♑のサインは、現代的な意味と、古典的な意味が大きく食い違うサインです。地のサイン(コールドでドライなサイン)ですから、物を形作るという点では申し分ないサインです。モダンな占星術の本には、野心的で勤勉で、権威と権力に憧れると書かれています。本当なのでしょうか?
♑のサインは土星の支配するサインですから、土星の地味な性質が入り込んでいることを忘れがちです。とても権威と権力に憧れて手に入れる力になるとは思えません。地のサインが現実的であると述べられることの多いなかで、ルーラーの土星は、野心家でも、目立ちたがり屋でもありません。
忘れてはならないのは、ここが冬のサインであり、もともとモイストが含まれているサインだということです。♏のサインでも見てきたように、コールドでドライな土は、コールドでモイストな水と混ざると、手に負えない泥水となります。
♑のサインは、動くことの好きなカーディナル(活動宮)であり、地のエレメントはそれを持続させます。他のカーディナルなサイン(火、風、水)は、持続性を持ちませんが、地はそれらよりも形がある分、持続します。
カーディナルな♑は、開始し、一度動き出したら継続することができます。持続性があるからといって、権威と権力に憧れることとは異なります。イグザルテーションの火星がホットでドライですから、そう連想させるかもしれません。しかし、現実的には土星のルーラーとなっているサインですから、冬の控え目な地味な活動の方が意味を汲み取りやすくなります。
イギリスの占星術師チャールズ・カーターも、♑のサインは野心的にならないことが多いと指摘していて、♑のサインがアセンダントの人は、たいていは控えめで個人的、それでいて活動的であると指摘しています。つまり、日常生活上のことをコツコツとやり続けるタイプの人です。
忘れていました。古典的な占星術は「アセンダント占星術」です。太陽の入っている星座で占うものではありません。
サインは何もしません。「惑星こそがサインよりも優先されます」。
「太陽」が♑のサインにあるならば、
「土星」が♑のサインにあるならば、
「木星」が♑のサインにあるならば、
「火星」が♑のサインにあるならば、
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そうやって考えていきます。その時の惑星のエレメントを考慮し、入っているアングル、ケーダント、サクシダントを考慮し、そこに惑星があることによる機能を優先させます。ここ♑に入った惑星たちは、表現がストレートで事実に忠実な性質になります。まさに、コールドな季節のコールドでドライになるのです。
♑のサインがアセンダントにあると、山羊のサインに太陽があるのと、よく似た性質を持つとの記述もよく見かけます。ここで、サインのロードである土星を持ち出せば、太陽が野心的ではなくなります。サインは何もせず、入っている惑星に色を付けます。サインは、その持つ色を、サインのロードと、イグザルテーションのロードから受け取ります。
デトリメントになった惑星や、フォールトなった惑星からも、幾分ネガティブな色彩を受け取ります。♑のサインでは月がデトリメントですから、月の良さである、物を育む姿勢を奪います。木星がフォールですから、大きく成長させる姿勢をも奪います。
ここから先に、リセプションの考え方を入れ込むことで、月のデトリメントや木星のフォールの色彩が、効いている ⇔ 効いていない、なども判断できるようになります。
やはり、サインを観察する際にもリセプションが必要になるのです。
何度も言いますが、サインそれ自体では何もしません。惑星が主役で、惑星がサインで何かを表現します。
サインそのものの持つであろうとするモダンな様々な意味が、サインそのものに対する私たちの理解を、見過ごすことができないほど歪めています。
土星が♑のサインのルーラーです。このサインはコールドでドライな冬の寒いサインですから、恥ずかしがり屋、控えめ、慎重で、警戒心が強く、世俗的な権威を あえて求めない方が、現実的です。
土星がここを支配していることを忘れないで下さい。