座津武トンネル | 新・笑ってでも駆け抜ける‼︎

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探究心のカケラ追い求めて────。


​5/2 座津武トンネル

前回の与那トンネルに引き続き、国道58号のもう一つの有名な廃道・座津武トンネルへ向かう。

廃トンネルにスポットが当たるこの区間。探究心溢れるやんばるの道で更なる琉球政府道のカケラと出会う。




   

名護市側から車を走らせるとカーナビ上には宇嘉トンネルを示すトンネルが見えてくる。
やがてフロントガラス越しにも岩肌の下に半円の真っ暗闇が見えてくると、件のトンネルも左に見える。
宇嘉トンネル手前の旧道に車を停めてフェンスに隔てられたトンネルをじっと睨む。
現役から退いたのは最近のことなのか、歴史を感じるトンネルではなさそう。




   

​白線やオレンジの中央線などのロードペイントは薄くなって消えかかっているものの、路面やトンネルはキレイな状態を維持している。
遠くからでも気付くが、坑口頭上の岩肌が目につく。現役時代は落石の闘いだったのだろうか。




   

​坑内は錆や壁面の剥がれが目立つものの、路上の堆積物、照明・ケーブルの垂れ下がりもなくキレイであった。
またキロ程も健在で廃道化した時点でなにも手が加えられていないように感じた。





   

​トンネルは右に曲線を描き、100mも歩けば反対側の出口に辿り着く。残り50mほどはロックジェッドとなっていて、ここの廃道化はやはり落石や高波から自動車を守るためであってトンネルに異常があったわけではなさそうだった。
また幅員も十分な広さがあり、交通量や車種を見ても妥当な規格と言えよう。





   

​ロックシェッド内のガードレールは長年の塩害に耐えきれなくなり、袖ビームを残して支柱もろとも倒壊。茶色く朽ちて倒れたガードレールを足で

踏むと「パリパリ」という音と共に砕け散った。




   

​ロックシェッドを抜け対面通行の海岸線を歩く。
トンネルを潜る前の急峻な岩肌ほどではないものの、道路の真横は崖になっていて防壁も乏しく常に危険との隣り合わせである。1.5km歩き現道と合流した。現道経由で車まで戻ってもいいが、歩道がなく危険なため来た道を引き返す。





   

​ただ来た道を引き返すだけだったんだが、ふと異変に気付いた。
右側の岩(帰宅後にゴジラ岩という名前が付いていたと判明)に向けて岸壁が膨れているのが、少し気になった。
別に対面通行の道を通すのに余分な土地をコンクリ吹き付けて整地する必要はないはず。
まぁ見方によっては一時停車するための"あの辺な盛り上がり"だと捉えることもできたが、当時は気になって仕方がなかった。





   

​その膨れた盛り上がりに沿って下を見下ろしながら歩いていると、旧道から一段低い場所にまた岸壁が出てきた。あれは自然のものでない。人の手が加えられた物。
あれって…この時、一つの可能性に賭けていた。






   

​  あっ…あった!!!



古びたコンクリートの塊。どうにか自動車1台分が倒れそうな幅。

一つの可能性が現実のものとなった。

……これ橋、ですよね?





   

​梁はちゃんと橋の形をしているし、桁もちゃんと脚の形をしている。
流石にこんなものが座津武トンネル沿いに眠っているとは知らず興奮していろいろ写真を撮って回った。
実は座津武トンネルも前代があり、初代のトンネルを掘り直し2車線分の幅に改修したのが2代目の座津武トンネル。3代目は名前を変えて現道の宇嘉トンネルというわけだ。

改修したのが昭和47年。与那トンネルと年代が酷似している。




   

​とにかく旧旧道に関しては資料が乏しく、1937年に座津武トンネル(初代)と海岸線の道路が開通、ぐらいしかこの橋の成り立ちが書かれている資料がなかった。しかし当時からこんな岩が散乱しているところに道路が作られたのかという疑問が残るし、この橋の名前も不明だ。
何かこの橋の真相が掴めれば、また筆を取ろうと思う。
果てないやんばるの道。

探究心をくすぐる興味深い土地だった。