子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい -45ページ目
毎日毎日、100%目標を達成している人を想像してみてください。
今日も目標をすべて達成した。


また明日も目標を達成できるだろう。
この人は、非常に達成感や満足感に満ちた
生活をしているとイメージできます。


モチベーションも容易に維持できています。


娘は毎日、七田のプリントをやらされています。
娘は、テレビを見たいときは必ず
「テレビ見ていい?」と母親に聞きます。


すると母親は、
「プリントやったの?
プリントやってないのにテレビなんか見ちゃだめ。
プリント3枚やったら10分だけテレビみていい」


という会話が毎日繰り返されています。


七田アカデミーの宿題プリントをやったら、
ご褒美にテレビをみていい。


テレビを見たいのなら、
その前に宿題というノルマを達成しなさい。
という、考え方で娘の母親(自分の嫁)は教育しています。


一見すると、あめを与える前にノルマを達成させる、
という考え方は理にかなっていると思います。


しかし、潜在意識の世界からみると、
必ずしも理にかなったやり方とは思えません。


テレビを見たいという動機がまずあります。
そのために、宿題のプリントをやらなければならない、のです。


「やらなければならない」です。
宿題のプリントをやらなければ、テレビが見れないのです。


だから、しかたなく、いやいや、
やりたくもない宿題のプリントをやっているのです。
娘の目的は、テレビを見ることです。


娘にとって、宿題のプリントなんてどうでもいいのです。
はたして、こんな気持ちで宿題をやっていて、
勉強が身に付くのでしょうか?


自分から自発的にやりたくてやる、という気持ちがないと、
身に付かないのではないでしょうか?


ノルマをクリアする事は、
達成感があり、満足感があります。


モチベーションも維持できます。
しかし、そのノルマというのが、
人から押し付けられたノルマだとどうでしょうか?


娘が通っている保育園では、柔道教室があります。
5歳になると、保育園児は男女問わず、柔道を習います。


そして、先日県大会に出場しました。
結果は、負けてしまいましたが、
娘本人は悔しくて仕方がなかったようです。


その後の保育園の柔道教室で、
娘の取り組む姿勢はどうなったでしょうか?


容易にイメージできます。


もし、娘が「テレビみていい?」と母親に聞いたときに、
母親が「テレビ見たいのなら、柔道の練習を15分しなさい。
そしたら、テレビを10分みていい。」


と言っていたら、どうなっているでしょう。
娘にとって、テレビを見るためには柔道の練習をしなければならない。


柔道の練習は、テレビを見るためにしかたなく、
いやいやるもの、というふうになっていたでしょう。


ノルマは自分で決めるもの。
そしてその自分で決めたノルマを達成して初めて、
達成感や満足感が得られるものと思います。


ここで、また注意が必要です。
その自分でノルマを決めるというのはわかりましたが、
ノルマの決め方がとんでもないと、問題が生じてしまいます。


たとえば、柔道で強くなるために、
毎日腕立て1,000回やる、と自分でノルマを決めたとします。


初日はなんとかクリアできるかもしれません。
(自分はとても無理です。)


しかし、2日目はちょっとしんどくなり、
700回でもういいや、となりました。


3日は筋肉痛で腕が動かなくなってしまいました。
それでも根性で100回腕立てやりました。


どうでしょう。
目標達成できたのは初日だけです。


2日目、3日目は目標達成出来ずに、
達成感どころか、挫折感が感じられてしまいました。


モチベーションも下がってしまい、
4日目はもう腕立てをやろうという気持ちになりませんでした。


これを、仮に、毎日腕立て100回ノルマと設定したとしましょう。
1日目は余裕です。物足りないくらいです。


2日目も余裕です。
3日目も筋肉痛になることもなく、
余裕で100回クリアできました。


今回は、毎日目標達成することができ、
達成感と満足感で充実した日々を過ごせました。


挫折感も味わうことなく、モチベーションも維持できています。
4日目以降も、引き続き達成感を味わい続けています。


あまりに無謀な目標を設定してしまうと、
かえって逆効果となってしまいます。


目標設定は、自分の意思で決める。
目標設定は、毎日目をつぶっても
簡単にできてしまうような気楽な設定にする。


これを守れば、潜在意識は
「自分で決めた目標は達成できる」
という情報としてインプットします。


娘がもし、「テレビを見るために」、
ではなく自発的に「宿題プリントを毎日3枚やる」
と決めることができれば、
「自分で決めた目標は達成できる」という情報を、
潜在意識に入れることができます。


そして、1度潜在意識に「自分で決めた目標は達成できる」
という情報が入ってしまうと、
その後の人生は簡単にイメージできてしまいます。


毎日、腕立て100回試してみますか?
今日、たまたまテレビをつけたら、
医療過誤の特集をやっていました。


内容は、5歳の娘が突然亡くなってしまったが、
担当医師から何の説明もなかった。
不信感がつのり、ついに医者相手に訴訟をした、というもの。


自分も5歳の娘がいるので、人事と思えず、
そのままテレビに釘付けになりました。


その子供は、かぜのような症状で苦しがっていたので、
病院に行き、医者から「命の心配はない、
気管支炎と脱水症状の合併症でしょう。


明日には退院できる」と言われ入院した。
しかし、それから数時間後に突然亡くなってしまった、
というものでした。


死因は「劇症型心筋炎」と言うものでした。
一般的にあまり聞きなれない病名ですが、
自分はこの病名を聞き思わず「はっ!」としました。


なぜなら、自分が18歳の時にかかった病気と同じだったからです。
自分のケースですが、初期症状はかぜのような症状でした。


そして、近所の個人開業医のところに行き診察してもらいました。
その先生は、「かぜでしょう」と診断しました。


ただ、レントゲンを見せてもらいましたが、
心臓のあたりが真っ白になっていたので、
素人ながらちょっと気になり、先生に質問しました。


先生は「かぜの症状でしょう、心配ありません」
と答えました。


その後、医者からもらったかぜ薬を飲んでいましたが、
どうも症状が改善しません。
念のため、近所の大学病院に行ってみることにしました。


そこで診察してもらった内科の先生が、
不整脈があることに気づき、
心電図をとることになりました。


そして、その心電図の結果を見たとたん、
先生が慌てて他の先生と相談をはじめました。


「即、入院してもらいます。」


数人の看護士さんが外来の受付に移動ベッドを運んできました。
言われるまま、横になりそのまま集中治療室に直行。


心電図を24時間体に装着し、
絶対安静で面会謝絶という状態に。
あっという間でした。


ただのかぜ位に考えていたのですが、
それから約3週間、集中治療室で過ごすことになりました。


3週間後、一般病棟に移り、それまで寝たきりでしたので、
リハビリをはじめました。


まずは、ベッドから起き上がり、
立ったままの状態で心電図に異常がでないか確認し、
それから徐々に歩行訓練へと。
自宅に帰ったのは、突然の入院から約6週間後のことでした。


今思い出したら、それから20年が経過してます。


今日、テレビでは、自分の娘と同じ5歳の子供が、
この心筋炎という病気で突然亡くなってしまい、
担当医師に過失があったのでは?と、
8年間裁判で戦った両親の記録を特集していました。


なぜ死ななければならなかったのか、
その子の事を思うと涙が止まりませんでした。
自分は、何の問題もなくこうして生きているというのに。


その子の母親が「どんなに非難中傷されようと、
亡くなった子供の事を思うと、
突き進むしかなかった」とコメントしていました。


自分も同じ年の娘がいますので、心に響きました。


今まで、心筋炎という病気が
こんなに怖い病気とは思っていませんでした。


実際、自分もこの病気にかかり、
集中治療室に何週間も入院したのにもかかわらずです。


しかし、もし、20年前のあのとき、
自分の担当した医者が、
不整脈を見過ごし心電図をとらなかったら、
と考えると、ぞっとします。


改めて、生かされているという事実に感謝を感じました。


そして、普段いろいろ悩み事を抱えて生きていますが、
何より「五体満足の体で生きていける」、
ということに感謝とよろこびを感じました。
親は子供に対して、
「まだ年齢が小さいから」とか「危ないから」といって、
お手伝いをさせない場合があります。


子供には積極的にお手伝いをさせるべきです。
やり方を教えてあげれば、子供はすぐに覚えてしまう。


お手伝いをさせると言うことは、
子供の人格を認めてあげているということです。


そして、お手伝いをさせないということは、
子供を信用していない、あるいは認めていないということです。


親の保護管理の対象としてしか子供をみなしていないと、
決してお手伝いをさせることはできません。


子供を一個人として認めてあげることができれば、
お手伝いも抵抗なくさせることができるのです。


 自分が、まだ、小学校になるかどうかという頃、
母親が親戚に対してこんなことを言ったのを耳にしました。


「うちの子は全くお手伝いしない」と。
 自分と同じくらいの年齢のいとこが、


自分の靴を洗ったりしていると聞いて、母親が話していたのです。
自分のなかではこのとき、次のように思いました。


「親が、自分の靴は自分で洗いなさい、
と言えば、自分だって靴ぐらい洗うことできる。
親が子供にやらせないで、洗ってしまうからやらないだけだ。」と。


その後、小学校4年生くらいの頃は
自分で自分の靴を洗っていた記憶があります。


これは、子供がお手伝いをやらないのではなく、
親が子供にやらせたかどうかです。


 自分の上の娘は、ハムスターを飼っています。
その世話を自分でやるという約束を母親として、飼うことにしたらしい。


毎日のように「ハムスターに餌やったの?」とか
「ケースの掃除をしたの?」と母親が娘に言っています。


娘は、「まだやっていない」と言ってしぶしぶハムスターの世話をしています。
これも、習慣になってしまえば、母親がいちいち言わなくても、
自分から世話するようになるでしょう。


自分の場合、小学4,5年生くらいには、
毎朝、金魚の餌とインコの水の取替えを習慣にしていました。


また、週末には、インコの糞の掃除もしていた。
親から「インコの世話した?」とか言われる前に。


 習慣になれば、子供は勝手に世話をするものです。
そして、習慣になっていなくても、
親が口うるさく「ハムスターの世話はしたの?」
と言い続ければ、子供はしぶしぶ世話するのです。


 子供には積極的に親の手伝いをさせたほうがいいです。


子供がかわいいからとか、まだ小さいからできないだろう、
といって手伝いをさせないのは、
子供の人格を認めていないということです。


子供にお手伝いをさせないで、
「うちの子は自分のことは全くやらないのよ」
と周りに言わないでください。


その前に、自分の子供に積極的に自分のことは自分でやるように、
口やかましく言う必要があります。


一度習慣になれば、子供は勝手に自分のことは自分でやるようになるのです。
靴を洗うことや食べた食器を片付けるとか、
洗濯物を片付ける、といったことから、
ペットの世話や学校に持っていく持ち物など、
身の回りのことは親がやってあげるのではなく、
子供に積極的にやらせてください。


始めは、子供もしぶしぶやるが、
そのうち親が言わなくても黙って自分でやるようになるのです。


そして、そのような親の態度は、子供にとっても
「自分は親から人格を認めてもらっている」と感じるのです。
今までの学校では、他人と競争させることを奨励していました。
テストでも、人に聞いてはいけないと先生はいいます。


しかし、これからは、できる人ができない人に教えてあげる、
ということが大切になってきます。


 他人を押しのけて一番になることがいいことでした。
塾でも順番を競わせて、他人よりいい点数を取るように強要してきたのです。


しかし、同じクラスメートで順番を競わせる事は、いいことではありません。
クラスメートは助け合っていくことが、本来の姿なのです。


 アメリカの漫画で「シンプソン」というものがあります。
主人公のシンプソンはあまり勉強をしません。


遊んでばかりいたら、落第しそうになりました。
そこで、普段友達と遊ばずに、
勉強ばかりしているガリ勉君に勉強を教わるようになりました。


いままでは、いじめの対象であったガリ勉君ですが、
勉強を教えてもらったので、持ちつ持たれつも関係になりました。


 学校でいじめの対象になる人は、いろいろなケースがあります。
その一つに、友達と遊ばず勉強ばかりしているガリ勉君がいます。
でも、勉強しない人に教える事で、いじめの対象ではなくなるのです。


 競争することを奨励し、他人よりいい点数を取るよう強要していると、
人に勉強を教えることを敬遠してしまいます。


これでは、いじめの対象になってしまうガリ勉君が増えてしまいます。
 クラスメートは助け合っていくべきです。勉強を教え合うのです。


テストも競争を煽るためではなく、助けあいを煽るためにするのです。
これからの時代は、出来る人が出来ない人に教えてあげることを奨励していくのです。


そうすれば、いじめは減少していく事でしょう。
親は子供のことが心配で仕方がありません。


事故にあわないだろうか、とか誘拐されないだろうか、
犯罪に巻き込まれないだろうか、などなど。


特に日本のお母さんはこの傾向が顕著です。
親からこのように心配されながら生きてきた子供は、劣等感を感じます。



心配するということは信用していないということです。
親からも信用されないような子供が、社会に出て出世することはできません。


子供のことが心配で仕方がない親は同時に、子供の出世を期待します。
子供の出世を期待しながら、子供を信用していないのです。


この矛盾した心が、親心となります。
「親というものは、いくつになっても子供の事を心配するものだ」、
と言う人がいるかもしれません。


これは、言い換えると「親というものは、いくつになっても子供の事が信用できない」
と言っているようなものです。


子供の出世を期待するのであれば、子供を信用してあげてください。


「あんたは私の子だから、どこで何をやっても大丈夫」
と子供に言ってあげられる親は偉いです。


世界のお母さんは、このような事を言う傾向が強いです。
オリンピック選手で、実力がありながら本番で力が発揮することできず、
終わってしまう人がいます。


日本人にこの傾向が強いように思います。


なぜでしょうか?


それは、子供の頃からお母さんから
「心配」され続けて育てられたからです。


子供の頃から、親からも「信用」されず(=「心配」されて)育った人は、
ここ一番で力を発揮することができません。


一方、子供の頃からお母さんから「信用」されて育てられた人は、
本番で実力以上の力を発揮することができます。


「あんたは私の子だから、何をやっても大丈夫」
という子持ちで子供と接してあげてください。


すると、子供にもこのような親の気持ちが伝わります。
そして、いい感じの親子関係を築く事ができます。
娘が生後10ヶ月の時に、保育園にデイリーで4日間預けました。


それまで妻が育児休業を取って家にいたのですが、
研修のために4日間妻が家を空けることになりました。
8月のことです。


自分はお盆休みということで3日間会社を休めたので、
子供の世話がたっぷりできると楽しみにしていました。


ところが、妻が何を考えたのか保育園に4日間預けるといい、
勝手に手配してしまいました。


せっかく子供の世話ができると楽しみにしていたのに、がっくりでした。


保育園初日、妻からメールがきました。
「保育園の先生に預けたとき、優花は大泣きだった。分かれるのが辛かった」


自分もこのメールを見たとき胸が苦しかったです。
なんでここまでして生後10ヶ月の優花を、
見ず知らずの他人に預けなければならないのか、と。


妻は、非常に頑固な性格です。決めたことは決して曲げません。


「おじいちゃんに頼めば」、といっても「頼めない」。
「おばあちゃんに頼めば」、といっても「そんなの無理」。
「喜んで飛んでくるぞ」、といってこちらがいくら説得しても、平行線のまま。


今は、保育園に預ける場合、慣らし保育といって、
2,3週間かけて徐々にならしていきます。


最初は母親と一緒に過ごし、2、3時間、半日、1日と言った具合です。
ところが、このときは、いきなり全く知らない人に丸1日預けたのです。


いくらデイリーとはいえ、生後10ヶ月の子供には、
相当こたえただろうと想像できます。


2日目も朝、妻が保育所に預けましたが、
自分は会社を早退し、午後娘を迎えにいきました。
3日目、4日目は、会社を休み、朝から娘と過ごしました。


家にいるときは抱っこ、抱っことせがまれ、とても楽しかったです。


この出来事があってから、娘の行動に明らかな変化がでました。


それまで、親がトイレや別な部屋に行って、
一時的に1人でリビングにいることになっても、
特に動揺することなく、おもちゃで遊んだりしてました。


ところが、ちょっとでも親の気配(特に母親)がいなくなると、
途端に不安になり、
「あれ、ママがいない、ママどこいったの?」
と探しにいくようになりました。


ママべったりになったのです。


よく2人目が生まれ、下の子にかかりっきりになると、
上の子が幼児がえりしたりして、ママにあまえたりします。
しかし、まだ、2人目が生まれる前の事です。


娘はこの出来事の前後で、変わってしまいました。


こうなることはある程度、予想していました。


妻が4日間保育園に預けると言って聞く耳を持たなかったとき
預けた後、娘は変わってしまうだろうと。


なぜかと言うと、そのとき昔飼っていた猫を思い出したのです。


自分が高校生のとき、飼っていた猫が骨折して数日間入院しました。


まだ生まれて数ヶ月だったのですが、とても活発で、
たんすの上やテレビの上にジャンプして家中飛び回っていました。


ところが、骨折して数日間の入院後、
家に戻ってきたとき、全く別な猫に変わっていました。


活発に家中飛び回っていた猫のおもかげはなく、おとなしい猫になっていました。
獣医に入院中、夜中もずっと泣いていたそうです。


猫と子供を例えるのはどうかと思いますが、
保育園に預けると妻が言って聞かなかったとき、
このことがふと頭をよぎり、優花は変わってしまうだろうと思いました。


娘が生まれたときに買った育児書には次のように書いてありました。


乳幼児を預けなければならないとき、
まず候補にあげなければならないのは、父親。
次に何度も会っているおじいちゃん、おばあちゃん。


その次に、おじ、おば。
以上の誰もが、都合がつかなくて預けられないときは、
ベビーシッターに頼む事。
ベビーシッターを頼む理由は、
いつも生活して慣れている自宅にいられるため。


いきなり、一度も会ったことのない人に、
知らない場所で預けられる保育所を選択するのは、最後の最後。


頑固で聞く耳を持たない母親というのは考え物です。
子供の親は母親だけではないのです。
子供にとっては父親も親なのです。
おやじは、時々自分に対し次のようなことを言いました。
「俺たちの時代は今の中国のようにみんながむしゃらに猪突猛進して生きてきた。
だが、お前たちの世代はおとなしい人間が多くなってしまった」と。


 戦後日本は豊かになり、ハングリー精神や他人を押しのけて、
猪突猛進するような日本人はいなくなってしまった、と時々聞きます。
しかし、本当にそうでしょうか?


 野球やサッカーなどプロの世界で活躍しているスポーツ選手はみな、
「俺が俺が」、というように我が強い人が多いです。


また、芸能界で生き残って活躍している人たちも、
同じように我が強く、カリスマ性も強い。


実際、おとなしく、他人を押しのけて突き進むことができないような人間が、
芸能界やプロスポーツの世界で生き残ることはできないでしょう。


また、大企業でサラリーマンする道を選ばず、
自分でベンチャー起業して多くの従業員を雇用する会社を創業した社長も、
我が強くカリスマ性も備えています。


豊かさとおとなしさには何も因果関係はありません。


戦後の日本は、豊かになった、そして戦後の日本人はおとなしくなった。
時期がかぶるので一見、因果関係があるように思えます。


しかし、戦後日本が焼け野原であった時期、アメリカは無傷であり、
世界で一番豊かな国になっていました。
だからといって、アメリカ人がおとなしくなったかというと、答えはノーです。


豊かさとおとなしさは何の因果関係もないのです。
では、なぜ、戦後の日本人はおとなしくなってしまったのでしょうか?


その理由は2つあります。1つは、終戦後日本を約7年間占領した、
マッカーサー率いる進駐軍の影響です。


当時のマッカーサーの権力は絶大であり、戦前の天皇をしのぐものでした。
戦前の日本の神は天皇であったが、戦後の日本の神(ゴット)はマッカーサーでした。
(これは、それ位絶大な権力を持っていたという、あくまでも例え話です。)


 以下はマッカーサー回想録からの引用です。
 「私は、日本国民に対して事実上、無制限の権力を持っていた。
歴史上いかなる植民地総統も征服者も総司令官も、
私が日本国民に対して持ったほどの権力を持った事はなかった。
私の権力は至上のものであった。」
以上引用終わり


 その、彼が日本の占領政策を取る上でのベースにしたものが、
「日本人を、2度とアメリカに歯向うことができない民族にすること」でした。
そのためにすべての日本システムを解体しました。


また一方、税務会計システムをはじめ
いろいろなシステムをアメリカは教えてくれました。


 財閥、貴族の解体や公職追放を実行しました。
公職追放令を出したのは、マッカーサー進駐軍の民政局で、
その中心人物はケーディス大佐とハーバート・ノーマンという外交官でした。


 渡辺昇一氏は次のように述べています。
「左翼的な連中は戦前、日本に革命を起こし、皇室をつぶし、
私有財産制度を廃止しようと考えていたわけですから、
もちろん帝国大学にとどまる事はできませんでした。


ところが戦後に入り、戦前、有力な地位に就いていた人たちが
公職追放令によってその地位を負われると、
彼らがそれに代わって、あたかも凱旋将軍のごとく学会や言論界に戻ってきたのです。」


「さらに、進駐軍の方針で新制大学が全国各地につくられるようになると、
彼らはそこに自分の弟子たちを教授として送り込みました。


そのため、日本のアカデミックな世界はあたかも進行性のがん細胞に侵されたごとく、
あっという間に左傾化してしまいました。」
以上引用終わり

 
 今でも、このときの左翼言論人の弟子達が教育言論界の主要なポストにいて、
日本人に自虐史観で洗脳し続けているのです。


 さらに、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を撤去しました。
なぜ、わざわざ、全国の小学校から二ノ宮金次郎の銅像を
撤去するようなことをしたのでしょうか?


これが「日本人を、2度とアメリカに歯向かうことができない民族にすること」
とどのような関係があるのでしょうか?


 それは、アメリカ人は日本の思想教育を一番恐れていたからです。
二宮金次郎の思想や「教育勅語」、「修身」という道徳教育、
「神道」について小学校で教えることを一切禁止しました。


 その他、歌舞伎座で「赤穂浪士」といった
「忠臣」の思想が入った演目の上映も禁止しました。
一時はすべての演目が中止されて、日本から「歌舞伎」
というものが消滅する寸前のところまでいきました。


この歌舞伎の消滅を救ったのは、マッカーサーの副官で
フォービアン・バワーズという人物です。
 彼は、戦前の日本に、インドネシアへの放浪の旅の途中に立ち寄りました。


そしてたまたま、「東京へ行って、銀ぶらしながら歌舞伎座に偶然入った。
お寺かと思って」
(「歌舞伎を救った男」集英社)そして、立ち見席でたまたま「忠臣蔵」を見て、
歌舞伎に魅せられてしまいました。
そして、チケットをキャンセルして日本に長期滞在しました。


この青い目をした歌舞伎ファンの青年のおかげで、
日本の歌舞伎は存続することができたのです。


 この「アメリカに敵意を持たないように」洗脳するプログラムで
一番のメインイベントが「東京裁判」でした。
この東京裁判でA級戦犯として処刑された人間は、東条英機ら高級軍人でした。


しかし当時、天皇の戦争責任を追求するアメリカ世論は大多数でした。
マッカーサーは途中で考えを改めたのです。


それは、天皇のパワーについて知ったからです。


 昭和20年8月30日時点で日本には陸海軍合わせて
約700万人の兵隊が残存していました。


うち国内は約二百六十万人で残り四百四十万人が
東南アジアやロシアなどに駐留していました。


日本軍隊では、どんなに戦況が悪くても、
「進め」「突撃」という上官からの命令はあっても、
「武器を置いて撤退しろ」「降伏しろ」という命令は
あまり出たことがありませんでした。


それが、天皇からの停戦命令で「武器を置いて撤退しろ」
「降伏しろ」という命令が日本軍の中に出たのです。


東南アジア諸国に何百万人といた日本軍の武装解除が
天皇の一言で何の混乱もなく速やかに行われ、
本土に復員していったのです。


決して降伏しない日本軍、という印象をもっていた連合国にとって
これは不思議な出来事でした。
 マッカーサーの副官にボナー・F・フェラーズという人がいました。


彼は重要な任務がありました。
それは、マッカーサーに天皇の戦争責任についての覚書を提出することでした。


以下はその意見書の抜粋です。


「無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を要求した。
天皇の命令により、七百万の兵士が武力を放棄し、
すみやかに動員解除されつつある。


天皇の措置によって何百何十万もの米国人の死傷が避けられ、
戦争は予定よりもはるかにはやく集結した。


 したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、
戦争犯罪のかどにより彼を裁くならば、
それは日本国民の目には背進に等しいものであろう。


それのみならず、日本国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件降伏とは、
天皇を含む国家機構の存続を意味するものと考えている。


 もしも、天皇が戦犯罪のかどにより裁判に付されるならば、
統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないであろう。


 彼らは、武装解除されているにせよ、反乱と流血が起こるであろう。
何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。
占領期間は延長され、そうなれば、日本国民を疎隔してしまうことになろう。


 米国の長期的国益のためには、相互の尊敬と信頼と理解にもとづいて
東洋諸国との友好関係を保つ事が必要である。
結局のところ、日本に永続的な敵意を抱かせない事が国家的に最も重要である。」
以上引用終わり 

 
 この覚書により、「天皇に戦争責任を追求しない」
ことにマッカーサーは考えを改めました。


そして、4ヶ月後に米国政府に最終的な判断を報告しました。
これにより、ワシントンの天皇の戦争責任論議は終結しました。


 ボナ・F・フェラーズはクエーカー教徒であり、
同じクエーカー教徒で河井道という日本の友人がいました。


彼女は、恵泉女学院を創設した人です。
彼はこの覚書をマッカーサーに提出する前に、
「日本人にとっての天皇感」について、河井に意見を求めました。


 後に、フェラーズは死ぬ直前のインタビューで次のようにコメントしています。
「私はあの覚書の内容について自身が持てなかった。


あれはミチ カワイから授かったものだ。彼女は実に偉大な女性だった。
彼女が私を助けてくれた。彼女は知らないだろうが。


マッカーサーの天皇に対する態度に、彼女は大きな影響を及ぼしたと想う。」
以上引用終わり。


 天皇に戦争責任を追求しないマッカーサーの方針に直接影響を与えたのが、
副官のフェラーズですが、間接的に影響を与えたのが、
日本人の河井道だったのです。



 約7年後、日本から進駐軍が撤退し、形式的には日本は独立国家となりました。
(事実上は今現在でも日本はアメリカの保護国です。)


(つづく)
自分は長女を、七田チャイルドアカデミーに
1歳半の時から通わせています。


七田は右脳教育で有名ですが、
ほめてほめて長所を伸ばすというような教育方針を徹底しています。


当初、英語のレッスンに行かせようとして、
家から通える範囲で探していたら、七田チャイルドアカデミーがヒットしました。


ちょうど同じ時期に本屋で育児書を探していたら、
七田さんが書いた右脳教育の本に手が伸び、買って読んでいました。


妻に勧めたら、「右脳教育? 何それ、あやしい」といって、娘をそんなところに行かせない」
と反対されてしまいました。


それでもめげず、「一度だけ体験レッスンが、無料であるから行ってみたら? 
娘が興味示さなかったら、そのとき考えればいいじゃない」
と何とか説得し、一度だけならとしぶしぶ妻が承諾してくれました。


娘を連れて妻が行ってみたら、
今度は妻がハマリ、それからずっと行き続けています。

最初は英語でのレッスンだったのですが、
途中から日本語のクラスに妻が勝手に切り替えました。


レッスン内容はフラッシュカードやドッツカードといったものを、
1秒でぱっぱっぱと、見せていきます。

とにかく、まだ2,3歳の乳幼児には早いのでは?
 といった内容をフラッシュカードにして、ひたすら見せるのです。
ぱっぱっぱと。


ものすごい情報量です。


しかし、それをやっていくと、左脳ではとても情報を処理できないので、
自然に右脳が活性化されるのです。


そして、右脳に刷り込まれた情報は、
潜在意識に入っていくそうです。


たとえば、「じゅげむじゅげむ・・・・」や
円周率「3.1415・・・・」も覚えてしまうし、
最近は九九算をやっています。


ちなみに自分は九九算を小学3年くらいに覚えました。


それから、できなくても先生は決して怒ったりしません。
「いいよいいよ」
「直感でいいから答えてごらん」
という感じです。


「よくできたね、すごいね、上手に書けたね」
と、ものすごく感情を込めてほめます。
とにかくほめます。
ほめてほめてほめまくります。


こうやってほめられると子供はやな気持ちがしません。
モチベーションが下がりません。


楽しくてまた、行きたいとなります。


「娘が行くのを嫌がったら、無理に行かせなくていいよ。」
「あまり、宿題のプリントも無理強いしないように、
ドロップアウトしてしまうから」
と妻にはときどき言っています。


ところが、娘は、七田は続けたいと言っています。


学校教育は、子供の欠点を矯正して平均に慣らそうとします。


欠点にフォーカスをあて、注意して注意して、直らなければ、
また注意して、というやり方が良しとされているのが学校教育です。


これでは、子供は学校に行きたくなくなります。
モチベーションも下がります。


一時期、「個性、個性」と日本の教育現場にはやりました。
また、「ゆとり教育」という訳のわからない言葉もはやりました。


子供が本当に興味を持ち、モチベーションが上がり、
レッスンを続けたいと言うのは、
「個性教育」でも「ゆとり教育」でもありません。


・ほめてほめてほめること。
・長所にフォーカスをあてること。
・ものすごい情報量を与え、知的好奇心をくすぐること。

ではないでしょうか?
以下は、アメリカジャーナリズムの古典と言われている文章で、
リーダーズ ダイジェスト誌が要約して掲載したものです。

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「父は忘れる」  リビングストン ラーネッド



坊や、聞いておくれ。


お前は小さな手にほほをのせ、
汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、
安らかに眠っているね。


お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。
今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、
急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。


罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたのだ。


お父さんは考えた。
これまでわたしはお前にずいぶんとつらくあたっていたのだ。


お前が学校へ行く支度をしている最中に、
タオルで顔をちょっと撫でただけだといって、叱った。


靴を磨かないからといって、叱りつけた。
また、持ち物を床の上に放り投げたといっては、どなりつけた。


今朝も食事中に小言をいった。
食物をこぼすとか、丸呑みにするとか、テーブルに肘をつくとか、
パンにバターをつけすぎるとかいって、叱りつけた。


それから、お前は遊びに出かけるし、
お父さんは停車場へ行くので、一緒に家をでたが、
別れるとき、お前は振り返って手を振りながら、
「お父さん、いってらっしゃい」といった。


すると、お父さんは、顔をしかめて、
「胸をはりなさい」といった。


同じようなことがまた夕方に繰り返される。


わたしは帰ってくると、
お前は地面に膝をついて、
ビー玉で遊んでいた。


長靴下は膝のところが穴だらけになっていた。
お父さんはお前を家へ追い返し、
友達の前で恥をかかせた。


「靴下は高いのだ。お前が自分で金を儲けて買うのだったら、
もっと大切にするはずだ。」


ーこれが、お父さんの口から出た言葉だから、われながら情けない。


それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいるとき、
お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。


うるさそうにわたしが目をあげると、
お前は、入り口のところで、ためらった。


「何のようだ」とわたしが怒鳴ると、
お前は何も言わずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。


両手をわたしの首に巻き付けて、私に接吻した。


お前の小さな両腕には、
神さまが植え付けてくださった愛情がこもっていた。


どんなにないがしろにされても、
決して枯れることのない愛情だ。


やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、
二階の部屋へ行ってしまった。


ところが、坊や、そのすぐ後で、
お父さんは突然何ともいえない不安におそわれ、
手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。


何という習慣に、お父さんは取り憑かれていたのだろう。
叱ってばかりいる習慣。


まだほんの子供にすぎないお前に、
お父さんはなんということをしてきたのだろう。


決してお前を愛していないわけではない。


お父さんは、まだ年端もいかないお前に、
無理な事を期待しすぎていたのだ。
お前を大人と同列に考えていたのだ。


お前の中には、善良な、立派な、真実なものがいっぱいある。


お前のやさしい心根は、ちょうど、
山のむこうからひろがってくるあけぼのを見るようだ。


お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をしたとき、
そのことが、お父さんにはっきりわかった。


ほかのことは問題ではない。
お父さんは、お前に詫びたくて、
こうしてひざまついているのだ。


お父さんとしては、これが、
お前に対するせめてものつぐないだ。
昼間こういうことを話しても、お前にはわかるまい。


だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。


お前と仲良しになって、
一緒に喜んだり悲しんだりしよう。
小言を言いたくなったら舌をかもう。


そして、お前がまだ子供だということを常に忘れないようにしよう。


お父さんはお前を一人前の人間と見なしていたようだ。
こうして、あどけない寝顔をみていると、
やはりお前はまだ赤ちゃんだ。


昨日も、お母さんにだっこされて、
肩にもたれかかっていたではないか。
お父さんの注文が多すぎたのだ。


人を非難するかわりに、
相手を理解するように努めようではないか。


どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、
よく考えてみようではないか。


そのほうがよほど得策でもあり、また、面白くもある。
そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれでてくる。


すべてを知れば、すべてを許すことになる。


英国の偉大な文学者ドクタージョンソンの言によると、
「神さまでさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」


まして、われわれが、それまで待てないはずはない。

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人の批判や非難をしていると、いずれ自分に返ってきますが、
自分の子供に対しても、それは同じです。


親がいらいらしていると、
子供をつい叱ってしまいます。


そして叱られた子供は泣きます。
泣いている子供に向かってさらに怒ります。


「なんでわからないの!」とか
「何度言ったらわかるの!」など。
 

自分もときどき娘に怒ります。


泣いても構いません。
放っておきます。


しばらくすると可哀想になり、抱っこします。


そのとき、自分の胸のボタンがはずれているのを見つけ、
娘が一生懸命ボタンをつけようとしてくれたことがありました。


まだメソメソしながらです。
自分は後悔しました。


なんで怒ってしまったのだろう、と。
 

子供は天からの預かりものです。
親を選んでくれたのです。


まだ、何も知らない赤ちゃんだから、
子供だからといって、
つい管理指導する対象と見てしまいます。


でも、魂レベルでは何度も輪廻天性を繰り返し、
地球上で生きてきたのです。


そして、今回の人生も魂を向上させる為に
天命を与えられて生まれてきました。


そう考えると一人の尊い命として、
尊敬の念をもって接することができます。