「アンチ・グッドモーニング」

八木詠美「アンチ・グッドモーニング」(『文藝』2026年春号所収)を読みました。
この小説は”8ヶ月前から夜眠れなくなった主人公・野上有希。かなりの量の仕事を割り振ってくる職場の上司の仕打ちや会社のルールに耐えたり、SNS等から様々な不眠解消に関する情報を仕入れる夫に対して優しいと考え、行動に移すも不眠は解消されない日常を過ごす中、職場で視聴を義務付けされた研修の動画をにきっかけに現実の世界と非日常の世界の境界が曖昧になっていき…。“と言った内容なのですが、後半から終盤に向かうにつれてライトノベルのような展開になるのが個人的には若干嫌だったものの、読んでいて全体的に面白かったです。
また、個人的には研修動画の中に登場する(←本当は自分の中にいる)人物の出冬覚と、乳酸菌飲料“フラモ999”の販売員である(←この人も本当は自分の中にいる)飯沢さんに登場する場面の一つ一つが映像的で印象に残りました。
そして、眠れない時に手足に感じられた熱の意味が終盤に分かり、少しホッとしました。偽善、理不尽な抑圧に対する抵抗の象徴…。
「アンリ・ラングロワの墓」

松本圭二「アンリ・ラングロワの墓」(『新潮』2026年2月号所収)を読みました。
読み始めるまでは、文芸雑誌で松本圭二の小説はもう読めないだろうと(勝手に)思っていたので嬉しかったのですが、10の章からなるこの小説を読み進めるうちに驚きと興奮で叫んでしまいそうになりました。
2つの文章(そのうちの一つが氷見敦子「『宇宙から来た猿』に遭遇する日」)が冒頭に置かれ、中咽頭癌と多発性食道癌のため大学病院に入院している現状、アジア映画なら『ドラゴンの道』が好きと言った個人的な事が書かれていたり、小説の中に高祖保や山本陽子等の詩人の名前が出てきたりして読んでいて十分に興味深く面白かったのですが、まさか
語り手の中で行われる“会話”も面白かったのですが、とにかく驚きました。
また、細かいですが、妻との会話よりも、自分の中のブルース・リーとの会話の描写が多いのは心情的に分かりますが、何だか可笑しかったです。
そして、題名にはあまりピンときませんでした。もっと、勉強しないといけないですね…。
「スポンジケーキ・キッチン」

大濱普美子「スポンジケーキ・キッチン」(『文學界』2026年2月号所収)を読みました。
この小説は、”整体師としてリラクゼーション・サロンに勤務する一方、甘い物好きな事もあってパティシエになり将来は自分の店を持ちたいと言う夢を持っている主人公・祐吉。病気治療のため入院していた彼が、退院後サロンでのかつての同僚や客、幼い頃に食べたスポンジケーキに端を発したお菓子作りについて、アパートの部屋をルームシェアしていた高校の同級生との日々、入院生活での印象的な出来事等を思い出しながら、アパートの部屋でケーキを焼いて…“と言った内容なのですが、内容からして全体的に重い雰囲気が漂っていてもおかしくないのにホッコリする箇所が割と多くて、安心はしたものの何だか不思議な感じがしました。
もしかすると、登場人物の名前がカタカナで書かれているのも、小説中に漂う雰囲気を重く感じさせない原因なのかもしれないですね…。
あと、かつてサロンで同僚だったカワムラチハル、サロンで祐吉を指名してくる客のニシノ、アパートの部屋をルームシェアしていた高校で同じクラスだったリュウジ、入院生活の間お世話になったスエヨシカヨコ等の登場人物は魅力的でしたし、彼ら彼女らについての記憶の描写も読んでいて興味深かったですが、幼い頃に知り合ったキリシマサチコを訪ねていって、彼女が住んでいるところで食べたスポンジケーキにまつわる記憶の描写が特に強く印象に残りました。
ああ、スポンジケーキ、美味しそうだなあ…。
