2024/8/31
台風一過で少しひんやりした月末。
東大阪市民美術センターにて近鉄電車の物品の展示会があるらしく、珍しく電車で大阪平野を東進した。
近鉄奈良線開業110周年記念で奈良線関連の展示をメインに貴重なお宝の数々を見学。
筆者は思い出した。
"その昔、大阪と奈良の間でインターアーバンの思想の下、社運を賭けて穿った隧道があった"
生駒山に眠る近鉄電車礎の歴史を見るべく、ラグビーの町・東花園から電車に乗った。
旧生駒トンネルから振り返って撮影。
カーブが綺麗で、その先にわずかに写る大阪平野の街並みが絶景だ。
この区間のエピソードとして記憶に残るのは戦時中〜戦後すぐの事故だろうか。
トンネル内火災や、ブレーキの故障で追突事故など、資材が全て日本軍に提供されたことで粗末な構造に改造せざるを得なかった当時の車両たちが招いた痛ましい事故だ。
またベテランの男性運転士は戦争へ召集され、運転に不慣れな若い女性たちが常務をしていたというのも原因の一つと言われている。
このような状態は5年ほど続き、間接的に戦争の悲惨さを感じさせられるエピソードであると言える。
新生駒トンネルが開通し、安全に重きを置いた現代の規格の通勤電車で帰路につきながらふと、そのようなことを思い出したのだった。