子供と離れて暮らす親の心の悩みを軽くしたい -46ページ目
こんにちは

子供が育つパパの言葉、の斎藤です。

今回のテーマは、子供の自己イメージを大切にです。


親が子供に対し「だめじゃないの」とか
「まったく何でできないの」とよく怒ります。


口癖のように愚痴をいいます。
繰り返しこのように言われると、
子供は萎縮していきます。


そして、自分で自分の事が好きでなくなってしまいます。
自分に自信が持てなくなり「たいした存在ではない」
と感じてしまいます。


 子供の自己イメージは、親からどのように扱われたかで
形成されていきます。


「まったくだめじゃないの」
と言われ続けた子供の自己イメージは
「だめな子」となります。


「まったく何でできないの」
と言われ続けた子供の自己イメージは
「出来ない子」となります。


「うちの子は友達ができない」と親が信じていると
子供の自己イメージは「友達ができない子」となります。


「うちの子は腎臓系の持病がある」と親が信じていると、
子供の自己イメージは「腎臓系の持病がある子」となるのです。


 親がどう思うかで、子供の自己イメージは
どうにでも作ることが出来るのです。


どうせ、子供の自己イメージを作るのなら、
ポジティブなイメージにしたほうがいいです。


「友達がたくさんいる子」とか
「病気をしない健康な子」とか
「天真爛漫な子」などです。


 親が子供に繰り返し言う言葉というのは、非常にインパクトがあります。


子供の深い意識にインプットされるのです。
愚痴を言う前に、その事を意識して子供に接してみてください。
こんにちは

子供が育つパパの言葉、の斎藤です。


今回のテーマは読書のすすめです。


情報を得るのに最も効果的なのは読書です。
本を読む事に勝る情報収集方法はありません、
インターネットが普及し、手軽に情報を手に入れられます。


また、ケーブルテレビも普及して、
海外のテレビ番組が手軽にみる事ができる時代です。


しかし、どのように時代が変化しても、
本を読むことで情報を得るのが一番効果的なのです。


インターネットは何か調べものがしたいときには非常に有効です。
グーグルで検索すれば、簡単に必要な情報が手に入ります。


 一方、本を読むと、知識が蓄積されていく実感が持てます。
本棚に並んだ本を見て、これだけの知識が自分の中に蓄積されたのかと思うと、
自己満足に浸れます。 
 小さいころからたくさんの絵本を読んであげるのは非常に大切です。


特にパパから読み聞かせをしてもらった子供は、
その効果は顕著に現れます。
パパも積極的に絵本を読んであげてください。


 自分も子供が「この本読んで」と絵本を持ってきたときは、
面倒がらずに読み聞かせしています。
子供があきるまでです。そのまま子供が寝てしまう事もあります。


 よく、「もうこの本で終わりだよ」という親がいます。
このような事を言ってはいけません。


子供があきるまで、あるいは寝てしまうまで読んであげてください。
 乳幼児にこの経験をして育つと、本を読むのが好きになります。


また、声を出して本を読むがとても大切です。
自分が発した声を自分の耳で聞く事が、言語を習得するうえでとても大切なのです。


ひらがなでしか読めない時期に、声を出してたくさんの本を読んだ子供は、
多くのボキャブラリーを蓄積していきます。
 自分の娘も、本を読む時は一人で声を出して読んでいます。


手前味噌ですが、2歳の時点で既にかなりのボキャブラリーを使っておしゃべりしていました。
 テレビゲームやテレビをたくさん見て育った子供は、
表現能力があまり発達しません。ボキャブラリーも蓄積されません。


言語を習得するうえでも、たくさん読書をした子供は優れているのです。
 乳幼児からたくさん絵本を読み聞かせしてください。


そして、声に出して本を読む習慣を身につけさせてください。
そうすれば、子供のコミュニケーション能力は目覚ましく発達していきます。
こんにちは

子供が育つパパの言葉、の斎藤です。


今回のテーマは、他人と比較しない、自分の子供を卑下しないです。


子供が成長していく過程で、
常につきまとうのが同年代の他人との比較です。
親が、「あの子すごいね」と他人をほめます。


それを聞いた子供は、
「親は自分より他人が優れていると思っている」
と劣等感を感じてしまいます。


わざわざ、自分の子供に劣等感を植え付けるような事を言う必要ありません。
ほめるのは自分の子供だけでいいのです。


 また、お友達のママとこんな会話をします。
「うちの子は、まったくだらしなくて」とか
「かたづけもできないのよ」、
「勉強もできないの」などです。


そんな会話を脇で聞いていた子供はどう感じるでしょうか? 
「だらしない子」、
「かたづけができない子」、
「勉強ができない子」
というレッテルを親から貼られてしまったのです。


本当に「勉強ができない子」
「かたづけができない子」になるのに、
それほど時間はかからないでしょう。


その親は、自分の子供が「できない子」
になるよう一生懸命に育てているのです。


 なぜ、自分の子供を卑下するのでしょうか? 
それは謙遜するつもりで言っているのです。


謙遜することと卑下することは違います。
 人から「おたくの子はすごいですね」と言われたら
「そうなの、うちの子はすごいの」と言えるぐらいでいいのです。


それを、「いえいえ、うちの子はダメなの」
と条件反射で謙遜しているようではだめです。


 また、自分の子供を「あいつは馬鹿でだらしない」と、
人に批判的に言う父親がいます。


こんな父親の会話を、脇で繰り返し聞いて育った子供に、
「素直な心」を育てることはできません。


人に「感謝する心」を育てることもできません。
そして、深い意識にはしっかり劣等感が植え付けられるのです。


 なぜ、わざわざ自分の子供に劣等感を植え付けることを言うのでしょうか? 
それは、父親の深い意識にも劣等感があるからです。 


 ただ、ほめるだけでいいのです。
他人ではなく自分の子供を「すごい」とほめるのです。


そうすれば、「できる子」になります。
また、「素直な心」「感謝できる心」を育てることもできるのです。
こんにちは

子供が育つパパの言葉、の斎藤です。


今回のテーマは、親の愛情が大事です。


子供は年齢に関係なく、親からの愛情を必要とします。


乳幼児であれば「だっこだっこ」とせがんできますし、
小学生となっても、親から大切にされていると
感じていたいものです。


十分に愛情を受けて育てられた子供の情緒は安定しています。
逆に親から祖末に扱われ育った子供の心は、問題がでてきます。


他人に暴力をふるったり、
うそを平気でついたりなどです。


 赤ん坊はおしゃべりできません。
けれど最高の笑顔があります。


その笑顔をみると大人は、
「かわいい」といってかまってくれます。


こちらが笑顔で接すると、赤ん坊も笑顔になります。
そして、はしゃいで喜びます。


だっこと笑顔でスキンシップを十分とって育てると、
赤ちゃんの情緒が安定します。


 娘がまだ赤ちゃんの頃、
顔が合うたびに極端に笑顔で接しました。


普段自分はむっつり顔なのですが、
意識してニコッと笑顔を作りました。


すると、決まって娘は笑顔になり、
手をばたばたとやり、はしゃぎました。


 久徳重盛氏はつぎのように述べています。
「声をかけたりあやしたりして赤ん坊に働きかけることなど、
たいした意味がないと思っている親が多いのではないでしょうか?


しかし、実はそうではないのです。


『高い高い、いないいないバー』など、
大人と子供の間でのこんなやり取りが
子供にこのましい刺激を与えることになり、


これが子供を生き生きさせ、
親の愛情を感じて心と体がたくましく成長するための
極めて大切な要素となるのです。」
以上、引用終わり。


 思いっきり無理して作った笑顔で、
赤ん坊と接していたことはよかったのです。


 赤ちゃんと接するときは、思いっきり笑顔で接してみてください。
きっと、赤ちゃんは大喜びしてくれますよ。
こんにちは

子供が育つパパの言葉、の斎藤です。


今回のテーマはパパの育児のすすめです。


子供が乳幼児期の間、できるだけ一緒に過ごしたほうがいいです。
共働きしていてなかなか休めないとか、いろいろ事情はあるでしょう。


しかし、少なくとも1歳までは、赤ん坊と一緒に過ごしてあげたほうがいいです。
母親ができなければ父親でもかまわない。仕事量を減らして、
育児の時間を優先するようにしたほうがいいです。


 日本の父親は、育児に積極的に参加することはしませんでした。
仕事が最優先であり、週末も出勤したり、会社の同僚とゴルフにいったりと、
家族と一緒に過ごすことを後回しにしてきました。


夜遅くまで残業し、会社帰りに同僚と居酒屋に行き、愚痴を言うことが常です。
残業せず、まっすぐ家に帰ることはあまりしません。
 今は政府も、父親が育児休業をとることを奨励している時代です。


何も、父親が育児しても恥ずかしがる必要はないし、
世間の目を過剰に意識する必要ありません。
父親も育児に積極的に参加し、子育てを嫁任せにしないようにしたほうがいいです。
 

 娘が生後10ヶ月位の頃、一時保育に数日預けた事がありました。
娘が母親と一日中離れて過ごすのは、このとき始めてでした。


当初自分が休暇を取り娘の面倒みる予定でしたが、
嫁が保育所に預けると決めてしまいました。


 保育園に預ける場合、ある程度慣らし期間を設けます。
始めは、1,2時間から始め、母親は近くにいるが、
保育士が子供の世話をするという感じです。


だんだんその時間を延ばしていき、母親も離れたところにいるようにします。
このような慣らし期間を経てから、朝から夕方まで預かってもらいます。
 このときは、慣らし期間を経ずに朝から夕方6時過ぎまで預けました。


 この一時保育に預けると嫁が決めてしまったとき、
自分の中にはあることが頭をよぎりました。
それは、自分が子供の頃飼っていた猫です。


 その猫は足を骨折したので動物病院に入院しました。
その後、家に戻ってきたとき、活発だった猫は別人ならぬ別猫になっていたのです。
活発さはなくなり、おとなしくなってしまいました。


入院中、その猫はずっと泣いていたそうです。
 自分の娘と猫を比較するのもどうかと思いますが、
「娘は、一時保育の経験で別人になってしまうだろう」と思ったのです。


 それまでは、母親がちょっとトイレに行っても、
隣の部屋に行っても、気にせず一人で遊んでいました。


しかし、一時保育の後は母親がちょっと隣の部屋に行っただけで
「ママはどこ行ったの?」
と不安になって必死に探すようになったのです。


自分は胸が苦しくなりました。


 一時保育をした保育士は、「10ヶ月ごろが一番難しい」と言っていました。
なぜなら、まだ生後2,3ヶ月なら本人もよくわからないまま保育士に預けられるので、
特に問題は生じない。


だが、10ヶ月くらいだと自我が生まれるので、
母親から離されて知らない人にいきなり預けられると、
いろいろ問題が生じてしまうからです。
徐々に慣らしてから預ける必要があるのです。

 
 短期で乳幼児を人に預ける場合、なるべく親類に頼んだほうがいいです。
優先順位としては、まず、おじいちゃんおばあちゃんに頼みます。
次に兄弟姉妹。


なぜなら、子供が生まれたときから何度も会った事があり、
慣れているからです。


それに、孫に対するおじいちゃんおばあちゃんの愛情は格別だからです。
 また、親類に頼めない場合、他人に頼む事になります。
まず、ベビーシッターに頼みます。


それは、子供が普段生活している自宅で過ごす事ができるからです。
ベビーシッターに頼めないときは、最後の手段として保育所に預けます。
 保育所が悪いという訳ではありません。


国家資格を持ち、教育を受けてきた人が世話してくれるので、
働くママにとっては有難い施設です。
しかし、可能であれば親類に預けるようにしたほうがいいのです。


水知らずの他人にいきなり預けてしまうと、
子供の情緒が不安定になる場合があるからです。
 長期で保育所に預けるのであれば問題ありません。


十分に慣らし保育をしてから預かってもらうからです。
しかし、一時保育の場合、この慣らし期間を十分にとらないため、
知らない人といきなり1日中一緒に過ごすことになります。


それまではずっと生まれた時から母親と一緒に生活していたのにです。
 その後、嫁が会社に復帰するので長女を保育園に預ける事にしました。
一時保育ではなく長期で。


その際、十分に慣らし保育してからフルタイムで預けました。
だが、娘は泣くばかりでなかなか保育園の生活に慣れる事ができませんでした。


これは生後10ヶ月のときの一時保育の経験が、
トラウマになっている為であると思いました。


 諸事情で一時的に乳幼児を預ける場合、優先順位を考慮してください。
可能な限りパパが面倒みる方がいいです。


仕事の量を減らして育児になるべく時間を取るべきです。
保育所は最終手段です。そうすれば、子供の情緒は安定します。
先日、日本にいる家族のところに帰りましたが、その際、娘が何気なくこんな事を言いました。


「パパさ~、日本で仕事してよ」


「何で?」
と聞くと


「だって、そうしたら、しょっちゅうパパと会えるじゃない」



これを聞いて嬉しくなりました。



今まででしたら、このような娘のたわいない言葉を聞き流していましたが、
ちょっとこの時は考えてしまいました。



過去にも娘の言葉を無視したため、あとで後悔した事が何度もありました。



例えば、別居生活を始める際、娘は


「パパ、行かないで」


と泣いて訴えてきました。



何で、この時に、別居することをやめなかったのだろうか?
「どんなに辛くても、パパは娘を残して家を出て行ったりしないよ」
となぜ、言えなかったのだろうか?



後悔しても後の祭りです。



日本に帰国しているとき、娘からDVDに録画したいテレビあるのでパパ設定して、
と頼まれました。
そして、次の日に娘と一緒にそのドラマを見ました。



そのタイトルは「マルモのおきて」という番組でした。



始めは何気なくみてましたが、何だかドラマの内容が自分の状況と似ているので、
びっくりしました。



ドラマでは、小さな子供を残して家を出て行ってしまったが、
その後、子供のことを思い、何度も後悔している母親が描かれていました。



その母親は小学校の運動会に隠れて見に行ったり、
その帰りに、娘から、「おばさんはお母さんですか?」
と聞かれ、動揺しながら「違うよ」という母親。



それを見て、何で素直に「ママだよ」と言えないのか。
何で素直に「子供と一緒に暮らしたい」と言えないのか。



意地やメンツがあるのでしょう。
だから、自分の気持ちに素直になれないのでしょう。



その母親を見て、自分の今の状況に重なりました。



自分に課した、くだらない決め事は捨ててしまい、
自分に素直になればいいのです。



子供にとってもそれが一番です。



パートナーに対してのくだらない感情など捨て去り、
自分は子供に対して何をしてあげられるのか、
と問いかけてみればいいのです。


全くおばかな父親です。



反面教師にしてください。
決して同じような事はしないように。
ある日、父親から一通のメールが届きました。
そのメールには父親が昔書いたメルマガが添付してありました。



そのメルマガは父親が昔、仕事を辞めて社会保険労務士とて独立開業をした当時を
振り返り日記調に書いたものでした。



そのメルマガでは、自分が7才で弟が4才の時に独立をしたと書いてありました。
今、自分の娘は上が7才で下が4才です。
なぜか状況は一致しています。



開業当初、自分と弟は学童保育と保育園に通う事になりました。



父親は、子供が学童保育や保育園に通わさなければならないのを、
何とかして解消したい、といったやむにやまれぬ理由で、仕事に打ち込んでいたようです。



数ヶ月後、仕事に出ていた母親を辞めさせ家にいるようにし、
自分が学童保育、弟が保育園に通う必要がなくなりました。



そのメルマガを読んで、自分を振り返りました。



一体自分は何をやっていたのだろうか?



そして、涙が出てきました。



娘が小学校に通い始めてからも、年に何回かしか家に帰らず、
家にいない時は当然、子供の送り向かえもしませんでした。



子供が学童保育に通わすなんてかわいそうだ、
自分ががんばらないと、といった発想がなかったのです。



しかも娘は私立に通っているため電車通学をしています。
夕方は小学校から学童保育、学童保育から柔道教室にいったり、小学校からバレエ教室に行ったり、ピアノ教室にいったり、と忙しい日々を送っています。



その送り迎えは誰がしているのかというと、娘が自分で駅から歩いて行っているのです。



娘が私立に行くことになる前に、小学生に電車通学は絶対反対、
と自分は嫁に言っていたのですが、
まったく聞き入れられませんでした。



でも、そのような生活をしている娘に対して自分は何もしてやれなかったのです。



いや、やれなかったのではなく、やらなかったのです。



同居ができなくても近所にアパートを借りれば送り迎えは自分ができたのです。



何でそれをしなかったか?



全くお恥ずかしい、おばかな父親です。



しょうもない意地を張っていたのでしょう。
すべて嫁が悪いを決めつけていました。



じゃ、お前は子供に何をしてあげたの?



と自分に問いかけると、何もしてあげていませんでした。



長女は一時、パパのことを叔父さんと言ったりしていました。
これは嫁に洗脳されているからだと思っていましたが、いや違う。



自分が、娘に対して父親として何もしてられなかったから、
こんな荒んだ心になってしまったんだ、と反省しました。



まったくおばかな父親です。
情けなくなります。



あなたの反面教師としてください。
もし、あなたが小さなお子さんをお持ちなら、
決してこのようなおばかな父親にならないように。

子供が小さな頃はなるべく親(特に母親)が
家に一緒にいてあげるほうがいいとよく言われます。



保育園に預けたり、小学校が終わったら学童保育に預けたり、
家のかぎを渡して、一人で夕方家にいるといった子供もいるでしょう。



やむを得ない事情があれば仕方が無いですが、
なるべく特に夕方は子供と一緒にいてあげる事が大切だと思います。



そんなえらそうな事をいう自分はどうかと言いますと、
全くやれていません。



逆のことをしていました。



長女が4才のころから家族と別居をして遠く離れた場所で一人で暮らし始めました。



こうするより仕方がないことであるとずっと考えていました。
その原因をつくったのは嫁でありその嫁の母親である、
といった考えで恨んでいたりしました。



子供と離れて暮らさなくてはいけないのは非常に寂しく辛い日々でしたが、
こうするより仕方がなかったと自分を正当化し、嫁のせいにしていたのです。



全く今考えると情けない発想でした。



何で、子供のそばにいてやれなかったのか。
別居するにしても近所に住めばいいではないか。
子供の送り迎えはできるし、夕方、母親が仕事から帰ってくる間、
子供と一緒にいてやれたではないか。



と、こんな事を反省しました。



一人で好き勝手な事をして、子供に何もしてやれず、情けない父親だったのです。



しかも、たまに子供の所に帰ってきても、嫁と喧嘩ばかりで、
バイバイも言わずにだまって子供がいない間に家を出て行ってしまったりしたのです。



パパはどこいったの?と子供は心配になったことでしょう。
また、パパに見捨てられたという感情を持ってしまったかもしれません。



子供にトラウマを与えてしまったのです。



全く情けない父親です。
父親失格です。



このようなおばかな父親を見習わないで、反面教師にしてください。




魔女タイプの母親を持つ娘を守るすべは何でしょうか?


大人である夫が、この魔女からの挑発に散々苦しめられ手がつけられないくらいなので、
娘がこの魔女からの挑発にどう対処していかなければならないか、
を考えると悲劇的になります。

出来る事は、娘を攻撃する場面に居合わせたら、父親が反論してあげる事です。

でも、その結果、娘は母親の味方をするリアクションをとるかもしれません。
それは、娘が母親に絶対服従を余儀なくされている環境にいるので、
反射的に、自分を守ってくれた父親ではなく、
自分を攻撃していた母親の味方をとっているだけだ、と考えられます。

ですので、そのようなリアクションをとった娘をかばうのがばかばかしい、
とならずに、継続的に、魔女が娘を攻撃している場面に居合わせたら、
「そんなきつい言い方することないだろ」
と魔女に反論し、娘をかばっていく必要があります。

それをしないで、見て見ぬ振りをしてしまうと、娘はこう感じます。

「パパは自分の事をかばってくれなかった」と。

「パパから見捨てられた」
と感じてしまうしまうのです。

娘に買ってあげたおもちゃや英語教材を、魔女は頭ごなしに否定したとき、
魔女に言われっぱなしではなく、娘をかばうために立ち上がるのです。
魔女に対し、勇敢に反論することで、娘は、

「パパが味方してくれた、守ってくれた」

と感じます。
そして、娘は、その英語教材を魔女に隠れて使いつづけるでしょう。

娘が
「ママが友達のところへ行っちゃダメと言われた」
と何度も言ってきたら、
「そうなの」
と聞き流すのではなく、
父親は、その魔女に立ち向かっていかなくてはならないのです。

もし、「そうなの」と聞き流し、
魔女に立ち向かうことを面倒と感じ何もしなかったら、
娘はこう感じます。

「パパから見捨てられた」

娘から
「パパ大嫌い」とか
「おじさん」とか
「パパはもう家族じゃない」
とか言われても、
娘を魔女からかばってあげるのです。

そうすれば、娘の意識には「あのとき、パパがかばってくれた」
という記憶が残り、娘がパパの所に戻ってくる時が必ずきます。
ボーダーラインは分離不安をコントロールするために、絶え間なく戦っています。


心理学者のG.アドラー博士は「分離不安を押さえる為に、自我が崩壊してしまうようなパニックを避ける為に、十分な自身と慰めを得る為に、他者への依存を余儀なくされている」と言っています。


1994年に全米を震撼させた事件がありました。
夫と別居中の母親が、まだ幼い子供を車のチャイルドシートに載せて湖にでかけました。そこでボートを浸水させるスロープに車を止めて、ギアをおろし、シートベルトにつながれたままの幼い子供をのせた車が湖に沈んでいくのを眺めていた。


この母親の殺害動機は、再婚予定の彼から「子持ちの女は好きでない」と言われた事でした。


魔女タイプは、周りに味方をつくりあげようとします。夫の家族や親戚に、自分が正しいという作り話(嘘)をして、同盟関係を作って行きます。


では魔女タイプにどう接していけばよいのでしょうか?


子供は絶対服従を義務ずけられて、逆らったらあとで大きなしっぺ返しが待っている事を、知っています。
よって、まだ小さい子供時代では、まるで強制収容所のような環境で育てられるしかないかもしれません。
具体的な、ネグレスト(虐待)が証明されれば、施設に預けられるなど、離れて暮らす事可能になるかもしれません。


でも、ある程度大きくなったら、自分で行動を起すべきです。
家を出て留学するでもいいですし、とにかく魔女と距離をとるべきです。