2023/5/2
日本の本土から1000km。絶海に浮かぶ琉球の地に見惚れるほどの橋があった。
第二次大戦・GHQ占領下時代を経て、東シナ海の荒波にも揉まれて、それでもその橋は架かり続けていた。
架橋から80年。奇跡の時代を生き抜いたその橋を一目見たいと、人生初の沖縄へ旅立つこととした。
仕事終わりに高速道路と一般道を経由して鹿児島へ。そこからはマルエーフェリーのあけぼの号の客となって沖縄本島へ向かった。
到着してすぐ、天気は下り坂で、沖縄県北部の国頭村へ車で乗り付けたのは沖縄到着2日後のことだった。
この日は朝からよく晴れていて「行くならこの日!」と決心した。
トンネルの手前に真のスタート地点である英語と日本語で書かれた警告看板が見えた。
本来ならここから古の琉球政府道1号が海沿いにまっすぐ伸びているはずなのだが、ご覧の通り。
下調べ時にはここまで草が生い茂っている写真はなく、多少の藪漕ぎで行けるものだと思っていただけに、これは撤退を余儀なくされる。
現道の新与那トンネルをくぐり、反対側へ。
旧道と現道の接続部に車を停めると、すぐにそれは見えた。
キレイな海の向こうでコンクリートのアーチ橋が原型を留めている!
天気のいい日には絶対に訪れたい!と思っていただけに、その夢が叶う瞬間が秒刻みでカチカチとカウントダウンしていくのが聞こえるようだった。
与那トンネル反対側。対面通行の旧道は片側をテトラポット置場として完全に塞がれ異様な光景が目に焼きついた。
トンネル右脇の堤防を平均台のようにして歩く。
あまり危険なところは得意ではないけど、目線を右にやれば、喉から手が出るほど見たい景色が近くにあった。
「もう二度とこんなところまで来ないかもしれない────」
恐怖に震える身体に鞭を振るって慎重に歩みを進める。
思いの外、サクサク進めてもう件の橋は目と鼻の先。しかしそう簡単に絶景を見せるものかとラスボスが控えていた。
最後は両方を海に囲まれた壁を歩いていく。しかもこれがまっすぐ建っていなくて、斜めに倒れかかっているんだよな。
というのもこれは道路の堤防の跡で、左側の海はかつて平地になっていて車道が通っていたという。長い月日で車道が削り取られたか?
もうここからは気合いだ。正直どうやって歩いたかなんて覚えてないぐらい、ただ無心で這って歩いた。
気がついたら目の前にいた。
エメラルドグリーンの海に、ねじりまんぽを用いたコンクリートアーチ橋。これほどに沖縄の道路を主張できるものはないだろう。
日本の本土にはない景色に圧倒されひたすらにカメラのシャッターを切る。恐怖の震えから一転、ついに訪れた場所に感動と興奮を覚える。魂が震えるとはこういうことを言うのだろうな。
特に意味はなかったのだが、今までこの橋の名前を明かしていなかった。
「よなおうはし」と言う。現代訳して与那大橋か。
親柱が3本欠落している中、令和の時代も生き抜く最後の1本。本当にキレイな造形で上から見ても立体的に見える凝った造りは、1934年開通の当時の華やかさを今に伝えるものだろう。
橋上の全景。橋こそは最後まで未舗装のまま活躍したようだが、前後はしっかりコンクリート舗装がなされていたようである。奥に写る瓦礫と化したコンクリートがまさにそうで、現役から退いた1972年から51年が経ち、幾度となく荒波がこの道を襲った痕跡が見える。
道幅も大型車であれば離合不可な幅員で心許ない気もするが、1934年以前はマトモな自動車交通の文化がなかったのだと言うから、このステータスでも大変重宝されたのだろう。
さて帰りはもっと大変で、段差のついた平均台を降りていく。これは本当に死を覚悟して座りながら恐る恐る足を前に出してゆっくり着実に平均台を渡っていく。
無事に最恐区間を脱すると、あの恐怖は喉元から遠くなり、今度は与那大橋を右側(順光側)から見たいと欲が出てきた。調子に乗って車道から岩肌を降りる。
片足で岩肌にしがみつきゆっくり前進する。
先ほどに比べて超安全路だが、これは令和の親不知だと呆れていたが、後日調べていると、与那大橋ができる前は本当に潮(波?)の満ち引きの間を縫って断崖絶壁の僅な陸地を命がけで通行していたというネット記事を見つけ、思わず真顔になった。
釣り人が集う岩場にお邪魔して撮ったこれが精一杯でこれ以上はちょっと恐怖で先に進めなかった。こうやってみるとあの平均台のような堤防は原型を留めているように見え、確かにここは車道だったのだと確認できる。
何も知らない人は「与那大橋」とたいそうな名前を名付けたと嘲笑うかもしれない。
けれど、この橋なくして国頭村北部の自動車交通はなかっただろうし文化の発達も遅れることになる。集落の移動を容易にしたこの橋こそ「大橋」の名が相応しいものだと感じた。
絶海の孤島に浮かぶ伝説の琉球政府道。まさか自分のこの目で見て、足で歩いて探索できたことが今だに信じられない。それぐらい神秘な出会いをしたのだと思った。