F9の雑記帳
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

「愛してやまぬ国」



 デビット・ゾペティ「愛してやまぬ国」(『文學界』2026年8月号所収)を読みました。
 この小説には、DVによる離婚歴がある男性作家の還暦を迎えたその一日の様子が彼の感情や行動を中心に書かれているのですが、(担当編集者との呑み会の後、電車を降りる際に相手の行動を妨害したために暴言を吐かれ、逆上して相手の頬を平手打ちすると言う)彼自身が正しいと考えが故に起こした事件の裁判がその次の日に控えている状況と、近所のコンビニで煙草を買った時に応対してくれたパキスタン人のカリムや家電量販店でエアコンの買い替えを相談した際に対応してくれた陳、タイ料理店のウェイトレス、アップルストアでiPhoneの買い替えに際して対応してくれたWILLと言ったその日出会った外国人に対する印象の良さと、生活の中で経験する日本人の態度や行動に対する印象の悪さの対比の描写が(若干頭が痛くなる箇所もありはするものの)読んでいて面白かったし、自身の行動について何だか考えさせられました。
 また、上記の様な感想を持ったからでしょうか、彼の娘からの(当然と言えば当然かも知れない)裏切り行為(と言っていいのかなぁ…。)が描かれた最終盤における彼の心情と寂寥感は非常に良く分かり、今も「エアコンが故障したLDK」(185頁)で「底気味悪い予感」に震えているのだろうかと(我が事の様に)考えてしまいました。
 しかし、愛してやまない「日本社会を平穏に成り立たせるための自分なりの小さな責務」(169頁)があると彼が考えるため、他人に対して行動で注意したりするのはどうなんでしょうか。 この小説の結末の様になる可能性は高まる事ことはあっても低くなる事はないだろうに…。

『海の水位の科学史』



 ウィルコ・グラフ・フォン・ハルデンベルク『海の水位の科学史 基準点0(ゼロ)をめぐる不安定な歴史』(濱浦奈緒子訳、青土社)を読みました。
 この本を近所の図書館で見つけ、タイトルに惹かれてこの本を借りて読んだのですが、僕はこの本を読み終えたものの、海の水位についての概念と思想の歴史を完全に消化し理解したとは到底言い難いと(個人的には)感じました。
 ただ、この本を読み進めるにつれて、海の水位が自然における事象であるにも関わらず、「『技術的、文化的に規定された仮定の産物』であり、『発明され、導かれ、説明されるもの』だった」(224頁)事が明らかになっていくのは読んでいて徐々に興奮の度合いが高まっていくのが個人的にはっきりと感じ取ることができ、この本を(途中で読書を放棄する事なく)読み終えて良かったなと思いました。
 また、第6章の終盤にある「将来、海岸で生じる局地的な規模と地球規模での変化は、常に全体論的に考慮されなければならない。」(215頁)と言う著者の指摘は(明確な理由は分かりませんが)胸に響きました。

『ピアノ・レッスン』



 アリス・マンロー『ピアノ・レッスン』(小竹由美子訳、新潮社)を読みました。
 アリス・マンローの本はカバーの作家の紹介文に登場する「チェーホフの正統な後継者」や「『短篇小説の女王』」と言った文句に惹かれ(実にミーハーですが)、何冊か近所の図書館で借りて読んでみたものの、個人的に一篇の小説も読み終えられなかったと言う恥ずかしい状況が続いていたのですが、この本はデビュー作品集と言う事だったので「今回は読み切りたい」と少し気合いを入れて読み始め、何日か読み進められない日を挟みつつも読み終える事が出来て(個人的に少し)安心しました。
 そして、この本にはカナダの田舎町を舞台に平凡な出来事を送る人々の暮らしに光を当てている15篇の小説が収められていて、完結はしているもののその後の展開を待っていると感じられるものが多かった様に感じるのですが、薬の販売員である父親の行商に同行した主人公が父親の別の姿を目撃する「ウォーカー・ブラザース・カウボーイ」と景観を気にして小屋に住む老婆を立ち退かせようとする人々に対する主人公の姿を書いている「輝く家々」、父親が知り合いの未婚の女性に紹介しようとしている男性の姿と日々の生活を主人公の視点から書いている「イメージ」と言う最初の3篇の小説の並びと内容がまず衝撃的でした。
 更に、失恋を引きずり酒にまつわるトラブルを引き起こした主人公と失恋の相手について書かれている「一服の薬」、主人公の女の子が弟の世話に忙しい女の子との関係の変化について書かれている「蝶の日」、ややしつけに厳しい祖母と一緒に暮らす主人公と言う関係がある男性の登場により崩壊してしまう「海岸への旅」、主人公が母親が直前の様子を知るとともに姉の知らなかった一面を知る事になる「ユトレヒト講和条約」、落ちぶれたピアノ教師の発表会で奇跡的な出来事が起きる「ピアノ・レッスン」も衝撃を受けると同時に印象に残りました。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>