「雷の夜に、ぼくは」

長野まゆみ「雷の夜に、ぼくは」(『群像』2026年8月号所収)を読みました。
この小説には、三十年前に一度会ったきりの男に出会ってしまった主人公の十四歳の夏のある出来事が書かれているのですが、その出来事に関して中心人物である一本木の存在のミステリアスさ加減とある種の不気味さが、雷雨や油絵の具の香りや動物たちの墓標といった細かな設定の効果もあってか、小説を読み進めるにつれて増していくのが読んでいて堪らなかったです。
そして、小説の終盤、主人公は直接手を出していないにしても、まさか一人の人間の運命を決定づけてしまうなんて予想していなかったですし、一本木が最後どうなったのかを書かないで冒頭の場面に繋げるという展開は(正直)個人的には意外で綺麗だなと思いました。
「窓の中の私」

北条裕子「窓の中の私」(『群像』2026年8月号所収)を読みました。
群像新人文学賞受賞第一作。
この小説では(小説上の)現在と過去の記憶、それらから想起されるイメージの描写が唐突に感じられるように出現するので、最初から順を追って読んでいたはずなのに内容をしっかり摑み取れず、読んでいる間はかなり息苦しかったです。
もっとも、周囲に対して牙を剥きながらも、「いつでも私自身に」「こてんぱんにやられてしまう」(ともに121頁)と自分から告白する、主人公かつ語り手でもあるクロイシサナの意識や行動の描写に身を任せてしまえばいいのかもしれませんが。
ああ、「窓の中の私」と言うタイトルは、この小説に相応しいのかもしれないですね。
ただ、(毎度の事ですが)性的表現の描写は個人的には読んでいて嫌な気分になり、好きになれませんでした…。
『オオウミガラス 種の絶滅をめぐる物語』
この本には「その昔、アイスランドでは極めて普通に見られる鳥だった」(16頁)であるオオウミガラスの絶滅について主に書かれているのですが、1858年にオオウミガラスを求めてアイスランドを探検したジョン・ウォリーとアルフレッド“・ニュートンと言う二人のイギリス人博物学者の足跡、彼らが可能な限り収集した情報を書き記した(現在イングランドのケンブリッジ図書館所蔵の)『ゲアファウル・ノート』の解析や新たに発見された事実やエピソード、沢山の著名な鳥類学者や科学史家あるいは専門家の思想…、それらの内容は(鳥類学にはまるで疎い僕であっても)しばしば途中で「生々しい情景が浮かび上が」(377頁)ってきたこともあってでしょうか、一服するタイミングを忘れてしまいかねないぐらいに興味深く読み進められ、十二分に楽しい読書ができたと読み終えた後に強く感じました。
個人的には、この本に書かれているアイスランドを探検した後のニュートンの姿勢及び言葉が特に胸に響きました。
また、最後の第一一章と「あとがき」で触れられる種の絶滅についての著者の見解は、‘種の絶滅’について考える際の新たな視座を僕に与えてくれたように感じました。
ああ、「絶滅によって失われるものは、種や生物多様性だけに留まらない」だけでなく、「あらゆるものが失われるのである」(329頁)、か…。
