カードゲームとしての百人一首は結構好きです。

お正月に親戚が集まったときにやってました。

ある程度、人数がいる方が楽しいよね♪

 

今年の大河は、紫式部が主役の「光る君へ」ですが、源氏物語も「あさきゆめみし」で履修済み。

おそらく、こうゆう女性は多い。

古典のテストに出ても、話を知ってるから、有利でしたよね?

でも、みんな知ってる前提なのか、あまり試験には出題されなかった記憶。

大人になって読み返すと、光源氏がクソ野郎に思えますが、時代が違うから仕方がないのか?

 

百人一首に話題を戻すと、杉田圭さんの「うた恋い。」というマンガが、かなり好きです。

主役は、百人一首の選者である藤原定家なのかな?

平安時代のいろんな歌人を取り上げているから群像劇でもある。

コメディタッチですが、登場人物たちの生き方に考えさせられる面も多くある。

私が特に好きなのは「うた恋い。3」の清少納言と藤原行成の関係

気の合う友人同士でありながら、所属するのは敵対する陣営。

 

この漫画を通して、百人一首にうたわれた和歌の意味を深く知れたし、当時の勢力図なども分かりやすかったです。

 

「うた恋い。2」の小野小町とその周辺の人物たちの関係も、おそらく詳細な資料はないだろうから、フィクション色多めだと思うけど、生き生きとしていて面白い。

 

私は淡路島出身なので、淡路が舞台(というか題材)になった、和歌は特によく覚えていますが、それ以外で、印象深いのは以下の2首

 

あまつ風 雲のかよひ路ふきとぢよ おとめの姿しばし留めむ

(僧正遍照)

 

滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

(藤原公任)

 

作中で、この和歌が詠まれた背景が描かれています。

 

 

百人一首やったことある?

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真田広之さん主演&プロデュースの「将軍」が話題なので、今月だけディズニー+に加入しています。

観終わったので感想など。

 

全体的な感想としては、面白かったです。

でも、欧米で高評価な理由は、正直言って分からなかった…

真田さんが、リアルな日本を描いたと強調されおり、確かに、服装、建物、言葉遣いなどは、一般的な日本人は違和感を持たないと思う。

それは、中国では?みたいな描写はなかったです。

それでも、原作者はイギリス人

日本人の習慣や考え方に関しては、違和感を感じた部分もありました。

 

  • 武士=切腹が強調され過ぎ

第1話が最も違和感を感じたのですが、いくら何でも、そんなに簡単に切腹する?

虎長の家臣が、虎長をかばって他の武将に反論した結果、切腹を命じられますが、徳川幕府以前の武家社会が確立していない時代。

武家の官僚制度が確立していないのに、反論した程度で切腹を命じられるのは違和感。

しかも、本人だけではなく子供まで。

この後も、主家や権力者へ対しての抗議として、切腹シーンがありますが、これは、西欧人の

 

武士=切腹

 

というステレオタイプの反映じゃないかなあ

おぼれて死にそうになったときに、海中で切腹しそうになるとか、あり得ないと思うんですが…

 

 

  • 残酷描写は、西欧人のアジア人=未開な野蛮人描写のように感じた
これも第1話ですが、藪重が気まぐれに、西洋人を窯ゆでの刑で処刑する。
藪重は特殊な価値観の武将として描かれるので、この行いが一般的ではないと読み取る人もいると思いますが、どうなんでしょう?
武士が通行を妨げた村人の首を刎ねるのも違和感。
当時の日本人は、納得できない政策をとる武士に対して、大規模な一揆を起こすような反骨精神が高い人々ですよ。
現代日本人とは違う。
武士が理不尽なことをすれば、反抗されるはず。
 
これも西洋人から見たステレオタイプの反映のように感じます。
 
アジア人=権力者に逆らわない
 
 
  • ステレオタイプだけど、面白かったポイント
ブラックソーンが風呂に入りたがらないw
周りの日本人が、臭いから風呂に入ってくれと思ってるのに、いや風呂には入ったよ。1週間くらい前にってナチュラルに返してるのが、せめて週一は風呂に入れとつっこんでしまう。
毎日、お風呂に入る習慣が根付いたのは、日本でも近代だと思うけど、ヨーロッパ人が風呂に入る(シャワーでも)習慣が根付いたのは、日本よりだいぶ後だよね?
私は「赤毛のアン」シリーズも好きなので、以前、調べたことがありますが、グリンゲイブルズに風呂はない。
もちろん公衆浴場もない。
気候的に湿度が低いからって理由もあると思うけど、1800年台でも、身体を洗う習慣がない。
緑成す黒髪は、現代日本人からしたら、おそらく油ギッシュな黒髪よ…
 
 
シーズン2の制作が決まったようですが、原作ありの部分は、シーズン1で完結しているので、脚本・演出のハードルがめちゃくちゃ高そう。
やるなら成功して欲しいな。
 
 

いろんな解釈が可能な素晴らしい作品「進撃の巨人」

どのような解釈だろうと絶対的な正解はないと思っています。

私は、いろんな考察をしていますが、あくまで私はこう思うってだけで、他の説を支持している人がいるのも分かっています。

 

その上で、始祖の巨人は知性巨人を操れたと思いますか?

 

進撃ファンの意見を聞いてみたい。

私は深く考えることなく、操れないと思っていました。

 

根拠は、エレンがダイナに触れて始祖の力を発動したとき、ライナーたちを操れなかったから。

そして、巨人大戦が起きたから。

 

平和を愛する王として描かれる145代が、知性巨人を操れたり、その能力を奪う力があったのなら、巨人大戦は起きないでしょう?

 

そう考えていたのですが、意外と「始祖はすべての巨人を意のままに操ることが出来る」というセリフから、始祖は知性巨人も操ることが出来ると考えている人は多いのかも?

そして、始祖の命令に逆らうことが出来るのが、進撃の巨人の能力だと考えているのかな。

 

私は、知性巨人を除くすべての無垢の巨人を操ることができるのが始祖の能力だと考えていました。

そして、進撃の「何時いかなる時代も自由のために戦った」というのは、進撃のみに始祖の命令が効かないという意味ではなく、進撃の巨人の存在のあり方なんだと思った。

進撃以外の知性巨人は、始祖の方針に従って、古代から他国の侵略に加担し、国内でも権力争いを繰り広げたけど、進撃はそこに加担しなったんだと感じたんですよね。

これを前提に考えると、進撃はひとつの家に管理された巨人ではないはず。

ユミル孫世代で発現し、存在は知られていたけど、始祖に逆らい討ち取られて、初めて赤子継承になって古い時代に行方不明になっていたという設定では?

 

根拠は、タイバー演説で進撃に関して全く触れられないこと。

7つの巨人がマーレに下ったと説明されますが、進撃に関しては行方不明になったとも触れられません。

そもそも、古代の伝承の存在だったなら納得できる。

 

アルミンが、天と地の戦いへ向かうとき、エレンは自分たちから巨人の力を奪わずに自由にさせていると発言しますが、これはミスリードで、そもそも始祖に知性巨人の能力を奪う力はなかった気がするんですよね。

 

進撃ファンの方々の解釈を聞いてみたい!