『進撃の巨人』オタクのわたくし。
考察するのも、他の人の考察を読むのもめっちゃ好き!
私の中で、解釈に苦しんだヒストリアの行動に関しての考察です。
ご意見のある方は、是非コメント頂だきたいです。
終戦の日のブログ、再録
以前にも書きましたが、ヒストリアがエレンの計画に協力した意味がわかりません。
しかも、妊娠するという方法で
104期ユミルの「胸を張って生きろよ」という言葉で、父親からの呪縛または呪いを断ち切ったヒストリアが、エレンによる地鳴らしに協力した理由は何なのか?
エレンの行動を肯定したら、胸を張って生きられないと言ったにも関わらず、なぜエレンに協力する気になったのか?
ヒストリアの選択との対比で、思い浮かぶのはミカサの選択。
ミカサは、エレンが躊躇なく人を殺す姿を見て、エレンの中の狂気に気付いていたはずですが、マフラーを巻いてくれた優しさを愛し、エレンを生かすために持てる力を注ぎます。
それでも、エレンの狂気が許されないレベルに達したとき、エレンの首を切ることを選択した。
これを踏まえると、ヒストリアは初代フリッツ王を止めることができなかった、始祖ユミルに該当するのでしょうか?
ヒストリアはエレンを愛していたから地鳴らしに協力した?
「仲間」のために命を賭ける、犠牲を払うというのは、少年漫画では王道エピソード
でも、その犠牲の内容が、好きでもない男の子供を妊娠、出産することって、そんな女性は非現実的すぎる。
歴史上、国や家を守るために望まぬ婚姻を選んだ女性は大勢いますが、それは、それ以外に生きる方法が無かったからか
その選択が正しい事だと考えることが出来たから。
ヒストリアは自分自身も戦えるし、地鳴らしを正しい事だと考えていない。
それでも協力するなら、もう仲間以上の感情があった。
「愛していた」くらいしか思いつきません!
しかし、始祖ユミルとの違いは、ヒストリアの子供の父親はエレンではなく、モブのサスペンダー男であるということ。
さすがに、あのエレンがヒストリアと子供を作っていたとは考えられない。
始祖ユミルは、誰からも愛されることが無かった(自分の子供たちは別)
ヒストリアは、エレンへの愛情は報われなかったけれど、他に愛しあえる人がいたということなのか?
激しい恋愛感情はないけれど、お見合い結婚で穏やかな家庭を育めるようなイメージ。
そして、ユミルは愛されないことに絶望して、子供を残して死ぬことを選んだけれど、
ヒストリアは、母として生きることを選んだ。
道での始祖ユミルは子供の姿で描かれ、最後にミカサの前に現れたときは大人の姿で描かれている。
この違いについては、男女の愛にあこがれ続けた子供のユミルと
母親になることを受け入れた大人のユミルを表しているのではないかと考えています。
だから、母として生きることを選んだヒストリアには、始祖ユミルと同じく愛する人に逆らうことはできなかったけれど、別の道が残されれているのでは?
ヒストリアの行動が、理解不能すぎるので、無理やりな解釈ですが。
では、生き残ったヒストリアに残された役目はなんだろう?
エレンの狂気を止めるために、自ら手を汚して必死に行動したハンジさんは命を落とした。
生き残ったけれど、兵長やミカサ、アルミンたち104期生たちは大切なものを多く失った。
最終話で、和平交渉へパラディ島へ向かうメンバーのうち、アルミン、ジャンとピークはおそらく、ヒストリアがエレンに協力したことに気付いていると思うのです。
*アニメの改編でヒストリアが自ら告白してましたね。
戦後のヒストリアは、一見、軍国主義に進む国を憂える平和を愛する女王っぽく見えますが、実際には地ならしの協力者。
生き残ったヒストリアには、地鳴らし阻止以外の別の役目があるのではないでしょうか?
私が思いつくのは王政の廃止。
自由を求める化け物エレンが、全人類の8割を虐殺してまで残したエルディア国が、王家と貴族及び軍事政権に支配される国って、ひどい矛盾だと思う。
巨人の力が亡くなったのであれば、王家の血にも、貴族にも特別な価値はない。
ヒストリアには、武力を伴わない緩やかな共和制への移行という仕事が残されているのではないかと想像しています。
そして、イェーガー派から実権を取り上げる。
だって、イェーガー派が島を支配していたら、島へ戻ったジャンとミカサは、身分を隠してひっそり生きたことになってしまう。
そんなの家畜と同じじゃないか!
振り出しに戻ってしまいます…
ヒストリアには、ジャンと(たぶんコニーも)協力して、島を民主化する役目が残されているんじゃないかな。
キースがいつか立ち上がる日を待てと生き延びさせたスルマ達もいるしね。
民主主義が全ての問題を解決するわけではないけれど、すべての人に選択の自由は与えられています。
名目上は。
終戦の日に、こんな想像をしてみました。