武産合氣道 大和/宮城野合氣修練道場 稽古日誌 -51ページ目

武産合氣道 大和/宮城野合氣修練道場 稽古日誌

「神奈川県大和市」及び「仙台市宮城野区」にて岩間スタイル合気道を稽古する「大和/宮城野合氣修練道場」道場長鈴木博之のブログ。IT関連、自動車整備、資格試験、震災関連など、様々な情報を提供しています。

・・・つづき。


震災二日目。塩釜の師匠、船、七ヶ浜の親戚の無事を確認した私は、実家に戻りその旨を伝えた。

実家の家族は大いに安心してくれた。そして被災地で今、何が最も必要とされているを家族全員が共有した。


水。

飲める水。


これが今、最も必要とされているのだ。


工場の水道が生きていたのは、本当にラッキーだった。

魚を冷凍保存する際に使う、ジップロック付きのビニール袋に水道水を入れて、軽トラの荷台に詰めるだけ積み込む。


ポリバケツや発泡スチロールの箱をフル活用する。

大人も子供も、男も女も協力して、家族総出での作業。


季節は3月だから、水は容赦なく冷たい。

指先がかじかむ。冷たさが脳天を突き抜ける。


だがそんなこと言ってられない。


軽トラに水を満載して出発。


塩釜、七ヶ浜へのルートは開拓したから、とにかくそこを通って水を運ぶ。


七ヶ浜の親戚には申し訳なく思ったが、先に塩釜の師匠に水を届けた。

七ヶ浜の祖父母宅には、近くに湧き水があり、当座はしのげるからだ。


そして祖父母宅へ。


積み込んだ水を、台所まで運ぶ。


容器を預かってくる。
次はこの容器に水を入れてくるのだ。


叔母夫婦の家に立ち寄る。

ほど近い町役場には、給水を待つ人の長蛇の列が見える。


叔母に水を渡すと、早速隣近所におすそ分けしている。

自分が使う分を減らしてでも、隣近所に配るのである。


聞けば隣の家には赤ちゃんを抱いた若いお母さんが。

父親は帰って来れないらしい。


水の配送先が塩釜1箇所、七ヶ浜2箇所となった。

この日以降、水を届けることが私の日課となる。


何回水を運んだのか、もう憶えていないのだが、

数え切れないほど何度も往復したことだけは確かであった・・・。


・・・つづく。


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・・・つづき。


船の無事を確認した私は、七ヶ浜に住む祖父母の安否を確認するべく、七ヶ浜へ向かった。
七ヶ浜は松島湾に突き出した半島全体が町になっていて、太平洋、松島、塩釜、多賀城に面している。


七ヶ浜町の代ケ崎浜が母方の実家。ここは塩釜に面しており、太平洋は全く見えない。
津波は太平洋から来るから、その反対側にある代ケ崎浜は、津波の直撃は受けていないだろう。


1960年のチリ地震津波の際も、津波が塩釜を襲う様は見えたが、直接の被害はなかったという。


考えは都合のいい方に、いい方にと進んでいくが・・・。


塩釜から七ヶ浜へ向かうには、貞山堀に沿って行くのが近道だが、このルートはすぐに断念した。
標高が低い部分はどこも水が引いていない。至るところで水没していて、とても走れない。


高台を選んで走る。結局、東北本線塩釜駅から下馬を通り、ホーマック前に出るルートを通った。
平時ならばまず有り得ない遠回りであるが、水没していないルートを走ろうと思うと、どうしても遠回りせざるを得ない。


仙台港の石油コンビナートが右手に見える。

コンビナートは大火災。
もうもうと煙が上がっている。


黄色い炎も見える。刺激臭が鼻をつく。
この匂いでは、気分が悪くなる人もいるだろう。


暴走族のバイクが、爆音を鳴らしながら追い越していく。
引き倒して、関節のひとつも折ってやろうかと思う。


今ならバカを一人葬っても、罪に問われないんじゃないか。
何かに当たりたい、やりきれなさをぶつけたい、そんな気分。


ようやく七ヶ浜の祖父母宅に到着。


重い石造りの塀が倒れ、狭い道路を塞いでいる。

家屋は無事。築40年以上だが、鉄筋コンクリート製だから地震の被害はなかったようだ。


敷地の中には若干の泥が残っていたが、津波による破壊はない。

やはり津波による直接の被害はなかったのだ。


祖父母宅に上がる。


暗い部屋の中、祖父が一人、ポツンとこたつに入っていた。

何もしていない。呆然と、ただ座っているだけなのだ。


いつもならお茶を飲みながらテレビを見ているのだろうが、停電だからテレビも見れず、新聞も来ないから、本当に何もする事がないのだ。
もう90近いから、自宅を出て避難する事が億劫なのかもしれない。


聞けば祖母は高台にある小学校の体育館に避難しているという。
祖父に別れを告げ、祖母を探しに小学校へ向かう。


小学校に到着。そんなに広い小学校ではないが、校庭は車で満杯。
体育館も被災者でごった返している。


祖父母にとっては私が初孫で、特に祖母には随分と可愛がってもらった。
とにかく無事を確認し、こちらの無事も伝えなければならない。


お年寄りが多く、顔を隠して横になっている人もいるので、探すのは容易ではない。


一人一人、顔を確認する。
だがなかなか見つからない。


「お願いだから、浜バアちゃんの所に導いて!」


神でも仏でもすがりたい気分でそう祈る。


2、3人で話し込むおばあさんのグループに近づく。
その中の一人と目が合う。数秒間見つめ合う。


祖母だった。


「よく来てくれたこと~」


嬉しそうな声を聞いて、ホッと安心する。


七ヶ浜の祖父母は無事。
叔父夫婦、叔母夫婦も無事。
従兄弟たちも無事。


ようやく親戚筋全員の無事が確認できた。


親戚の無事、船の無事、師匠の無事。
急いで仙台へ戻り、それらの無事を伝えなければならない。


極めて原始的だが、このように足を使って情報収集を行わなければならなかったのである。

これが被災地の現実。


七ヶ浜町は全体で停電、断水。
ガスもプロパン以外はストップ。
町役場の前には、給水車を待つ人の長蛇の列。


今一番、何を必要としているか。
足を使って収集した情報を元に、明日の行動を決定する。


水だ。


この寒空に、祖父母を並ばせる訳には行かない。

水を汲んでくる。それが明日からのミッションとなった・・・。


・・・つづく。


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長男が通う中学の、お父さん同士の集まりの日。


飲んで飲んで、飲みまくった5時間半。


とっくに終電は終わり。


さてタクシーでも拾おうかとフラフラ歩いていると・・・


「なんじゃコラーッ!」


と、突然の怒鳴り声。


見れば道の反対車線で、坊主頭にタンクトップ姿で肩を怒らせた若い男が、力の限り叫んでいる。


その背後には、ボンネットを開けて停車している軽自動車が。


車が故障したのだろう。


こんな夜中で誰も助けてくれないから、相当怒っていたようだ。


「どうしたー?」


道の反対側に向けて叫ぶ。


若い男がサッとこちらを向き、何やら怒鳴り返してくる。


怒鳴りながら4車線の道を渡ろうとしているので、


「そこで待ってろ!」


と制し、こちらから向かい側に渡る。


「エンジンがかかんねーんじゃコラ!」


私を前にして、果敢にも怒鳴り続ける。


「セルは回るのか?」


という定番中の定番の質問をしても


「エンジンがかかんねーんじゃコラ!」


と怒鳴り返す。


苦笑。


「どれ、キー貸せや」


と言って手を出すと、素直にキーを渡してくれる。


車外でキーをひねる。


セルは元気に回る。バッテリーは問題なし。

エンジンは始動する。点火系統も問題なし。


しかしアイドリング状態になると、ストンとエンジンが止まる。


「直せんのかコラ!」


診断中も怒鳴り続ける若い男。


車に乗り込み、エアコンやラジオなどを止め、アクセルをポンポンと煽りながらエンジンを掛ける。


ある程度アクセルを開けておけば、エンストはしないようだ。


「なんでエンジンかかるんじゃ!」


明らかにトーンダウンしている(笑)


「アクセルは常に少し踏んだままにしてな。

 クラッチ切ったときやニュートラルにすると

 エンストするから、少し踏み続けてな。

 行きつけの工場があるだろうから、

 明日診てもらえよ」


最初の勢いはどこへやら、分かりましたと素直に頷く若い男。


「酒飲んでないだろうな。飲んでたら運転はダメだぞ」


飲んでません、大丈夫ですと素直に答える若い男。

あるいは非番の警察官と勘違いしたのかもしれない。


いずれにせよ、怒鳴った相手に助けられたのだから、さぞや居心地が悪かろう。


「気つけて帰れな」


と言って手を差し出す。

若い男が握り返してくる。


軽く握撃を加える。


「ガタイいいな。格闘技か何か、やってるのか?」


握りながら尋ねると、いえやってませんとのこと。


強く握撃を加える。

若い男の重心が浮く。


そこで許してやった。


背中を向けて歩き出す。

その背に若い男が声をかけてきた。


「じゅんたです!ありがとうございました!」

「おーじゅんた、縁があったらまた会おう!」


そう言って別れた。


格上、格下という言葉があるが、ああ、これが格が違うという事なのねと、ふと思った。


ある程度まで修行が進むと、格下の相手に対しては、怖いという感情がなくなってしまう。


だからいつも通り冷静に対処できたようだ。


これが合気道で言うところの「始めから勝ってる」の域なのかも知れない。


・・・つづき。


師匠の無事を確認した私は、籬(まがき)港に係留してある船を見に行く事とした。


籬港は師匠の道場から、2キロほど離れている。
当然海沿いだから、被害はもっと大きいだろう。


陸(おか)に打ち上げられたのならまだいいが、沖合に流されたり、最悪転覆しているということも考えられる。

考えは悪い方に、悪い方に再現なく広がってしまうものだ・・・


師匠の道場を出発。


北浜からイオン方面へ向かう道路は壊滅状態だから、塩釜警察署の前を通って45号線方面へ向かう。
しかしこちらも酷い。ガレキと車が道を塞いでいる。


家一軒が丸ごと流されて、道路の真ん中に鎮座している。

家をギリギリかすめながら、慎重に車を進める。


仙石線の高架が見えてきた。その下を45号線が走っている。
だがそこでそれ以上進めなくなった。

・・・道が完全に水没しているのだ。


水深が浅いのならば行けないことはないのだが、何が沈んでいるかは分からない。

軽トラを止めて、自転車を降ろす。


水没していない抜け道を通る。


1辺が50cmはありそうな角材が道を塞いでいる。

一端は家屋に突き刺さり、斜めになって横たわっている。

その上を、自転車を持ち上げて乗り越える。


やっと45号線に出ても、流されたガードレールが、折れ曲がりながら道を塞いでいる。
まず自転車を向こう側に渡し、それからまたいで乗り越える。


国道45号線は完全に遮断されている。

車は一台も通らない。

通るのは自転車と、歩行者のみ。


国道なのに。

仙台から北へ物を運ぶ、物流の大動脈なのに。


籬港に近づく。


港付近にあった練炭の工場から、大量の練炭が流出し、そこかしこに黒い塊となって転がっている。
車に踏みつけられ、黒い轍となって無残な姿を晒している。


プロパンガスの供給所から、大量のガスボンベが流出し、ゴロゴロと転がっている。
傷だらけで、黒い油が付着している。船の燃料となる重油なのだろう。


ニッサンのディーラーは、ガラスが割れ、壊れた車が折り重なっている。

これを片付ける社員の苦労を想像してしまう。


最悪の状況を思い浮かべながら、船に近づく。


向かい側の桟橋には、鋼鉄製の船が打ち上げられている。

籬の桟橋は、至るところで地盤沈下。


水面を見ると、軽自動車が1台沈んでいる。
誰も乗っていなければいいが・・・。


ようやくうちの船を発見。外見は全く問題ない。
打ち上げられてもいないし、傷もついていない。

いつも係留していある所に、プカプカと浮かんでいる。
ロープや浮きの類も全く無事。


思わず脱力する。


あの津波が襲いかかったというのに、奇跡としかいいようがない。
同じ籬に係留してある船でも転覆した船が何隻もあるというのに・・・。


二つ隣の船は、津波をかぶってエンジンルームにまで浸水し、営業再開は不可能だという。

ほんの数メートルでかくも被害が違うとは・・・。


#後日談。実は全く無傷ではなく、ロープを結えつける鉄骨の上端に乗り上げ、

#船の先端側面に穴が空いていたという。

#鉄骨は水面から4メートル以上の高さがある。

#つまり4メートル上下したということになる。


とにかく写真を取る。

船は無事。これを父親に伝えなければならない。


船の無事は確認できた。


次は七ヶ浜の親戚の安否である。


・・・つづく。


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お客さんに納める車にカーステレオを取付中。


なかなかうまく動かない。

画面に表示が出ない。

出たと思えばキーが効かない。


困った。


こうでもない、ああでもないと夢中で作業していたら、いつの間にかセールスマンが入口に立っていた。


私に気づかれずに近寄るとは、大したもの。


例年にない暑さで、イライラしていた。カーステレオも素直に動いてくれない。

それに加えて、他人の接近をここまで許した自分に対する怒りが加わり、ジロっと睨みつける。


スーツをビシッと決め、両手で捧げ持った名刺入れの上に置かれた名刺を渡そうとするセールスマン。

まだ若い。20代前半といったところか。


カーステレオ修理のために前かがみの姿勢になっていた。

そこから身を起こし、相手に対峙する。


気に食わない相手に対してプレッシャーを掛ける時の姿勢。


本能的に危険を察知したセールスマンが一歩下がる。

明らかに腰が引けている。


「ご要件は?」


名刺を受け取らずに、ぶっきらぼうに尋ねる。


「NTTから来まして、御社の電話料金を低減するご提案で参りました。」


「うちはKDDIでまとめてるから、接点ないね。」


しどろもどろになりながらセールストークを展開するセールスマンに対し、

ぶっきらぼうにそう答え、お帰り頂いた。


よくよく考えると、セールスマンに落ち度はない。

ただ飛び込み営業で会社を訪れただけである。


悪いことしたかなーと思い、飲み物の一本でもあげようかと思ったが、もう姿は見えなくなっていた。


私は他人に対して、かなりの威圧感を与えるようだ。

これは商売人としてはマズい。


体格はもうどうしようもないから、他人に対しては笑顔で愛想良く接しよう、そう思った。


長い一日を、眠れぬ夜を過ごし、夜が明けた。


避難所で一夜を明かした妻とも無事再開し、家族全員の安否が確認された。


どうしても次に確認せねばならないのが、塩釜に住む合気道のお師匠、塩釜に係留してある船、そして七ヶ浜に住む親戚である。


被災者から多賀城の状況は聞いているが、塩釜の状況は全く分からない。


停電のため、テレビもネットも使えないのである。

今思えば、カーラジオという手があったが・・・


軽トラに長靴、自転車、工具類を積み込み、出発する。


国道45号線を下り、多賀城方面へ。


しかし多賀城の手前で通行止め。

見れば多くの車やガレキが国道を塞いでいる。


工場から数分と掛からない距離だが、

そこでは凄まじい光景が展開している。


この状態では、海沿いを走る産業道路もダメだろう。


仙台育英学園の横を通り、岩切方面から迂回する。


母校である学院大工学部の横を通り、塩釜神社の横を通り、どうにか塩釜へ。


左手には塩釜神社の石段、右手には造り酒屋。


見慣れた光景のはずだが、ボロボロになった車やガレキが散乱。

道路はアスファルトが剥ぎ取られ、電柱は傾き、電線が垂れ下がって行く手を塞ぐ。

家一件が丸ごと道路を塞いでいる。


クレーンでも容易に動かせそうにない程太い柱が道路に横たわっている。

ガードレールが折れ線グラフのように道路を分断している。

大小様々な船が、本来あるべき場所から離れ、店に突っ込み、船底を晒している。


学生時代から何度も通った、見慣れた道がすっかり様変わりしている。


道場に到着。


敷地の中も、ガレキや泥が散乱し、自動車がフェンスや井戸に乗り上げている。


急いで軽トラから降りると、汗だくで片付けをしている先生が!


「おー鈴木、よく来たな」


ほっとする。


道場は1メートル以上の冠水。


ドアを閉めてはいたが、それでも道場内は30センチ近く浸水。


門下生の汗と酒を吸った畳が、泥水をかぶって無残な姿を晒していた。


「もう笑うしかねぇな」


先生は明るく言うが、その胸中はどうだろうか・・・。


塩釜は停電、断水。

ガスも止まっている。

当然ネットも使えない。

携帯はたまにつながる程度。

4台あった車のうち、2台が水没。


これが海沿いの街の、被害の実態なのである。

被災地に行かなければ、絶対にわからなかったであろう。


現地で情報が全く手に入らないのと対照的に、日本で大震災発生のニュースは、メディアやネットによって世界中の人の知るところとなった。


師匠の掲示板には、安否を心配する道友の方々からの書き込みが次々と行われていた。


しかし現地ではそれを知るすべも、読むすべもなかったのだ。


私は北海道の知人に電話をかけた。

なかなかつながらない上に、つながってもすぐに切れてしまう。

短時間で要点を伝えなければならない。


「アメリカの道友、マークさんにメールを打って欲しい。

 塩釜の師匠と家族は無事。道場は冠水。

 ミネソタ合氣修練道場のWebサイトを調べてメールを送って欲しい。

 英語で頼む。」


「え、英語ですか・・・?」


北海道の友人は慣れぬ英語でメールを打ってくれた。


後日思い出したのだが、マークさんの奥さんは日本人。


北海道の友人には、奥さんから日本語で丁寧な返信が帰ってきたとか・・・。


その一方大和の弟子にお願いし、掲示板へ安否情報の書き込みをお願いした。


こちらは院卒だから英語はお手のもの。英語とドイツ語で、複数の掲示板に書き込みをしてくれた。


二人の尽力により、師匠を含む東北の道友の安否情報を世界へ伝えることができた。


とにもかくにも、師匠の無事は確認できた。


次は塩釜に係留してある船、そして七ヶ浜の親戚の安否である。


・・・つづく。


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被災者が続々と避難してくる。


太めの中年女性が、足を引きずりながら避難してくる。
今にも倒れそうだ。

その横では、若い男性が中年女性を支えるようにして、励ましながら歩いている。


声をかけると、フラフラと入ってきて、
用意した椅子に倒れるようにして腰掛ける。


おにぎりと味噌汁で一息ついたところで、ポツポツと話し始める。


職業は看護師。
心臓が弱く、体力には自信がない。
おまけに膝が悪く、手術したばかりで傷口も塞がっていない。


そんな状態で津波に襲われた。


多賀城を車で走行中地震発生。


車で仙台方面へ逃げようとしたが、渋滞で身動きできず。
そうこうしているうちに押し寄せる津波。


車が浮き上がり、流され始める。
ドアの隙間からチョロチョロと水が侵入してくる。


水圧でドアは開かないし、周囲には同じように巻き込まれた車がひしめきあっており、逃げられない。


突然クラクションが鳴ったり、ワイパーが動いたかと思うと、それっきり車は沈黙。

バッテリーが上がってしまった状態。
当然パワーウィンドウは開かない。


外の水位はフロントガラスに達した。
それに伴い車内も徐々に水位が上昇。


冷たい水が、喉元までせりあがってくる。

あと30センチ・・・あと20センチ・・・もうだめだ・・・


諦めかけた頃に、ようやく水が引き始めた。


どうにかして車から降りて、びしょ濡れのまま近くの小学校へ避難した。

九死に一生を得た経験だった。


そこまで語ったところで「タクシー代を出しますから、家まで送ってください」と懇願される。


聞けば家は岡田だという。


岡田・・・


海沿いの町である。送っていったとしても、ご自宅が無事かどうかは全くわからない。


ここから決して遠くはないが、膝の手術を終えたばかりの身体では、歩いていくのは無理だろう。

岡田がどんな状態か分かっていないが、とにかく軽自動車に乗せて送っていく事とした。


産業道路を走る。

至るところに陥没や段差ができている。

水田はすっかり水浸しで、ガレキが散乱する広大な湖となっている。


岡田に到着。


ここは1メートル以上の津波が襲ったようだ。

水はまだ所々に残っている。


水が引いた所には、10センチ近い泥。
タイヤを取られたら帰れなくなる。


ご自宅近くで中年女性を下ろす。


自宅前は泥が深く、物置やガレキが道路に散乱し、通れない。
回り道もあるが、水没していて進めない。


これ以上何もしてやれない。


来た道を引き返す。


広大な湖となった水田で、白鳥がのんびりと毛づくろい。


鳥はいいなと思う。

地震が来ても、津波が来ても、
空を飛んでいればいいのだから。


産業道路を戻る。


段差にタイヤを取られながら歩道を歩く被災者を眺めると、何とビールを飲みながら歩いている。


「こんな時に何だ!」と腹が立つ。


後で聞いた話では、キリンビールの工場から流出した大量のビールを、被災者が拾い集めていたらしい。


飲み食い出来るものが無いのだから、仕方なく飲んでいたのかも知れない。


この時点で朝の10時。


どうしても安否を確認しなければならない人がいる。


七ヶ浜に住む親戚と、
塩釜に住む合気道の師匠である。

塩釜に係留している船も心配だ。


何があるか分からないから工場を留守にするのは不安だったが、どうしても行かなければならない、そんな心境だった・・・


・・・つづく。


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震災後初めての夜を,眠れないまま過ごす。


余震もあるし,救急車のサイレンが一晩中鳴り響いている。


それでも朝はやってくる。


朝5時。自然に目が覚める。


ガバッと起きて,ツナギに着替える。


もてる行動力のすべてを動員し,
この難局を乗り越えなければならない。


工場で使っている廃油ストーブに火を入れる。


空気を強制循環させるファンは,車のブロアファンであり,12Vで動作する。

普段は交流100ボルトを,直流12ボルトに変換して使っているが,
停電なので当然交流100Vは使えない。
なので車のバッテリーから直接12Vを取り出し,ストーブを運転する。


余震が怖いので,工場内ではなく,工場の外での運転。


しかし燃料である廃油が少々心細い。


冬を乗り切る前に燃料である廃油が尽きてしまい、
同業者の工場に貰いに行っていたのである。


2、3日はなんとかなるだろうが・・・。


この頃から、避難所に避難していた人たちが徒歩で帰宅を始めたらしく、家の前をゾロゾロと歩いていく。


白い作業服に、白い静電靴、白い帽子姿の人。
服がびしょ濡れで、靴が泥だらけの人。
濡れないように、荷物に袋をかぶせて歩いていく人。
どこで買ったのか、ビールを飲みながら歩いている人。


昨夜はよく眠れなかったであろう。
皆一様に疲れた表情。


廃油ストーブの周りに、オイルの20?缶と板を使った簡易な椅子を設置する。


「トイレを貸して欲しい」
「ストーブに当たらせて欲しい」


こんなお願いには、快く応じる。


中にはお願いできない人もいるから、
疲れた表情の人にはこちらから「休んでいがい」と声を掛ける。


若い人は体力もあるし、気力もある。
だから明るく振舞っている。


しかし年配の方はやはり、精神的にキツイようである。
表情も暗く、うつむき加減。


口は開けど、声が出ない人も。


鍋で炊いたご飯が炊き上がる。


オニギリにして配る。
白菜の味噌汁に漬物。
食後には暖かいお茶。


少しだけ元気を取り戻した被災者が、震災体験を話し出す。
少しずつ情報が集まってくる。


仙台新港付近や多賀城は背丈を超える津波で壊滅状態。


水が引いた後はガレキや遺体が散乱し、辺り一面の泥。


中でも九死に一生を得た女性の話は、本当に衝撃的だった・・・


・・・続く。


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松本龍復興相、村井宮城県知事にブチキレ → http://youtu.be/A5b9IVYcneU

被災地で身体を張ってがんばってる知事に言う言葉ではない。

村井さんも、相手が大臣だろうが何だろうが、構わず張り倒して欲しかった。

http://youtu.be/A5b9IVYcneU

この男の、政界への復帰は断固許さん。

寒い。


3月中旬だから当然である。
東北はまだ冬なのだ。


時刻は夜8時。

既に日は落ちている。


周囲は真っ暗。

見渡す限り,あかりが灯っている家は1軒もない。


小学校から実家へ戻ると,ろうそくと懐中電灯の灯りを頼りに,祖母,父母,妹一家が身を寄せていた。


長男を迎えにいくと言い残して,家を出る。


二華中までの道は通っているのか?
他に乗せてくる生徒はいるのか?

色々考えて,5人乗りの四駆で向かう。


暗い。

道がとにかく暗い。


街路灯,商店,看板,マンション,家。
どこも電気は点いていない。


車のヘッドライトだけでは,本当に心もとない。
停電がこんなに暗いとは。


停電だから,信号すら機能していないが,車の流れはスムーズ。
交差点では互いに譲り合っている。
こんなときこそ,日本人の高いモラルに助けられる。


上り車線はスムーズ。
しかし下り車線は大渋滞。


通常のラッシュではない。
震災からの帰宅ラッシュなのである。


帰り道に,この渋滞に巻き込まれる訳には行かない。
となると,帰りは新寺通りから産業道路経由で帰るしかない。


気持ちが焦るが,飛ばせない。
周囲が暗い上,人は歩いているし,自転車も多い。

こんなときに交通事故など絶対に起こせない。


ようやく二華中へ到着。
灯りが消えた校舎が恐ろしく暗い。


先生に案内され,
長男が避難している第二体育館へ。


中学生は柔道場に集められていた。


ダルマストーブの炎にほんのり照らされて,
毛布にくるまった生徒達の顔が見える。


先生方から質問攻めに遭う。

震災の情報を切望していたのだろう。
私が把握している範囲で,津波の情報,道路状況等を伝える。


長男と再会。


ケガはしていない。
ショックを受けた様子もない。


ほっとする。


同じ小学校出身の子に,一緒に帰るかと声を掛ける。
親と連絡がついていないので,ここに残りますと返事。


適切な判断。
流石二華中と感心する。


隣の駅から通っている子と,そのお母さんから乗せて欲しいと頼まれる。
もちろん快諾。


帰りは何時間かかるか分からない。
トイレを借りることは難しいだろう。
全員トイレを済ませてから車に乗る。


先生は出入り口で,誰が残って,誰が誰と帰ったかをちゃんと記録していた。


新寺通りから産業道路を通って帰ることに。


4号線を超える所までは実にスムーズ。

しかし焼肉ひがしやまの前辺りから,全く動かなくなる。


その時は渋滞する理由が分からなかったが,
多賀城のジャスコ付近では2階まで届くほどの津波が街を襲っていたのだ。


不安を感じてしまい,会話も途切れがちになる大人を尻目に,
子供達は後部座席で楽しげに会話している。


ラジオをつけて情報収集。
地震と津波が発生した,余震と津波に注意,
その程度の事しか分からなかった。


車に乗っていても感じる位の余震が何度も起きる。


前後左右は車でビッシリ。
道路は至るところで陥没や浸水。
上を見上げれば仙台東部道路の高架。


高架橋が倒れてきたり,
津波が来たら,逃げようがない。


七北田川にかかる橋を渡る。

歩くほどのスピードにもかかわらず,
前の車が大きくバウンドしている。


見れば橋の至るところで10センチ近くのズレが発生している。
そのズレを乗り越える時にバウンドするのだ。


同乗した母子を,自宅前で降ろす。


灯りがないから,普段仕事で使っているペンライトを渡す。
このペンライトには随分助けられたと後に大変感謝された。


ようやく実家へ到着。

時刻は夜の11時。


二華中から中野栄の実家まで,
3時間近くかかった事になる。


妹宅から持ってきたカレーを食べ,

風呂にも入らず布団にもぐりこむ。


慌しく行き交う消防車やパトカーのサイレンを聞きながら,眠りに落ちる。


長い長い一日がようやく終わろうとしていた・・・。


・・・つづく。


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