新しい視点で、17世紀の始め頃に
 サインの意味を、「ハウスから持ってくる」方法が、行われました。

 例えば、射手のサインで、
 ● 射手は、その足で遠くまで行くから、旅に関係がある とか、
 ● 射手のサインは、宗教に関係がある             とか、
 ● 射手のサインは、精神的な面を発達させながらも、動物的な面も持つ とか、

 そんな意味を持つとされました。でも、これらの意味は、元々、9番目のハウスの持っている意味であり、9番目の射手のサインと関連付けられてしまったのです。

 それは、新しい視点でした。素晴らしく思えたことでしょう。

 同時に、古い占星術の視点を壊してしまったのです。
 射手のサインの元々の意味に、上記のようなものは、一切、入っていません。無秩序と確信というような、あい矛盾するような意味も付いていなかったですし、疑念とひたむきさ、なんていう矛盾するような概念も付いていませんでした。疑いながら、一生懸命に取り組むことは、とても難しいことです。


 17世紀以前、射手のサインは、
 ただただ、ホットでドライなサインで、ミュータブル(変動宮)・サインであり、その最後の角度に、冬至となる至点を含むとなっています。ドラゴン・テイルのキングダムである、とか、男性格であり、双体であり、小声で話す、大地を這う昆虫のサインであると、伝えられてきました。(ほとんど、聞いたことがなく、意味も少ないので、つまらないかもしれません)


 問題は何かというと、その中身ではなく、ハウスの意味を、サインの意味にしてしまった壮大な視点です。射手のサインだけではなく、全てのサインで行われ、サインにハウスの意味が持ち込まれたのです。

 それでも、問題なく使えるのは?
 誰にでも当てはまることを、占う機会の方が多いからです。


 私のコースでは、「サインの意味を使うな」と言っています。これまでに習って知っていることは、とてつもなく重要なことですから、射手のサインに入っているこのクライアントは従順で、彼の言うことを何でも聞くとか、ついつい使ってしまいます。

 どうして射手のサインが、従順なの? 確かに、1カ所だけは、コマンディング(命令する側)/オベイイング(従う側)という対になるサインの概念がありますから、そのサインがあります。でも、射手のサインにあるだけで、従順になるわけではありません。対になっています。


 彼が愛してくれているのか、遊び相手に選ばれているだけなのか。ハッキリした方がいいに決まっています。遊びなら、割り切って付き合うか、やめてしまうか、決断できます。やめる方がいいのなら、早く決断できる方がいいでしょう。

 

 

 視点は技術と、違います。けれども、大きく、技術に影響を与えます。

 

 ハウスの意味に、サインの意味を持ってきたのも、ある種の視点です。でも、こういったことが行われたので、古典的な占星術はないがしろにされ、正確に物事が読み取れなくなったのです。

 

 そのような行いは、意図せずに起きたのか、意図されたのか、分かりません。でも、視点の違いは、物事を歪めることもできるのです。おそらく、分かっていて行われたのだろうと考えます。

 

 私は、それを元に戻そうとしています。様々な視点を、西洋占星術が元々持っていたものに戻そうとしています。大変な作業であることは分かっていますが、誰かがそうしないと、伝統的占星術は完全に死に絶え、どうでもいいことを占う占星術だけが残ります。

 

 「どうでもいいことを占う」とは、お客さんの言うことに寄り添う、肯定的な受け答えをする占いという意味です。お金になりますから。お客さんの言うことを、「そうだね、そうですよ、確かにあなたの考え方は正しいですよ」と肯定しておけば、お客様は離れません。癒しですから。

 

 

 それでは、表面的な信頼関係しか構築できません。

 

 ここにも、視点の違いがあります。稼ぐのであれば、肯定的な占いの方が有利です。数をこなせるからです。

 

 占いというのは、問う方にも気構えを求めるものです。日本人なら、誰だって持っているものです。

 

 癒しに徹するというのは、ある意味、お客様をバカにした態度でしかありません。視点を違えて述べれた、そうなります。ただ、稼げません。

 

 パラドックスだらけです。

 

 

 

 

 

 私たちは、多くの先入見・先入観をもって物事を観ています。与えられている視点が、正しいものだとの前提の下に、物事を見るわけです。そこに、別の視点が存在するものとは思わず、それしか知らないので、そこから見るわけです。

 禅の考案とか、人が変わる瞬間というのは、これまでそうだと思っていたことが、全く変わる瞬間でもあります。一つの視点の反対側でもなく、対象から離れて見るわけでもなく、考え方でもなく、視点の次元、そのものがガラリと変わってしまう瞬間です。

 父を憎いと思っていたのに、それが、自分への愛によって行われていたことを知る瞬間があるとすれば、そんな行って来るほどのステージの違いといってもいいでしょう。

 類は類を呼ぶとか、友は友を呼ぶとか、言いますが、自分の立ち位置が変わると、自ずと付き合う周りの人も違ってきます。こちらの方は徐々に行われますが、「心が先(観点が先)」であることの証明にもなります。


 西洋占星術にも、そんな瞬間があります。『The Moment of Astrology』です。

 

 西洋占星術の法則を、体感する瞬間があります。ネイタルでは、法則が正しいものとして読み始めますから、そんな瞬間は訪れません。占星術の法則を体感すると、もっと西洋占星術が好きになります。

 フィルミクス・マーテルナスは、マテシス(II-XX-7)で、概略次のようなことを述べます。

   惑星があるサインに置かれているなら、特定の惑星の条件に注意せよ。
   あなたの惑星が、他の惑星のハウスに位置していたなら、そのハウス
   のルーラーを見つけて、チャートのどのハウスにあるかを確認し、そ
   して、イグザルテーションかフォールか、喜ぶサインか、落胆するサ
   インかを調べるのだ。

 サインもハウスも、気にせずに話しています。要は、サインの意味から判断せずに、入っているサインのルーラーに注目しているのです。

 あなたの知る視点と、違っていないでしょうか?