・・・つづき。
船の無事を確認した私は、七ヶ浜に住む祖父母の安否を確認するべく、七ヶ浜へ向かった。
七ヶ浜は松島湾に突き出した半島全体が町になっていて、太平洋、松島、塩釜、多賀城に面している。
七ヶ浜町の代ケ崎浜が母方の実家。ここは塩釜に面しており、太平洋は全く見えない。
津波は太平洋から来るから、その反対側にある代ケ崎浜は、津波の直撃は受けていないだろう。
1960年のチリ地震津波の際も、津波が塩釜を襲う様は見えたが、直接の被害はなかったという。
考えは都合のいい方に、いい方にと進んでいくが・・・。
塩釜から七ヶ浜へ向かうには、貞山堀に沿って行くのが近道だが、このルートはすぐに断念した。
標高が低い部分はどこも水が引いていない。至るところで水没していて、とても走れない。
高台を選んで走る。結局、東北本線塩釜駅から下馬を通り、ホーマック前に出るルートを通った。
平時ならばまず有り得ない遠回りであるが、水没していないルートを走ろうと思うと、どうしても遠回りせざるを得ない。
仙台港の石油コンビナートが右手に見える。
コンビナートは大火災。
もうもうと煙が上がっている。
黄色い炎も見える。刺激臭が鼻をつく。
この匂いでは、気分が悪くなる人もいるだろう。
暴走族のバイクが、爆音を鳴らしながら追い越していく。
引き倒して、関節のひとつも折ってやろうかと思う。
今ならバカを一人葬っても、罪に問われないんじゃないか。
何かに当たりたい、やりきれなさをぶつけたい、そんな気分。
ようやく七ヶ浜の祖父母宅に到着。
重い石造りの塀が倒れ、狭い道路を塞いでいる。
家屋は無事。築40年以上だが、鉄筋コンクリート製だから地震の被害はなかったようだ。
敷地の中には若干の泥が残っていたが、津波による破壊はない。
やはり津波による直接の被害はなかったのだ。
祖父母宅に上がる。
暗い部屋の中、祖父が一人、ポツンとこたつに入っていた。
何もしていない。呆然と、ただ座っているだけなのだ。
いつもならお茶を飲みながらテレビを見ているのだろうが、停電だからテレビも見れず、新聞も来ないから、本当に何もする事がないのだ。
もう90近いから、自宅を出て避難する事が億劫なのかもしれない。
聞けば祖母は高台にある小学校の体育館に避難しているという。
祖父に別れを告げ、祖母を探しに小学校へ向かう。
小学校に到着。そんなに広い小学校ではないが、校庭は車で満杯。
体育館も被災者でごった返している。
祖父母にとっては私が初孫で、特に祖母には随分と可愛がってもらった。
とにかく無事を確認し、こちらの無事も伝えなければならない。
お年寄りが多く、顔を隠して横になっている人もいるので、探すのは容易ではない。
一人一人、顔を確認する。
だがなかなか見つからない。
「お願いだから、浜バアちゃんの所に導いて!」
神でも仏でもすがりたい気分でそう祈る。
2、3人で話し込むおばあさんのグループに近づく。
その中の一人と目が合う。数秒間見つめ合う。
祖母だった。
「よく来てくれたこと~」
嬉しそうな声を聞いて、ホッと安心する。
七ヶ浜の祖父母は無事。
叔父夫婦、叔母夫婦も無事。
従兄弟たちも無事。
ようやく親戚筋全員の無事が確認できた。
親戚の無事、船の無事、師匠の無事。
急いで仙台へ戻り、それらの無事を伝えなければならない。
極めて原始的だが、このように足を使って情報収集を行わなければならなかったのである。
これが被災地の現実。
七ヶ浜町は全体で停電、断水。
ガスもプロパン以外はストップ。
町役場の前には、給水車を待つ人の長蛇の列。
今一番、何を必要としているか。
足を使って収集した情報を元に、明日の行動を決定する。
水だ。
この寒空に、祖父母を並ばせる訳には行かない。
水を汲んでくる。それが明日からのミッションとなった・・・。
・・・つづく。