ようこそ、ひでちぇろブログへ。
今回は、ルドルフ・シュタイナーの思想と音楽についてです。
まずは、シュタイナーの思想の特徴です。
シュタイナーは、
キリスト教的価値観をベースにして学問にした神智学から
さらに派生した人智学というものを作りました。
キリスト教的価値観に基づいた精神世界を科学的に探究し、
瞑想と集中で悟りを得ようという、
仏教的、新興宗教的側面のある思想です。
そして、心と身体の構造について独特の考え方を持っており、
エーテル体、アストラル体、というような聞きなれない単語がよく出てきます。
以下、シュタイナーの考える人間の構造について、
概略を箇条書きにしてみます。
1.肉体:身体
2.エーテル体:肉体の形態を維持するエネルギー。気質、習慣、記憶。植物的エネルギー
3.アストラル体:身体と自我をつなぐ。感情。欲望、動物的エネルギー。
4.自我:我々の考える自分
5.霊我:アストラル体を自我でコントロールできる様になった状態
6.生命霊:エーテル体を自我でコントロールできる様になった状態
7.霊人:自我で肉体を変容できる
という感じです。
エーテル体、アストラル体と、
自我と身体の間に2層の状態を想定しているのが
特徴的です。
また、ユング心理学と比べると、
ユングでは意識⇒無意識⇒集合無意識と、どんどん深く掘り進んで行く感じですが、
シュタイナーでは身体⇒自我⇒神と、上に上がっていく感じが、
キリスト教的な感じです。
シュタイナーには多数の著作があり、
精神世界、教育、農業、建築など色々な分野について書いています。
そして、精神世界的観点からの音楽論についても以下の著作に書いています。
「音楽の本質と人間の音体験」
ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 イザラ書房
(以下「音楽の本質」)
表面的な科学的音楽論や音楽美学論しかみられない中で、
この本は現代でも価値があります。
個人的にはやっと見つけた感満載です。
シュタイナー自身、
「音楽」について考えるには、
「人間全体」について考えなければならないと著作の中で書いています。
まさに、人間全体から考えた音楽論です。
では、シュタイナーの音楽論を見ていきましょう。
まず、
音楽という芸術について。
シュタイナー曰く、
「音楽の本質」P.17より、
「彫刻、絵画など、音楽以外のあらゆる芸術は、自然の秘密の意図を推測するまえに、表象をまとめなければならない。それに対して、メロディ、ハーモニー、音楽は直接、自然自身の表明なのである。音楽家は、神の意志の脈拍が世界を貫くのを直接聴く。神の意志がいかに表現されているかを、音楽家は知覚する。」
他の芸術分野では、
一度表現されたものを介して神の意識を受け取るが。
音楽は神の意志を直接知覚できる。
ということです
音楽のみが神の世界とダイレクトに繋がれるんですね。
こんな視点はなかったし、
音楽をやっていてよかったなと思いました。
音楽で神聖な気分になる、っていうよりも、
音楽体験=神聖(神性)そのものだったのですね。
次に和音についての考察です。
シュタイナーは、
時代ごとに、何度の和音が音楽の中心になっているか
という特徴的な見方で音楽を捉えています。
(ドとシが七度、ドとソが五度、ドとミが三度です)
まず最初は、「七度の音楽体験」(アトランティス文明以降)です。
「音楽の本質」P.47より、
「七度の体験において、人間は地上との結び付きから解放されるのを感じました。・・当時の人間は、「わたしは自分が霊的世界の中にいるのを感じる」という意味で、「わたしは音楽を体験する」と、いうことができたのです。」
アトランティス文明以降の時代には、
七度の和音によって地上の世界から開放されて、
霊的世界にいることが感じられたとのことです。
次は「五度の音楽体験」(ギリシャ文明~ルネサンス期)です。
「音楽の本質」P.48より、
「人間が肉体の中に入り込み、自分の肉体の中に座をしめようとするにしたがって、七度体験が苦痛なものと感じられはじめたのです。そして、五度体験に大きな満悦を感じはじめました。・・五度は、時の経過のなかで、快適な、心地よい音楽的な感じになっていったのです。・・音楽は忘我状態を体験させるものでした。」
人間の心が肉体のなかに座を占めるにあたって、
七度体験が苦痛になり、
五度体験で忘我状態になれるように変化したようです。
日本でいうと、雅楽などにはまだこの五度の感覚が残っているような気がします。
そして「三度の音楽体験」(ルネサンス期~現代)です。
「音楽の本質」P.49より、
「三度体験が現れたことによって、主観は自分のなかにやすらうのを感じ、人間は自分の通常の生活の運命感受を音楽と結びつけはじめたのです。・・長調と短調は人間の主観、地上的身体と結合した人間の感情のいとなみと結びついています。」
この段階で初めて、主観的な感情が表現できるようになり、
長調と短調も生まれました。
人間の自我による感情が初めて音楽と結びつくようになったのが、
このころからです。
さいごに「オクターヴ(八度)の音楽体験」(未来の人類)です。
「音楽の本質」P.55より、
「オクターヴ体験が、先に述べたような方法でやってくるとき、この世界へのつながりが現れるでしょう。そのとき音楽体験は、神の存在を証明するものになるでしょう。」
「音楽の本質」P.56より、
「わたしの自我を、、地上にあるように、一度のなかで体験し、もう一度、自我が霊的なもののなかにあるように体験すると、それは神の存在を内的に証明するものになる。」
オクターヴ体験は、神の存在を証明するものになるとのことです。
生きている間には無理かもしれませんが、
そういうものがあれば体験してみたいものです。
「悟り」のような体験かもしれません。
楽器について。
オーケストラに出てくる楽器は皆、
神の世界で設計されたもの(「神の本質」P.78より、「 楽器は、すべて霊的世界から取って来られたものです。 」)
と言っています。
確かに、なにか人知を超えた形をしてますよね、みんな。
そして、楽器は音楽が人間全体で体験されることを証明していると書いています。
管楽器はメロディ、弦楽器はハーモニー、打楽器はリズム
を通して証明されているのです。
楽器もただ何となく人が設計したのではなく、
上の方から来た情報で作られているんですね。
音楽について考えるということについて。
「音楽の本質」P.130より、
「音楽は本質的に無意識を使うものなので、わたしたちは非芸術的な理論的考察なしに、そのような事柄を意識下、半意識によって、意識へと輝く音楽体験といっしょにすることができます。ほんとうの精神科学的な芸術考察は、非芸術的になる必要はまったくありません。血の気のない抽象や、美的な理論の織りまぜにいたることはありません。」
芸術についての、非芸術的な理論的考察とか美の理論は、
本質的ではないということです。
私は耳が痛い感じですが、
確かにその通りだと思います。
中途半端な理論づけはあまり意味ないんでしょうね。
実験心理学的なアプローチなどの
論文を読んでも何か大切なものが抜けている感じがしますし。
「人間全体」を扱うべきなのでしょうね。
最後に
音楽と接して我々は一体何を聴いているのか、
どんなものと接しているのかという
普段無自覚になりやすい根本的な問いについて、
シュタイナーは視点は多くの視点を与えてくれています。
また、音楽は通常の学問や芸術よりも高い(深い)ところまで
我々を連れて行ってくれるものなんだというのが分かり、
音楽を作っていく上で精神的支えにもなります。
今回は若干まとまりに欠いた記事になりましたが、
私自身、シュタイナーについて勉強中なので、
また学んだことが有れば別の記事に書いていきたいと思います。
それでは。