本田宗一郎ものづくり伝承館(旧二俣町役場)
往訪日:2025年8月8日
所在地:静岡県浜松市天竜区二俣町1112
開館:10時~16時30分(月火休館)
料金:無料
アクセス:第二東名・浜松浜北ICから10分
駐車場:無料(5台)
■設計:本島亥三郎
■施工:本島亥三郎
■竣工:1936年
■国登録有形文化財
《このデザインで爆発的ヒットに!》
秋野不矩美術館の次に訪れたのは本田宗一郎ものづくり伝承館だった。“世界のHONDA”こと本田技研工業が浜松創業ということで勘違いしていたが、本田もまた二俣(旧光明村)の出身だったのだ。
登録有形文化財の旧二俣町役場を改装して2010年にオープンした。
緑豊かな街道近傍に記念館はある。南ア深南部登山で幾度通ったかしれない。
駐車スペースは5台。脇には諏訪神社が建っていた。
建物の一段上に銅像が。学校建設、橋梁架設、渡船改良など二俣町の発展に寄与した小澤義助だった。台座の題字は犬養毅の毫。戦時中の金属供出で一度は失われたが、町民の熱い要望によって再建された。
建築は旧二俣町役場庁舎のコンヴァージョン。スクラッチタイルが美しい。
訪れる客はライダーばかり(笑)。
「だろうにゃ」![]()
バイクには乗らないので価値が判らない。
「サル中型免許もってゆ」![]()
よく実技試験で足が届いたね。
「イロイロ手をつくした」![]()
せっかくなので幾つかメモを。
《ホンダカブF型》(1952)
A型の後継機。エンジンが後方に設置されたことで衣服の汚れがなくなり、また白いタンクと赤いエンジンのデザインがうけて大ヒット。それまでの特約店限定の販売方法を改めて一般の自転車店にもおろすようになったとか。たしかにまだ自転車だね。これは。
《スーパーカブ C100》(1963年モデル)
1958年デビューのC100。いまでも誰が見てもカブだと判る。2017年に立体商標を取得した。
「天丼屋のおかもちのイメージだの」![]()
広告のデザインもイカシテル。
「死語でしょ」![]()
《ホンダC型》(1949)
自社開発した初のモーターバイク。リヤカー用タイヤが使用されているあたりに時代を感じる。日米対抗オートレースに参加してクラス優勝を果たしている。
《ホンダ ベンリイJA型》(1954)
二人乗りが可能になった。
《ホンダ ベンリイ CB92 スーパースポーツ》(1963)
市販スポーツモデルの元祖。オヤジが若い頃こんなのに乗っていたよ。
二階は本田宗一郎の生涯について展示されている。
本田宗一郎(1906-1991)。鍛冶屋の長男に生まれる。高等小学校(現在の中学校)卒業後に湯島の自動車整備工場「アート商会」に丁稚いり。その後紆余曲折をへて1948年に本田技研工業を設立。つまり42歳で起業したことになる。原動機付自転車の成功以降については誰もが知るところ。僕らが学ばねばならないのはこの前半生にあるのだろう。
「創造する力に学歴は関係ないのち」![]()
短気で強情ながら社員からは「オヤジさん」と呼ばれて慕われていた。厳しい言葉をぶつけてもその情深い人柄に皆ついていったのだろう。だからこそ社員一丸となって会社を成長させることができたに違いない。今の世の中はコンプラだハラスメントだと喧しくなりすぎて社会全体が委縮して組織をどう纏めていいのか判らなくなっている気がする。
「悩めるヒツジね」![]()
本田は根っからの技術屋で生涯現場に出ることを望んだ。これは愛用の製図台。晩年はここで絵を描いていた。
その一枚。とても素人とは思えない出来栄え。本田のクリエイティビティとデザインセンスは生まれ持ってのものだと納得した。
指先を金槌で潰すってどういうこと…。僕も薬指第一関節の1/4が欠ける怪我を経験しているがとてもではないが、真似できない。
本田宗一郎という人は名言を多く残した。それだけで一冊の本ができるほどに。心に残った言葉をひとつ引いておこう。
“世間でいう悪い子に期待している”
はみ出しっ子という者がいる。好奇心豊かな子ほど規則・常識を逸脱してしまう。集団のなかでは鼻つまみ者でしかない。世の中が画一的になり、皆同じものに興味を持ち、同じ格好をする。その先にあるのは危機や変化に対応できない脆弱な社会だ。リーダーたる者は拒むことを知り、新たな価値を想像し、組織を牽引できる、そんな存在であって欲しい。てなことを感じた。
(つづく)
ご訪問ありがとうございました。




















































































































