旧小橋屋百貨店神戸支店・手動エレベーター | 新・笑ってでも駆け抜ける‼︎

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探究心のカケラ追い求めて────。



​2023/9/1

江戸時代後半、ペリーの黒船が浦賀に来航し、日米修好通商条約を結び、5つの港が開かれた。
その一つ、神戸港。
国際港として機能し外国人の手によって居留地が開かれると、西洋文化も一緒に入り込むようになった。
その西洋文化の影響を受けて建てられたビルが1925年に完成。旧小橋屋呉服店神戸支店。
今は松尾ビルに名前を変え古き良き大正ロマンの雰囲気を色濃く残す。
大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜いた一つのビルディングに想いを馳せ、小さな時間旅行の旅人となった。





   

​神戸市の地下を東西に貫く神戸高速線に乗り西元町駅で下車。残暑厳しい日差し照りつける地上への階段を上る。日陰を求めて西元町アーケードの中を歩くとそれは姿を現した。
薬局にしてはやけに洒落たデザインの建物。
江戸時代に開かれた由緒正しい港町には西洋風の建物が建てられることが多いものの、ここは他とは違う。





   

​文化庁が認定した登録有形文化財のプレートが鈍く黒ずんでいる。
西洋文化を取り入れたデザインの建物は数あれど、登録有形文化財に指定された建物はそう多くないのだ。
薬局部分の1階部分は大改築が行われて2階へは外に後付けされた入口から入る必要があるために、一度、アーケードから外れて脇道に入っていく。





   

後付けされた入口は雑居ビルの入口のような雰囲気。実際現在は幾つかのテナントや雑貨屋が入る雑居ビルとして生き続いている。
中に入ると、右手に管理人室があり、このビル最大の目玉である手動エレベーターの運転を行う管理人の詰め所として機能している。
そして、それはすでに"ダダ物ならぬ存在感"を放出し筆者を睨んでいる。





   

これはマジのやつや…

筆者はそうボソッと呟くと細部を見て回る。
客用のエレベーターとしては日本最古レベルの個体で、98年前から稼働している。
蛇腹の扉に籠の現在階を示すインジケーター。
ドラマやアニメでしか見たことのないそれが今、筆者の目の前に存在している。しかもこれに今から乗車するのだ。
インジケーターの矢印は2階を指し示しており、ドア横のブザーを鳴らすと、まもなくガタガタと音を立てて、蛍光灯の光が眩しい籠が上から降ってきた。





   

​籠の中も実に洒落たデザインになっていて、一つ一つの模様に大正ロマンを感じずにいられない。
色が剥がれ、細部は黒く黒ずんでも未だ現役のエレベーター。年季の入った職人の風格だ。
管理人さんに4階まで行くことを告げると戸を手で閉めて、左手でレバーを引き、その上のボタンを押す。





   

​昔ながらの手動レバーで「U」Pと「D」OWNを使い分けて器用にエレベーターを操作する。
「U」にレバーを倒すと、静かにエレベーターは動き出した。
現代のエレベーターよりも走行時の振動は目立つものの、恐怖感はなくフラットに軽やかに稼働している印象だった。
蛇腹の扉を隔てて各階が丸見えで、乗車しながらどの階を通過したのかハッキリわかるのも面白い。

4階に差し掛かるとレバーを中立に戻して慣性の法則で丁度の位置でエレベーターは停止する。
エレベーターの床と4階の床に段差はなかった。





   

​エレベーターから降りると「帰りは階段で」と管理人さんに伝える。すぐに1階へ戻って行った。
蛇腹の隙間から下を覗く。幾重にも束ねたロープと滑車とウェイトが見える。アナログなエレベーターであるものの、仕組みに関しては既に確立した設計となっていて、普段利用するエレベーターの作りと何ら変化がないように感じた。





   

​さて、名物と言える手動エレベーターを堪能して、各階のフロアも見ていきたい。
床はコンクリートであるものの、表面はぐにゃっとした足触りであった。足で床を蹴って歩くたびに、その歴史を深く感じることができる。
元々百貨店として開業した建物であるが、当時から各号室が幾つか用意されていたのだろうか。
現代に生きる百貨店とは似ても似つかぬ姿に違和感が生じてしまう。





   

​宮殿のような装飾を施された柱が半分壁に埋まっている。耐震強度の問題でこんな中途半端な位置で柱が埋められたのか、やはり最初からこのように号室などはなく大部屋となっていたのか。
ネットサーフィンをしても当日の資料は出てこず謎に包まれている。
しかし、絵に描いたような大正ロマンの雰囲気に酔いしれて、テナントが幾つか入る雑居ビルという感覚はとうに吹っ切れている。最早これは博物館だ。見る物一つ一つに心を奪われている自分がいる。かつて雑居ビルにこのような感情を抱いたことはあっただろうか?




   

​エレベーターは4階までであるが、建物自体は5階まで存在し、階段で上っていく。階段のステップは木造で足で踏むたびに「ギシギシ」と音を立てた。

また階段の踊り場には年代モノのランプが灯されている。モダンな空気が流れる階段の窓からは令和の世界が広がっていて、小さな時間旅行を演出してくれている。




   

​5階に辿り着くとすぐに給湯室のドアが開け放たれているのが見えた。恐る恐る覗くと、こじんまりとして正方形の部屋となっていた。昔ながらの湯沸かし器からシンク、最新の電子レンジが置かれ、100年の時を経てもいろんな時代の人の憩いの場として活用されてきたんだと感じた。あくまでも部外者なので奥の扉には手をかけることはせず、外から観察するだけに留めておくこととした。





   

​人の気配のする部屋を1つ通り抜けると外へ出た。
5階の部分は建物の半分にしか過ぎず、残りのスペースはベランダとなっている。今では特に何かに使用されている訳でもなさそう。
空を仰ぐと、澄み渡った蒼い晴れ空に、背景の高層マンション群がよく映える。

ふと現実に戻った瞬間であった。
ここから見える街並みはどう変わっていったのか、人の賑わいは?いろいろ空想するだけで、視界にはいろいろ見えてくる。

これまでの神戸市とこれからの神戸市。まだまだこの街の発展を見守っていくのだろうな。





   

​最後にアーケード街から出て西元町駅近くに移動した。
なんと、今は手前のホテルが閉業・解体されて外壁が外から丸見えなのである。今しか見られない風景という希少価値と、ここからなら百貨店黎明期によく見られる半円の窓が並ぶ姿を見れることが合わさって、手動エレベーターと共に楽しみにしていたのだ。
元々ここには三越デパートが軒を構えていたが、1984年に閉店。跡を継いだホテルも解体され、この風景を拝めるのはかなり珍しいとされる。
1986年には今のアーケードが架けられて街は少しずつ変化していった。
神戸港開港150周年を迎えて50年、この地に芽吹いたビルはその後の神戸大空襲や阪神淡路大震災をも耐え抜いてこの街の発展を見届けてきた
。これからの100年もさらに進化する神戸市で大正ロマン溢れる雰囲気を語り継いでほしいものだ。