フィルミクス・マーテルナスは、少々美辞麗句に満ちた表現ながら「天の神性の本質」という段落で、誰彼は、私たちの占星術に対する熱意を削ぐ目的で、天の芸術の難しさを述べていると伝えています。確かに私たちは厄介な問題を扱っているのは事実ですけれども、私たちは占星術に対するあくなき情熱をもっています。地上の煩わしい事柄に関わっていては、なかなか理解できない事柄ながら、それでも理解したいという炎のような欲求を持っています。

天の運行でフェーズに注目したときに、太陽と木星は今年10月6日頃からトラインに向かいます。それと同時に、木星は「(第一のステーション)」という最も煩わしいフェーズの状態になります。これは、歓迎すべき状態なのでしょうか、それとも、木星にとって歓迎されざる状態なのでしょうか? 

 論理的に理解して、正確に語れるようになるには事実に遭遇する必要もあります。

古代の文献類もその事実の一つではないでしょうか。他人の経験を垣間見れる幸せとは、全てを経験しなくても識(し)ることにつながるからです。

自分の中の木星が第一ステーションにあり、昼セクトである人、あるいは、夜セクトである人は、長い人生の中で必ずやこの木星の置かれているハウスのトピックに関わる体験を通して理解していることでしょう。もちろん、他の惑星たちの状態にも関わってはきますが、トピックは明らかに木星の置かれているハウス(ホール・サインでの)の出来事でしょう。それは、本当に手放しで喜ばしい事だったでしょうか? 

苦難はあってもいいのです。苦労や苦難に遭遇したときに、それをどう受け止めるかが大事なのです。安岡正篤氏の苦中楽ありという心の鍛錬が効を奏するときもあります。

例えば、4ハウスにある木星についてフィルミクスは次のように語ります。4ハウスにあるから全ての人がそうなるということではありません。必ず、西洋占星術の法則に照らし合わせて、このような場合ならと、それを想定できるようになっていなければなりません。

  「このハウスの木星は、父親を高貴で有名な人物にするが、中年期にはネイティブ

   の収入を破壊し、その後再び回復させる。ネイティブは女性との関係において消

   極的であり、子供らの愛情から離される。」

フィルミクス・マーテルナス、マテシス、IIIの3の7木星の項目 

 

まず勉学者はこれが昼のセクトなのか、夜のセクトのことなのかを予測しなくてはいけません。父親が高貴とありますから昼セクトなのでしょう。中年期に収入を減らすことから、通常通りに完全に良い木星ではないことが予測されます。本当にアングルになっているのかどうかも怪しいところです。ICが3番目のサインや5番目のサインに在る場合もあります。女性との関係が・・・という所から太陽は地平線の上にあって、木星が地平線の下で、アスペクトをしていないフェーズにあると読み取ることができます。古典的な文献類は謎に満ちています。また、このように解読していかないと、4ハウスに木星を持つ人は、必ずそうなると理解してしまいます。違うのです。