ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ241

めぐりめぐらす

 

往訪日:2025年3月23日

所在地:長崎県五島市戸岐町1180

利用時間:(IN)15時(OUT)10時

部屋数:7部屋

料金:10,000円~30,000円/人

アクセス:福江港から車で30分

駐車場:あり

■設計:中村好文

■施工:不詳

■竣工:2023年

 

《一棟貸しはハードル高いよ》

 

半泊集落についてもうひとつ気になる建物が眼に入った。やはりここも人の気配がない。まるで映画「千と千尋の神隠し」の冒頭シーンのようだ。だが入り口に近づいてここが何なのかようやく判った。

 

 

建築家・中村好文氏が手がけた宿泊施設《めぐりめぐらす》だったのだ。

 

「泊まれるんだ」サル

 

そう。

 

 

福江市立戸岐小学校半泊分校の文字がみえる。築52年の廃校を改修した地域おこしのコンバージョンだ。以前から興味はあったのだが、一棟貸しなのでなかなか手が出なかった。こんな場所にあったのか。

 

「たまたま利用者がいなかったのかもね」サル

 

 

自炊室があるので企業や大学の研修に相応しいかもしれない。シングル×6室+ツイン×1室。一棟貸しなので全員での利用だと@10,000円/人程度か。我が家の様に二人だけだと@30,000円/人?。食事なしで?…ちょっと考えてしまうね。

 

「泊まりたい時は問答無用で泊まるじゃん」サル

 

(参考資料)

(皆泊まってね。うちはムリだけど)

 

でもこの内装。心惹かれるよね。個室のサイズはラ・トゥーレット修道院と同じだとか。カマボコ型のヴォールト屋根。部屋毎に異なるル・コルビュジエ・カラー(個人的にはパステル調にみえる)。瞑想するのに相応しい設計だ。色違いの部屋にサイズが異なるポツ窓。なので夜はまた別の美しさが演出される。これはやっぱりみたいなあ。

 

「瞑想なんかできるのち?」サル

 

興奮してムリだろうな。そもそも宿泊してジッとしたこと生まれてこの方一回もないし。

 

 

何にもないのが好い処だが、それでは時間を持て余すという人はベランダでBBQしたり、泳いだり、散歩したり、天体観測したり、磯ガニをつついたり。やろうと思えばなんでもできる。設計した中村さん自身も大の料理好きなんだそうな。

 

 

長らく住宅建築に携わってこられ、衣食住と建築、快適さとは何か、そういうテーマで自著も出している中村さんの想いが詰まった建築だと感じた。飽くまでコンセプトと外観だけの印象なのでまったく当てにはならないが。

 

 

ちなみにここの屋外トイレは一般客も利用可能。ありがたい。

 

個の空間を大切にする高級路線。近頃建築家の監修による一棟貸しが増えている。しかし、我が家のように二人だと単価的に厳しい。最近話題の藤森照信氏監修の小泊Fujiなんか74,800円から。多分週末だと10万円。それで撮影NG。SNS公開禁止。これはもう無目的に湯水のようにお金が使える人の道楽対象だね。

 

「なにも考えずにワインを好きなだけ飲みたい」サル

 

体壊すよ。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ240

カトリック半泊教会

 

往訪日:2025年3月23日

所在地:長崎県五島市戸岐町半泊1223

開館:9時~17時

アクセス:福江港から車で30分

駐車場:あり

■設計:鉄川與助

■施工:鉄川與助

■竣工:1922年

 

《岬の分校のような教会》

 

堂崎教会を見学したあと半泊の集落を目指して更に北上した。赤いトラスドランガー橋を渡ると所々に小さな小舟泊まりが現れ、入り組んだリアス海岸が眼を愉しませる。その途中に小さな教会があった。

 

  カトリック宮原教会

 

所在地:長崎県五島市戸岐町773-2

開館:9時~17時

アクセス:福江港から車で20分

駐車場:なし

■設計:不詳

■施工:不詳

■竣工:1971年

 

 

先に訪れた打折教会玉之浦教会と同じく集会所と呼ぶべき民家風の建物だった。かつて伝道婦が宣教師の代わりに巡回宿泊して子女のしつけや教育をここでおこなっていた。十戸ほどの小さな集落にも関わらず、子供の声や犬の鳴き声もして人の暮らしが続いていることを伺わせた。

 

「人の家に勝手にあがっているような引け目を感じるにゃ」サル

 

簡単にすませて次を急ぐ。戸岐港から山道に変化すると嘘のように幅員が狭まり、運転に慣れていない者にはなかなか酷な線形になった。用心しながら10分ほど走っただろうか。視界が開けて再び青い海が見えてきた。半泊の集落に出たのだ。

 

  カトリック半泊教会

 

緩い坂を下って入江に入った。数軒の建物が軒を連ねている。そのうちの一軒が教会らしい。
 

 

「あれ、GOTOGINの蒸留所じゃない?」サル

 

なんと。こんな辺境の地にあったのか!

 

  五島つばき蒸溜所

 

クラフトGINブームの昨今。このGOTOGINもなかなか手に入らない。

 

 

モーターの駆動音がしているが人の気配は皆無。調べてみると毎週土曜の11時と14時に予約不要の見学会を開催しているらしい。惜しい!昨日だったんだ。

 

「調べておかないから」サル

 

まさか見学できると思ってなかったし。

 

「そこが甘い!」サル

 

 

設計は石飛亮氏。最近の流行りの焼杉が採用されている。

 

 

ということで波打ち際に立つ教会に向かった。この広場に停めて歩いていく。

 

 

ここも人の気配がない。集落全体が神隠しにあったかのような不思議な空気。

 

 

台風の波風が強いのだろう。丈の高い打込接ぎの石塀が周囲を囲っている。

 

 

竣工は1922年と古い。アイルランドの浄財によって建設され、設計施工は鉄川與助があたった。

 

(参考資料)

(ネットより拝借いたしました)

 

改修によって外壁は新しくなっているが、内装は往時そのままの姿を留めていた。簡素ながら艶のある折上げ天井と軽快な白と水色の色彩が印象深い教会だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

名建築シリーズ239

カトリック堂崎教会

 

往訪日:2025年3月23日

所在地:長崎県五島市奥浦町堂崎2109

開館:9時~17時(年末年始のみ休館)

料金:一般300円 中高生150円 小人100円

アクセス:福江港から車で15分

駐車場・トイレ:200㍍ほど手前にあり

■設計:アルベール・ペルー

■施工:野原与吉・鉄川與助

■竣工:1908年

 

《五島初の洋風教会建築》

 

五島観光四日目。この日を最後に大阪に帰る。ということで早朝からカトリック堂崎教会を訪ねた。五島の教会建築としてまず抑えるべきはここだが、誰もいない朝一番を押えるため、諸々の組み合わせの結果、最終日となった。心配なのは天気だったが、御覧の様に四日目も快晴。運を使い果たしたと思えるほど(6年前の利尻礼文7日間の旅はほぼ雨&曇りだったが)。

 

 

入江が入り組む堂崎の先端に教会はある。さすがは福江島を代表する観光地。駐車場もトイレも完備されている。そして、凪いだ遠浅の海が絵画のようだ。

 

 

教会は200㍍ほど歩いた先だった。

 

「結構歩くね」サル

 

 

1873(明治6)年の禁教令の撤廃後に宣教が復活。遅れて到着したペルー神父の設計によって現在の聖堂が完成する。

 

 

敷地内には塩生植物のハマジンチョウが可憐な花をつけていた。

 

「蜜が甘いらしいよ」サル

 

 

戦争の時代をへて1969年に浦頭に新しい教会ができると堂崎の小教区は廃止され、1977年に現在の堂崎天主堂キリシタン資料館に生まれ変わった。

 

 

ゴシック様式を模した総煉瓦造り。

 

「思ったより小さいんだにゃ」サル

 

 

観音開きの高い窓。

 

 

内部はキリシタン文化にまつわる資料館になっている。

 

 

スレンダーなリブ・ヴォールト天井。ステンドグラスも美しい。ただ、海に面した厳しい自然環境が災いしてか、幾分傷みが出ているのが気になる。

 

 

日本人大工の丁寧な仕事が感じられた。

 

 

屋根は日本瓦が葺かれていた。

 

 

「ショッキングな銅像だの」サル

 

聖ヨハネ五島は二十六聖人のひとり。秀吉の命で捕らえられようとしていたスペイン人神父の身代わりとなって西坂で処刑された。数奇な運命をへて、その遺骨がこの堂崎天主堂に納められている。

 

 

18代・五島純定とその求めに応じて来島したイエズス会宣教師アルメイダのレリーフ。病気がちだった純定はキリスト教に帰依。最盛期の五島の信者は2000名を超えたという。だが19代・純堯が歿すると受難の時代がやってくる。

 

 

思いのほか観光客は疎らで、静かな波打ち際の音くらいしか聞こえない。五島の朝はどこまでも長閑だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

サルヒツのグルメ探訪♪【第264回】

和風レストラン 望月

℡)0959-72-3370

 

カテゴリ:ステーキ・ハンバーグ

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市福江町5-12

営業時間:火曜定休

(L)11時~14時30分

(D)17時~21時

アクセス:福江港より徒歩10分

■50席(テーブル)

■予算:2,000円~9,000円(メニュー次第)

■予約:要

■カード:可

 

《食べ物そのものに罪はない》

 

五島旅行三日目の晩は五島牛ステーキの人気店を訪ねることにした。昼と夜の二部制。夜は17時開店だがさすがに早いということで17時30分に予約した。

 

 

初日は創作系。二日目は鮮魚。そして最終日は牛。半年以上をかけて練りに練った作戦だった。

 

 

否が応でも期待が高まる。

 

「なんか貼り紙があるにゃ」サル

 

「本日は満席です」だと。そりゃそうだよ。ここ予約しないと入れないもの。

 

「もう一枚ある」サル

 

“五島牛ヒレステーキは売り切れました”!?

 

「まだ開店したばっかだよ」サル

 

訊けばランチでフィレは終了したという。どうしてディナーに提供できるよう入荷しないのだ!

 

 

だがそれは八つ当たりというもの。もともと五島牛自体が品薄らしく供給不安定らしい。

 

「ロースはあるってよ」サル

 

ロースは苦い思い出があるから。

 

「サルも。じゃビーフシチューにしよう」サル

 

 

なんか釈然としない。ハイボールを流し込んで、遣る方なき憤懣を紛らわす。

 

 

どのセットも同じサラダなのだが貧相にみえる(ごめん)。食べ物の恨みは恐ろしい。

 

 

間もなくビーフシチュー配膳。熱熱の鉄板に載っているのでソースの縁がジュウジュウである。

 

「おいしそうだよ」サル

 

判っていてもさ、理屈で割り切れないんだよね。

 

「めんどくさいヤツだなあ」サル

 

 

デザートのコーヒーゼリー。大量にシロップが載っているのが当店流。

 

ということで(大枚をはたく準備をしながら)わずか1時間で終了。飲み足りないし、帰り道も会話は途切れがち。飲み直すにも今夜は土曜日。予約なしで入れる店などゼロに等しかった。やはり運は尽き果てたのか。


「ここはどうよ」サル

 

差し出したスマホの情報をみる。おばんざいの店だった。

 

悪くないね。酒もソコソコありそうだし。

(食べ物へのこだわりは既になかった)
 

オッモワッモ(長崎弁で「俺も儂も」)というその店は先日まで居酒屋として営業していたが、女将ひとりで賄える業態に替えたらしい。なのでワインも酒も売り捌くために、飲み切りで安く提供していた。

 

 

横山五十 純米大吟醸 BLACK

生産者:重家酒造㈱

タイプ:純米大吟醸 直汲み生

使用米:山田錦100%

精米歩合:50%

アルコール:16%

出荷時期:2025年1月

市販価格:1,805円(税別)

 

ならばこれだろう。黒いラベルが重厚な横山五十だ。王道の味。

 

 

手製のアジ天をつつきながら酒を酌み交わした。酒さえ飲めばゴキゲン。性格は単純なほうが生きやすい。

 

「単純過ぎで持て余すけどにゃ」サル

 

(最終日につづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ238

カトリック福江教会

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市末広町3-6

アクセス:福江港から徒歩15分

開館:9時~17時(ミサの時間は入館不可)

駐車場:関係者以外は駐禁

■設計:不詳

■施工:不詳

■竣工:1962年

 

《ゼツェシオン風のファザード》

 

五島観光三日目の〆はカトリック福江教会だった。いわゆる観光教会ではない。だが福江市街のランドマークといえるこの教会は是非とも往訪したかった。色彩過多なステンドグラスなどやや俗っぽさもあるが、ゼツェシオン風な直線の交差によって構成されたファザードは他の島内の教会とは違い、昭和建築的で個人的には好みの顔だった。

 

 

他の福江島のカトリック教会同様に、久賀島の信徒の移住を境に福江のキリスト教史は始まる。

 

 

禁教が解かれた1914年にアルベール・ペルー神父が当地に建っていた公立病院を用地ともども購入し、教会に改造したのが始まりらしい。

 

 

堂崎小教区からの独立を果たした福江の信徒は新しい教会を持つことを熱望。寄附を出し合い、現在の建物の完成をみた。ところが、喜びも束の間の五箇月後。

 

 

長崎県下で最悪の被害となった福江大火で市街地は全焼してしまう。しかし、奇蹟は起こり、白堊の聖堂は焼失を免れた。そんな歴史を持つ教会だった。

 

 

周囲は飲食店やオフィスビルが立ち並ぶ。時刻は16時50分。この日は土曜日。19時からミサが行われる。さいわい関係者の姿はまだなく、静かに聖堂内部を見学することができた。

 

 

ちょうど西日が入り、風除室は飴色に染まっていた。教会内部は犯しがたいほど厳かで、喩えようもなく美しかった。残念ながらパンフレットも記念葉書も手に入らず写真は掲載できないが、簡素な縦リブで支えられた船底天井は古い木造の講堂のようだった。

 

 

中のステンドグラスを紹介できないのが残念。ここは夕暮れ時の往訪をお薦めする。

 

「めっちゃ奇麗だった!」サル

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

五島観光歴史資料館

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市池田町1-4

開館:(10月~5月)9時~17時(年末年始休館)

料金:一般300円 小中高生100円

アクセス:福江港から徒歩7分

駐車場:あり

 

《天守を模した資料館》

 

五島旅行の三日目。福江市内に戻り、五島の歴史と文化を伝える資料館を訪ねた。個人の寄託資料もあるためか残念ながら撮影はNGだった。

 

  五島観光歴史資料館

 

三階建てになっていて、1Fは特産品。2Fは遣唐使の時代から五島氏による藩政までの歴史。そして3Fはキリシタン文化についての展示。

 

 

1Fのここだけ撮影可能。

 

 

バラモンはこの地方の言葉で「元気」という意味らしい。てっきりバラモン教からきていると思っていた。

 

  福江武家屋敷通りふるさと館

 

所在地:長崎県五島市池田町1-4

開館:(9月~6月)8時30分~17時(月曜休館・年末年始)

料金:無料

アクセス:福江港から徒歩15分

 

福江城は明治維新後に廃城になり、跡地には五島観光歴史資料館・五島高校・福江文化会館が建っている。

 

 

武家屋敷通りには現在も立派な高石垣と瓦葺きの薬医門が建っている家が多い。石垣のうえには零れ石と呼ばれる玉石を積み重ね、端部を半円形の留め具で支えている。五島だけに見られる造りだそうだ。

 

 

ふるさと館そのものは休憩施設で往時の遺構はない。

 

 

ここは家臣のひとり藤原氏の屋敷跡。建物は再建。雰囲気だけ味わった。このあと(唯一の遺構ともいえる)五島氏庭園の公開は年二回で春季は4月~6月のみ。あと一週間で観られたのかとお思うと無性に悔しい。ここにきてツキが落ち始めたか…。

 

「どのみち観られなかったんだよ」サル

 

落ち込んでいる場合ではない。まだ市内の歴史遺構が残っている。夕食前の限られた時間を使って走り回る。

 

  明人堂・六角井

 

所在地:長崎県五島市福江町1032-2

アクセス:福江港から徒歩15分

 

 

財政難に苦しむ五島藩に通商を結ぶことを許された明の貿易商・王直は1540年に来日。居留地を与えられて航海安全を祀る廟堂を建てたという。かつてこの周辺が荷上場だったそうだ。

 

 

1999年に現在の建物が募金によって再建された。

 

 

中国の石材を輸入し、中国の職人を呼んだそうだ。

 

 

少し離れた住宅地のなかには王直が船員の飲用に掘った井戸がある。

 

  宗念寺(坂部貞兵衛墓所)

 

所在地:長崎県五島市福江町642

アクセス:福江港から徒歩15分

 

 

第22代五島藩主・盛利の母芳春の菩提寺として建立された。

 

 

古刹ではあるが大正時代の出火で全焼した。現在の建物は再建になる。だが、この寺の目的はそこではない。

 

 

坂部貞兵衛の墓前に参じることだった。坂部は全国測地に成功した伊能忠敬一行の副隊長を務めた人物。この地で病に倒れて帰らぬ人となった。自らの右腕として信頼していた忠敬は、その訃報を知るとおおいに落胆し、没後7日間仕事を中断。藩もまた三日間歌舞音曲の類を慎んだという。享年42歳。坂部に限らず幾人もの隊員が早逝しているのは、測地測量の旅が過酷だったことを物語っている。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

大宝寺

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市玉之浦町大宝631

開館:8時~18時

料金:無料

アクセス:福江港から車で30分

駐車場:あり

 

《普通の寺といえばそうかもしれない》

 

五島旅行の三日目。犬山瀬の大露頭を見たあと日本遺産の大宝寺を訪ねた。五島の道は信号もなく、土地の起伏に従うままに進む。視界に入るものといえば原始の森。青空。そして海。人工物は稀と云っていい。だが、ひとたび集落に分け入ると、細い道が地を這うように続く。

 

 

時刻は昼さがり。中天の太陽がやや西に傾いたばかりで境内に人の気配はやはり稀。一組の若い男女が歩いているに過ぎない。

 

 

寺歴によれば創建は701(大宝元)年。大宝律令が制定された年だ。五島最古の寺で806年には唐から帰国途中の空海が立ち寄り、日本国内で初めて真言密教を布教したという。西高野山の異名はこれに由来する。

 

 

五島八十八番札所の最後の寺。最果ての地のイメージと重なる。

 

 

詳しい説明がないので詳細は不明だが、建物は近世以降の再建かと。

 

 

大師堂では簡易版四国八十八箇所めぐりができる。奈良の朝護孫子寺にも同様なものがあった。

 

 

本殿には最澄寄進の十一面観音や左甚五郎作と伝わる猿の彫刻もあるらしいが一般公開はしていない。歴史遺産というよりは現世利益的な空気が漂う。つまり檀家寺だ。だが、寺の有難みというものは訪れるひと次第。こだわるべきポイントではない。

 

 

訊けば子宝祈願・子孫繁栄の寺だった。最早我が家に縁はないが。

 

 

門前は海岸に面していた。ここに空海を乗せた船が漂着したかと思えばロマンも広がる。

 

  富江陣屋

 

寺を辞して国道384号を東に走り続けた。林道格上げ路線と思われるカーブの多い道だが“酷道”と呼ぶほどの嶮しさはなく、むしろ変化に富んだ島の輪郭を感じることができた。その道も黒瀬漁港でナリを変えて平坦な街路に変わる。

 

  

道に面して三台ほどのスペースが用意されていた。段差があるので道寄りにバックで停車する際は脱輪に注意したい。

 

 

 人一人分の細い道が続いていた。

 

 

五島藩の支藩である富江藩では籾、粟、麦など備蓄が効く穀類を年貢に課した。その貯蔵庫らしい。広大な陣屋が築かれたが、今に残る遺構はこの石組だけだ。

 

 

平坦に見える富江半島も嘗ては粘性のない溶岩で形成された新しい火山であり、石蔵はその溶岩を切り出して築造された。隙間の全くない切込接ぎ。もはや芸術品の域。

 

 

 ここに木製の屋根が渡されていたのだろう。

 

  香珠子海岸

 

更に東に向かうと美しい海岸があるというので寄ってみた。シーズンオフで誰もいないかと思っていたが、ビーチの上には土産物屋や食事処もあり、そこそこ人影があったのは意外だった。

 

 

福江市街に一番近いことも手伝って夏場は多くの海水浴客で賑わうそうだ。

 

 

暫く波と戯れた。 心が洗われる。

 

 

ひとは悩みを抱えると海が見たくなる。なぜだろう。そこが僕ら、すなわち生命の起源だからだろうか。あるいは一種の胎内回帰願望なのだろうか。漣の音が胎内で聞く心拍音と同じだとなにかで読んだ記憶がある。しばらく潮騒の音を楽しんで、昨晩と同じ宿に戻ることにした。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。

犬山瀬大露頭

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市玉之浦町

アクセス:福江空港から車で1時間

駐車場:なし(路肩駐車)

トイレ:なし

 

《島山島の大露頭と赤灯台》

 

大瀬崎灯台を訪ねたのち再び玉之浦の先端にむけて車を走らせた。ここに三大絶景の最後である島山島犬山瀬大露頭がある。ちなみにこれで「いんやませ」と読む。五島の地名は撥音便化する傾向にあるようだ。

 

 

よく整備された小浦海水浴場の北のどん詰まりに蛭子神社の小さな祠があり、その手前に二台ほどの小スペースがあった。そこに停車して海岸を歩く。礫混じりの砂浜は足が取られやすい。

 

「岸壁の縞々が波打っているにゃ」サル

 

引っ張りと圧縮が交互に働いたことが判るね。

 

 

対岸は独立した島だが、コンクリート橋が繋いでいる。ただその道もそこまで。島山島の探検は一般観光客には無理だ。

 

 

防波堤は赤灯台まで続いていた。

 

 

風もそこそこ強く、調子に乗ると波に攫われる危険がある。

 

 

この時間は満ち潮。防波堤の隅角では波しぶきが腰丈まであがる。

 

 

路幅も狭くあまりお薦めできる散歩道ではない。

 

 

先端に無事到着。堆積岩の互層に見事な海蝕洞ができていた。

 

(観光パンフレットより)

 

残念ながら写真で見る大露頭はこの裏側。船をチャーターした釣り客しか観ることはできない。

 

「残念だったのー」サル 帰ろうぜとっとと

 

長居は無用とばかりに防波堤を戻る。だが、あともう少しという処でおサルの悲劇は起きた。寄せては返す波の引き際を狙って隅角部をパスするのだが、タイミングがあわずに靴の中からデニム下のパンツまで海水でずぶ濡れ。おーららー。

 

「いいもん。乾くから」サル

 

と負け惜しみ。

 

時刻は間もなく12時。自ずと腹も減ってくる。

 

  お食事処ちょうちん家

 

周辺に食事ができる店は殆どない。場所が限られれば観光客の比率もッ当然高くなる。そういう店は大抵客慣れしていて、いい思いをした例がない。

 

「近くにチャンポン屋さんがあるけどね」サル

 

海鮮丼が食べたい。

 

「じゃ自分で調べてよ」サル

 

いいです。ちゃんぽん屋で。

 

「最初からそう言え!」サル

 

 

変にスレた店だと困りものだが心配は無用だった。厨房で大将が中華鍋を振い、中華風ダシのいい匂いが漂ってくる。

 

 

「おサル、味噌ちゃんぽん」サル

 

料金は普通かも。しかし…違った。

 

(猛烈な湯気に包まれて…なんとも旨そう)

 

写真では伝わりにくいが猛烈なボリューム。食べても食べても麺にたどりつかない。辿り着いたら着いたで全然減らない。しかし、世の中には強者がいる。隣りのテーブル席に座った店主の仲間と思しき30半ばの肉付きのいい男が、通常の五倍はあろうかという大皿に載ったカツカレーを押し込むように食っている。

 

「すご!」サル

 

漁師仲間だろうか、黒黒と日焼けした中年の男が正面に座って呆れていた。男は最後のひと匙分を掻きこむと大きくため息をついて仰け反った。完食を見届けた店主は手拭いで掌を拭いつつ厨房から出てきて、一言二言冷やかしの言葉を吐いた。メニューに大盛りの表記はない。裏メニューなのかも知れない。腹も膨れたのでもう少し島のドライブを続けることにした。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

日本の灯台50選 大瀬崎灯台

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市玉之浦町玉之浦

アクセス:福江空港から車で55分

駐車場:あり(無料)

トイレ:手前の展望所にあり

所要時間:往路20分+復路30分

 

《まるで要塞》

 

玉之浦教会から一度Uターンして大瀬崎灯台に向かうことにした。福江島の三大絶景に数えられるだけに時を置かずして観光客が挙って訪れるはず。誰もいない荒涼とした光景を味わえるのは朝早くか夕暮れ時しかない。

 

 

灯台に至る分岐から長い坂道が続く。間もなく大瀬崎展望所に到着。(大型観光バス対応の)広い駐車場とトイレがある。50㍍ほど先に木製デッキの第二展望所があり、定番の展望が開けていた。天気はいいのだが前日同様に黄砂がすさまじい。

 


次に祈りの女神像の展望台に向かう。駐車場から短い坂を登りあげると三連ピークになっていた。

 

 

この表情と造形をみてピンときた。

 

北村西望《祈りの女神像》(1978)

 

やはり。制作者は北村西望だった。最晩年95歳の作。というか、この年でも制作していたことが驚き。女性が苦手だった西望らしく、長崎平和記念公園の平和の像にむしろ似ている。

 

「この人の彫刻あちこちにあるにゃ」サル

 

当時の西望人気はすごかったし、同じ長崎県人(島原)だったしね。

 

 

その脇には太平洋戦争中に沖合いを航海し、二度と祖国の地を踏むことのなかった兵士たちの鎮魂碑が卒然とたっていた。

 

「鎮魂すゆ」サル

 

おサルの鳴らした甲高い金属音が鳴り響く。

 

 

ここからも灯台がよく見える。

 

「結構な傾斜が続いているにゃ」サル

 

行ってみようよ。

 

「まじか」サル

 

 

まずは白い建物がたつ第二のピークへ。

 

 

ふり返る。いい眺めだ。

 

 

第三のピークも僅かな距離だった。なにかモニュメントがある。

 

 

大瀬崎無線電信局趾だった。日本海海戦にて戦艦信濃丸が発した「敵艦見ゆ」を受信したとされる海軍望楼逓信省に移管したもので、九州最初の無線電信局として機能した。だが1908年に電信局が諫早に移され、1910年に役目を終えている。世の中知らないことだらけだ。

 

 

北には玉之浦が広がっていた。

 

 

外海にはとても人間の足では近づけそうにない荒々しい光景が。ここから灯台までくだり20分とある。そんな簡単に行けるのだろうか。半信半疑で緩い九十九折の坂をくだる。次第に樹木の丈が低くなり、アコウの灌木帯に変化した。

 

 

その緑のトンネルが尽きた先に絶景が待っていた。

 

 

「おう!」サル

 

 

期待したとおりの絶景だった。

 

 

外洋につき出した岬は荒い波濤に洗われていた。北端の魚津ヶ崎と同じく砂岩と泥岩の互層からなる古い地層(五島層群)が剥き出しになっている。

 

 

時刻はちょうど午前10時。それでも早春の今はまだ鮮やかな斜光線が差し込み、荒涼とした雰囲気を一層盛りあげていた。

 

「後ろから誰かくゆね」サル

 

え!まぢ!

 

 

急げ!おサル。誰もいないうちに。

 

 

着いた!一番乗り!(本当は数組既に戻った後があった)

 

 

初代はお雇い技師リチャード・ヘンリー・ブランドンの設計で1879年に完成した。フレネル閃光レンズを有する第一級の灯台だったが、残念ながら戦禍を被り、1971年に建替えられている。現在は太陽電池式だ。

 

 

造形は新しいが美しい灯台だ。

 

 

灯台から見返した光景。

 

 

見事な海食崖が発達している。引きのいい魚が掛かりそう。

 

 

無国籍な雰囲気が漂う絶景だった。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。

名建築シリーズ237

カトリック井持浦教会

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市玉之浦町玉之浦1243

アクセス:福江港から車で45分

開館:9時~17時(ミサの時間は入館不可)

駐車場:無料(50台)

■設計:不詳

■施工:不詳

■竣工:1897年(1988年再建)

 

《装飾を抑えた総煉瓦造りの美しい教会》

 

五島旅行三日目。この日も稀にみる快晴の予報。雨降りおサルが一緒なのにこの展開。雹や霰が降るんじゃないかと冗談を言いたくなる。この日も未明からジョグ。福江港周辺を走る。地図でみると広そうだが、意外に小さくまとまった街だ。

 

  常灯鼻

 

少し明るくなってきたところで突堤の先に石垣が見えるので寄ってみた。

 

 

30代・五島盛成公が石田(福江)城を築く際の防波堤として1846年に築造した歴史遺産だった。

 

 

近江の石工たちが連れてこられた。

 

 

常夜灯としての役割も果たした。

 

  カトリック井持浦教会

 

部屋に戻り、コンビニ飯で軽くすませて再び西域の海岸を目指した。

 

 

井持浦教会もまた(楠原教会同様に)ペルー神父の力添えで完成した。そして、断崖とリアス式の海岸線に囲まれた辺境の地が幸いしてか、唯一官憲による迫害をまぬかれたエリアだった。

 

 

車を駐車場にとめて緩い坂をあがる。早朝ということもあるが、先客は一組だけ。この静かさ佇まいが心を平和にする。最近二人ともやかましいのが耐えられない。歳のせいだろうか。

 

 

煉瓦造りのファザード。後年の補修がはいっているのだろうか、比較的装飾は簡素で四本のオーダーの間に五連アーチが入る点が特徴的だ。

 

 

側面も総煉瓦造り。楠原教会よりも15年も先行しているのに新しく感じる。

 

「台風で倒壊したらしいよ」サル 再建って書いてあるじゃん

 

だろうと思ったんだよ…。

 

(参考資料)

 

内部は比較的質素。マリア信仰の教会であることが伺われた。

 

 

建物の脇にこの教会を特徴づける日本最初のルルドの泉がある。

 

 

ペルー神父の指示で島内の変わった石を積み重ねたそうな。

 

「マリア様はフランスからお越しになったんだね」サル

 

 

飲めば命の和泉が湧く…かもしれない。

 

「うみゃい!」サル ←信じる者は救われる

 

ただの水じゃないの。←きっとどこかで撥被る

 

 

再建でも美しいものは美しい。どんな建築だって最初は「前のがよかった」と言われるし。

 

 

ちなみにこの水の聖母堂で奇蹟の水が買える。「買える」と云っちゃダメか。もらうには喜捨するように。

 

  カトリック玉之浦教会

 

往訪日:2025年3月22日

所在地:長崎県五島市玉之浦町玉之浦622-1

アクセス:福江港から車で50分

開館:9時~17時(ミサの時間は入館不可)

駐車場:なし

■設計:不詳

■施工:不詳

■竣工:1962年

 

 

リアス式の大瀬崎の半島の先端に位置していた。ここまで来るとさすがに辺境の地という実感がわいてくる。猫の子一匹おらず、観光客など一体どこに消えたのかと思う程だ。物音ひとつしない。

 

「そこがいいんじゃなーい」サル

 

 

木造平屋建てで公民館のような造りは前日に拝見した打折教会と同じだった。

 

 

思う処があり。ここで一旦戻って大瀬崎灯台に向かうことにした。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございました。