被災者が続々と避難してくる。
太めの中年女性が、足を引きずりながら避難してくる。
今にも倒れそうだ。
その横では、若い男性が中年女性を支えるようにして、励ましながら歩いている。
声をかけると、フラフラと入ってきて、
用意した椅子に倒れるようにして腰掛ける。
おにぎりと味噌汁で一息ついたところで、ポツポツと話し始める。
職業は看護師。
心臓が弱く、体力には自信がない。
おまけに膝が悪く、手術したばかりで傷口も塞がっていない。
そんな状態で津波に襲われた。
多賀城を車で走行中地震発生。
車で仙台方面へ逃げようとしたが、渋滞で身動きできず。
そうこうしているうちに押し寄せる津波。
車が浮き上がり、流され始める。
ドアの隙間からチョロチョロと水が侵入してくる。
水圧でドアは開かないし、周囲には同じように巻き込まれた車がひしめきあっており、逃げられない。
突然クラクションが鳴ったり、ワイパーが動いたかと思うと、それっきり車は沈黙。
バッテリーが上がってしまった状態。
当然パワーウィンドウは開かない。
外の水位はフロントガラスに達した。
それに伴い車内も徐々に水位が上昇。
冷たい水が、喉元までせりあがってくる。
あと30センチ・・・あと20センチ・・・もうだめだ・・・
諦めかけた頃に、ようやく水が引き始めた。
どうにかして車から降りて、びしょ濡れのまま近くの小学校へ避難した。
九死に一生を得た経験だった。
そこまで語ったところで「タクシー代を出しますから、家まで送ってください」と懇願される。
聞けば家は岡田だという。
岡田・・・
海沿いの町である。送っていったとしても、ご自宅が無事かどうかは全くわからない。
ここから決して遠くはないが、膝の手術を終えたばかりの身体では、歩いていくのは無理だろう。
岡田がどんな状態か分かっていないが、とにかく軽自動車に乗せて送っていく事とした。
産業道路を走る。
至るところに陥没や段差ができている。
水田はすっかり水浸しで、ガレキが散乱する広大な湖となっている。
岡田に到着。
ここは1メートル以上の津波が襲ったようだ。
水はまだ所々に残っている。
水が引いた所には、10センチ近い泥。
タイヤを取られたら帰れなくなる。
ご自宅近くで中年女性を下ろす。
自宅前は泥が深く、物置やガレキが道路に散乱し、通れない。
回り道もあるが、水没していて進めない。
これ以上何もしてやれない。
来た道を引き返す。
広大な湖となった水田で、白鳥がのんびりと毛づくろい。
鳥はいいなと思う。
地震が来ても、津波が来ても、
空を飛んでいればいいのだから。
産業道路を戻る。
段差にタイヤを取られながら歩道を歩く被災者を眺めると、何とビールを飲みながら歩いている。
「こんな時に何だ!」と腹が立つ。
後で聞いた話では、キリンビールの工場から流出した大量のビールを、被災者が拾い集めていたらしい。
飲み食い出来るものが無いのだから、仕方なく飲んでいたのかも知れない。
この時点で朝の10時。
どうしても安否を確認しなければならない人がいる。
七ヶ浜に住む親戚と、
塩釜に住む合気道の師匠である。
塩釜に係留している船も心配だ。
何があるか分からないから工場を留守にするのは不安だったが、どうしても行かなければならない、そんな心境だった・・・
・・・つづく。