F9の雑記帳 -2ページ目

「サンショウウオの四十九日」





 朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」(『新潮』2024年5月号所収)を読みました。
 この小説は主人公の伯父の葬式や四十九日の様子が中心に描かれているのですが、主人公の右半身が(濱岸)瞬、左半身が(濱岸)杏と言う設定だと分かった瞬間に何だか落ち着かない気分になり、何度となく読むのを止めようかと思いましたが、考えてしまいましたが、どうにか最後まで読む事が出来ました。 
 上記のように感じた理由は個人的に良く分かりませんが、主人公の父がかつて伯父の身体にいて栄養を取っていた”胎児内胎児“であり、伯父の体内で父の反対側にもう一人いたと言う設定は苦も無く受け入れられたので、もしかすると、主人公について具体的にあれこれ考えすぎたからなのかもしれません。
  とはいえ、主人公(達)の設定があるがゆえの思考や行動の違い、学生時代の思い出等の描写は読んでいて面白かったですし、場面場面で濃淡はあるものの全体に漂う死の雰囲気は小説に良い緊張感を与えているなと思いました…。

『川が流れるように』



 シェリー・リード『川が流れるように』(桑原洋子訳、早川書房)を読みました。
 この本の「プロローグ」の部分を読んだ時、以前読んだ『この村にとどまる』のような小説なのかと思いましたが、読み進めるうちに(小説の舞台が舞台だけにその雰囲気は一部にあるとはいえ)全く異なる内容で、“主人公のヴィクトリア・ナッシュが自動車事故で母親を亡くし、家事全般をさせられていた時、偶然出会った先住民ウィルソン・ムーンの自由さに惹かれ関係を持つが、彼が死んだ後に彼女はある事情から家を出る…”と言う前半の展開だけでも衝撃的なのに、主人公の家業(桃農家)の状況の変遷あるいは息子への心情や彼に関する行為の描写は読んでいると幾度となく胸が苦しくなるなどしたので、途中何度か本を読むのを止めたくなりました。
 そして、「訳者あとがき」にある通り、この小説は「喪失の痛みを知る女性たちが運命に導かれて寄り添い、立ち上がる、女たちの再生物語ともいえる」(336頁)のは確かなのですが、それ以上に内容が盛り沢山でしたので、読み終えた後に充実感と同時に満腹感も覚えました。

「草雲雀日記抄」





 青野暦「草雲雀日記抄」(『文學界』2024年5月号所収)を読みました。
 この小説は美大卒の主人公の初之輔と(知り合った当時は同じ大学の大学院生だった)棗との関係、初之輔が読む亡き父の菜緒太が遺した日記、あるいは彼の家族やその周辺について等が断章の形式で重層的に書かれているのですが、想像力に乏しい僕でも幾度となく内容が映像として眼に浮かび、散文詩を読んでいるように感じる瞬間が何度もありました。
 まあ、もしかすると、棗のものとはやや違う、初之輔の語り口が思い出を噛みしめるようなものだったからこそ、僕は先に書いた感想(めいたもの)を書いてしまったのかもしれませんが。
 あと、最終盤になって父の菜緒太が遺した日記には書かれていたものの、それ程重要ではないと(個人的には)思っていた人物が登場して語る部分が出てくるとは思いませんでした…。