「三月十六日の雪」

福嶋伸洋「三月十六日の雪」(『文學界』2026年4月号所収)を読みました。
この小説には、宮城県の災害危険区域内でカフェを経営しているはつみと、カフェから遠くない場所にある醸造所(ブルワリー)でクラフトビールを作っている由花、彼女達の東日本大震災の発生後の日々を中心に書かれているのですが、はつみの夫である翔太や由花の甥の葵、あるいは東日本大震災で亡くなった(だろうはつみの友人の)凛や(彼女の従兄の)渉に関する思い出等も細かく描かれているので、はつみや由花の経歴や商売あるいは葵の成長具合の描写は読んでいて凄く温かく勇気をもらえたような気持ちになった一方、凛の痕跡を探して何度も海に向かう描写等は読んでいて胸が締めつけられてたまらない気持ちになったりと、読書中幾度となく気持ちが揺さぶられてしまい、気持ちを一定に保つのが難しかったものの、読み終えて「(「東日本大震災から十五年」と言う)小特集の中にあるべき小説を読めて良かったな。」と思いました。
また、小説の冒頭ははつみの視点なのに対して、由花の視点で小説が終わる展開なのも良いなあと思いました。
もっとも、「(素敵な)良い小説を読んだな」と言うだけで片付けてしまうのは明らかに違うのではないかと思うのですが…。
『ハバナ零年』

この小説は、アントニオ・メウッチによって「電話はハバナで発明された」(9頁)事に関する書類がきっかけで関係を持つことになった三人の男性(かつて大学で教えていた)ユークリッド、エンジェル、(文学者の)レオナルド)と二人の女性(主人公で語り手で数学者のジュリア、(新聞記者の)バルバラ)の計五人のキューバ人の間の恋愛/友情/人間模様、(小説の舞台である)キューバの歴史等が、カオス理論やフラクタル理論と言った数学理論等を盛り込みつつ書かれているのですが、僕はどれだけ読み進めても(小説の中において)どれが真実でどれが嘘なのかが自分自身で判断できず、作者の術中に思い切り嵌っている感じがして少し悔しかったです。
ちなみに、小説の序盤で書かれているのですが、語り手の考えで登場人物達の本名は伏せてあり、ジュリアなどの名前はすべて語り手がつけたものです。
また、小説上に登場するものの、小説上の現在において五人のキューバ人の誰とも直接会話したりしない人物として、マルガリータと言う女性が存在するのですが、まさか、彼女が一番の重要人物だったとは思いませんでしたし、五人が様々な思いを抱えながら探し回った書類があんな所にあんな状態であるだなんて思いもしませんでした…。
恐らく、ミステリー小説が好きな人ならば、楽しい読書の時間が過ごせるのではないかと読み終えて感じました。
そして、僕には登場人物達の設定が刺激的でしたが、彼らの中でも、ジュリアが惚れて結婚に至るものの時間が経つにつれて著しい変化を遂げるエンジェルと、国を出た事がないのに(文学作品を読んでいるから)世界中の国々に行った事があるように語るレオナルドが特に印象に残りました。
『獲物』

イレーネ・ネミロフスキー『獲物』(芝盛行訳、未知谷)を読みました。
この小説には、主人公ジャン=リュック・ダゲルンの1932年から始まる6年間の物語が、二部構成で書かれています。
個人的には、経済的に困窮していた主人公が銀行家の娘と恋愛関係に陥った事がきっかけとなり、自身の家族の事や周囲の人々に対してほぼ目を向けず、自分の野心を満たすため計算づくで行動した結果、政治家への扉が開きかけた所で終わる第一部があるからこそ、主人公の運命が周囲の状況の変化によって大きく変わり、破滅に向かって突き進んでいく第二部の印象が強烈になり、読んでいる間何度となく身悶えしてしまったり泣きたくなったりしたのだなと思いました。
「自分の中の若さを窒息させちゃあいかんのだ。そいつは仕返しするぞ。」(60頁)と言う(主人公の父親である)心優しいローラン・ダゲルンの言葉を胸にとどめて行動すれば、この物語の結末のようにはならなかったでしょうに…。
また、主人公の妻となり、後に離婚するエディット、第二部の後半に至り主人公が愛を告白し続けることになるマリー・ベランジェと言う二人の女性に対する描写が細かく、幾分圧を感じる文章からの影響ではないのでしょうが、読んでいて凄みを感じました。