F9の雑記帳 -1323ページ目

戯歌(1)

戯歌(1)

駅前までやって来ると
ラーメンが食べたくなる
昨日の昼も食べたのに
今日も来てしまった
通い慣れた店のものが
どれほど美味しいのかと
問われても即答できないが
美味しくもまずくもなく
極めて普通の味である
ただそうだとしても
当たり障りのない
ありきたりの結論のために
手足をばたつかせている
自分が嫌でたまらない
ああ困ったことだな
どうしたらいいか
黒ずんだ階段の前で
少し躊躇したわが魂よ
こんなはずじゃないのに
今日も予定があるのに
何ということだろう
訳が分からないが
駅までやって来ると
ラーメンが食べたくなる


 (お断り)
 今回は「詩」を書いてみました。少なくとも本人は「詩」だと思っております。ですが、おそらく大半の人がそうじゃないとおっしゃると思います。(そうでなければ困ってしまいますが)
 今後また、本人がこんな「詩」を書きこむかもしれませんが、そのときはご寛容くださいますようよろしくお願いいたします。

質問

 声に出して笑ってしまった。
 なぜかというとこのブログを読み返してみたからだ。僕は書いた文章をあまり修正せずにいるのだが、毎回内容が過剰なぐらい同じなのだ。いつも変化を望みながら、少しも動こうとしない。そんな姿勢でいるなんて、何がそんなに怖いのだろう。逃げていても変わりはしないことは自明の理だというのに…。
 そんな笑い声を耳の奥に響かせながら、今日も残り数時間で終焉を迎えようとしている。家に帰るにはまだ早いけれど、他にすることがあるはずもない。明日は昨日の換喩に過ぎず、空は投身するには遠すぎる…。何だか全てが馬鹿馬鹿しくなって、白々しい台詞を嘯きながら、東京駅構内で僕はラーメンを食べている。美味しくもまずくもない。ただひたすらに家に帰ろうとする姿勢のまま、質問には誰も答えてくれない。

晒す

 文章がうまく書けない。
 そんなことは最初からわかっているのに、なぜわざわざ書くのか。別に醜態を晒したいわけではない。今更自分を知ってもらっても何の意味もないことだと知っている。それなのに文章を書くなんて愚の骨頂じゃないか。…馬鹿げたことだ。
 そもそも自分には書きたいことはあまりない。情熱がある訳でもない。じゃあ、僕はなぜ書いているのか。それは「義務」のためではないのか。僕は今回このブログをはじめるにあたって、(心の中で)一日一回は書き込みをして、もしその行為が「義務」に変わったら止めようと決めたのだが、今のところそこまで追い込まれた感じはない。だから書いているのだといえばそうかもしれない。ただの落書き、そんなところだろうか。結論などあるはずはないが、これからも細々と書いていければいいのだが…。