「根津ハイツ400」

長井短「根津ハイツ400」(『文藝』2026年夏号所収)を読みました。
特集1「失恋、あるいは恋の不可能性」の中の1篇。
この小説には、“マンションの301号室で暮らす主人公の橘朝が、隣の302号室の加護とある出来事をきっかけにして話をしたりするうちに一緒に食事をようになり、ついには一緒に食事する仲にまでなって…”と言う他人との距離が縮まっていく過程が描かれているのですが、(母親からお歳暮を引き取りに来いと連絡があったり、軽井沢に父親が住む家があったりするくらいに)裕福な家庭に生まれたせいなのか、途中主人公の不器用さに最初は歯がゆさを覚える場面もあったりしつつも、最後の場面は少し主人公と一緒に寂しくなりました。
とは言え、両親が離婚し、金銭に余裕がない家庭で育った(らしい)加護を応援する気にはなりませんでしたが。
でも、最後の場面の加護の行動、もし私が同じ立場だったらできたかなと思うと、できないような気がしました。
身分相応、不相応、か…。
「ソリティアおじさんがいた頃」

村司侑「ソリティアおじさんがいた頃」(『文學界』2026年5月号所収)を読みました。
第131回文學界新人賞受賞作。
「いやあ、良い小説を読ませてもらいました。」と言うのが率直な感想です。
この小説自体は「同じ会社に勤めていた人が死んで、通夜に行って、風邪を引く話」(90頁、金原ひとみ選考委員の選評より)なのですが、読み進めるうちに語り手の“声”が聞こえてきたのが僕には新鮮で吃驚しました。
もしかすると、語り手の発話と発声がカギカッコで閉じられていないから、そう感じたのでしょうか。
もっとも、その声が聞きたいだけで小説を読み進めたわけではありませんが。
声が若干低めで、やや引っ込み思案のそんなに背の高くない女性、なのかな…。
また、この小説には(ほぼ一瞬だけの場合もありますが)結構な数の人物が登場するのですが、どの人物も(小説の中で)出会うとハッとするぐらい人物設定がはっきりしていて、(性別問わず)可愛げがあって魅力的だなと感じました。
((平見部長や菅野課長や結子をはじめ)三山味噌󠄀株式会社に勤務している人達、割にいい人率高そうだな…。)
その中でも、登場する場面が多いからでしょうか、主人公(で語り手の古井瀬瑠奈)が通夜に行った後風邪を引いた後に自分の気持ちに気づいてフラレてしまう、将棋好きで優しい川上海史と、終盤の重要人物と言っても良い(かもしれない)元同僚の娘である黒野田琴美が(個人的には)強く印象に残りました。
あと、「ソリティアおじさん」の意味って、そうだったんだと後で分かり、タイトルだけで読むのを止めようと判断しなくて良かったなと思いました。
附記 読了後、各選考委員の選評を読んでいて、青山七恵選考委員の選評の中の「私はこの作品を読み終えたあと、先のことはさておき、『もう一度ゆっくりこの作品を読みたい』と心から思った」(89頁)と言う部分が非常に身に沁みました。
ああ、激しく同意…。
「影を泳ぐ」

小林安慈「影を泳ぐ」(『文學界』2026年4月号所収)を読みました。
第56回九州芸術祭文学賞最優秀作。
この小説の舞台は、国道沿いに「三階建て十二世帯が四棟」(168頁)並ぶ市営住宅の下川団地。
高齢者と孤独死が増えている下川団地の組合長を七年連続でしている主人公の「僕」。
勤勉で気配りも十分にできるが、在日三世の朝鮮人で自衛隊に入隊したいのに母親の関係で帰化できず、主人公の幼なじみで「幕僚長」のニックネームをつけられた男性。
「山内のバアさん」(166頁)の孤独死が判明した場面から始まり、主人公と幕僚長との子供の頃からの交流の思い出がこの小説には書かれているのですが、彼らの貧困や差別やいじめ、主人公の介護等をはじめとしてジメジメした筆致で書かれていない上、作者の視線が冷たくいものではないのが分かるからでしょうか、読んでいてそれ程気にならずスッキリした気分になり、最後までその気持ちが変わらず何だか安心しました。
もしかすると、「おい、むしすんなきさん!逃げんなきさん!」(174頁)等のやや粗暴な台詞があちこちにあり、地域性が強く感じられる事も先の感想(めいたもの)を書いた原因の一つなのかもしれません…。