『異邦人』

クラウディア・ドゥラスタンティ『異邦人』(栗原俊秀訳、白水社)を読みました。
「家族」「旅」「健康」「仕事、お金」「愛」「あなたの星座は?」と言う6つの章で構成されてこの本には、(作者の分身であろう)語り手の半生および聾者である両親との関係性等について書かれているのですが、次々に繰り出される事柄と向かう方向を安定させない展開に「僕は一体何を読んでいるのだろう?」と読んでいる間何度となく自問してしまいました。
まあ、作者の自伝もしくは回想録と言えなくもないのでしょうが、読み終えて豊富な内容を持つ分類しにくい複雑な本だなと感じるとともに、(この本の多くの部分に登場する)語り手の母親のある意味破天荒な半生に驚きました。
ああ、語り手に兄がいなくて一人っ子だったら、一体どんな人生を過ごすことになったのでしょうか…。
『カビリア』

マリーナ・パレイ『カビリア』(高柳聡子訳、白水社)を読みました。
この本には「追善」「エヴゲーシャとアーンヌシカ」「バイパス運河のカビリア」と言う初期三部作が収められているのですが、どれだけ読み進めても長く独特な文章に慣れず、(どの小説を)読み終えても軽い疲労を覚えました。
以下、小説の感想(めいたもの)を書いておきます。
・「追善」:この小説には、語り手にとって「流刑地」(11頁)だった祖父母の家、愛を追いかけ傷ついた母親と祖父母、曾祖母についての思い出等が書かれているのですが、暴力的な祖父の姿および時間の経過につれて崩れていく祖父母の家の描写はかなり驚きました。そして、祖母に関する描写は優しさに溢れていて、(個人的には)寂しくなるとともに虚しさを覚えました。
・「エヴゲーシャとアーンヌシカ」:この小説には、アパートに暮らす二人の老女(元軍病院の看護師で夫と死別後娘を亡くし一人で生きているエヴゲーシャ、故郷を追われ工場勤務の後年金生活をしているが老化の症状が顕著なアーンヌシカ)について、ともに暮らす語り手の「私」(イリーナ)の視点で書かれているのですが、まずエヴゲーシャとアーンヌシカの性格の違いやアーンヌシカの奇妙な表現に面食らいました。次に「私」のやや冷めた語り口に戸惑いましたが、読み進めるうちに温かな気分になるとともに他者への配慮・寛容さの重要性を再確認させられました…。
・「バイパス運河のカビリア」:この小説には、運河通りに住み続けるライモンダ・ルイブナヤ(モニカ、モーネチカ)の長くない生について、彼女より10歳若い語り手の視点で描かれているのですが、父親や夫からの暴力を受けつつも異性を求める一方、何度も病気に罹ってしまうモニカの姿に何度も胸が詰まり、最後の場面を読んで思わず泣きそうになりました。また、引っ越しを繰り返すモニカの母のゲルトルーダ・ボリソヴナ・ファイキナの姿は読んでいて少し腹が立ちました。それから、読み終えてもタイトルの意味が分からなかったのに、巻末の「訳者あとがき」を読んですぐに納得してしまった自分が恥ずかしくなりました。ああ、映画(『カリビアの夜』)からなんですね…。
『犬を愛した男』

レオナルド・パドゥーラ『犬を愛した男』(寺尾隆吉訳、水声社)を読みました。
この小説には、(1)キューバ人の作家であるイバン・カルデナス・マトゥレルがこの小説を書くに至った過程(2)トロツキーことレフ・ダヴィドヴィチがソ連政府を追われてからの流浪生活及び彼の家族が辿った運命(3)ラモン・メルカデールがメキシコ・シティでトロツキー暗殺に成功するまでの過程とその後彼に待ち受けていた運命が並行して書かれているのですが、ソビエト連邦や第二次世界大戦前後の状況等に関する事柄について知識があまりない僕にとって非常に勉強になりました。
ただ、660頁超と言うこの本の厚さや小説全体に満ちている緊張感に気圧されてしまった訳ではないと思いますが、普段より読み終えるまで時間が掛かってしまいました。
小説の序盤は若干無邪気だったラモン・メルカデールが、目的遂行のためジャック・モルナルの人格を纏いトロツキー暗殺へ至る過程、トロツキーの移住先での厳しい生活、イバンを待っていた悲惨な運命、エイチンゴンやカリカッドを始めとした個性的な登場人物達…、なかなか強烈な内容の小説でした。