武産合氣道 大和/宮城野合氣修練道場 稽古日誌 -50ページ目

武産合氣道 大和/宮城野合氣修練道場 稽古日誌

「神奈川県大和市」及び「仙台市宮城野区」にて岩間スタイル合気道を稽古する「大和/宮城野合氣修練道場」道場長鈴木博之のブログ。IT関連、自動車整備、資格試験、震災関連など、様々な情報を提供しています。

「僕は弟子選ぶからね。ちゃんとした紹介があって,性格のいい人で,真面目に修行する人にしか教えないからね。」

「気功やって,超常的パワーを身につけて,自分を馬鹿にしている世間を見返してやろうなんて考えてる人には教えないの。そういう劣等感にとりつかれた人間はね,どうしようもないの。自分がホントは他人より偉いんだって錯覚してるからね。」

「そういう人はね,あちこち行って手当たり次第にいろんな修行して,どれもこれもモノにならずに年だけ食って,金もない,仕事もない,家族もない,功績もない,で一生馬鹿にされて終わっていく人だよ。」

青春拳法開眼小説「カンフーガール」八神かおり著 2006年 文芸社 より


合気道の世界にも,そういう人がいる。


いろんな道場に顔を出して,ちょっとだけつまみ食いして,10年もいたかのように偉そうな顔したりして。そういう人は,稽古をしたいんじゃなくて,持ち上げられたいんだな。


私の道場にもそういうのが何人か来たけど,一度だけ稽古して,もう来なくなっちゃう。


「なんだ基本ができてねぇな」


私が思った通りに,遠慮なく言うもんだから,「えっ?」と怪訝な顔をするんだな。


「一応経験者なんだけど・・・」と言いたげな顔をするんだけど,色々渡り歩いてつまみ食いしてるような人はやっぱダメ。技にも取り組む姿勢にも確固たるモノがないんだな。


今後そういう人はお断りしようと思う。


貴重な時間だから,私と稽古したいと思ってくれる弟子との稽古に使いたい。


「うちの道場はな,

 去るものは追わない。

 来るものは拒むんだ。」


兄弟子の言った言葉が今になってようやく分かってきた。

新しいテーマ「一日一捨」(いちにちいっしゃ)です。


今の工場には,あまりにモノが多すぎるのです。

もう使わない工具,壊れている工具,取っておいた部品,過去のしがらみ,云々。


こういったものを,一日一つずつ捨てていくのです。


工場を片付けようと思うと,限られたスペースのどこに収納しようか悩むわけです。

しかし「捨てよう」と思えば,収納は考えなくていい。


私はモノが少なくてガランとしているのが大好きなのです。

だからアパートの部屋には驚くほど何もありません。


嫁が何か家具を買いたいと言うのには基本的に反対。

何かを入れるなら,何かを捨てる,それが買う時の絶対条件です。


自宅に来客があると,口々に「広いね~」「何もないね~」と言います。

広いのでもなく,何もないのでもなく,現代人が多すぎるモノに囲まれているだけだと思います。


まずは工場で,一日一捨を実践してみようと思います。


一昨日はアルミホイールをオークションに出しました。

落札されれば,モノが減り現金が手元に残ります。


昨日は古タイヤ第一陣。

処分料はかかりますが,これがなくなると,タイヤ保管庫にある使えないタイヤをさらに処分に出せるので,タイヤ保管庫に空きができます。


次は交換したミッション。

これもオークションに出してみようと思います。


その次は動かなくなった除雪機かな。除雪機が必要なほど,仙台は降雪がありませんので。

これを捨てると,過去の嫌なしがらみも同時に捨てられるので,心も軽くなります。


さてさて,無事定着するでしょうか。


学生時代,帰宅途中に自転車が壊れ,どうしても走らなくなったことがありました。外見でわかるような故障ではなく,ギヤ内部の故障で,素人の手に負えるものではありませんでした。

 

・・・つづきはこちら

 

 

外車のミッション交換作業中。


注文した中古のミッションが、4WD車用ではなくFF車用と判明し、これまで使っていた4WD車用ミッションから部品をリプレースする事に。


大きくて重い。

それでいて精密な部品がある。

オートマオイルが漏れこぼれ、手はオイルまみれ。

慣れない作業だから、部品の付け忘れなど、何度かやり直し。

土曜夜。ため息をつきながらの作業。


そんな時、車検証を手にした男性が来社。


聞けば、軽トラで高速を走っていたら突然ベルトが切れたらしく、椅子の下から激しいバチバチ音。慌てて仙台港北インターで降りたらしい。45号線に出て、どこかに整備工場はないかと探していて、うちに飛び込んできたとか。


大崎市の田尻まで帰る途中だったという。

田尻・・・ここから直線で30km以上ある。


本当に困った様子。

自動車整備士は、お客さんの「困った」を解決してナンボ。まずは見てみる事にした。


運転席シートを外してみると、ベルトが切れる寸前。糸一本でようやくつながっている状態。

オルタネータ(発電機)はどうにか回っているが、これでは遠からずバッテリーが上がってしまう。


オルタネータをスライドさせてベルトを張る構造なのだが、張れる限度目一杯までスライドされている。

「何かしました?」と尋ねると、前日に知人がベルトを張り直してくれたという。


それだ。


ベルトを張るのはいいが、これでは張り過ぎ。


新品のベルトならば初期延びを考慮して強く張り、ある程度走行したベルトなら張りすぎない。

その力加減は経験を積んだ自動車整備士でないと分からない。


原因はさておき、問題を解決せねば。


昔のスズキキャリィだから、エアコンコンプレッサやパワステポンプはついていない。

オルタネータを回すだけのシンプルな構造。

その分ベルトが短いのだが、ここまで短いベルトは流石に在庫していない。


向かいのガソリンスタンド、お隣の整備工場を回ってみたが、どこにも在庫はない。


う~ん、困った。


ふと思いついて、いずれ直して売ろうと思っていた軽トラのベルトを見てみた。


同じ車だから、同じ長さのはず。

これを外して使ってもらおう。


問題の軽トラに、中古のベルトをつけてみる。

長さもバッチリ。張りもいい。

エンジンをかけると問題なく回ってくれる。


「古い車から外したベルトだから、行きつけの整備工場で新しいベルトに交換してけさい。」


地元まで帰れる程度にはできたが、あくまで応急措置。

部品も古い車から外した中古のベルト。

行きつけの整備工場で部品代と工賃を取られるだろうから、お金は頂かなかった


「いやいや、お金払うから」

「いいから、いいから」


「助けてもらってそうは行かないよ」

「それなら、今度近くを通ったら缶ビールでも置いてってけさい」


「いいのすか?ビールは何飲むのすか?」

「じゃぁアサヒで(笑)」


そんな会話を交わして、軽トラの男性は帰って行った。


助手席には息子さんと思しき中学生。

大人の粋なやり取りを見てくれたかな。


ゼニカネにならない仕事も、時には必要だからね。


そればっかだから、儲からないんだけど(笑)


・・・つづき。

「オフ会」や「○○オフ」という言葉がある。

「オフラインミーティング」の略で、ネットを介して集まった人たちが、実際に会ってお酒を飲んだり、茶話会を行う事である。

ネット上では「オンライン」。
その逆だから「オフライン」。

なるほど。

震災直後、停電が長く続いた。

手元の記録では、地震発生が3月11日(金)の14時46分。その瞬間から停電が始まり、電気が復旧したのは3月19日(土)の21時10分とある。

つまり8日と6時間半も電気が使えない生活が続いたのだ。

当然パソコンも使えないし、ネットにもつなげない。
こんなに長くオフラインが続いたのは初めてかもしれない。

携帯でもある程度は閲覧・ブログ投稿はできたのだが、電池の消耗や高額なパケット代が怖くて、あまり使わなかった。

しかし「メール投稿」なる機能があることを思い出した。

ある特定のアドレスに携帯メールを送信すると、その内容をブログやツイッターに投稿してくれるのである。

パソコンが使えない環境を想定していなかったので、全く無視していた機能なのだが、
いい機会(?)なので使ってみる事とした。

以下に、停電のさなか投稿した内容を紹介しよう。

2011-03-15 07:24:22


タイトル:私は無事です


 皆さんご無事ですか?


 震災当時、私は事務所におりました。工場の中では次々と棚が倒れ、整備中の車が揺れるのをなすすべもなく眺めておりました。

 祖母と母を車の中へ避難させ、すぐに自宅アパートに向かいました。自宅の中はあらゆるものが散乱し、足の踏み場もない程でした。


 地震の後、何度か師匠の所へ行きました。

 師匠とご家族、ご両親ともども無事でした。

 道場は1メートル以上の波が押し寄せ、畳を濡らしました。当分稽古は難しいでしょう。

 ゲストの宿泊施設も大きな被害を受け、合宿などの受入は当分無理です。

 駐車場では車が2台井戸や生け垣に乗り上げており、私と父親の二人で地面に下ろしました。車は残念ながら、水没してしまったため、もう使えないでしょう。


 水道は回復しています。

 電気は回復していませんが、隣町まで回復しているようです。

 ガスは回復していません。プロパンガスはOKです。

 電話、ネットは当分無理です。携帯はつながったり、つながらなかったり。携帯は充電が一番の問題です。

 ガソリンはようやく販売を再開しました。しかし長蛇の列です。

 食料はまだ備蓄分がありますが、長くは持ちません。物流と電気の回復を待つばかりです。

 国道は至る所で寸断され、車ではまっすぐ目的地に行けません。信号機は止まり、車は譲り合って動いています。

 鉄道は全く動いていません。線路の上にも瓦礫が乗っています。


 多賀城は水に流された家、家具、泥、そして車が散乱しています。車は重い上、エンジンがかからないため、かなり厄介です。


 私は師匠に飲み水を届け、励ます事しかできませんが、可能な限りこれを続けます。


 道友の無事は確認しておりますが、何人かまだ連絡がついておりません。


 電気が回復していないので、夜は岩間以上に真っ暗です。星が皮肉なほどにきれいに見えます。


 携帯メールからの投稿ですが、うまく行くでしょうか。


 チャンスがあれば、また投稿します。


震災から4日目の朝。
どうにかして無事を伝えよう、仙台の状況を伝えようとしている様が分かると思う。


2011-03-15 19:42:56

タイトル:ご近所さん

 私の工場の裏に、主に大型車を扱う整備工場があり、10名以上の整備士さんが働いています。

 震災翌朝、その工場で夜明かしした5名の整備士さんに、おにぎりと味噌汁を提供しました。


 ご近所でしたがこれまでお付き合いがなく、会えば会釈する程度でした。

 しかしこれをきっかけで、その工場の整備士さんとも気軽に話をするようになりました。


 話の流れで廃油をもらえることになり、廃油ストーブの燃料が思いがけず確保できました。


 それから数日間、その工場で夜明かしする整備士さんに、熱いオシボリを提供しました。


 もちろんお湯は廃油ストーブで沸かしたお湯です。


 ご近所さんのありがたさが身にしみます。


震災から4日目の夜。

暗いリビングで、夕食を終えた後に、携帯で投稿したもの。

津波の被害に遭った白鳥や中野地区に自宅がある整備士さんもおり、「家が水没して帰れない」「やっと子供の無事を確認」など、津波被害に関する貴重なお話を聞くことができた。




2011-03-16 18:39:32

タイトル:ライフライン

 あれから何日経ったのでしょうか。

 ヒゲの伸び具合からすると、5日でしょうか。


 ひたすら水を届け、動かなくなった車に引導を渡す毎日。


 飲み水が手に入らない地区があるのです。

 寒い中何10分も並んでようやくわずかな水を手に入れる。

 お年寄りには難しい仕事です。

 私は復旧するまで水を届けます。


 また、車は水没したら終わりなのです。

 外見は良くても、エンジンが掛かっても、ダメなんです。

 電気系統は水、特に海水を嫌います。

 食塩水に浸した銅線に電気…配線はすぐにダメになってしまいます。


 たった一度の水没で、今まで何度となく整備し、面倒を見てきた車に引導を渡さなければならない。

 こんな辛いことはありません。


 また買えばいいという人もいるでしょう。

 しかし「お父さんの形見だから、最後まで乗ろうと思ってたんだ」という方もいらっしゃるのです。


 幸い私は寝る場所も、飲み水もあります。発電機で電灯も灯せます。

 私は恵まれています。だから他人に尽くすのです。



震災から5日目の夜。

「残念ですが、この車はもうあきらめて下さい」

お客さんに何度その言葉を掛けたことか。

感傷的になりながら投稿した文章でした。



2011-03-16 19:46:33

ライフライン つづき

 英語に「ライフライン」という単語はないそうですが、なかなか上手い和製英語ですね。

 英語でしたら、ライフ・インフラストラクチャの方がしっくりくるかもしれません。


 それはさておき、ライフラインがどれか一つでも途絶えると、本当に不便ですね。


 今回の地震でそれを痛感しています。


ライフラインのどれかが途切れると、「明かり」「お湯」など、いくつもの「日常」が失われる。

今回のように、いっぺんにいくつもの日常が失われると、精神的に参ってくる。

そんな中での投稿。


2011-03-17 16:03:21

タイトル:うちは大丈夫

 水や食べ物の提供を申し出ると、「うちは大丈夫だから」と言われることが多いのです。


 本当は大丈夫じゃないんです。

 自分よりも辛い思いをしている人がいることを知っているから、「うちは大丈夫」と言ってしまうのです。


 そんなときは差し出がましいと思わずに、強く渡してあげて下さい。


震災から6日目の夕方の投稿。

自分も苦しいはずなのに、支援の申し出を断る人がいたのである。

平時でしたら差し出がましい申し出であっても、震災時は差し出がましい位でよいと思う。


この翌日に、発電機を使ってLANとノートPCに電源を入れ、久々のオンラインとなった。

長く続いたオフラインによるストレスも無事解消され、また一つ日常を取り戻す事ができた。


SPAMが800通も溜まっていたのには閉口したが・・・


・・・つづく。


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・・・つづき。


私はきれい好き。毎日の風呂は欠かさないし、汗をかけばすぐにシャワーで洗い流す。

汗をかくのは嫌いではないが、汗臭い自分が嫌なのである。


季節は冬であったが、何かと忙しく働いていたため、毎日汗をかいていた。


しかし風呂には入れない。

シャワーは冷水しか出ない。

これでは汗が流せない。


近所に2件あるスーパー銭湯は、いずれも地震や津波の被害を受けて、閉鎖中。


困った。


男は我慢すればいいかもしれないが、女性はそうもいかないだろう。

いつまで我慢すればいいのか、先が見えないというのも焦りをかきたてる。


不便な生活を強いられ、家族のストレスも溜まっている。

特に祖母が心配。イライラを周囲にまき散らし始めている。


祖母をゆっくりと風呂入れてあげたい、そう思った時、廃油ストーブの上でグラグラと沸き立つお湯が目に入った。


芋煮会で使う大鍋。お湯をいっぱいに入れれば、40リットルはあるだろう。


お風呂には何リットル必要?

40リットルは何分で沸く?


とにもかくにも、やってみようと思った。


大鍋いっぱいに水を入れ、廃油ストーブの上に載せる。

廃油の量を調整し、火力を上げる。

炉の本体が熱で真っ赤になる。

近寄れない程熱い。


余震や火事が怖いので、ストーブのそばに陣取ってひたすらお湯を沸かす。

夕食は赤々と燃えるストーブのそばで、慌ただしくかき込む。


小学校時代をふと思い出す。
紙パックの牛乳をストーブの鍋であっためたっけ。


お湯は30分程で沸くことが分かった。

それを20リットルのポリタンクに移し、風呂に流し込む。

大鍋に水を汲み、再び温める。


ひたすらこの繰り返し。


最初は風呂の底に少し溜まる程度。

思わずため息が出る。

しかしくじけずにひたすらお湯を作り続ける。


風呂に半分も貯まれば、充分に温まることはできる。

家族には次々と風呂に入ってもらい、その間もお湯を作り、継ぎ足し続ける。


全員が入浴を終えるまで、約3時間。

その間水をいれ、湯を沸かし、風呂に移すの繰り返し。


ボイラー技士の仕事の大変さが良く分かる。

給湯システムのありがたさが身に染みる。


家族全員が入ったのを確認したら、ストーブの火を消し、最後のお湯で自分も風呂に入る。


実に気持ちいい。

風呂がこんなにも気持ちがいいとは。

懐中電灯の明かりに淡く照らされた浴室が、ひなびた温泉宿を連想させる。


汚れが落ち、ホカホカに温まった身体で布団に入れるというのは本当にありがたい。


風呂で一日の疲れを癒す。

日本人の知恵というものは、本当に素晴らしい。


風呂に入れたという事は、また一つ、日常を取り戻せたということである。


日常を一つ取り戻せた家族に、笑顔が戻った。

祖母のイライラも目に見えて解消された。

私は疲れが取れ、また元気に働けるようになった。


今にして思えば、家族が早く日常を取り戻すことができたから、他の被災者に対しても余裕を持って優しく接することができたのだと思う。


お風呂。偉大なり。


・・・つづく。


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8/31日の17時頃。


多賀城にお客さんの車を取りに行った時の事。


場所は中野栄駅前。

下り多賀城方面は、仙台港北インターから高速に乗ろうとする車で渋滞していた。


左手にはファミリーマート。

この時間帯は帰宅途中の高校生で賑わっている。


ファミマ前の歩道を、中年男性が仙台方面へ大慌てで走っていく。

見た目はちょっと太めの中年サラリーマン。ワイシャツにカバン、片手に携帯。

年齢相応に後退が始まった髪の毛が汗で濡れ、海草のように額に張り付いている。


パッと見は乗り換えを急ぐサラリーマンにも見えるが、そうではないことはすぐに分かった。


携帯を操作しながら、後ろを気にしながら、必死で走っている。

つまり逃げているのだ。


察するに、駅の階段かどこかで女子高生のスカートの中を携帯で盗撮したのだろう。

それを見とがめられたので慌てて逃げた。

逃げながら盗撮した画像を消去した。


そんなとこだろう。


その後ろを、二人の女子高生が追いかけている。

ドタドタ走る太めの中年男性を見ながら、あれでは逃げ切れないだろうなと思った。


駅前は駅員や血気盛んな男子高校生が犯人を探し回っていた。

尾行中の女子高生から携帯で連絡が行けば、大捕物になるだろう。


捕まって、痛い目に遭って、ガッツリ怒られて、情けない思いをして、しっかり反省して出直して欲しいと思う。


・・・つづき。


地震から数週間は、全く気が休まらなかった。


朝は最初に起きる。毎朝5時前後である。

つなぎ服に着替えて、実家周辺の見回り。

外は真っ暗で、凍るような寒さ。

うっすら雪が積もっている事も。


誰かが侵入した形跡がないか、車からガソリンは盗まれていないか、ものがなくなっていないかを確認する。


それが終われば、廃油ストーブに火を入れ、前夜のうちに汲みおきしておいた水を使ってお湯を沸かす。

朝は水道が凍っているから、お湯ができたら水道にお湯をかけて溶かす。


次は発電機の点検。軽油を補充し、エンジンオイルの量を確かめ、エンジンを回す。


家族が起き出して来る。

テレビで情報収集を開始し、炊飯器にスイッチが入り、ファンヒーターが動き出す。


廃油ストーブの回りに椅子を並べ、休憩所を作る。


国道はガソリンを待つ長い車列。


バッテリーが上がった、トイレを使いたい、携帯を充電させて欲しい、安否を確認しにきたなど、ひっきりなしに誰かが訪れる。


朝食が済んだら容器に水を汲み、塩釜、七ヶ浜へ配達。


毎日のように被災地の状況を目にする。

電気は相変わらず来ない。

ネットにもつなげない。

仕事もできない。


流石に疲れを感じ、リビングでどれ一眠りと思ったら、犬が吠えて来客を告げる。

その度にガバッと起き上がり、飛び出していく。


余震が起きれば火を消し、家具を押さえ、ドアを開け、年寄りを安全な場所へ避難させ、テレビで津波の有無を確認する。


気が休まる暇がない。


夕方になれば、車を隙間なくビッチリと止める。車間は3センチ程。乗り降りはもとより、間を通ることすらできない。給油口を塞いで、ガソリンを盗まれないようにするためである。


夜になれば、9時には発電機を止める。

真っ暗闇と静寂が訪れる。


懐中電灯を片手に、実家と工場の回りを一通り確認し、布団に入る。

寝るのはいつも一番最後。


夜になっても、余震が来れば飛び起き、救急車が通りかかれば目が覚める。

毎晩の眠りは浅かった。


食事はいつも、ご飯と白菜の味噌汁。極めて粗食。

早寝早起きだから、極めて健康。

実家で避難中は酒を一滴も飲まなかった。

脂肪が落ちて筋肉が残り、頬が痩け、ヒゲがぼうぼうに伸びて野生の顔になった。


気が休まらず、夢中で生き抜いた数週間であった。


・・・つづく。


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以下は実話。


### ここから ###


twitter経由で知り合った二人。


一人はパソコンショップ経営。名前をPとしよう。

一人は自動車整備工場経営。名前をSとしよう。


Sのツイッターを、Pがフォローしたのが始まり。


Pの店は産業道路沿いにあり、よく通る道なので、Sはふらりと立ち寄った。


黒のつなぎにグラサン姿で現れたため、「やらないか」の人と勘違いされ警戒されたが、すぐに打ち解け、友人を紹介したり、技術的な相談をする間柄になった。


Pの「車を買い換えたい」というツイートに、Sが呼応し、中古車屋さんを紹介することとなった。

しかし納車時に、タイヤが冬タイヤのままで、夏タイヤが4本車の中に置いてあることが分かった。


季節は初夏。実に不親切。


Sは直ちに、タイヤ4本のシーズン履き替えと、タイヤ保管袋の提供を申し出た。

通常ならば2000円相当の作業であったが、Sはこれを無料とした。


Pに中古車屋さんを紹介した道義的責任を取った形である。


Pはその場でワイパーブレードの交換を申し出た。

カーコーナーで買えば安く済むのだが、あえてSに頼むことで、売上を立てた形となった。


しばらくして、Pが開店1周年記念のオリジナルPCを発売した。

相場から考えてもかなりディスカウントした値段。


丁度パソコンの買い替えを検討していたSは、オリジナルPCの購入を申し出た。


Pはオフィスソフトを付けて、値札の価格で売りますと提案した。

それで売上は立つのかとSが問うと、ビミョーですとPが答えた。


ではオフィスソフトを付けてこの値段で売ってくれとSが申し出た。

値札の下4桁を切り上げた値段である。


それなら好きなマウスを持っていって下さいとPが応えた。


結局、セットアップやらインストールやらをすべてPが実施し、マウスにキャリーバッグまでつけてSに手渡した。

Sは新しいPCを手にご満悦で帰宅した。


Pは冬タイヤの件をSに返した形。

SはPの店に売上を立ててもらった形。


どうだろうか。


Pの心意気に応えるS。

Sの心意気に応えるP。


これこそが「商売」であり、

商人道(あきんどう)ではないか。


### ここまで ###


私は家電量販店の雰囲気が苦手。


「1円でも安く」「とにかく買い叩こう」という客の気持ちを感じてしまう。

その一方で、サービス残業や強引な値引きに苦しむ店員さんの姿が目に浮かんでしまう。


それって健全な商売なのだろうか?


お客さんが満足して、お店が儲かって、店員さんも潤う。

それが「商売」なのではないだろうか。


自分が笑ったその影で誰かが泣く。

誰かの不幸の上に成り立つ儲け。


それはちょっと違うのではないかと思う。


近所に回転寿司屋はあるが、そこで食べる位なら地元の回らない寿司屋で食べた方がいい。

板前さんの顔も見えず、会話もできず、無機質なレールの上を流れてくる寿司は、ただ食欲を満たすだけのものである。


地元の寿司屋で、経営者のご夫婦や、板前さんとの会話を楽しみつつ食べるその寿司は、私にとって最高のご馳走。

これサービスですと言って出される漬物に、心のこもった本物の美味しさを感じるのである。


「1円でも安く」という風潮は、間違っていると思う。逆に

「1円でも高く」これが正しいのではないかと思う。


######


仙台のパソコンショップ プレジール さん。

本当にありがとう。

心のこもったいい取引をさせて頂きました。


どうぞ末永く商売を続けて下さい。

鈴木ボデーは今後も御社を応援致します。


では~

・・・つづき。


ここで津波の怖さについて述べようと思う。


震災後しばらくしてから、津波の被害に遭った被災地を何箇所か、訪ね歩いた。


七ケ浜町の菖蒲田浜は、砂浜に近い家はすっかり流され、土台しか残っていなかった。遠浅の砂浜はすっかり削り取られ、無数のコンテナが砂に埋まっていた。松の林は消滅していた。太くて大きく、曲がりくねった松の木が、根こそぎ倒され、遠くへ運ばれていた。残った松は、根っこだけを残して折れていた。奇跡的に無事だった松も、塩水に浸かったためか、ほどなくして枯れてしまった。


キリンビールの裏手にある、宮城野区の中野地区にある住宅街も、そのほとんどが土台だけを残して消えていた。遠くまで見渡せるため、1階部分が壊滅した中野小学校が遠くによく見えた。工場や事業所の建物は、歪み、鉄骨がひしゃげ、ガレキが突き刺さり、あるものは火事で黒く焼けただれていた。


仙台と相馬を結ぶ、太平洋を眺めながら走るルートは、道が全く分からなくなっていた。目印となる建物のほとんどが消えてしまっているからである。生活道路は津波の直撃を受け、寸断された。道路が途中から、刃物で切ったかのようにきれいに無くなっている。5センチ程のアスファルト、その下の砂利、その下の盛土、その下の地層がはっきりと分かるのである。常磐線の線路や踏切があったはずだが、ついに見つけられなかった。


私は、津波とは、海の水が急に増水し、押し流される程度の認識しかなかった。

だから、電柱や鉄塔のようなものによじ登る事ができれば助かるだろうと思っていた。


だがその認識は甘かった。


津波の足は早い。例え20センチ程度でも、逃げるのは容易ではない。
最初は足が濡れる程度でも、だんだん逃げ切れなくなる。
スネまで水に浸かった状態で、思うように走れるはずがない。


その水に大小様々なものが混ざっている。


水深が50センチもあれば、車は簡単に浮き上がる。

軽自動車でも800kg。コンパクトカーでも1t。クラウンなら1.5tはある。


それが水にただよい、流れてくる。自分の方に向かってきたら、例えゆっくりでも止めることは不可能だ。

1tもの重さを持つものに挟まれたり、上にのしかかってきたら、回避できるはずがない。


仮に電柱によじ登ったとしても、車が電柱にぶつかれば、簡単に折れてしまう。そうなったらもうアウトだ。


高い建物でも油断はできない。1階部分が水を逃がす構造になっていなければ、水圧をまともに受けて崩壊してしまう。


津波に巻き込まれてしまったら、逃げようがないのである。


沿岸部に住んだり、職場がある人は、地震と津波はセットと考えて、とにかく高台に避難することである。


車は使わない方がいい。

避難する車の渋滞に巻き込まれ、ハンドルを握ったままで多くの人が溺死している。


高台に着いたら、安全が確認できるまで戻ってはならない。

懐に現金や通帳を抱えたままで多くの人が溺死している。


集合してから避難してはならない。

集合してから高台へ避難を開始した多くの人が溺死している。


地震が起きたら、てんでバラバラに、直ちに高台へ避難し、安全が確認できるまでは戻らない。


これが鉄則である。


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