F9の雑記帳 -5ページ目

「恥の龍」




 綾木朱美「恥の龍」(『群像』2025年12月号所収)を読みました。
 群像新人文学賞受賞後第一作。
 この小説は、大学生の時第二外国語でロシア語を履修した英沙織、斎田和久、(留年生の)ミン・ソジュンの間に起こった出来事と、英と斎田が10年ぶりに出会った事で始まる(小説上の)現在の状況が描かれる事で進行するのですが、斎田から英に渡されたゴルフボールが(最終盤を除いて)小説の語り手で、斎田には(過去のある行為が原因で)敵対する立場であるのを隠さなかったり、英にも予想もつかない行動をして周囲に波風を立てる存在でもあるというのが、読んでいて(把握するまで時間は掛かったものの)僕には新鮮でした。
 また、この小説には(騎手の養成学校に行った経験のあるタクシー運転手等の)背景が謎めいた人物が多く登場し、小説の魅力を増す重要な要素となっていると思うのですが、(個人的には)斎田と英の前から姿を消したミン・ソジュンからは姉だと聞かされており、彼との約束を守り、英が月に一度会いに行っていたミン・ユビンが存在感があり、印象に残りました。
 20代で韓国から日本に渡り、不動産登記で成功した父親が残した建物で暮らし、「真みどり色のスカート」(59頁他)を穿き、建物の中庭で草を抜いてばかりいて、「ヘヴンズ・ゲート」(73頁)等の意味が多分にありそうなのにかえって謎が深まる言葉を発したり、建物が火事になっても自分は逃げようとしなかったり…。
 もっとも、身近にこんな人物がいたらあまり近づきたくないに違いないでしょうが。
 そして、謎が謎のまま小説が進み、若干消化不良と感じる部分もありはするものの、(中盤から終盤にかけて)英と斎田の関係に関する描写が主に展開していくのは素敵だなと思いました。

「貝殻航路」


 久栖博季「貝殻航路」(『文學界』2025年12月号所収)を読みました。
 この小説には、かつて漁師でロシアの沿岸警備船に拿捕された後、ロシアへの憎しみからなのか身体の調子を崩し亡くなった父親との(主に貝殻島の灯台についての)思い出や、夫・あめみやの妹の夕希音(ユキネ)が死んだ動物に献花したいと言うので一緒に動物園で過ごす様子、夫との思い出や貝殻島の灯台を見ようと納沙布岬に向かった後、凪のナギの実家の跡地を見に行った時の様子が描かれているのですが、全体的に詩的表現が多くて読み出した当初はかなり、(父親との思い出も含めて)全体として悲しみを覚える内容が多いはずなのに、読んでいる間は何だか夢を見ている感じがしてなりませんでした。
 そして、貝殻島の灯台が(父親やあめみやや夕希音と言った)人間関係の象徴のようになっているのは上手いと思いました。

「けれど思い出す」



 『新潮』2025年12月号では「ダブルスタンダード」という特別企画が組まれています。
 今回はそのうち、ニシダ「けれど思い出す」(『新潮』2025年12月号所収)を読みました。
 この小説には、アートディレクターとしてある程度の評価を得た主人公が、アートディレクターとして初めて挑むコンペで成功したいと精力を傾けた日々が描かれているのですが、読んでいて家でも仕事に没頭する主人公に冷たい態度を取られても怒らず、冷却シートの裏面に“お仕事ファイト!!”と書いてあげたり、主人公の母親からの電話で主人公が苛立ちを見せると主人公の母親と会った事がないのに電話を代わろうとする等、「家庭的」(88頁)で主人公に「献身的」(88頁)な美緒が可愛いなと思うと同時に、小説の終盤に登場する些細な理由で彼女に対してあんな行為をする主人公に腹が立ってしまい、(個人的には若干説教臭いと感じた)結末にも納得できました。
 もっとも、かつては上司に誘われ焼き肉店で食事をした際、上司から家族の写真を見せられた時に、上司が「小さくみすぼらしい生き物」(106頁)に見えてしまうぐらいだった主人公が(小説上の)現在の状況に到達するためには、この小説に描かれた過程がないと駄目なのかもしれないですが。
 しかし、主人公は何故あんな行動に出てしまったのでしょうか。
 何かを得るためには何かを捨てなくてはならないかもしれないのですが…。