F9の雑記帳 -3ページ目

「現在代行形」



 村雲菜月「現在代行形」(『群像』2026年9月号所収)を読みました。
 この小説には、食品メーカーに入社して広報部に配属されて3年目の終わりに品質管理部に異動となり苛立ちを抱えながら日々を過ごしていた主人公の影山綾実が、会社を辞めてフリーのイラストレーターとなった友人の(‘しいなしるし’と言うペンネームで活動している)椎名の(メールへの回答や担当者との打ち合わせへの出席等の)代役を(椎名への妬みから綾実自身が起こした行動が起点となってはいるのですが)折につけこなしていくことで、自分自身に気づき周囲の評価が変わっていく様子が書かれているのですが、小説の序盤では職場や日常生活で割と傲慢な態度を取っていたのに、椎名の代役を重ねるにつれて自分自身への気づきに基づき態度を変えていく事で周囲の評価が変わり自己肯定感が高まる一方、本来の自分が分から亡くなってしまうと言う展開が綾実の姉も登場して会話する場面もある等エピソードや状況が細かく書かれているためでしょうか、面白いのは間違いないものの読んでいる間中ずっとこの小説が僕に反省を促している様な気がしました。
 ああ、他人に求められる人間にならないといけないと言う事か…。
 また、小説の序盤での(半ば傲慢と形容しても許されるだろう)自信満々な綾実と中盤以降の綾実の意識や感覚の描写の違いもかなり衝撃を受けましたが、椎名と言う人間にも(ある種の)凄さと不気味さを感じました。

『だれか、わたしを助けて』



 エリカ・クラウス『だれか、わたしを助けて』(古屋美登里訳、亜紀書房)を読みました。
 この本に収められている12篇の短編小説は、様々な国や都市や時代を舞台にしている上に語り手の性別や視点が様々で、「だれか、わたしを助けて」と言う登場人物達の声が文章の間から聞こえてくる様に感じられるのですが、主人公が小説の中で困難な状況を乗り越えてしまうからでしょうか、読み終えて作者に課題を突きつけられた様に感じる小説が(個人的には)多かったです。
 そんなこの本に収められている12篇の短篇小説の中でも、シベリアの極寒の町オイミャコンで生まれ育った22歳の主人公ヴェラが、アメリカからやってきたティオ・アンダーソン(シオ)と出会った後に彼女が彼女自身に下す決断が重い「極寒の町」、18歳の白人女性が知り合いのいないオハマの黒人地区に流れ着き、生計を立てる様子を書いている「ダッジ通りの北側」、人助けとして安楽死を請け負う主人公クラウドとボニーの日常と彼らの生死について書かれている「ヘラジカを食べてくれ」、コンビニ強盗に遭遇し、一時人質にもなった主人公 が身代わりになってくれた少年の生い立ち等を調べていくうちに意外な真実に辿り着き、死者と生者の関係性について考えさせられる「だれか、わたしを助けて」、1980年代のバンコクを舞台に主人公エルザが父親の支配を一部脱して自己主張するまでが書かれてい「バンコクにいると」、DV加害者である夫から逃げてきた主人公の生死に対する意識の揺れの様子について書かれている「神を畏れるごとく我を畏れよ」が、(他の作品と比較して)個人的に印象に残りました。

「五人の姉」



 天埜裕文「五人の姉」(『群像』2026年8月号所収)を読みました。
 この小説は、“大学入学に伴って姉のアパートの部屋で同居していた主人公の女性。秋雨が降る日、姉から駅に傘を持ってきてと頼まれた主人公を待ち受けていたのは、駅で横一列に並んだ五人の人物がお気に入りのブラウスとスカートを纏い、腕時計に見つめる姉である光景だった。主人公はその中の一人に声をかけアパートの部屋に戻り一日過ごしたものの違和感を覚えたため、別の姉を連れ帰って一日過ごしてみたもののまた違和感を覚えて…。”と言った展開なのですが、仕事は黙々とこなす一方でウクレレの弾き語りやテレビ録画した漫才の吹き替えと言った趣味や特技を持っている偏食気味で長い時間眠りにつく姉、小説の途中で主人公の友人となり、五人に増えてしまうアキノ、主人公が姉の状況を話し質問した際に見解を述べた三人の大学教授、駅前の雑居ビルの中にあるカフェの店員、忘れた頃に登場する主人公の母親等の登場人物達と設定が(個人的に)かなり強烈で、読んでいる間比較的長くないはずなのに時々頭がクラクラしました。
 恐らく、僕がこの小説を読み通せたのは、つとめて冷静に説明しようとするがゆえに可笑しくて、読み進めるにつれて何だか愛おしくなった主人公の語りの効果に違いありませんが、最終盤の展開及び最後の場面は僕の想像外でとても吃驚しました…。