・・・つづき。
地震から数週間は、全く気が休まらなかった。
朝は最初に起きる。毎朝5時前後である。
つなぎ服に着替えて、実家周辺の見回り。
外は真っ暗で、凍るような寒さ。
うっすら雪が積もっている事も。
誰かが侵入した形跡がないか、車からガソリンは盗まれていないか、ものがなくなっていないかを確認する。
それが終われば、廃油ストーブに火を入れ、前夜のうちに汲みおきしておいた水を使ってお湯を沸かす。
朝は水道が凍っているから、お湯ができたら水道にお湯をかけて溶かす。
次は発電機の点検。軽油を補充し、エンジンオイルの量を確かめ、エンジンを回す。
家族が起き出して来る。
テレビで情報収集を開始し、炊飯器にスイッチが入り、ファンヒーターが動き出す。
廃油ストーブの回りに椅子を並べ、休憩所を作る。
国道はガソリンを待つ長い車列。
バッテリーが上がった、トイレを使いたい、携帯を充電させて欲しい、安否を確認しにきたなど、ひっきりなしに誰かが訪れる。
朝食が済んだら容器に水を汲み、塩釜、七ヶ浜へ配達。
毎日のように被災地の状況を目にする。
電気は相変わらず来ない。
ネットにもつなげない。
仕事もできない。
流石に疲れを感じ、リビングでどれ一眠りと思ったら、犬が吠えて来客を告げる。
その度にガバッと起き上がり、飛び出していく。
余震が起きれば火を消し、家具を押さえ、ドアを開け、年寄りを安全な場所へ避難させ、テレビで津波の有無を確認する。
気が休まる暇がない。
夕方になれば、車を隙間なくビッチリと止める。車間は3センチ程。乗り降りはもとより、間を通ることすらできない。給油口を塞いで、ガソリンを盗まれないようにするためである。
夜になれば、9時には発電機を止める。
真っ暗闇と静寂が訪れる。
懐中電灯を片手に、実家と工場の回りを一通り確認し、布団に入る。
寝るのはいつも一番最後。
夜になっても、余震が来れば飛び起き、救急車が通りかかれば目が覚める。
毎晩の眠りは浅かった。
食事はいつも、ご飯と白菜の味噌汁。極めて粗食。
早寝早起きだから、極めて健康。
実家で避難中は酒を一滴も飲まなかった。
脂肪が落ちて筋肉が残り、頬が痩け、ヒゲがぼうぼうに伸びて野生の顔になった。
気が休まらず、夢中で生き抜いた数週間であった。
・・・つづく。