『進撃の巨人』のミカサとエレンの出会いの場面
あれは、人が巨人に食われるシーンより衝撃的でした。
9歳の子供が躊躇なくナイフで人の喉を掻っ切るという…
捕らえられてたミカサが、逃げ出すために誘拐犯を刺す展開なら、そんなに驚かないんですが、いきなり赤の他人のエレンが誘拐犯を殺したのはかなりショッキングでした。

大抵の人なら、他に助けてくれる人を探して対応すると思うけど、周りに頼れる人がいない状況。
子供が複数の大人を相手に、死なせないように手加減しながら戦うのは無理がある。
だから、初めてこのシーンを観たときは、違和感があるけどエレンの判断は致し方ないと考えました。
エレンに対する主人公補正もあったし。

でも、ラストまで知ってから見直すと、子供時代のエレンって基本的に周りの人とぶつかってばかりで仲良くできない性格です。
友達はアルミンしかいないので、同年代なら助けるべきお友達って感覚でもないと思う。
ミカサとは会ったこともないので、自身を危険にさらしても助けたいと思う方が不思議。
後にエレンは「他人から自由を奪われるくらいなら、他人の自由を奪う」と発言していますが、このシーンでは誘拐犯もミカサもどちらも他人。
ミカサがどうなろうがエレンには関係ありません。

捕らえられている女の子を救いたいという、子供らしい純粋な正義感の発露だとも考えられますが、後のエレンの行動を知った後だと、人を殺してみたかったという欲求もあったように思えてしまう。
特に3人目の誘拐犯にエレンが殺されかけたとき、ミカサに向かって「逃げろ」ではなく「戦え」というところが。
ミカサを助けるのが目的なら、あの場面では「逃げろ」というはず。
ミカサの母がそうでした。
が、エレンは「戦え」という。

エレンの身柄を調査兵団と憲兵団のどちらに預けるか争った審議所のシーンで、ナイルはこの事件を持ち出して、エレンの人間性に疑問を感じると発言します。
あの時点で、エレンを解剖して殺すなんて言語道断の判断ですが、実際、人間性には問題があったんだよね…
本当に、後からなら何とでも言えるけど、結果なんて誰にもわからないものだわ。

誘拐事件の後、ミカサはエレン一筋に生きる訳ですが、一貫して「マフラーを巻いてくれてありがとう」なんですよね。
しいて言えば「生き方を教えてくれてありがとう」が、戦って生き延びることを肯定してもらったと感じているのかも。
でも、ミカサが戦ったのは、目の前で自分を助けたエレンが殺されかけていた状況。
シーズン3で、アルミンがジャンを助けるために銃を撃ったのと同じくらい一瞬の判断が生死を分けるレベルです。
エレンが誘拐犯を見つけた状況(ミカサがすぐに殺される状況ではない)とは異なります。
ミカサ自身が、この差異を認識していたんじゃないでしょうか?
マフラーを巻いてくれたことは大事な思い出として描かれている一方、エレンが人を殺してミカサを助けたシーンは、思い出したくないシーンとして描かれていると思います。
マフラーを巻いてくれた優しい、ミカサにとって望ましいエレンと、思い出したくない殺戮に酔うエレン

作者がどういった意図をもって、エレンとミカサの出会いのシーンを描いたのか、とても気になります。