5月29日に全国各地で開催された改憲反対デモの一つに参加しました。

初めてデモに参加したのが、2026年3月

今回は多分8回目

私が持参するプラカードには、以下の文章を書いています。

 

高市政権は、調査兵団ではなく壁内貴族

#改憲反対

#緊急事態条項反対

#スパイ防止法は治安維持法

#独裁反対

 

実は、最も多いと思われる「戦争反対」は書いていません。

戦争にはもちろん反対ですが、現在の日本社会のヤバさに気付いていない無関心層に「戦争反対」は響かないと考えているからです。

それよりも、改憲反対の理由を北朝鮮みたいな社会になるよって説明しています。

 

プラカの文章は、進撃の巨人を知っている人にしか意味が伝わらないのですが、

割と振り向きながらじっと読んでくれる人がいます。

高校生くらいの男子二人組が「調査兵団ではなく壁内貴族やって!」と話しながら通り過ぎたこともある。

意見交換を出来た訳じゃないから、ポジティブな意味だったかネガティブな意味だったかは確認できませんでしたが。

デモに参加したことがある人ならわかると思うけど、プラカを読んでもらえるのが、そもそも珍しい。

元々、高市ヤバイと思ってる人は、手を振ってくれたり、GOOD!サインを出してくれたりするし、そういう人は増えているけど、無関心層は、基本的に目をそらして見ないように通り過ぎます。

 

衆議院選挙で高市自民が圧勝したけれど、投票率が低いので、実際に自民に投票したのは有権者の3割以下

圧倒的に多いのは無関心層

この人たちに関心を持って欲しいのだけれど、単に投票に行こうと呼びかければいい段階を既に通り過ぎていると感じます。

なぜなら、現状のヤバさに気付かない人は、既にメディアに汚染されている。

政治に関心を持った時に、真っ先に飛びつくのは分かりやすいキャッチコピー「日本人ファースト」とかです。

中国に対して強気な高市さんはカッコイイとか

進撃のセリフを引用する高市さんは、きっといい人とかも

 

だから改憲反対派としても、分かりやすいキャッチコピーを考え出すしかないと考えて、上記のプラカを掲げています。

反応は良いと感じるので、別にこんなのも作ろうかな。

 

高市早苗は国を亡ぼすトリューニヒト

参政党は地球教

維新は憂国騎士団

改憲派はみんなグル

 

鬼滅ファンも多いから「生殺与奪の権を他人に握らせるな」に絡めて何か考えようと思う。

 

その1の様子はこちら

 

「進撃の巨人」オタクであるわたくし

物語の結末に満足しています^^

ひとつ前のブログで紹介していますが、結末についての批判が多い事を諌山先生が気にしているのがつらいです。

 

最新の諌山先生のコメントが、複数言語に翻訳されて、X(Twitter)にアップされたとき

英語、アラビア語翻訳コメントに対して、多数のアンチが沸いているのが理解不能でした。

一体どんな結末を期待していたのか?

翻訳機能でコメントを読んでみると、多いのは

「エレンは地鳴らしを完遂すべきだった」

「途中でやめたから、島は結局、滅んだ」

こういう意見でした。

世界にはイェーガー派が多かったようです。

とはいえ、結末に満足している多くの人は、わざわざコメントを書き込まないかもしれないので

ノイジー・マイノリティが目立っているだけかもしれませんが。

 

諌山先生が、うまく描けなかったと言っているのは

「エレンを、忌むべき存在として穢しきる覚悟がないまま、寄り添うように描いてしまった」こと

アンチの、エレンの虐殺は正しいという意見とは真逆。

 

なのに、こういうアンチ勢が、Isayama自身も、結末の描き方を失敗したと言っている!と主張しているのを見ると、読解力の低さにあきれる!

 

まだ、アルミンの「殺戮者になってくれてありがとう」に反発するなら、外国人は文脈が読めないからねと思えるけど…

エレンの加害性や異常性を描きながらも「虐殺はダメだ」と考えるのは当たり前だという感覚が、先生にはあったのではないかと思う。
ところが世界には予想外に虐殺肯定派が多かった。

だからこそ、もっとエレンを酷い奴として描くべきだったという心残りがあるのではないでしょうか。


先生の描き方の問題じゃなく読者の問題
 

 

こちらは、過去の諌山先生のインタビュー(完結後のもの)

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戦争が終わり、すべてがめでたしめでたしとなるようなハッピーエンディングもありえたと思います。

それもたしかに可能だったでしょう。

ただ同時に、戦いや争いが終わるというのも、何か嘘っぽい。あまりにも非現実的に聞こえます。

少なくともいま私たちが生きている世界においては、ありえそうにないことでしょう。

だから残念ですが、そうしたハッピーエンディングで終えることは諦めるしかなったのです。

だから巨人の力がなくなっても争いは終わらない
私には納得できる結末でした。

 

残酷な世界を描いた諌山先生ですが、現実世界というか人間の本性は、もっと醜かった。

私はパラディ島の一般人の目線で物語を追っていましたが、イェーガー派には賛同できない。

外の敵がいなくなっても、今度はイェーガー派による弾圧が始まる未来しか見えないから。

地鳴らし発動後のキヨミが、世間が狭くなるだけで、相変わらず殺し合いを続けるだろうと、フロックに発言している。

敵対勢力を消し去ることは、問題解決にならない。

そもそも、そんなことは不可能だというのは一貫していると思います。

 

 

 

ミュージアムに展示されている原画が新しくなったそうですね。

 

 

先生からのコメントを自分用に記録しておきます。

 

連載漫画において、よく、キャラクターが物語を動かすということがあるようですが、主人公エレンに関しては、その逆で、物語に縛られたキャラクターでした。
作中の設定と同じで、定められた未来から一歩も逸脱できないまま、結末に進み続けるしかないという人物、それは作者である僕自身も同じでした。
これでいいのか?と葛藤しながらも定められたシナリオを変えることが出来ませんでした。

エレンは他のフィクション作品でも類を見ないほどの大量殺戮を犯した主人公となりましたが、何故このような物語を当初に発想したのかと言えば、被害者が加害者に置き換わる巨大なツイスト構造の物語にしたいとの思いもありましたが、当時20代前半だった、自分自身の未熟で愚かな部分が大きな要因として有りました。
それがエレンの根幹部分にあり、状況に翻弄されて「仕方なかった」加害者ではなく、エレンに加害願望があることを自白させるに至ったのです。
しかし『進撃の巨人』はとっくに、自分だけのものではなく、エレンは多くの読者の方々に愛されたキャラクターとなりました。
そのエレンを、忌むべき存在として穢しきる覚悟がないまま、寄り添うように描いてしまった、結果的に物語の結末としては不誠実に感じる部分が残ってしまったと、自分自身の評価としてはあります。

 

私は、素晴らしい結末だったと思います。