ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ315

日本バプテストキリスト教 目白ヶ丘教会

 

往訪日:2025年8月3日

所在地:東京都新宿区下落合2-15-11

開館:週末の礼拝時飲み開門

アクセス:JR目白駅から徒歩4分

■設計:遠藤新

■施工:遠藤新建築創作所、鹿島建設

■竣工:1963年

■国登録有形文化財(2011年)

 

《簡素ながら構成の旨さに痺れる》

 

’25都内建築巡礼その5は目白ヶ丘教会。こちらは父・遠藤新(1889-1951)の最晩年の仕事。婦人之友社から少し歩いた場所にある。

 

 

ちなみに遠藤新の送葬のミサが教会最初の葬儀となった。

 

 

縦長の連続窓などは師ライトが残した自由学園明日館の応用か。アミダをなしたフレームが映える。

 

 

ギリシャ十字を崩した丸窓。中からそのステンドグラスを観たかった。

 

「ミサの時しか入れないのちね」サル

 

 

中央玄関から右側は増築ではないだろうか。

 

 

写真で拝見するかぎり内部は師匠ライトと異なり、曲線の多様がみられる。

 

 

だがこの教会を一番個性的にしているのは切妻屋根にかませた鐘楼だ。そしてこの丸い穴。どういう着想だったのだろう。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ314

婦人之友社社屋

 

往訪日:2025年8月3日

所在地:東京都豊島区西池袋2-20-16

開館:部外者立入禁止

アクセス:JR池袋駅西口から徒歩8分

■設計:遠藤楽

■施工:大明建設

■竣工:1963年

 

《親父殿とテイスト違うモダニズム》

 

’25年都内建築巡礼。続いては山手線沿いに少し下って婦人之友社社屋を訪ねた。教育者・羽仁吉一、もと子夫妻が始めた出版社である。羽仁夫妻といえば名建築・自由学園明日館のほうで建築フリークにはなじみ深いだろう。個人的には入り婿になったマルクス主義歴史学者の羽仁五郎や、その息子で映画監督の羽仁進、更にその娘の羽仁未央に懐かしさを感じる。

 

「昭和好きだのう」サル

 

 

設計は遠藤楽(1927-2003)。旧山邑邸旧甲子園ホテルに携わった遠藤新の次男坊で親子二代でF・L・ライトの直弟子となった。折り下げの庇など玄関まわりがひと際美しい。

 

 

大谷石の使い方も直伝。ただライトや父・遠藤新が幾何学的な彫刻を施したのに対して素材の質感をそのままにしている。

 

 

なによりも厚みを取った白い張り出しとY字型の蝦茶色の窓枠がモダンだ。褐色の炻器質タイルの対比が見事。

 

 

建物裏側は道路にそって薄く伸びていた。陸屋根と連続窓が時代を象徴する。この向かいに明日館があるが開館まで間があるのでまた次回ということで。

 

 

屋根の縁がやや腐食している。いずれは大規模修繕か。或いは建替えかも。

 

 

続く銅板葺きの平屋部分。

 

 

これは倉庫なのだろうか。

 

「判らんね」サル

 

遠藤楽は羽仁夫妻が開校した自由学園に学んだあと(父・新の東京帝大進学とは対照的に)建築実務の世界に入り、父の事務所「新創建」を継いでいる。生涯にわたって設計した数およそ300件。その大半が個人宅や商業施設、学校、病院らしいが、存在場所が把握できないのが残念だ。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ313

東京都豊島合同庁舎

 

往訪日:2025年8月3日

所在地:東京都豊島区西池袋1-17-1

開館:8時~17時(土日祝閉館)

アクセス:JR池袋駅西口から2分

■設計:プランテック総合計画事務所(大江匡)

■施工:大成・長谷工・西武・小松原JV

■竣工:1996年

 

《ソリッドながら土と木のニュアンス》

 

2025都内建築巡礼その3は東京芸術劇場の正面に建つ東京都豊島合同庁舎。自治体の合庁でこれだけ攻めた建築は珍しい。初めて見た時は劇場かなにかかと勘違いした。

 

「目立つ建物だにゃ!」サル

 

 

設計は大江匡(1954-2020)。大阪府出身で東京大学建築学科卒。85年にプランテック総合計画事務所を設立した。建築を「作品」と呼ぶことを嫌い「プロジェクト」として設計を進めたことは細見美術館の回で書いたとおり。

 

(防音パネルのようなデザイン)

 

プランテックを旗揚げして10年あまり。一見際立ったブルータリズムの旋律を奏でながら、恵庵(85)、木村記念館又庵(89)、杉寿庵(90)と、モダン草庵の設計で培われた土と木のニュアンスを帯びた躯体が、天空を突きあげていた。

 

 

都市的なデザインと幾何学的導線を取り入れたファンハウス(94)以降、大江つまりプランテックの建築は“面白さ”を増し始める。しかし、飽くまで自らを職人と捉え、クライアントの形にできない“潜在的欲望”を具現化することに徹した。

 

 

ということはこのフォルムは当時の都民が望む姿だったということか。交渉の過程が知りたいところ。

 

 

大江の代名詞ともいえる櫛目引き。内部も拝見したいところだが、役所は週末閉館だ。

 

「外からだけでも見応えあるよ」サル

 

 

少し水垢で汚れているのが残念だった。

 

 

引いてみると二年前に竣工している細見美術館の庇とよく似ていた。プランテックの代名詞ともいえるダイヤ型のブレースが印象的な耐震建築のプランテック本社ビル(通称:竹かごビル)が世に現れるのはこの二年後のことである(その後譲渡されてSANKYO本社ビルになった)。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ312

東京芸術劇場

 

往訪日:2025年8月3日

所在地:東京都豊島区西池袋1-8-1

開館:(ショップ)11時~19時

アクセス:JR池袋駅西口から2分

■設計:芦原建築設計事務所

■施工:大成・間・安藤・西武・日本国土開発・地崎・古久根・城北協JV

■竣工:1990年

 

《池袋西口の顔》

 

’25都内建築巡礼。続いては池袋駅西口にそびえる東京芸術劇場。設計は芦原義信(1918-2003)。かつて北澤美術館で軽く触れたくらいでほぼ初見だが、その建築思想については著書『東京の美学』の読書録で記したので詳述はしない。端的に言えば都市計画を軸にすえたインターナショナリズム。

 

「判りにくいス」サル

 

噛み砕いていえば“国や地域を問わずに奇麗に収まる普遍性と機能性を重視した建築”のこと。ガラスやコンクリート、金属カーテンウォールなどで覆われたものが主体だね。

 

「今のビルって殆どそうなんじゃ?」サル

 

 

「普遍」と「普通」は似て非なるもの。「普遍」とはどこにでも通用するべく“最初に工夫”したものが遍く広まるニュアンスを帯びるが、「普通」はその普遍性をコピーして増殖しているさまだと思っている。

 

 

その意味で当劇場はオリジナリティ豊か。ホワイエ上部を支える立体トラスがガラスフレームのグリッド線と綾を成して独特の構造美をみせ、コンクリート梁の下にピロティを浅く取ることで安定性を確保している。

 

 

ホワイエはこんな感じ。

 

「無駄な装飾がないにゃ」サル

 

初期の代表作、駒沢体育館(64)やソニービル(66)などもそうだが、架構に無理を与えないミニマルな幾何学的造形が芦原の持ち味ではないだろうか。

 

 

ここでもその軸はブレていない。なのにみせる。これがホンモノの建築なのだろう。

 

建畠覚造《WAVING FIGURE》(1990)

 

入り口前の植え込みに見覚えのある彫刻があった。抽象の度が勝った建畠の造形は金属的な輝きを帯びて、この建築によく馴染んでいた。

 

朝倉響子《マリとシェリー》(1990)

 

かたや具象も負けてはいない。(建畠も同様だが)みれば竣工年と同じ制作。さすが東京都、大御所に依頼するとはチカラが入っている。ということで東京芸術劇場であった。

 

「中を見ないとあっさりこんだの」サル

 

仕方ないよ。次の予定があるし。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ311

池袋パルコ(旧東京丸物)

 

往訪日:2025年8月3日

所在地:東京都豊島区南池袋1-28-2

開館:11時~21時

アクセス:JR池袋駅と直結

■設計:村野・森建築事務所(村野藤吾)

■施工:大林組

■竣工:1957年

 

《かつての面影は輪郭だけ》

 

2025年8月。ちょっとした偶然から一日かけて都内建築の旅に出ることになった。この日以降、都内の建築空白地帯を埋めていくことになる。

 

「どうりで帰ってこないはずだ」サル

 

 

まずは池袋界隈から。JR池袋駅の顔と言えば池袋パルコ。開業当時の名称は東京丸物百貨店。実はここ村野藤吾が設計に携わり、1958年に竣工した建築なのだった。

 

 

とは言ってもその面影を残すのは輪郭だけ。1969年に西武グループに買収されたのち池袋パルコとして大幅に改修されている。

 

 

この前後は讀賣会館(57)、八幡市民会館(58)、米子市公会堂(58)、横浜市庁舎(59)とポール・ボナッツを再解釈したようなデザインを主軸に、のちの代表作を連発していた時期。東京丸物もまた円熟期に名を連ねる名作だった。

 

(参考資料)

 

竣工後のファザード壁画。正面の窓の形もいい。

 

 

だが今はこう…。

 

「しかたないよ。買収されたんだし」サル けけ

 

かつてはグリッドを立体的に押し出して(丸栄本館で実施ずみの)タイル壁画を施していた。これ観たかったなあ。なお、内装にかつての遺構が残っているのか、この眼で一度確認する必要があるが、この日は営業前だった。気が向いたら後日再訪するつもり(世間の言説によれば全滅というのが専ら)。

 

「しないね」サル メンドくさがりだし

 

ここに至るまで幾度か外壁は張り替えられているしね。坂倉準三の奈良近鉄ビルのようなものか。いや、あれよりひどいかも(笑)。

 

本郷新《母子像》(1980)

 

駅前には本郷新の彫刻が埃をかぶっていた。池袋駅開業77周年記念として日本交通文化協会が寄贈したもの。ちなみにこの団体はパブリックアート普及を目的としたNPO。本郷にしては俗っぽい。そのせいか待ち合わせ場所にもなっていない。

 

 

こちらはコンコース内のいけふくろう。フォルムは野暮ったいが、切り取るのが大変なくらい待ち合わせの人がたむろしていた。

 

「人気なんだのー」サル 愛らしいし

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツの酒【第349回】

宮泉 純米吟醸 渡船2号

 

製造年月:2025年6月

生産者:宮泉銘醸㈱

所在地:福島県会津若松市

タイプ:純米吟醸 一回火入れ

使用米:渡船2号100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

杜氏:宮森大和氏

販売価格:2,315円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は宮泉純米吟醸・渡船2号。言わずと知れた会津若松の宮泉銘醸が醸すうまい酒だ。(2025年8月1日賞味)

 

 

現在、宮泉銘醸は社長をつとめる兄・義弘氏が寫樂、弟・大和氏が宮泉の設計を行っている。つまり兄弟船ならぬ兄弟槽。そのせいだろうか。確かに同じ蔵ながら、前者はフルーティなモダンテイストという点で“安定”しているのに対して、後者は実験的要素も併せ持つ。《宮泉》だからこれ、という決まった設計ではないのだ。

 

 

「今日はちょっといつもと違った酒が飲みたい」という晩こそ宮泉の出番となる。今夜は偶々だけどね。ちなみに渡船2号は同じ渡船系列にあって、凝縮された旨味、甘味、ジューシーさが特徴で、酵母次第でその特徴が更に際立つ酒にしあがると想像される。

 

 

まずはテイスティング。グラスの中で酒もまた沈思黙考する。第一印象は白桃。続いて乳酸菌飲料のような甘酸っぱい香りと味。そこにラムネの味。鼻をつまんで味が変わらないということは、本当にその味がしている証しだ。穏やかな酸とにがみ。夏酒らしい軽快かつ爽やかなテイスト。万人ウケする味だ。

 

 

この夜は宮泉(だからという訳では決してないが)に合わせて鰻尽くし。まずはうざく。

 

 

そしてう巻。

 

 

うなぎばかりでは面白くない。人参と鶏胸肉のコロッケをルッコラと一緒に。

 

「蓮根も新ジャガもめちゃ入れた」サル うみゃい!

 

自分でいうほど旨いらしい。確かに否定できない。

 

 

試験醸造酒っぽい味わいだったが、度数は落とさずに16度。なので後からズッシリくる。造りに拘るせいだろうか、年々いいお値段になって、もはや高級酒の部類。でも見つけたら即買いだけどね。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

サルヒツの酒【第348回】

田酒 純米吟醸 古城乃錦

 

製造年月:2025年7月

生産者:㈱西田酒造店

所在地:青森県青森市

タイプ:純米吟醸

使用米:古城之錦100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

杜氏:安達香氏

販売価格:2,000円(税別)

※特約店限定品

 

※味覚の表現は飽くまで個人的なものです

 

今夜の酒は古城乃錦で醸した田酒。田酒の家飲みは三回目だが、青森県で初めて開発された好適米・古城乃錦西田酒造店でしか使われていない。その意味でも貴重な一本。是非押さえたい一本だ。(2025年7月27日賞味)

 

 

紫のラベルが美しい。助六の鉢巻きのようで。

 

 

1992年に初リリースされた純吟。歴史に裏打ちされた人気の一本。開けてみた。

 

 

夏酒仕様のスッキリ系ながら(火入れのゆえか)トロリとした舌触りマスカットやラムネの香りを大袈裟にならない程度に抑えるのが田酒流。夏酒だろうがパワーを落とさないのも田酒流。これを半端ととるか、こだわりの技ととるか、そこで田酒のファンになるかどうかが決まる。

 

 

茄子の味噌和え

 

茄子皮の色と田酒のラベルをあわせたとか。

 

「ただの偶然だにゃ」サル ←そういうベタな洒落気はキライ

 

 

空心菜の大蒜炒め

 

これもまたおサルの定番。

 

 

これでは足りないと踏んだそうで。

 

「夏野菜の天麩羅の揚げたてだよ」サル

 

この黒いヒジキみたいのは?

 

「茄子皮を刻んで掻き揚げ風にしてみた」サル

 

意外に旨い!見た目は悪いけど。

 

「見た目が悪いはよけいだ!」サル

 

皆さんもお試しあれ。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

千葉県立中央博物館

 

往訪日:2025年7月26日

所在地:千葉市中央区青葉町955-2

開館:9時~16時30分(月曜休館)

料金:一般500円 高大生500円

アクセス:京葉道路・松ヶ丘ICから5分

駐車場:あり(有料)

 

《目のつけどころが最高》

 

博物館法で登録された科学系博物館は全国に206あると言われている(文化庁HPより)。そんな乱立気味の自治体博物館を訪ねると、各々「個性」を打ち出すことに腐心している様子がみてとれる。その意味で当館は成功している部類ではないだろうか。

 

(エントランスを飾るナウマンゾウの化石)

 

千葉といえば房総。房総といえば海産物。だがそれだけではない。房総といえば「地質」。それくらい地質学的に稀少なエリアなのである。

 

「なんか地味っぽくね?」サル

 

その地層と食える魚貝に特化した展示が当館の魅力なのよ。

 

(アプローチが砂泥互層という凝りよう)

 

特に2020年のチバニアン認定を祝して「千葉の地層10選」が選ばれたことは記憶に新しい。興味を惹いたものを掻い摘んでみる。

 

■斜交層理(嶺岡山地・君津市)

 

 

約60~80年前に海流が作った地層だ。斜めの地層が次々に覆いかぶさっているでしょ。

 

 

波の動きがサンドウェーブを作り、それが地層になったわけね。図解があると判りやすい。

 

 

君津市市宿にある山砂の掘削作業場の露頭。たぶん勝手には見られない。

 

「残念だったにゃ」サル ←どーでもいいと思っている

 

 

■川廻し地形(市原市田淵)

 

 

「川廻し」はこの地方の呼び名。蛇行河川の段丘のねっこにトンネルを掘って流路を変えたもの。水田を増やす工夫として江戸時代に盛んにおこなわれた。つまり人工の自然造形。チバニアンビジターセンターの近傍だが、ドローンじゃないと判らんね。これと同じような地形で自然が作り出したものが三日月湖だ。

 

 

やはり模型だと判りやすい。

 

■黒滝不整合(勝浦市鵜原)

 

(剥取り標本)

 

日本の地質百選にも選ばれた稀少露頭。砂泥互層のうえにいきなり礫層(黒滝層)が乗っかっているね。「不整合」とは、異なる地層が接しているだけではなく、その地層ができた年代にギャップがあること、つまり、その間にあるはずの地層が抜け落ちていることを意味する。

 

「なんで?」サル

 

なんらかの巨大な地殻変動があったんだろうね。

 

■砂泥互層(大多喜町八声)

 

 

その砂泥互層の発達した露頭を房総半島各所でみることができる。

 

 

その砂泥互層のひとつひとつをダービダイト(混濁流堆積物)という。海底で発生した大規模土石流が沈殿する際に重い砂礫が先に、その後に粒子の細かい泥の層ができるというわけ。判りやすいでしょ。ここの資料。

 

「かもしれない」サル ←つきあいきれないと思っている

 

 

■古銅輝石安山岩の露頭(銚子・長崎鼻)

 

 

火山がないようにみえる房総半島も大きな構造線のうえに位置するため、2200万年前に現在の銚子市あたりで火山活動が活発化した。

 

 

当時のありようを知る重要な手がかりらしい。同じ安山岩でも粒子が細かいのが特徴。ゆっくり冷えたことが判る。

 

 

海水中に噴出した溶岩の跡。

 

■嶺岡山地の地質

 

 

半島南部の嶺岡山地は地殻変動で裂けた断層から絞りだされた火成岩から成っている。そのため穏やかな堆積層からなる房総半島にあって、ここだけスパっと横断するように、蛇紋岩などの多様性に富んだ岩質分布を観ることができる。

 

 

ちなみに蛇紋岩といえば早池峰山や至仏山などごく限られた高山でしか見られないのに。こんな低地で見つかること自体が珍しい。

 

 

他山の石ならぬ他産の蛇紋岩。こうしてみると同じ蛇紋岩でも組成が違って見える。

 

 

やはり嶺岡で採集されたソーダ沸石。四角柱の結晶が特徴。

 

 

■海蝕洞の鍾乳石(館山市布良)

 

 

海蝕洞にも鍾乳石が発達するという珍しい例(再現レプリカ)。

 

 

現物採集の寄贈品。基本的に採ってはダメです。

 

 

という感じだった。

 

 

他には千葉の美味しい魚の剥製(完成度高い)や…

 

 

珍しい甲殻類(マンジュウガニ系が充実)に…

 

 

深海生物の模型もリアルで愉しみ甲斐があった。

 

 

三重県紀伊長島あたりではマンボウ丼が有名である。出張ついでに話のタネと称して食べたことがあるが、イカのフライのような食感で、やや水っぽく、敢えて金を出して食べるほどではないというのが率直な感想だった。学芸員の四方山話によれば、千葉でも鴨川産のマンボウの切り身がスーパーに並ぶそうだ。そのなかに偶にマンボウの百尋なるものが並ぶらしい。小腸を珍味として食べるというのだが、これがコリコリして旨いそうな。一度食ってみたい。

 

 

女子には理解されないシリーズ。実は種類によってはフジツボも食えるし、カメノテも独特の旨味があって飽きがこない。深海性のミョウガガイはまず数が出ないせいか、食用になるのかどうかネットでみても判らない。平坂さん、是非挑戦してください!

 

 

女子には理解されないシリーズ②。

 

 

そして房総といえばクジラ。

 

 

マッコウクジラの骨格も正面から見るとカッコいい。

 

 

クジラの食文化も理解して欲しい。

 

「静岡のスーパーにイルカの切り身が売っていたのには驚いたにゃ」サル

 

ここ千葉でもイルカは食卓を飾る蛋白源だったらしい。学芸員さんの四方山話コーナーに「料理中の強烈な匂いは遠くからでも『今日はイルカだな』と分かるほど」だと書かれていた。なんとなくは想像できるが、そう言われると嗅いでみたい気もする。

 

 

最初何なのか判らなかった。抱きマクラかと。

 

 

千葉の植生。これは博物館アルアルで食傷気味なのだが…

 

 

これはよかったね。いわゆるヒッツキ虫の拡大模型。

 

「くっつく構造がよく判る」サル

 

 

やっぱり学芸員の愛なんだよね。こういうのは。

 

「精巧に作りたがるよね」サル

 

最後はアートと建築に無関係だったが、これはこれで大好きなジャンルなのであった。

 

(2025千葉アート&建築旅おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ310

千葉県立中央博物館

 

往訪日:2025年7月27日

所在地:千葉市中央区青葉町955-2

開館:9時~16時30分(月曜休館)

料金:一般500円 高大生500円

アクセス:京葉道路・松ヶ丘ICから5分

駐車場:あり(有料)

■設計:日本設計(池田武邦)

■施工:清水建設

■竣工:1988年

 

《バブル期を象徴する建築》

 

2025千葉アート&建築巡礼の最後は千葉県立中央博物館だった。設計は日本設計霞が関ビルディングに携わった池田武邦(1924-2022)が山下寿郎建築事務所の内紛劇を経て1967年に設立した組織系。京王プラザホテルや新宿三井ビルなど、黎明期の超高層ビル設計を支えた。

 

「新宿副都心だの」サル

 

 

そんな日本設計が創業およそ20年後に手がけたのがこの建築。80年代後半のバブル期特有のエレガンスが際立つ。

 

 

側面(職員用出入口)

 

経年劣化は否めず、リニューアル計画が検討されている。

 

 

絣模様のようなタイル装飾が印象的。

 

 

フロントはオニキスで装飾。ワッフル天井と鋼製フレームが重厚さを添える。

 

「おカネがかけてる」サル

 

(エントランス左右に伸びる廻廊)

 

大手組織系がこなした80年代特有の大振りなデザイン。以前は大味だなあと思ったものだが、こうしてみると悪くない。それだけ80年代建築も更新期を迎えて、少しずつその数を減らしているのだろう。

 

(一段下に中庭をかかえる)

 

建築には時代特有のはやりや傾向というものがある。街のすべてが同じ顔ぶれである間は凡庸でしかないが、一軒抜け二軒抜けして、気がつけばそこだけになったときに、初めて人々は懐かしみ、そして惜しむようになる。

 

(その半地下から天井を仰ぐ)

 

都会の一隅に佇む大正期のアールヌーボー建築やモダニズム建築もかつては当たり前の眺めだった。今、殊更もてはやされている事情はそんな処にもある。それが悪いというのではない。逆にその“対概念”のように語られる80年代の“無銘”の組織系建築にも鑑賞すべき価値はある。そう言いたかったのだ。

 

 

一番の見所は地階から吹き抜けになったドーム。床面のジオメトリックパターンに側面の紅雲石と思しき化粧板。建築家のお遊びというなかれ。

 

 

令和の今、こうした意匠や構造は(時代遅れなのか、景気のせいなのかは別として)二度とできないだろう。しかし、アナクロも時間が経てばレトロになる。人間が与える価値の基準は曖昧だが、建築そのものの価値は厳然として変わらない。旨く言えないが。
 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

没後50年 高島野十郎展

 

往訪日:2025年7月27日

会場:千葉県立美術館

会期:2025年7月18日~9月28日

開館:9時~16時30分(月曜閉館)

料金:一般1000円 高大生500円

アクセス:京葉道路・貝塚ICから20分

※撮影OKあり

 

(チラシから画像取り込んでます)

 

今回の“千葉アート&建築の旅”の主眼はこの高島野十郎展にあった。三箇月前に作品の主な収蔵先であり、高島を最初に再評価した福岡県文化会館を訪ねたのだが、あいにく外部貸出し中で鑑賞できたのはごく一部。悲嘆にくれたものの、近々千葉に回顧展が巡回すると知るのにたいして時間はかからなかった。

 

 

さすがに内装の古さは否めないが、かつての福岡県文化会館もこんな感じだった。高島の絵を飾るのにぴったりだったかもしれない。しかもこれだけの大回顧展。嬉しさで涙が出そうだった。

 

「おおげさな」サル

 

いや。ほんとだって。

 

主題① 自画像

 

高島野十郎《絡子をかけたる自画像》(1920)福岡県立美術館

 

まずは有名な自画像から。高島野十郎(1890-1975)については以前も詳しく書いたが、福岡県久留米市の裕福な家庭に生まれ、東京帝大水産学科を首席卒業しながら、絵の道を捨てきれず、独学でひたすら描き続けた。群れず、媚びず、そして独り身を貫き、一生を清貧のうちに過ごした。絵も名も売れず、一時は忘れられた画家だったが、福岡県文化会館の学芸員の力で甦った。

 

 

この眼力。

 

「一度見たら忘れられない」サル

 

判る人は判るだろう。タッチと光の捉え方に明らかにデューラーの影響が看取できる。野十郎は自分の遍歴について多くを語っていない。だが、大学卒業後の(兄弟の支援で叶った)渡欧体験を通して近代西洋絵画のエキスをわがものにしたに違いない。

 

(後年の写真より)

 

肖像写真は穏やかなものが多い。物質的にはどうか知れないが、精神的には充足された人生だったというから、その心持ちの変化が表情を柔和にさせたのだろう。

 

高島野十郎《傷を負った自画像》(1914-16)福岡県立美術館

 

他方、これは東大在学中の作品。目も虚ろでヤバそうな感じだ。好きな画家の道を父に拒まれた無念と失意を描いたと言われている。因みに自画像の殆どが学友・大橋祐之助に託されている。

 

《デッサン「魚介類の観察図」》(c.1915)福岡県立美術館

 

ちなみにこれは大学時代の魚類のデッサン。たくさん展示されていたが、博物画なみの精緻さ。野十郎のデッサン力を表して余りあった。

 

高島野十郎《りんごを手にした自画像》(1923)福岡県立美術館

 

自画像からもう一枚。やはり不敵な表情。世間に背を向けて孤高の世界に活きるという自負の表明か。宗教画的に解釈すれば青りんごは不貞、未熟、罪などを表すが…。判らんね。

 

主題② 蠟燭

 

高島野十郎《蝋燭》(1912-26)福岡県立美術館 油彩・板

 

若き日の作。ファンの心を一番捉えるのがこの蝋燭だろう。生涯を通じて幾枚となく描いたモチーフだが、全て感謝の贈物として描かれた。そのため多くが個人蔵となっている。

 

高島野十郎《蝋燭》(1948以降)福岡県立美術館 油彩・板

 

完成度では群を抜くものがあったが、これらを除いて撮影禁止。まあ、良し悪しを占うべきものではなく、どれが一番という評価事体がくだらないのかも知れない。魂を吸い取られそうな妖気がある。

 

主題③ からすうり

 

高島野十郎《からすうり》(1935)福岡県立美術館

 

これも幾たびも描いたモチーフ。人によってはこの「からすうり」を最高傑作とする。何のことはない。僕がその一人なのだ。

 

 

単なる写実主義ではない。やはり劉生の影響なのだろうか。生々しい写実という意味ではクールベのエネルギーに近しいものを感じるが。

 

高島野十郎《静物》(1918)福岡県立美術館

 

青土社時代の劉生の影響色濃い一作。

 

高島野十郎《壺とりんご》(1923)福岡県立美術館

 

初期の静物画。

 

高島野十郎《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》(1930)福岡県立美術館

 

そんな野十郎だが40歳頃にはイギリス絵画のようなものも描いている。

 

高島野十郎《洋梨とぶどう》(1941)福岡県立美術館

 

この頃になると劉生やデューラーの影響は影を潜めて端正になっていく。

 

高島野十郎《春の海》(1952)福岡県立美術館

 

戦後の作品。熊本県の長洲あたりに取材したといわれる筑後川河口部の平野の風景。

 

高島野十郎《すいれんの池》(1949)福岡県立美術館

 

新宿御苑に取材。野十郎の遠縁にあたる日本ゴム社長・永田清の求めに応じて制作された。現存する最大の作品。

 

 

後期の特徴は後期印象派風の色彩分割だ。

 

高島野十郎《早春》(1921)福岡県立美術館

 

30代初めの頃を再掲。やはり違うね。

 

「ウネウネしてゆ」サル

 

 

そう。初期の絵ってどこか生き物みたいで気持ち悪いんだよ。

 

主題④ 月そして太陽

 

高島野十郎《田園太陽》(1956)個人蔵

 

バルビゾン派を思わせる夕暮れ時の闇に暮れゆく田園の風景。主役は農村にあらず、太陽にもあらず。闇に溶けゆく空間だ。

 

高島野十郎《月》(1962)福岡県立美術館

 

「闇」を描くために月や太陽を描いたと後年語っている。

 

高島野十郎《太陽》(1961)福岡県立美術館

 

宗教的な画題を描く画家は一般に孤独と思われがち。その通説に逆らわず、事実、野十郎は人間嫌いだった。だが、一方では彼を慕う人々もいた。人間ぎらい=孤独ではない。その意味で高島は「孤高の画家」だったとキャプションに記されていた。旨い表現だ。

 

高島野十郎《岸上鎌吉先生像》(1921-26)東京大学

 

そうした周囲の人々を野十郎は肖像画として残した。こちらは東大時代の指導教官。

 

高島野十郎《藤十郎の恋》(1948以降)個人蔵

 

藤十郎に扮した知人の医者の娘。自身も歌舞伎や日本舞踊に精通していた。

 

高島野十郎《秋の花々》(1953)個人蔵

 

《すいれんの池》に次ぐ大作。背景は雲仙と有明海。鶏頭、ハナカンナ、コスモス。秋という季節には不似合いなまでに毒々しい。のちに大学時代の友人の手に渡った。

 

高島野十郎《さくらんぼ》(1957)個人蔵 板・油彩

 

サクランボやプラムなど果実もよく描いた。手前の一個に注目。一種のバニタス絵画。

 

 

野十郎愛用のイーゼル。

 

 

仏教にも傾倒していた。絵画に込めた思いなどを綴る貴重な手記。

 

古賀春江《観音》(1921)東京国立近代美術館

 

進んだ方向は違ったが、同郷の古賀とも交流があった。

 

周辺画家・椿貞雄

 

劉生と野十郎の関連は美術史的に自明だと思っていたが、確実な証拠はないという。他方、劉生と生涯行動を共にした同時代の画家がいた。

 

椿貞雄《自画像》(1915)千葉県立美術館

 

その名は椿貞雄(1896-1957)。この日以降、次々に見る機会を得るようになった椿の自画像だ。タッチはおろか、よく言えば懼れを知らない、悪く云えば己惚れ屋な心情まで劉生に丸写しだ。それほどまでに大正期の劉生は若い画家の憧れだった。椿はこの絵を持参して劉生を訪ねた。劉生はこれを褒めて巽画会への出品を進める。その結果、二等を獲得。画家としての第一歩を歩み始めた。

 

椿貞雄《春夏秋冬図屏風(春)》(1896-1957)千葉県立美術館

 

「なんか顔がブキミ」サル

 

後年不気味な画風に変化。米沢生まれだが、極貧の椿を見かねた山本鼎の紹介で船橋尋常小学校の図案教師の職を得る。その後生活は安定。没するまで千葉の芸術振興に尽力した。

 

椿貞雄《黒壺に椿一輪》(1948)千葉県立美術館

 

その交流は劉生が亡くなるまで続いたという。

 

初めて通観した高島野十郎。独立不羈なイメージだったが、孤高を極める一方、若い仲間との精神的交流を大切にしたことが判った。本当に見れば見るほど美しく、そして少し怖くなる絵でもあることは今でも変わらない。

 

(つづく)

 

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