『オオウミガラス 種の絶滅をめぐる物語』
この本には「その昔、アイスランドでは極めて普通に見られる鳥だった」(16頁)であるオオウミガラスの絶滅について主に書かれているのですが、1858年にオオウミガラスを求めてアイスランドを探検したジョン・ウォリーとアルフレッド“・ニュートンと言う二人のイギリス人博物学者の足跡、彼らが可能な限り収集した情報を書き記した(現在イングランドのケンブリッジ図書館所蔵の)『ゲアファウル・ノート』の解析や新たに発見された事実やエピソード、沢山の著名な鳥類学者や科学史家あるいは専門家の思想…、それらの内容は(鳥類学にはまるで疎い僕であっても)しばしば途中で「生々しい情景が浮かび上が」(377頁)ってきたこともあってでしょうか、一服するタイミングを忘れてしまいかねないぐらいに興味深く読み進められ、十二分に楽しい読書ができたと読み終えた後に強く感じました。
個人的には、この本に書かれているアイスランドを探検した後のニュートンの姿勢及び言葉が特に胸に響きました。
また、最後の第一一章と「あとがき」で触れられる種の絶滅についての著者の見解は、‘種の絶滅’について考える際の新たな視座を僕に与えてくれたように感じました。
ああ、「絶滅によって失われるものは、種や生物多様性だけに留まらない」だけでなく、「あらゆるものが失われるのである」(329頁)、か…。
「祭典」
まず、この小説の語り手である“私”に杏樹がかつて語ったと言う(肉欲的な内容も含まれている)様々な寓話や物語、“私”と杏樹の思い出が適材適所を無視するように配置されていた上に強烈だったので、読んでいる途中で何度となく気持ちが萎えてしまい、吐いてしまいたい気分になりました。
大体の内容は読んでいて興味深かったり面白かったのですが、直後に(若干激しい)性的描写が出てくるのは個人的には勘弁してほしかったです…。
そして、杏樹を探し求め続ける“私”の姿も地味ながらなかなか強烈でした。
ですが、杏樹絡みの内容が強烈すぎて、最後の場面を読んでも読み終わった感じはしませんでした。
「愛してやまぬ国」

デビット・ゾペティ「愛してやまぬ国」(『文學界』2026年8月号所収)を読みました。
この小説には、DVによる離婚歴がある男性作家の還暦を迎えたその一日の様子が彼の感情や行動を中心に書かれているのですが、(担当編集者との呑み会の後、電車を降りる際に相手の行動を妨害したために暴言を吐かれ、逆上して相手の頬を平手打ちすると言う)彼自身が正しいと考えが故に起こした事件の裁判がその次の日に控えている状況と、近所のコンビニで煙草を買った時に応対してくれたパキスタン人のカリムや家電量販店でエアコンの買い替えを相談した際に対応してくれた陳、タイ料理店のウェイトレス、アップルストアでiPhoneの買い替えに際して対応してくれたWILLと言ったその日出会った外国人に対する印象の良さと、生活の中で経験する日本人の態度や行動に対する印象の悪さの対比の描写が(若干頭が痛くなる箇所もありはするものの)読んでいて面白かったし、自身の行動について何だか考えさせられました。
また、上記の様な感想を持ったからでしょうか、彼の娘からの(当然と言えば当然かも知れない)裏切り行為(と言っていいのかなぁ…。)が描かれた最終盤における彼の心情と寂寥感は非常に良く分かり、今も「エアコンが故障したLDK」(185頁)で「底気味悪い予感」に震えているのだろうかと(我が事の様に)考えてしまいました。
しかし、愛してやまない「日本社会を平穏に成り立たせるための自分なりの小さな責務」(169頁)があると彼が考えるため、他人に対して行動で注意したりするのはどうなんでしょうか。 この小説の結末の様になる可能性は高まる事ことはあっても低くなる事はないだろうに…。

