屈辱を味わった長渕剛は、その時の「恨み」をずっと忘れなかった。

その後、1985(昭和60)年限りで、サザンは一旦「活動休止」し、桑田佳祐KUWATA BANDを率いて、新たな活動を開始していた。

1986(昭和61)年、そのKUWATA BANDと長渕が「ザ・ベストテン」で共演した時、桑田と長渕の間には、ギクシャクとした微妙な空気が流れていた。

その頃、長渕は、歌手(シンガーソングライター)として、次々にヒット曲を出す一方、「俳優」としても活動し、数多くの映画やテレビドラマに出演していた。

1988(昭和63)年、長渕はヤクザの役として、

『とんぼ』

というTBSのドラマに主演したが、その劇中で長渕はサザンのある曲に対し、とんでもない「暴言」を吐いてしまう。

桑田と長渕の「確執」が、図らずも表面化してしまったが、桑田と長渕の「対立」の機運は、まるで地下のマグマのように溜まっていた…。

 

(2019/9/14)<サザン史・外伝(特別編)~桑田佳祐VS長渕剛④…1988~1990年「奇行」~>

サザン史・外伝(特別編) ~桑田佳祐VS長渕剛④…1988~1990年「奇行」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

長渕剛が主演したTBSのドラマ、

『とんぼ』

で、長渕は同名タイトルの主題歌も歌い、この曲も大ヒットしたが、

前述の通り、長渕はこのドラマの中で、サザンのある曲に対し、とんでもない「暴言」を吐いてしまった。

それは、このドラマの話の筋とは全く関係が無く、何の脈絡も無い場面だったが、長渕は、ドラマにかこつけて、桑田佳祐への積年の「怒り」をぶちまけていた…という事であろうか。

1990(平成2)年、桑田佳祐は映画監督に挑戦し、

『稲村ジェーン』

という映画を撮ったが、同年(1990年)末の「紅白」で、長渕は、ベルリンの壁からの生中継で出演した。

だが、この時、長渕はとんでもない「奇行」をやらかしてしまう…。

ドラマでチンピラやヤクザの役を演じていた長渕だが、この頃から、明らかに「奇行」が目立つようになっていた。

果たして、長渕はどんな方向に向かって行くのだろうか…。

 

(2019/9/16)<サザン史・外伝(特別編)~桑田佳祐VS長渕剛⑤…1991~1993年「火種」~>

サザン史・外伝(特別編) ~桑田佳祐VS長渕剛⑤…1991~1993年「火種」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1991(平成3)年、長渕剛は、

『しゃぼん玉』

というドラマに主演し、同名タイトルの主題歌も大ヒットさせた。

長渕は、俳優と歌手の「二刀流」で、

『とんぼ』『しゃぼん玉』

を大ヒットさせるという快挙を成し遂げ、1992(平成4)年は東京ドームでの単独ライブも実現させた。

まさに、長渕は飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、それと同じ頃、サザンも大ヒット曲を連発し、サザンも絶好調だった。

しかし、1993(平成5)年、長渕は「盗作騒動」を引き起こし、世間の批判を浴びてしまう。

そして、前述の長渕の東京ドームでのライブも含め、これらの事は、翌1994(平成6)年に始まる、「桑田・長渕騒動」「伏線」となった。

後から振り返れば、この頃の桑田と長渕は、

「開戦前夜」

だったが、その事について、まだ誰も知る由も無かった…。

 

(2019/9/18)<サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑥ ~1994年(前編)「開戦」~>

サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑥ ~1994年(前編)「開戦」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1994(平成6)年、遂に「運命の年」がやって来た。

この年(1994年)9月23日にリリースされた、桑田佳祐のソロ・アルバム、

『孤独の太陽』

に収録されていた、

『すべての歌に懺悔しな!!』

という曲の歌詞が、

「この歌詞は、矢沢永吉や長渕剛の事を揶揄しているのではないか?」

と噂され、マスコミが騒ぎ始めたのである。

この曲の歌詞で、

「テレビにゃ出ないと言ったのに ドラマの主役にゃ燃えている…」

という箇所が有るが、この年(1994年)矢沢永吉は、

『アリよさらば』

というドラマに主演し、話題となっていた。

また、長渕剛については、言わずもがな、映画やドラマに沢山出ていた。

「だから、これはどう見ても、永ちゃん(※矢沢永吉)や長渕の事を歌っているのだろう…」

と、マスコミはそう決め付け、大騒ぎした。

しかし、桑田は、

「この曲は、誰か特定の人の事を歌ったものではない。自分も含めた、ミュージシャン全体の事を茶化して歌った曲である」

と釈明した。

そして、桑田は矢沢永吉に対し、

「色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

と、詫びを入れたところ、永ちゃん(矢沢永吉)は、流石は「大人の対応」を見せ、

「俺は全然気にしてないよ」

と、桑田の「お詫び」を受け入れた。

だが、長渕剛はそうではなかった。

「この曲は、俺に対する『当てつけ』だ!!桑田は俺に喧嘩を売っている!!」

と、長渕は激怒してしまったのである。

こうして、遂に、

「1994桑田・長渕戦争」

の火蓋が切って落とされた…。

 

(2019/9/21)<サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑦ ~1994年(後編)「泥沼」~>

サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑦ ~1994年(後編)「泥沼」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1994(平成6)年、桑田佳祐が発表した、

『すべての歌に懺悔しな!!』

という曲に端を発し、遂に、

「1994桑田・長渕戦争」

が勃発してしまった。

 

「『すべての歌に懺悔しな!!』に書かれている歌詞の、『どこかでパクった小言を連呼する…』という箇所は、明らかに俺(※長渕)への『当てつけ』だ」

 

「『すべての歌に懺悔しな!!』の最後に、桑田が『いらっしゃーい』と言っているが、これは俺(※長渕)の東京ドームのライブでの第一声と同じだ。桑田は、明らかにその事を揶揄している…」

 

長渕剛は、そう言って、桑田佳祐による、

「特定の誰かの事を歌っているわけではない」

という釈明を一蹴し、

「これは、明らかに俺(※長渕)の事を歌っている」

と、断じていた。

そして、長渕は桑田から送られた「謝罪文」を、桑田に突き返し、

何と、長渕は桑田に対し、

「脅迫状」

を送り付ける…という「暴挙」に出た。

桑田佳祐・原由子夫妻は青ざめ、当時、まだ小学生だった息子の学校の行き帰りに、ボディーガードを付ける羽目になってしまった。

そして、長渕はある雑誌のインタビューに応え、

「俺は桑田佳祐を許さない」

と、長々と桑田に対する「恨み」をぶちまけた。

それは、

「1983ナゴヤ事変」

以来の、10年以上にわたる、長渕の桑田への積年の「恨み節」だった…。

こうして、降って湧いたような、

「桑田佳祐VS長渕剛」

の全面戦争を、マスコミが面白がり、煽りに煽ったため、騒ぎはますます大きくなって行った。

全く、マスコミとは今も昔も無責任と言うか、どうしようもない…と思ってしまう。

そんな中、泉谷しげるが、

「桑田・長渕騒動」

を一刀両断するという一幕も有った。

こうして、様々な人達が、あれこれと言う中、「泥沼」化する一方の桑田佳祐長渕剛「大喧嘩」の行く末や、如何に…?

 

(2019/9/23)<サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑧(完結編)~1995年「収束」~>

サザン史・外伝(特別編)…桑田佳祐VS長渕剛⑧(完結編) ~1995年「収束」~ | 頑張れ!法政野球部 ~法政大学野球部と東京六大学野球について語るブログ~ (ameblo.jp)

 

 

1994(平成6)年に勃発した、

「桑田・長渕騒動」

は、翌1995(平成7)年、本当に思わぬ形で「収束」した。

それは、図らずも、

『すべての歌に懺悔しな!!』

の歌詞に書かれている通りの結果となってしまったのだが…。

という事で、

「桑田佳祐VS長渕剛」

「完結編」では、騒動「収束」後の桑田佳祐長渕剛「その後」も描いている。

果たして、

「桑田・長渕騒動」

とは、何だったのか…。

宜しければ、改めて、皆様にもお考え頂ければと思うが、

「大物ミュージシャン同士の、ガチの大喧嘩」

というのは、そうそう有るものではないし、ある意味、日本音楽史上に残る出来事だったな…というのが、私の率直な「感想」である。

 

<「桑田佳祐VS長渕剛」騒動の発端となった、『すべての歌に懺悔しな!!』の歌詞について…>

 

 

では最後に、改めて、

「桑田佳祐VS長渕剛」

騒動の発端となった、

『すべての歌に懺悔しな!!』

の歌詞を、皆様にご紹介させて頂く。

上のリンク集の「第6回」『開戦』でも、歌詞はご紹介させて頂いているが、

今回、改めて、歌詞を掲げさせて頂く。

「果たして、『すべての歌に懺悔しな!!』という曲は、本当に桑田が言う通り、誰か特定のミュージシャンの事を歌ったわけではないのか、それとも、実はやっぱり特定の『誰か』の事を歌っているのか…?」

というのは、歌詞をお読み頂き、皆様にもお考え頂ければ幸いである。

 

 

 

『すべての歌に懺悔しな!!』 

作詞・作曲:桑田佳祐

唄:桑田佳祐


ゆうべもゆうべ脳ミソ垂らして 女に媚びを売る
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる

歌が得意な猿なのに 高級外車がお出迎え
スーパー・スターになれたのは 

世渡り上手と金まかせ

冗談美談でふんぞり返って ケジメも無しとする
言い寄る女と愚かな客とが それでも良しとする

大学出たって馬鹿だから 常識なんかは通じねェ
濡れた花弁にサオ立てて 口説きの文句はお手のモノ

今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう 

すべての人に 恋をしな!!

道化も道化ウンザリするような 生き様シャウトすりゃ
小粋な仮面でどこかでパクった 小言を連呼する

子供の頃から貧乏で そのうえ気さくな努力家で
実はすべてが嘘なのに 芝居のセンスにゃたけている

天才奇才とおだてりゃエテ公は いつでも木に登る
儲かる話とクスリにゃ目が無い バカヤロ様がいる

チンチン電車は走るけど 青春時代は帰らない
TV(テレビ)にゃ出ないと言ったのに

ドラマの主役にゃ燃えている

今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての歌に懺悔しな!!
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
憐れ君のために泣こう 僕も同じ夢を見よう
すべての人に 恋をしな!!