F9の雑記帳 -4ページ目

「バリ山行」





 松永K三蔵「バリ山行」(『群像』2024年3月号所収)を読みました。
 群像新人文学賞優秀作受賞第一作。
 この小説に関して、主人公の波多の現在の勤務先の(建物の外装の修繕を専門とする)会社の問題あるいは最近の登山ブームを折りまぜながら展開する中盤までは個人的にそれ程面白くはありませんでしたが、会社内での所属の課は別でも六甲山を毎週色々なルート(バリエーションルート)で登っていると分かり、仕事を一緒にする事で以前より距離が縮まった妻鹿と一緒に「バリ山行」する場面から一気に面白さが増したように感じました。
 緊迫感のある登山の途中で波多が妻鹿に対して思いをぶつけたのに、その思いに応えずに(波多が病気で休んでいる間に)会社を退職してしまった妻鹿の姿をどうにか探そうとする…、そんな展開に心が軽くゆさぶられた気がして、読み終えた後(読書前に思った事とは裏腹に)「読んで良かった」と思いました。
 そして、(2021年の)第64回群像新人文学賞の優秀作となった「カメオ」(掲載は2021年7月号)でこの小説の作者の名前だけは知っていましたが、筆名に腰が引けてしまい読まずじまいで終えていた事が何だか恥ずかしくなりました。
 ああ、先日第171回芥川賞候補作となっているのを知ったから読むのではなく、あの時にこの作者の小説としっかり向き合っておけば…。

『エデュケーション』





 タラ・ウェストーバー『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』(村井理子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を読みました。
 以前、書店で帯の文句に惹かれて購入したものの、(著者についてはほぼ無知な状態のまま)本の厚さに尻込みしてしまい、相当長い間積ん読状態にしてしまっていました。
 ですが、最近になって漸く「このままではいけない」と思ったので読んだのですが、読んでいる間はその内容に圧倒されっぱなしでした。
 まず、モルモン教徒・サバイバリストの両親のもと、学校にも病院にも通わなかった著者の育った環境に驚きました。
 著者の両親は勿論の事、彼女の兄弟達も相当だなと感じ、読んでいる途中で幾度となく「自分とは住む環境が違いすぎる」と堪らない気持ちになりました。
 次に、3部構成の第二部以降の著者が大学で勉学に励む事で自分自身が変化し、楽しみが増していくていく様子の描写は(教育を受ける事の大切さを含めて)興味深く読めた一方、読書中に幾度となく感じた違和感は結局最後まで解消されませんでした。
 ああ、教育が大事というのは頭の中では分かっていると思っていたのですが、(自分の自己体験ではないにしろ)いざ手記を目の前にして、それを読んだとしてもなかなか受け入れられないものなんですね…。
 あと、著者の母親が著者にとって大事な場面に良く登場しているように感じ、あるビジネスが成功して成長していく過程に対して何だか凄いなと思いました。

『孔雀屋敷』




 イーデン・フィルポッツ『孔雀屋敷 フィルポッツ傑作短編集』(武藤崇恵訳、創元推理文庫)を読みました。
 以前、書店で帯の「全収録作品 新訳・初訳」の文句に惹かれ(著者についてはほぼ無知な状態で)買ってきたのですが、結構な期間積ん読状態にしてしまっていました。
 ですが、最近あまり読書をしていない自分に気づき恥ずかしくなり、先日勇気を振り絞り読みはじめ、2週間程掛かりましたが昨日漸く読み終える事が出来、少し安心しました。
 ただ、過去に色々あった(?)からでしょうか、この本に収められている「孔雀屋敷」「ステパン・トロフィミッチ」「初めての殺人事件」「鉄のパイナップル」「三人の死体」「フライング・スコッツマン号での冒険」という六篇の小説は読んでいてそれなりに面白かったのは確かなのですが、(途中で)何となく展開が分かってしまったり、“殺人に使った凶器が意外だけどそれ以外は…”と感じてしまう小説があったりして、読み終えた後に(個人的には)残念な気持ちになりました。
 まあ、正直なところ、著者についてまるで知らないで読み始めたから、余計に上記の様な感想(めいたもの)しか書けないでしょうが。
 最後になりますが、本当に腹の足しにもならないのを承知の上で書いてしまいます。
 …この本の中で気に入った小説は、臨場感と緊張感が(個人的には)非常に高いと感じられた「ステパン・トロフィミッチ」です。