日韓年の差夫婦☆バイリンガル☆脱ステ -24ページ目

日韓年の差夫婦☆バイリンガル☆脱ステ

元ホステス、その後ハワイへ。同じ大学だった、12歳年の違う韓国人旦那と結婚。子供をおうちでバイリンガルにすることを成功しました。『相手の好きに触れる』このテクニックがホステスも育児も同じだな~と思う今日この頃。独自の育児法や家庭学習のことなどを綴ったブログ

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意  2016年から書き始め

途中で放置をしてしまったので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでください  指差し

 

 

 

 

37歳で留学④の続きですバイバイ

 
 
 
 
お金を稼ぎたい!
3年生の三学期に
高校を中退してから
 
定休日を除いて
毎日、出勤していた、私。

 


 

それは、働きだしてから

 

どれくらい経った頃だろう。

 

 

どのようにバレてしまったのか

全く覚えていないけれども

 

 

ある日、母にバレました。
 
 
すると、母は
それはもうすごい勢いで
取り乱して
 

 

信じられない.....と

 

泣いていました 不安あせる
 
 
 
うちの母は、いわゆる

 

 

箱入り娘のお嬢様。
 
 
母の父
私のおじいちゃんに
あたる人は
 
母達、四人姉妹の進学
や結婚相手など
すべての決定に関わり
子どもに自由を与えなかった
そんな人で。
(あの時代はそれが普通だったのかも)
 
 
母は、大好きだった
ビートルズの切り抜きを
空き缶に集めていたんだけど
 
ある日、それが父親に見つかり
全部、燃やされたらしい 不安
 
勉強に専念するため
不必要とみなされて。
 
 
で、母はお裁縫が大好きで
洋裁の学校に行きたくて
 
勇気を振り絞り
父親に思いを伝えたら
 
女でも
普通の高校を卒業すべき❗
 
と、即、却下されたらしい。
 
 
 
そして、ここからは
私が母から直接
聞いた話じゃなくて
 
昔、母が玄関先で誰かと
電話で長時間、話していた時に
 
話の内容が聞こえてしまって
知ったことなんだけど....
 
 
母は、進学の時
 
どうしても洋裁の学校に
行きたかったので
 
初めて、父親に反抗し
高校入試テストを
すべて白紙で出した。
 
 
その先はどんな展開になるのか....
 
と、すごくドキドキして
手汗を握った
と言っていた、母。
 
 
なのに
 
 
 
合格
してたんだって
 
 滝汗あせるあせる
 
 
 
だから母曰く
 
私の父は裏金を積んでまで
私を普通高校に行かせた....とあせる
 
 
その後
無事、その高校を卒業して
どこかに就職したらしいんだけど
 

 

おじいちゃんが大家だった

賃貸の家に職人がいて

 

そこで仕事をしていた父と

恋に落ちてしまい

 

半駆け落ち状態での結婚!

(もしろんジイは激怒)

 

そして

 

母が20歳の時には
私が生まれています
 
 
 
世間なんて言うものを知らない

 

ド真面目で怖がりな母と

 

世の中の現実と

ものごとの道理を

教えてくれた父

 

 

 

そんな真逆な二人に
育てられました。
 
 
 
そういえば、まだ高校に
通っている時も
 

ビリヤードに行っただけで

その時も、母は泣いてたな。

 

 

そんな不良のたまり場に
行かないで!って。
(それいつの時代の話なの? 笑)
 
 
 
そんな母は
私が水商売をしていると知ると
パニックになり大騒ぎ!

 

 

 

母のリアクションは

毎度の事なので慣れていたけど

 

毎日面倒なことを言われるのが

本当に嫌だった ちょっと不満もやもや

 

 

でも、説明したところで

納得しないだろうし

 

ま、仕方がないので

母の事は無視して

お店に行っていると

 

 

 

ある日
父から呼出されたの。
 
 

 

 

父から外で話そうと言われ
父と2人っきりで
ファミレスへ行ったんだけど
 
家で話をするんじゃなくて
いきなりの外への呼出し? 
 
てか...

 

何を言われるんだろう?と

若干緊張したのを覚えてる

不安あせるあせるあせる

 
 
 
その夜、父がファミレスで
私に言ったことは
 
 
 やるなら半端はしないで

 

経営者になれよ!

 

それくらい本気でやってみろ
 
あとは、お前の母親は
あーゆータイプの人間だから
 

 

お前の選んだ仕事を

受け入れられなくて

 

この先もずっと

うるさく言い続けるだろうけど

しかたない。

 

あいつ(母)と

うまくやれよ。

 

 

お前は親の知らないところで

どんどん成長していってる。

 

あいつはそれが

認められないだけ!

 

 

どんな仕事にも

いいも悪いもないから

 

俺はお前が
そこでお金を稼ぎたいなら
反対はしない
 
 
 
そんなようなことを言われた。
 
 

 

その時、私は18歳に

なった頃くらいだと思うけど

 

その言葉から

父が私を

信じてくれてるんだなとか

 

父の姿勢に感謝とかもなく

 

ただただ

あ〜怒られなくてよかった〜

 

と、思っていただけだった キメてる




 

当時の私は
 
自分がのちに

経営者になるなんて

 

想像もしていませんでした
 
 
単純に、これからしたい事への
資金を稼ぐために
働いている。
 
 
でも、そこでの仕事を
苦痛に感じたことはなかったので
 
すぐに辞めようと
思ってたわけでもなく
 
続けようと思っていたわけでも
なく....
 
 
読んでくれてありがとうニコニコ
 
 
 
 
 

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意  2016年から書き始め

途中で放置をしてしまったので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでください  ニコニコ

 

 

 

 

時給が高くて

名前が格好が良い英語

 

黒とシルバーを基調とした

CooLなお店だったので

 

 ビリヤード台のあるBarだと

勘違いした末に

ホステスデビューを

することになった、私

 

そんなお話の続きです キメてる気づき

 

 

 

 

 

私は171cmと長身なので

 

17歳当時も、黙っていれば

 20~23歳に見られることが

多かった気がする。

 

 

でも、喋れば

中身はまだまだ子供で

 

そんなことも知らないの?

っていうことが沢山あった。

 

 

 

 

例えば、お店でお客さんに

おつまみの注文を受け

 

それを厨房の男の人に

伝えにいくと

 

レバ刺しにタコわさ?

居酒屋じゃあるまいし

そんなメニューうちにはないよ

 

と、言われ、お客さんに

からかわれているのもわからない。

 

 

 

うちの父は

お酒を一滴も飲めなかったので

家にアルコールはなかったし

 

どんなものが酒のツマミで

なにが居酒屋のような

メニューなのかも

わからないし

 

居酒屋で「お通し」というものが

存在することも知らない。

 

 

 

そして、そのお店で

初めて知ったのが

 

 

酒に酔う人の存在!

 

 

お酒を飲んでいても

全然、いつもと変わらず

温厚の人もいるのに

 

入店した時から

いやに横暴で横柄で

目に付いた人に絡んでいく人いて。

 

 

 

そういう男の人が来店すると

猛獣使いのような女の人が

その人を担当して

 

上手に機嫌をとり

他のお客さんに迷惑が

かからないよう

良い子にいさせていたり

するんだけど。

 

 

 

そんな感じで

 

お酒を飲んでいる大人たちが

私にいろいろと

話しかけてくるんだけど

 

 

それらが

ジョーダンなのかも

本気でいっているのかも

 

全然区別がつかなかった

当時17歳の私。

 

 

 

だって、誰かに

からかわれる経験?

 

今で言うと「いじられる」

経験っていうの? 

そういうのがなかったし

 

 

酔った大人の中で

面白い会話をしながら

笑いあう!

なんていう経験はゼロなわけで。

 

 

 

大人が言ったことは

なにも疑わず

すんなり、ふーんと

受け入れてしまうというか。

 

 

 

ソロで来ていたお客さんに

 

ほうじ茶ちゃん、自転車でしょ?

帰り、後ろに乗せて行って!

 

と言われて

その人のことは嫌いじゃないし

 

別に普通に、あ、いいよ!

って答えて

 

帰りは一緒に

帰るつもりでいると

 

 

他のお姉さんたちが

 

こらこら、だめだめ!

この子、なんでも

信じちゃうんだから!

 

ほうじ茶ちゃん

お客さんを乗せていくとか

送るとか

そんなの絶対しちゃだめよ

 

 

 

そんな感じだったと思う。

 

(そう言われても心の中では

え?なんでダメなの?

みたいな 滝汗汗

 

 

 

 

 

 

スマートフォンもSNSもない

あの時代

 

 

電波に乗ってくる映像や文字から

新しい世界を知って

知識を得るなんてことは

ほぼ出来なかった

 

 

だから

人との繋がりを作るのも

知らない世界を知ることも

 

本や新聞、テレビ、ラジオ

 

あとは、口伝えで聞いた話とか

 

 

そんな手段を通じて

新しい世界に繋がっていってたよね

 

 

 

 

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

 
 
私は、夜の世界に入ることになった
このお店で2年半、働きました。
 
以前にこの話を書いたときは
あまりお店での出来事は
書いていなかったんだけど
 
このお話を読んでくれた
本当に沢山の方々に
 
夜の世界のお話が大好きです!
 
との、お声をいただいていたので
(みなさんがホステス話を
楽しんでくれたのが
私には嬉しい意外でした!)
 
 
これから、色々とぶっちゃけた話を
追加しようと思っているので
良かったら、読んでください キメてる
 
 
こちらの⑤へ続く下矢印
 

 

 

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意  2016年から書き始め

途中で放置をしてしまったので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでください  ニコニコ

 

 

 

の続きです キメてる気づき

 

 

 

 

 

夜の仕事でもらえるお金が

コンビニのバイトとは

全然違うことを

知ってしまった私

 

 

 

 

 

 

そのお店は、時給のほかに

 

お客さんがご馳走してくれる

自分が飲んだドリンクの数だけ

 

ドリングバックがもらえる

システム

 

(ドリンク代の60%がお給料に加算)

 

 

 

当時、ホステスがなんなのか

よくかわかっていない17歳。

 

 

サービス業と言われている

接客をしているという自覚が

全くないまま

数か月が過ぎまして....。

 

 

 

相変わらず

指示された席に付き

お客様となんてことない会話を

するだけ

 

 

そんな中

 

どうしても嫌だな~と感じる

 

 

なんていうのか

 

その方は 「俺は客だぞ!」 

みたいな横暴なタイプでもないし

 

おさわりをしてくる

タイプでもない

 

 

着ているものがちょっと個性的で

一匹オオカミ的な雰囲気で

変わってる感じなんだけど

 

 

私がおもいっきり

嫌いと意思表示しても

 

「そのわがままさがいいね!」 

 

「商売っ気がないところが

汚れてなくていい」 

 

とか言って

 

私がなにを言っても

めげないし

気分を悪くするわけでもないし。

 

 

とにかく話しかけてくる

 

しつこい。

 

 

 

 

 

当時の私のは

「うざい」 

としか思えなかったね~ ニヤニヤあせる

 

 

 

彼は

私が違う席についていても

 私が彼のそばを通りかかると

 

口説くとかではなくて

 

小説の話とか馬の話とか

一方的に話しかけてくる感じで

 

もう、それが

嫌で嫌で.... うざくてウザくて

笑い泣きあせるあせるあせる

 

 

とにかく存在すらも嫌!

って感じになってしまって

 

 

彼が私にドリングをくれると

言ってきても

 

聞こえてないふりで

ガン無視していました

(今考えるとありえないけどあせる

 

 

 

実際に私はその方に

 

 「あなたと話したくない

あなたからのドリンクもいらない」 

 

と、ストレートに

言っちゃっていたので

 

 

お店のママや

マネージャーの男性には

 

ほうじ茶ちゃん

これはお仕事なんだよ 

いやでも我慢しないと 

 

飲まなくてもいいから

お給料に加算されるし

 

ドリンクをいただいて

テーブルに置いておけば

いいんだよ

 

彼の隣がいやならば

席を一個飛ばして座ってもいいし

 

とにかく、彼の席に座ってて!

 

話さなくていいから

ドリンクだけ頂いて

横に座っててほしいの

 

 

ママたちは

あの手この手で

私をその人の横に

座らせようとしてきてね

 

(てか当たり前だよね

それが仕事なんだもの ニヤニヤ )

 

 

 

 

ある日

 

本当にもう

その人の横に座るのが嫌で嫌で

どーしょもなくて

 

 

とうとうお店で

泣きだす ....私 ...

 

(本当にありえん 滝汗あせる

 

 

 

話したくない

あの人、嫌い。。。。

 

と、ぐずり泣く私に

 

 

当時27歳のママは

怒ることも、叱ることもせず

 

とにかく根気よく

 

ほうじ茶ちゃん

これがこのお店の仕事なんだよ

 

と、私に

言い聞かせてくれました。

 

 

 

今思うと

首にならなかったのが

本当に不思議あせるあせる

 

 

 

多分だけど

 「まだ若いから」 って理由で

許されていたというか

 

私が育つまで

待っててくれたんじゃないかな?

(本当に感謝です)

 

 

 

 

 

結局、その

私が泣いてしまった日は

 

じゃ今日はもう帰っていいから

明日、絶対また来てね!

 

と言ってくれたママ。

 

 

で、私もなにも考えていないので

早退した翌日も

晴れやかに出勤~ ニヤニヤ

 

お店に行きづらい...とか

ママたちに合わせる顔がない

.....とか

申し訳なかった.....とか

 

反省の心なんて

1mmもなかったね ニヤニヤ

 

 

 

ただ

 

あ~、あのお客さんと

話さなくてすんで良かった~

 

って思ってただけという。

(嫌なことから逃げれれば良し!

みたいな)

 

 

接客の仕事を理解していない

証拠ですよね~ 笑い泣きあせるあせる 

 

 

 

続きはこちらの④へ下矢印

 

 

 

 

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意2016年から書き始め

途中で放置していたので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでくださいキメてる

 

 

 

 

 

 

ホステスとは知らずに

ホステスになった話①

の続きです。

 

 

 

 

 

高校卒業後は

美術が好きだったのもあるし

先生に勧められたので

美大に行ってもいいかな

なんて、思っていたんだけど

 

 

普段あまりものを言わない父が

 

それは、よく考えた末での

進路なの?と。

 

 

それで飯を

食っていけるの?

 

 

 

好きなことをやって

金を稼げるやつは

ほんの一握り。

 

 

 

それほどに

好きなことなの?

 

 趣味にするのか

 

職に出来るのか

 

もう一度考えてみたら?

 

 

 

 

そっか、なるほど....

 

と、父の言葉に

あっさりと納得した私は

 

高校3年生の時に

初めて真剣に考えたの

 

 

じゃあ

稼ぐためには? 

 

自分はどれくらいの

お金が欲しいの? 

 

どんな

仕事をしたいの?

 

 

 

 

 

その頃、ちょうど学校では

大学の進学の話とか

就職先の各企業の話とかを

聞かされていたんだけど

 

私のやりたい事は

これらじゃない....

 

もっと高収入な

仕事がいいな

 

という結論に

いとも簡単に達してしまい

 

だからと言って

高収入の仕事がなんなのか?

なんてことは

具体的に、知らないし

調べもしないし。

 

 

そんな心の動きがあった

高校3年生の夏休み。

 

 

 

たまたま目に止まった

時給が良いバイトを見つけて

 

引き寄せられるように

面接へ行き

 

 で、採用されて

 ホステスになった。

 

 

 

水商売という言葉を

聞いたことはあったけど

 

それがなんなのかさえ

よく知らない

 

純粋な(無知な)17歳が

そんな流れで夜の世界に

足を踏み入れました。

 

 

 

 

当時の私は

怖いもの知らずで

好奇心だけはあったので

 

どんな物事に対しても

ネガティブな

不安感情みたいなものが

全くなくって

 

 

接客をするのに

男性のすぐ横に

座わらせられても

 

 

男性がなぜ

女性がいる店に

飲みにくるのかとか

 

いわゆる、男性の下心

みたいなものも

全く理解していないから

 

不快感もないし

怖さもないし。

 

 

ただ

指示されるがままに動く

みないな、ね。

 

要するに

なにも考えていなかったんだと

思う。

 

 

 

 

 

でね

 

その後、すぐに

知ってしまうのよ

 

 

 

夜働くと

こんなにも

お金がもらえるんだ

 

コンビニの収入と

全然違うじゃん

 

・・・って 札束キラキラ

 

 

 

 

 

そんな感じで

お金を稼げる面白さを

知ってしまった私は

 

高校3年生の2学期からは

ほとんど学校にいかなくなった。

 

 

 

だって、私のしたいことに

高校卒業は関係ないと

思ったし

 

 

教習所と車の購入費が

欲しいと言う目的があって

 

なのに学校にこのまま通っても

時間の無駄だなと思ったし

 

 

大検で高校卒業同等資格は

得れることは知っていたし

 

必要なら後で受ければいいや的な。

 

とにかく仕事がしたかったの

お金がもらえるのが楽しくて。

 

 

 

 

 

そんな感じで

 

時々、気が向くと

友達に会う目的で

学校に行ったりもしてたけど

 

卒業アルバムの撮影も終わって

あとは卒業式を待つだけの

高校三年生の3学期

 

私は中退しました。

 

 

 

 

もちろん

私が卒業間近でやめると

言い出したので

 

母親、校長先生、担任との

話し合いの場を持たれて

大人たちには

いろいろ言われたけど

(なにを言われたのかは

よく覚えてないけど....)

 

 

時間がもったいない

ここにいても

意味がない

 

と、自分の気持ちは

決まっていたので

揺らぐことなく中退しました。

 

 

 

このときは両親はまだ

私がホステスのバイトを

していることを知りません

 

(後にばれます)

 

 

そうそう、お店でもね

 

入店時に17歳で働いていたことが

オーナーにバレた。

 

でもその時はもう

あと数日で

18歳の誕生日だったので

小言を言われながらも

許してもらえたけど キメてる

(あの店は身分証明書の

提示もなかったな....)

 

 

 

 

読んでくれて

ありがとうございます~ キメてる

 

 

 

こちらの③へ続く下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意2016年から書き始め

途中で放置していたので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでくださいキメてる

 

 

 

 

私がハワイへ留学したのは

37歳の時

 

それまでの20年間は

ホステスをしていて

 

そのうちの13年間は

小さなお店を自分で経営していました

 

 

事の始まりは17歳

高校3年生の時

 

 

自動車免許の教習所代と

車を買うためのお金が欲しいので

 

時給の良いアルバイトを

探していたら

ある看板に目にとまったの。

 

 

 なんのお店か不明だけど

外装の雰囲気から

 

ビリヤードの台が置いてあるような

BARみたいな所かな~と思って

即、面接に行ってみたら

 

その店は、夜のお仕事

と言われるものだった

 

 

 

その日、ほっぺの赤い

丸顔のアンパンマンみたいな

おじさん社長に面接された私は

 

なぜだか、即採用となり

(年齢は18歳と嘘をついた)

 

 

その時に、最初に出勤してきた

従業員らしき女の人が

 

『 ここ働きやすいよ

お客さんもいい人多いし 』

 

と声をかけてくれたんだけど

 

 

ビリヤードをするお客さんに

飲み物を届けるのが

仕事だと思い込んでいたので

 

 

なんでこの人

ウエイトレスの制服を

着ていないんだろうと思って

 

『 制服はないんですか? 』 

と聞いてみたら

 

『 うん、ないよ、

スーツなら何でも大丈夫だよ 』

 

と教えてくれた。

 

 

え~なんでスーツ?っと、一瞬

スーツなんて堅苦しいし

面倒臭いなと思ったけど

 

 

翌日

 

スーツ系の服を

沢山持っている友達から

何着か服を借りてきた。

 

 

 

 

当時はまだ現役高校生。

 

 

 

ホステスというものが

なんなのかが

全くわかっていなかったし

 

単純に 

コンビニのバイトは

21時までしか出来ないけど

 

18歳といつわれば

この店は

夜中までアルバイトが出来るんだ~

 

それくらいにしか

思ってなかかったんだよね 知らんぷり

 

 

 

にしても

 

バイトに行くのに

スーツを着て家を出るというのは

母親になにか言われそうだし

 

根掘り葉掘りと

色々、聞かれるのも嫌だし

 

 

私服で家を出て

お店で着替えることにしました

(最初は自転車通勤でした)

 

 

 

 

で、すぐに 迎えた

バイトの初日

 

 

 

別に緊張することもなく

戸惑うこともなく

 

言われるがままに

動いてただけというか。

 

 

1つだけ覚えていることが

 

『 あ~、想像してた仕事と

違ったね~ 』 

 

って、思ったことだけ。

 

 

別に動揺するわけでもないし

怖いわけでもなく。

 

目的はお金が欲しくて

仕事しているわけだから

 

ま、なんでもいっか!

みたいな、本当に軽い感じ。

 

 

 

なので当初は

 

それが水商売、ホステスと

言われる仕事だってことは

全然知らなかったし

 

仕事内容なんて

全く知らなかったの。

 

 

 

 

バイトの初日に

 

『水割り』という物の

作り方を教わったんだけど

 

ブランデーとかウイスキーとか

銘柄も初めて聞くものばかりだし

 

お客さんのタバコにも

火をつけなきゃいけなくて

 

 

 

これを作って.... 火をつけて...と

 

なにも考えず、なにも感じず

 

ただ、言われた通りに

するだけの私。

 

 

 

 

 

初日はもちろんだけど

働き初めて数ヶ月経っても

 

ほかの女性からも

お客さんからも

 

『 あなたは

座ってるだけでいいよ~ 』 

 

と言われてたので

 

 

私はお客さんにポッキーを

あ~んとか食べさせもらって

 

なにもしゃべらず

ただ横に座って

ウーロン茶を飲んで

 

目の前にあるお客さんの

おつまみを食べて

(食べていいよって言うから)

 

 

みんなが話してるのを

ただ聞いていただけ。

(でも聞いていても、話の

内容は理解できていない あせる

 

 

それで終わったのが

初日です 滝汗あせる

 

 

 

その後

自分の店を持ち

お水街道まっしぐら~

だった私が、なぜ

 

お店を閉め

海外留学を選んだのか?

 

 

これから

留学をするまでのお話を

書いていこうと思います

 

 

 

こちらの➁へ続きます下矢印