F9の雑記帳 -4ページ目

「ハッピー山」



 松田いりの「ハッピー山」(『文藝』2026年春号所収)を読みました。
 文藝賞受賞第一作。
 「自分で言うのもなんだけど、わたしはわりかし端正な顔に生まれついている」(157頁)と主人公・佐伯が語る冒頭を読んだ時点で(ある程度)警戒すべきだったのに、それを怠りあまりにも素直に小説を読んだせいなのでしょうか、荒波ばかりの展開に右往左往させられているうちに小説が終わってしまったと感じ、読み終えた後少しの間呆然とするとともにやりきれない気分になりました。
 主人公の心理や行動あるいは書かれている光景が不条理じみていているので「町田康みたいだな。」「落語の『あたま山』から一部着想を得たのかな。」等と(途中までは)割に呑気に読んでいたのですが、中盤のお賽銭云々の場面を読んだあたりから「違う違う違う違う!」「これは腰を据えて読まないと…。」と思い直して読み進めたものの、他人の名前を覚えようともしない(登場人物の一人で、キャンプに誘ってくれた“沈美”と言う人も本当の名前じゃないだろうな…。)主人公の過剰な自意識が、他人に危害を加えたり人生を狂わせるだけでなく自分にも破滅をもたらし、更には生きている世界が嫌だと(主人公に)自覚させる事になるとは思いませんでした。「悪夢では片付けられない、でも変な物を見せられたなあ…。」
 しかし、(220頁に書かれている)アパートの部屋の掃除や炊事をこなした翌日に「騒音禁止」と書かれたテープが柄に張られた包丁が部屋の玄関前に置かれていたり、夜男性に援助交際目当ての女性と間違われたり、電車の中で対面の人に冷ややかな目を向けられスマートフォンのカメラアイを向けられるぐらい妄想しつつ歌ったり体を動かしたりするって、主人公の日常生活、何か怖いな…。

『昏乱』



 トーマス・ベルンハルト『昏乱』(池田信雄訳、河出書房新社)を読みました。
 この小説には、鉱山大学の学生である語り手の「ぼく」が、医師の父親の「とても『難しい』地域」(4頁)に住む患者達の往診につき合わされる一日の様子が描かれているのですが、無題の第一章はとにかく、「侯爵」と題された第二章のザウラウ侯爵の妄想に関する長大な描写は読んでいる途中で何度か気圧されてしまい、置いてけぼりにされた気分になりました。
 第一章の語り手の学生生活の状況、各々の患者の症状の描写は読んでいて大変さが伝わり何だか面白かったのですが、第二章に入った途端に語り手の父親が「狂人と断ずる」(148頁)人物の妄想が次から次に描写されるとは思いませんでした。
 また、この小説は「今でこそベルンハルトの傑作小説という評価が定まっている」(269頁)が、刊行当初は「好評裡に迎えられたとはとても言えなかった」(269頁)と言うのはとても腑に落ちました…。

「アンチ・グッドモーニング」



 八木詠美「アンチ・グッドモーニング」(『文藝』2026年春号所収)を読みました。
 この小説は”8ヶ月前から夜眠れなくなった主人公・野上有希。かなりの量の仕事を割り振ってくる職場の上司の仕打ちや会社のルールに耐えたり、SNS等から様々な不眠解消に関する情報を仕入れる夫に対して優しいと考え、行動に移すも不眠は解消されない日常を過ごす中、職場で視聴を義務付けされた研修の動画をにきっかけに現実の世界と非日常の世界の境界が曖昧になっていき…。“と言った内容なのですが、後半から終盤に向かうにつれてライトノベルのような展開になるのが個人的には若干嫌だったものの、読んでいて全体的に面白かったです。
 また、個人的には研修動画の中に登場する(←本当は自分の中にいる)人物の出冬覚と、乳酸菌飲料“フラモ999”の販売員である(←この人も本当は自分の中にいる)飯沢さんに登場する場面の一つ一つが映像的で印象に残りました。
 そして、眠れない時に手足に感じられた熱の意味が終盤に分かり、少しホッとしました。偽善、理不尽な抑圧に対する抵抗の象徴…。