長い一日を、眠れぬ夜を過ごし、夜が明けた。
避難所で一夜を明かした妻とも無事再開し、家族全員の安否が確認された。
どうしても次に確認せねばならないのが、塩釜に住む合気道のお師匠、塩釜に係留してある船、そして七ヶ浜に住む親戚である。
被災者から多賀城の状況は聞いているが、塩釜の状況は全く分からない。
停電のため、テレビもネットも使えないのである。
今思えば、カーラジオという手があったが・・・
軽トラに長靴、自転車、工具類を積み込み、出発する。
国道45号線を下り、多賀城方面へ。
しかし多賀城の手前で通行止め。
見れば多くの車やガレキが国道を塞いでいる。
工場から数分と掛からない距離だが、
そこでは凄まじい光景が展開している。
この状態では、海沿いを走る産業道路もダメだろう。
仙台育英学園の横を通り、岩切方面から迂回する。
母校である学院大工学部の横を通り、塩釜神社の横を通り、どうにか塩釜へ。
左手には塩釜神社の石段、右手には造り酒屋。
見慣れた光景のはずだが、ボロボロになった車やガレキが散乱。
道路はアスファルトが剥ぎ取られ、電柱は傾き、電線が垂れ下がって行く手を塞ぐ。
家一件が丸ごと道路を塞いでいる。
クレーンでも容易に動かせそうにない程太い柱が道路に横たわっている。
ガードレールが折れ線グラフのように道路を分断している。
大小様々な船が、本来あるべき場所から離れ、店に突っ込み、船底を晒している。
学生時代から何度も通った、見慣れた道がすっかり様変わりしている。
道場に到着。
敷地の中も、ガレキや泥が散乱し、自動車がフェンスや井戸に乗り上げている。
急いで軽トラから降りると、汗だくで片付けをしている先生が!
「おー鈴木、よく来たな」
ほっとする。
道場は1メートル以上の冠水。
ドアを閉めてはいたが、それでも道場内は30センチ近く浸水。
門下生の汗と酒を吸った畳が、泥水をかぶって無残な姿を晒していた。
「もう笑うしかねぇな」
先生は明るく言うが、その胸中はどうだろうか・・・。
塩釜は停電、断水。
ガスも止まっている。
当然ネットも使えない。
携帯はたまにつながる程度。
4台あった車のうち、2台が水没。
これが海沿いの街の、被害の実態なのである。
被災地に行かなければ、絶対にわからなかったであろう。
現地で情報が全く手に入らないのと対照的に、日本で大震災発生のニュースは、メディアやネットによって世界中の人の知るところとなった。
師匠の掲示板には、安否を心配する道友の方々からの書き込みが次々と行われていた。
しかし現地ではそれを知るすべも、読むすべもなかったのだ。
私は北海道の知人に電話をかけた。
なかなかつながらない上に、つながってもすぐに切れてしまう。
短時間で要点を伝えなければならない。
「アメリカの道友、マークさんにメールを打って欲しい。
塩釜の師匠と家族は無事。道場は冠水。
ミネソタ合氣修練道場のWebサイトを調べてメールを送って欲しい。
英語で頼む。」
「え、英語ですか・・・?」
北海道の友人は慣れぬ英語でメールを打ってくれた。
後日思い出したのだが、マークさんの奥さんは日本人。
北海道の友人には、奥さんから日本語で丁寧な返信が帰ってきたとか・・・。
その一方大和の弟子にお願いし、掲示板へ安否情報の書き込みをお願いした。
こちらは院卒だから英語はお手のもの。英語とドイツ語で、複数の掲示板に書き込みをしてくれた。
二人の尽力により、師匠を含む東北の道友の安否情報を世界へ伝えることができた。
とにもかくにも、師匠の無事は確認できた。
次は塩釜に係留してある船、そして七ヶ浜の親戚の安否である。
・・・つづく。