ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回はリヒャルト・シュトラウスです。

ちなみに、ウインナーワルツで有名な

ヨハン・シュトラウスとは特に血のつながりはありません。

 

 

リヒャルト・シュトラウス(以降Rシュトラウス)の音楽の特徴は、

絵画や彫刻を彷彿とさせる写実主義や、

曲の最も重要なシーンで音楽が金色(こんじき)の響き

を持つな巨大な歓喜が有るところです。

 

私個人の感想ですが。 

この時代の作曲家では、今でもマーラーと並んでよく演奏されています。

 

また、他の作曲家と違って精神はおおむね健康で、

85歳まで長生きしました。

相当強い精神力があったのか、

恐妻だったらしい奥様のおかげかとも言われています。

作曲家としては珍しいですね。

 

 

 

彼の人生を見ていきます。

 

マーラーが生まれた4年後、

1864年にミュンヘンで生まれます。

 

父はミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者、

母はビール醸造家の娘だったそうです。

(音楽にビールとうらやましい感じです)

 

幼い時から父より音楽教育を受け、

早くから作曲もしました。

そしてミュンヘンで大学を出た後、

ハンス・フォン・ビューローに見いだされてマイニンゲン宮廷楽団の補助指揮者となり、

その後後継者として正指揮者となります。

 

革新的な音楽とも出会い、

交響詩「ドンファン」を25歳で作曲、演奏して成功しました。

そして、一連の交響詩、

「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、

「ツァラトゥストラはかく語りき」などの名曲を作曲します。

 

順調な指揮者及び作曲家として

人生を歩み始めたRシュトラウスは、

30歳で歌手のパウリーネと結婚します。

このパウリーネは激しい性格で恐妻家様でした。

 

それから、

34歳で交響詩「英雄の生涯」を作曲します。

あたかも成功した自分の人生を振り替えるかのような曲で、

妻のパウリーネもバイオリンソロとして、

曲中で大きく取り上げられています。

恐妻家といいつつ、意外と仲は良かった様です。

 

そして、

「サロメ」、「エレクトラ」等の

前衛的オペラを作曲します。

マーラー等当時の作曲家には受け入れられたものの、

演奏会では聴衆からブーイングを受けました。

 

その後、

前衛さを控えて「薔薇の騎手」を発表したところ大成功しました。

これ以降、前衛的な音楽からは距離を置くようになりました。

 

40代から50代で

「家庭交響曲」、「アルプ交響曲」

などの完成度の高いオーケストラ曲を書きます。

 

60代にはナチスが台頭し始め、

ナチスに協力させられて、「日本の皇紀2600年によせる祝典曲」

という同盟国の日本向けの曲も書きました。

 

そして、81歳で第二次世界大戦が集結します。

84歳には「4つの最後の歌」等を作曲活動を続けましたが、

85歳で亡くなりました。

 

 

Rシュトラウスの人生が特徴的だったのは、

作曲家としては非常に長生きだったこと。

そして、現実家で精神は常に健康であったことです。

(お金にがめついと言われたこともあった様です)

恐妻家だったがゆえに、

妻が叱咤激励してくれたのが功を奏したのかもしれません。

 

これまでのドイツの作曲家は、

どこかで不器用で、

早くに亡くなるか、遅咲きかでしたが、

25歳から81歳まで一線で活躍し続けたのは本当に凄いと思います。

 

 

ここで、

弾いて特に印象に残った曲を書いてみます。

 

最も印象に残ったのは「アルプス交響曲」です。

 

大学3年の時、

NHK主宰の音楽祭があり、

オーディションに受かって出演しました。

演奏はNHKで放映され、ちょっとTVにも映りました。

 

コンマスとかチェロトップの様な一部の人はプロになるような、

関東の大学オケから良く弾ける人を集めたオーケストラでした。

 

で、「アルプス交響曲」を弾く訳ですが、

ブラームスとかチャイコフスキーとかに比べて、

めちゃくちゃ難しかったです。譜面が複雑なんですね。

 

そして、とにかく曲のスケールが大きかったし、

打楽器がたくさんいて、オルガンも入って、

編成も大きかったです。

なにしろ規模が大きかったです。

 

曲は、ものすごく素晴らしかったです。

 

曲のストーリーを紹介してみます。

 

夜明けに始まり、

登山開始、

お花畑、

牧場、

道に迷う、

危ない瞬間、

 

と、アルプスを登っていきます、

 

アルプス登山がリアルにイメージできる曲想で、

Rシュトラウスの音楽の作りの上手さに

ほれぼれします。

 

そして、頂上!

 

金管楽器がここで大音響での「金色」の輝きを見せます。

前半の頂点です。

 

その後、下山しますが、

 

雲行きが怪しくなり、

雨が来たかと思うと、大嵐が来ます。

ここで、ウインドマシーンという風の音が出る楽器と、

ドナーマシーンという雷の音が出る楽器を使って、

嵐を表現します。

手に汗握る感じです。

 

その後、嵐が過ぎ去って、夕暮れが来て、

哀愁と共に幸福感に浸る後半のピークが来ます。

 

そして、日が沈むと共に曲も終結。

 

という感じです。

 

文章だと表現しきれませんが、

本当にいい曲で、ぜひ聴いていただきたいです。

私はこの曲を弾いてから、

後期のロマン派に耳が開かれました。

 

一曲の解説が長くなったので、

ここら辺にしますが、

 

「英雄の生涯」、「家庭交響曲」、「

「ツァラトゥストラはかく語り」

なんかもいい曲でした。

 

Rシュトラウス特有の感動があります。

 

 

 

最後に、Rシュトラウスの

人物についてです。

 

Rシュトラウスは、これまでのドイツ音楽の作曲家と異なり、

聴き手が何を「快」と感じるかをよく理解していたのではないでしょうか。

 

心のベクトルが自分の内面ではなく、

外側の環境、聴衆に向いていた様に感じます。

 

ユングのタイプ論で言うところの、

内向性ではなく外向性の人ですね。

 

聴き手がどう感じるか、計算して作曲できたのではないでしょうか。

ある意味特異で稀有な作曲家かと思います。

 

 

そして、実際に作曲した音楽は、

規模の大きい交響曲や交響詩で

巨大な規模で金色の輝きを放つ響きを持つシーン、

困難を味わうシーン、

旅の終わりに憂いと安どがないまぜとなった独特の感情を味わうシーン

などがあり、

 

安定して聴き手を満足されてくれますし、

こういうシーンにこそ独特の彼にしか表現できない、

真髄の部分があると感じます。

 

彼はどう感じて巨大な構築物のような音楽を作ったのか。

 

私はタイプは違うが、彼にどんな景色が見えていたのか、

もっと知ってみたいですし、

今後もまた彼の曲を弾きたいと思います。

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回はブルックナーについてです。

神と自然と音楽に生きた人です。

 

ブルックナーは現代でいえば音楽オタク(失礼)

という感じでしょうか。

 

田舎で産まれ育ち、

自然と教会と音楽に囲まれて育ちましたが、

女性には縁が無かった様です。

 

女性との縁が無かった分なのか、

音楽は素晴らしいです。

 

 

彼の人生を見ていきます。

 

1824年産まれで、ブラームスの9歳上です。

子供時代をリンツ近郊の村、

音楽教員の資格とってからはチェコ(当時ボヘミア)近くの村に住み、

音楽を教え、教会でオルガン弾いて生計を立てました。

人生の前半はずっと田舎暮らしで、

読むのものも聖書くらいでした。

 

作曲家としては、

非常にというか最も遅咲きの部類で、

ブラームスよりだいぶ年上ですが活躍したのは

同じころでした。

 

彼の活躍を大雑把に年齢で見てみると、

 

30代で作曲の勉強を始め、ワーグナーに傾倒

 

40代で作曲を開始してウイーン国立音楽院の教授となり

(交響曲第1~3番を作曲)

 

50代で個性確立

(交響曲第4~7番を作曲)

 

60代で成功し、ずっと作曲を続ける

(交響曲7~9番)

 

そして、72歳まで生きました。

 

彼の最初の

最初のピークは交響曲4,5番です。

 

現代では第4番「ロマンティック」は

ブルックナーの入門編としてもよく聴かれています。

ここら辺で個性を確立したと言えます。

 

また、交響曲7番で大成功をおさめ、

作曲家として世の中に認められるようになります。

 

特に7番の1楽章冒頭のメロディは夢に出てきたものを書き留めたそうです。

チェロとホルンによる、ブルックナーで最も美しいメロディです。

演奏した経験がありますが、

弾いていてい美しすぎて理性保つのが大変でした。

 

そして遺作の交響曲9番。

 

特にマーラーの9番を彷彿とさせる様な3楽章は、

死を予感させる異界を見させられている様な曲想です。

そして4楽章は完成前に亡くなってしまいます。

 

 

このころのウイーンでは、保守的な「新古典派」と

革新的な「新ドイツ派」に分かれ批評家の罵り合いが起きていましたが、

ワグナー側を支持していてたブルックナーは革新的な「新ドイツ派」に属していました。

 

表題音楽として、文学なども音楽に取り入れようとした

「新ドイツ派」ですが、

実際のブルックナー本人は聖書くらいしか読んだことが無く

文学などは理解できず、

交響曲ばかり書いていた人でした。

ワグナーの楽劇のストーリーの文学性などは理解できず、

どちらかと言えば、

ブラームスに近い感じがします。

(当時のことは分かりませんが)

 

 

 

冒頭にも書いたブルックナーの人となりですが、

 

優柔不断。田舎者で、オルガンと聖書がお友達。

女性にはモテない。オタク。(ブルオタの方、すみません。)

という感じでした。

 

ウイーンの作曲家といえば、

音楽だけでなく文学や歴史などの教養も備え、

粋な服装で颯爽としていそうですが、

ブルックナーは服もそれほど清潔でなく、

読むのは聖書と楽譜くらいという調子でした。

 

異性にも縁がなく、

26歳で16歳の少女に恋して以降、

ずっと恋愛対象は幼く純真な女性で、

60代でも10代少女を口説こうとしていたみたいです。

 

社交界の華であったアルマと結婚したマーラーとか、

人気ピアニストのクララと結婚したシューマンとは、

全く正反対ですね。

 

 

一方、人生と表裏一体の音楽ですが、

 

まず、途方もない規模感が第一の特徴です。

実際長いです。

 

そして人が出てこない感じです。

一人で神や自然と対話している様です。

交響曲を聴くと、多人数で大音響の音楽であっても、

独特の温かみのある孤独感があります。

キリスト教の修道士の内面を垣間見たというような感じでしょうか。

 

この感覚を音楽で表現できたのは、

誰にも真似できない才能で個性です。

 

 

 

私にとってのブルックナーについて書きます。

 

20代前半で初めて第4番を演奏しましたが、

今考えると、あまり共感できていませんでした。

 

そして30代で7番を演奏しましたが、

この時は本当に美しいと思いましたが、

理解はあと一歩でした。

 

しかし、40代以降になって 第5、6、8番を 演奏したときには、

本当に身につまされる感じで、

やっと等身大のブルックナーが見えてきた感じです。

 

また、

演奏ではありませんが、

2018年の4月に不本意な横浜から長崎への転勤があり、

チェロと旅行鞄持って博多から特急カモメに乗って長崎に向かう途上で、

ブルックナーの第7番を聴いていました。

 

そして、2楽章を聴いて衝撃を受けました。

ほとんど知り合いもいない長崎に島流しで行かされるという

絶望的な気持ちに寄り添う様な、

そして、温かく、スケールの大きい響きが心に強く迫ってきました。

まさに、心を鷲づかみにされたんです。

 

日の暮れる夕方に、特急から見慣れない九州の景色を眺めながら

少しだけ涙を流しそうになりました。

そしてさらにブルックナーが好きになりました。

 

今後も、

なにか重大な出来事があった時には、

ブルックナーを聴いてみようかと思います。

 

次の6月に東京のホームオケで

ブルックナーの第7番を演奏する機会が出来ました。

大切な機会なので今から練習に励みたいと思います。

 

ブルックナー、

人生の逆境には特におすすめです。

 

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

 

今回は、ブラームスです。

表題にも書きましたが

筋金入りのロマンチストですね。

 

一方、押しも押されぬ

ロマン派の代表的作曲家です。

情熱を内に秘めたロマンチストだけあって生涯独身でした。

 

ベートーベンの正統な後継者とか、

三大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)など、

偉大な部分に焦点が当たりがちですが、

ロマンチシズムの部分理解できて

初めて共感しやすくなる作曲家でもあります。

 

 

では、まずはブラームスの人生についてです。

 

1833年ハンブルクに産まれます。

家はそれほど裕福ではありませんでした。

ピアノの才能があり先生にもついていましたが、

小さい頃から飲食店がや酒場で弾いて家計を助けていた様です。

 

20歳でレメーニというバイオリニストと演奏旅行に出かけ、

そこで重要な人物と出会います。

 

まず、バイオリニストのヨアヒム。

高名な演奏家で、生涯の友人関係となります。

彼の為にバイオリン協奏曲を書いたりもしました。

 

そして、シューマン夫妻。

シューマンのところで詳しく述べましたが、

後のシューマンによる、

音楽面での影響、音楽界へのブラームスの才能のアピールと、

シューマン亡き後のクララとの生涯の親交など、

生涯にわたる深い関係を築きました。

 

音楽の世界で順調な滑り出しだったブラームスですが、

シーポルト事件

(長崎から持ち出し禁止だった伊能忠敬の日本地図を、オランダ人医師シーボルトが持ち出そうとして騒動となった)

のシーボルトのいとこの娘、

アガーテに指輪まで送りながら婚約破棄と、

対異性では、ここら辺から優柔不断ぶりを発揮し始めています。

 

 

39歳でウィーンに移住します。

現在のウィーンフィル本拠地の指揮者に就任が決まった為です。

しかし、思う様に作曲できないからか数年で辞めてしまいます。

 

そして、43歳でやっと交響曲第1番を完成させます。

19年がかりだったそうです。

大指揮者で親交のあったビューローに

ベートーベンの第「10」交響曲だと言わしめ、

この曲によってベートーベンの後継者として世の中に認められました。

その後は交響曲第4番まで作曲していきました。

 

また、バイオリン協奏曲でオーストリア皇帝から勲章をもらったり、

ハンガリー舞曲のピアノ演奏をエジソンの依頼で、

世界初の録音をしたりと、

音楽面では目立った話題に事欠きませんでした。

 

晩年に作った大きな曲は、

バイオリンとチェロの為の協奏曲くらいでしょうか。

その後、寂しさも漂うう様なクラリネットの曲やピアノ曲を作りました。

 

そして、晩年まで親交のあった

クララの死の翌年には63歳で後を追うように亡くなりました。

 

 

 

次にブラームスの人間関係についてです。

 

気むずかしくて、口べた、

皮肉屋で言葉で気持ちを伝えるの苦手

という感じの人だった様です。

不器用だったのですね。

 

仲がよかったのは、シューマン、クララ、ヨアヒム、

作曲家のヨハンシュトラウス二世、

指揮者ハンス・フォン・ビューロー等でした。

 

この時期のウィーンはブラームスを筆頭とした新古典派(絶対音楽)と

ワーグナー、ブルックナー等の新ドイツ主義(表題音楽)で

意見が対立していました。

批評家同士のでの中傷合戦に発展していました。

 

しかし、反ブラームス側のブルックナーとは、

行きつけの店「赤いハリネズミ」で会食し、

好物が肉団子で一致して意気投合、和解という場面もあった様です。

ワーグナーとも疎遠でしたが、ワーグナーとは

お互い一目置いてリスペクトしてもいた様です。

 

 

ブラームスの曲についてですが、

 

私が演奏した初めてのブラームスは

「悲劇的序曲」でした。

 

まだ20歳くらいの学生ながら、

ものすごくかっこいい曲だとおもいましたし、

チャイコフスキーやドボルザークとは違った

大人の魅力に憧れたのを覚えています。

 

その後「交響曲第4番」を大学のチェロトップで弾きました。

この時に、1年近くブラーム漬けだったおかげで、

ブラームスの音楽がだいぶ身近になりました。

 

その後1番、2番、3番とすべて複数回演奏しました。

どの曲もチェロのトップ席で一度は弾きましたが、

どれもブラームスの音楽として強く心に残っています。

 

あとは「チェロソナタ第1番」、

バッハ、ベートーベンの旧約聖書、新約聖書にならぶ曲ですね。

20歳くらいのころから、弾きかじっていましたが、

しかし、今思い返すとすぐに感情を込めすぎだった気がします。

今だったら俯瞰的に曲を把握しつつ、

抑制すべきところと出すべきところを考えて演奏できそうです。

 

 

 

 

ブラームスの音楽と人物について。

 

自然好き、優柔不断、

人間関係に不器用で、

普段の性格もベートーベンとは似ています。

 

しかし、というかだからこそ、

心の中には表に出ない美しい音楽が流れているのでしょう。

 

 

また、これまでのドイツの主要な作曲家の

エッセンスを引き継いでおり、

それをさらに先に進めることに成功しています。

 

それを世間にも理解され、

音楽家としては幸福な人生だったと思われます。

 

これまでのドイツ音楽の作曲家の中では、

最も成功した方ではないでしょうか。

 

が、

音楽では成功したものの、

異性に対してで見ると

音楽の様に成功したとは言えません。

 

ドビュッシーみたいに、

すぐ不倫したり、相手をピストルでの自殺未遂に追い込んだり

というふうに、女性を不幸にすることはありませんでした。

クララにしろ、

50歳で知り合った33歳下のヘルミーネにしろ。

アガーテとの婚約破棄が最大でしょうか。

 

しかし、

行動面で女性に対して最後の一押しが出来ない人の様です。

だからこそ、逆に想像の世界で恋愛感情が大きく花開き、

それが音楽の創造につながったのではないかと思います。

想像が花開きすぎた究極のロマンチストであり、

それが音楽につながったのだと感じます。

 

私は、

恋愛感情は子孫繁栄のため神様が人に与えてくれたものだと考えます。

ブラームスは生命エネルギー(生きる意欲)に直結する、

このエネルギーを、

実際の音楽に落とし込む術で抜きんでていたのではないかと思います。

 

プラスの感情もマイナスの感情も

実際の音楽に落とし込む術あれば

それが表現力であり、才能なのでしょう。

 

ブラームスの究極のロマンチシズムによる表現力、

共感すると共に自分の音楽にも生かしていきたいです。

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

今日は、シューマンについてです。

 

シューマンは

バッハ、ベートーベンの伝統を受け継ぎ、

ロマン派の本格的発展の出発点となった作曲家です。

 

精神の病やまひと戦いながら

クララと共に歩んだ彼の人生と

その音楽について書いていきます。

 

 

 

まずは人生から。

 

メンデルスゾーン誕生の翌年の1810年、

ドイツ東端のツヴィッカウという町で

シューマンは生まれました。

 

地元の名士で芸術にも理解のあった彼の父は、

シューマンが音楽の道へ進むのを喜び、

ピアニスとしての音楽の勉強への支援を続けました。

しかし、彼が成人する前に父は亡くなり、

現実家の母の薦めでライプツィヒの法律学校に進みます。

 

この法学校時代にパガニーニの生のバイオリンを聴く機会がありました。

この演奏に衝撃を受け、音楽の道を志す決意を固めました。

そして母を説得して、

ライプツィヒでピアノ教師のヴィーク(クララ父)のレッスンにつきます。

 

ここまでは良かったのですが、

練習しすぎが祟って手を痛めてしまい、

ここでやむなくピアニストから作曲家に転向します。

(後世の我々には幸運ですが)

 

また、「新音楽時報」の創設メンバーとなり

ある時期以降は主宰となり、

文章でも世の中に表現をします。

 

その後、ピアノ教師ヴィークの娘であるクララと結婚します。

結婚に際してはこの父の激しい抵抗に会い、

父と離婚していた母の了解を取り、訴訟まで起こして、

判決で許可を得てからなんとか結婚にこぎつけました。

強い障害を乗り越えての結婚でした。

 

その後はライプツィヒで、

メンデルスゾーンの開いたライプツィヒ音楽院の教授として迎えられ、

クララとの間に子供8人設け、

交響曲1番やリストの勧めでピアノ四重奏、五重奏を

作曲して好評を博す等、順調な生活を送っていました。

 

また、ウィーンへの妻との演奏旅行で、

この時すでに亡くなっていたシューベルトの家で、

交響曲「グレート」の譜面を発見して、

メンデルスゾーンがこれを指揮して絶賛されるという事件もありました。

 

一見順調そうなのですが、

一家の収入はピアニストであるクララに頼っており、

シューマン自身は作曲では思うように収入が得られませんでした。

 

そして、

妻の演奏旅行への同行の疲れも相まって、

神経が衰弱してだんだんと倒れたりするようになっていきます。

 

そこで、医者と相談して、

環境変える為に教授をやめてドレスデンに移り住みます。

 

この時期には双極性障害(躁鬱病)を発症状しつつも、

これを乗り越えて、このジャンルの最高峰レベルのピアノ協奏曲、

輝かしいメッセージのこもった交響曲2番を作曲しています。

 

その後、デュッセルドルフで指揮者の定職が有り。

歓迎されつつこの町で指揮者に就任します。

この頃は交響曲第3番「ライン」や

チェロ協奏曲などを書くなど、

作曲では充実した時期でした。

この時期、名バイオリニストのヨアヒムと知り合えたりもしました。

 

しかし、

指揮の方では自閉症の症状や内向的な性格で問題を起こし、

最後はまともに指揮も出来ない状態となって、

2~3年で辞めざるをえなくなりました。

 

このような感じで、いつまでも職が続かず、

収入も安定しない状態が続きました。

繊細なシューマンには相当堪えたでしょう。

 

この厳しい時期に、

ヨアヒムの紹介状をもって20歳のブラームスが家にやって来ます。

ブラームスがピアノを数小節弾いただけで、才能を見抜き、

以降「新音楽時報」で賞賛したり、

今でも有名な楽譜の出版社である「ブライトコフ」にブラームスを紹介したり、

ブラームスを最大限支援しました。

また、ブラームスもシューマンの忠実な弟子になりました。

ブラームスがクララを支えることもあった様です。

 

ブラームスとの出会いはあったものの、

精神の病やまひ等が悪化し、

幻聴や悪魔の聖霊が見えるなど症状が悪化します。

とうとう自殺未遂をしたあと、ボンの病院へ入院しました。

その後回復せず、2年間入院した後に亡くなってしまいます。

 

シューマンの人生を振り返ると、

才能には恵まれて、クララとも結婚できましたが、

作曲でうまく生計を立てられず、

精神の病に苦しめられ、

大変な人生だったと思います。

 

私の想像ですが、

内向的で不器用ながら、

どこか魅力のある人物だったのではないでしょうか。

常に賞賛されていたわけではありませんが、

クララ、メンデルスゾーン、ヨアヒム、ブラームスなど、

いつも協力者や味方がそばにいたので、

なにか人を惹きつける魅力があった人だったと思います。

 

 

 

音楽面では、

バッハ、ベートーベン、シューベルトという

ロマン派の系譜を引き継ぎ続き、

ブラームスへの道を作った

ドイツ音楽の中でも

重要な人物であったことは間違いありません。

 

そして、

曲についてですが、

私が演奏したことのあるものについて

書いてみます。

 

 

交響曲第2番。

 

一番最近に演奏した曲で、

3年くらい前に演奏しました。

 

今こうやって彼の人生を振り返ってから

曲を再度聴いてみましたが、

精神の病と闘いながら、一定の収入もなく、

非常に不安定な中で作曲しているのですね。

 

辛い中で抱いた彼の理想の世界だと思うと、

非常に輝かしく聞こえます。

単なる明るい曲では無かったんだなと思います。

 

 

交響曲第3番「ライン」。

 

デュッセルドルフ時代の作品ですね。

実際にドイツの地でミュンヘンフィルの演奏で聴いて

好きになった曲です。

非常に明るく勢いがあります。

ライン川流れや自然に触れて触発されて作曲された様です。

ベートーベンの田園的な位置づけですね。

4つの交響曲のなかで一番完成度が高く、

かつ、最も元気づけられる曲でもあります。

 

 

ピアノ協奏曲

 

この曲のメロディーは、ベートーベンや、ブラームス

には作れない独特の魅力が有ると感じます。

ただ、演奏上は非常に弾きづらい書き方をしているところがあります。

3楽章で3拍子の箇所を2拍子で書いているところが2か所あって、

メロディーの切れ目と小節の切れ目が一致していなくて、

ものすごく集中しないと弾けない箇所があります。

シューマン「あるある」なんですが、

ストレートに表現しない、彼らしいところです。

 

最後は、

ピアノ曲集で「子供の情景」7曲目の

「トロイメライ」。

 

ドイツ語で夢心地、みたいな意味だそうです。

チェロでメロディーを弾いたことがありますが、

夢心地には中々ならずに苦しんだ覚えがあります。

 

この曲は、

婚約時代にクララから「あなたは時々子供のよう」

と言われたのがきっかけで、

大人のための子供時代を回想する曲として作ったそうです。

また、この曲に対して、名ピアニストで作曲家のフランツ・リストから

絶賛する手紙をもらったりもしました。

 

ピアノ曲集「子供の情景」。

夢見心地の美しい曲で、

誰にも真似できないシューマンの真骨頂ですね。

 

 

シューマンの音楽には、

ベートーベン程のドラマチックな明暗はありません。

 

「暗」というか「闇」が深くて、

表現しきれなかったのかもしれません。

なので、そこは敢えて出さずにもう少し上澄み部分の「暗」と

輝かしい理想的な「明」を対比させたという印象を持っています。

 

聴き手としては、

辛かったシューマンの人生を想像力で補いつつ、

彼の心の中で輝かしい上澄み部分が曲になったと思って聴くと、

共感しやすいのではないでしょうか。

 

あとは、

実際弾いてみると、

譜面上ではトリッキーで変わったところが多く、

「明」と「暗」の行間に

ストレートに物事がうまくいかない彼の人生が見え隠れしている

様に感じられます。

 

 

私自身も、

今は普通生活できていますが、

7~8年前にうつで倒れて1年ちょっと会社を休んだことがあります。

日常がすべて灰色という感じでした。

 

ですのでシューマンの人生は他人事ではなく、

明るい曲を書いていた時の心の病のこととか考えると、

共感で少し涙ぐみそうになる感じです。

 

皆さんもシューマンの音楽を

彼の人生と対比させながら受け取ると、

味わい深いと思います。

ぜひシューマンを聴きましょう。

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今回は、メンデルスゾーンの音楽と人生についてです。

 

メンデルスゾーンは

モーツァルトと同じく神童の呼び声が高かった人でした。

また、それだけではなく、

家が非常に裕福で、

高い知性と教養も兼ね備えていて、

ものすごくハイスペックだった人です。

 

 

 

 

彼の書いた曲についてですが、

 

まず、弦楽8重奏曲。

 

あまりにすべてのメロディーが美しくて、

しかも躍動感がある曲で、

私も、大学時代に聴いて一発で大好きになりました。

 

彼はこれを16歳で書いたそうですが、

同じくモーツァルトも、

16才で名曲である、

弦楽向けの3曲のディベルディメントを書いており、

モーツァルトクラスの才能感じさせる「神童」ですね。

 

それから、

ピアノソナタ、幻想曲集、無言歌集などのピアノ曲。

 

規模は小さいのですが、

そこに人生のすべてが詰まった、

ある意味バッハ的な宇宙を感じさせるような、

密度の濃い作品が多く、

どの曲も飽きさせることはありません。

 

バイオリン協奏曲。

 

このジャンルで最も有名な曲ですね

私も楽器はチェロなのですが、

この曲が好きで、

チェロの無い一浪時代に

当時家にあった1/2バイオリンをチェロ風に構えて、

よく弾いたものです。

 

最初の1~2分くらいですが。

メロディーが優れているだけでなく、

技巧的なことはさせずに

バイオリンの魅力を最大限に引き出していて、

本当に素晴らしい曲だと思います。

 

そして交響曲。

若い時にイタリアを弾いたことがあり、

2年前程前にスコットランドを弾きました。

 

私個人の感想ですが、

楽章ごとの魅力はすごくあるのですが、

モーツァルト、ベートーベン、ブラームスなどと比較して、

すこしだけ、何かが足りない気がしました。

このことについては、

またあとで書きます。

 

 

 

 

メンデルスゾーンの人生は、

ユダヤ人ながらもキリスト教徒で、

銀行家の裕福な家庭に生まれることでスタートします。

 

家も豪邸で

芸術家等が頻繁に訪れる様な

理想的な環境でした。

 

才能も申し分なく、

モーツァルトの幼少時の演奏を聴いたことのあるゲーテが、

メンデルスゾーンの7歳の時のピアノを聴いて、

モーツァルトより上と言ったくらいでした。

神童中の神童ですね。

 

親類縁者にも音楽関係者がいて、

大叔母がCPEバッハのパトロンであったりと

バッハ家との縁もあった様です。

 

バッハのマタイ受難曲の楽譜をこの大叔母から

プレゼントされていたりした様です。

 

そして、

バッハをはじめとした、バロックや古典派の復刻に

強い意欲をもっていたメンデルスゾーンは、

バッハのマタイ受難曲を編曲して、

20歳でピアノ伴奏兼指揮としてベルリンで上演し、

大成功をおさめ、一躍有名になりました。

 

この演奏会には、

詩人のハイネ、哲学者ヘーゲルも来ていた様です。

演奏されたのは大きいホールだったようですが、

入れなかった人が千人くらいいたとか。

ものすごい評判だったようです。

 

世間では、

「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」

と言われた様です。

 

その後、

イギリスに行っては、

ヴィクトリア女王に称賛されて謁見したり、

地元のドイツに、

ライプツィヒ音楽院を開いたりと、

音楽家としてこれ以上ないくらいの成功をおさめました。

 

しかしながら、

それまでは普通に健康だったものの、

あまりの多忙さが祟ったのか、遺伝なのか、

38歳にくも膜下出血で倒れて、亡くなってしまいます。

 

恵まれていたがゆえの密度が濃すぎた人生で、

成功しすぎ、多忙過ぎて若くして亡くなってしまった様です。

 

 

 

メンデルスゾーンの人となりですが、

自分でも絵を描けて絵画の素養もあったり、

5か国語を話せたりと、

文学や哲学についても知識がありと、

教養が高く、知的で穏やかな性格だった様です。

 

しかし、

まれにに興奮が止まらなくて手がつけられなくなることがあった様です。

遺伝的な原因とも言われていますが、

無から有を生み出す芸術家ですから、

そういう側面があっても不思議ではないと思います。

 

また彼は、

すべて与えられていた様でいて、

キリスト教徒でありながらもユダヤ人であることによる

偏見にさらされたこともあった様です。

本人もキリスト教の信仰を持ちながらも、

ユダヤ的価値観に共感する部分もあったようです。

 

メンデルスゾーンの人生は、

色々と受け取った才能や環境に対して、

与えられた人生の時間のなかで

音楽家としての人生をやりつくした。

天才としての運命をまっとうしたのだ、

と思います。

 

また、作曲以外の功績は、

クラシック界最大級の天才、

バッハを発掘して紹介したことです。

 

時代がやっとバッハに追いついた、

まさに今という時期に、

世界に対してバッハを紹介したというのも、

彼の人生の大きな役目だったのでしょう。

 

 

 

 

最後に、

私にとってのメンデルスゾーンです。

あくまで、私個人の感想ということで、

ご理解下さい。

 

まずは交響曲。

規模の大きい部類である交響曲は、

楽章ごとの部分はいいけれど、

「明」と「暗」の「暗」が部分が少し不足していて

物足りない感じがします。

 

恵まれた側の人が書いた暗は少し物足りないなあ、

素晴らしいんだけど。

といった感じです。

 

一方、

ピアノ曲とか、弦楽8重奏曲、弦楽四重奏曲の様な小規模の曲は、

素晴らしく感じます。

才能と魂が封じ込められていると感じます。

 

この違いはどこから来るのかですが、

おそらく、メンデルスゾーンは自分をすべては表に出さない

性格だったのではないかと推測しています。

 

しかし、その内側では表で見るより、

もっと充実して深い感情があった。

それが表に出ているのが小規模な曲たちではないか。

と感じています。

 

裕福な天才というより、

実際は繊細で内向的で音楽をこよなく愛する青年。

というのが私の中のイメージです。

 

私自身もどちらかといえば内向的な性格で、

内側の感情が音楽でやっと表に出せる部分かあり、

同じ匂いがする感じです。

 

なので、

普段はメンデルスゾーンの作品では、

室内楽やピアノ曲など、

彼の内面が出ている様な少し小規模な作品が好きですし、

今後もそういう曲を演奏してみたいと思っています。

 

 

 

今回はそんなところです。

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

 

今回は、ベートーベンです。

 

ハイドン、モーツァルトと合わせて、

古典派の3トップのうちの一人です。

 

私が初めてベートーベンに夢中になったのは、

中学2年の夏です。

 

ちょうど夏休みの宿題で、

交響曲第5番「運命」を聴いて感想を書け

という課題が出され、

聴いている内に、すっかり取りつかれてしまい

何度も何度も繰り返し聴く様になっていました。

 

私にとっては、

「交響曲」の原体験がちょうどベートーベンの「運命」でした。

 

特に、この曲の「暗」から「明」に至るストーリー展開で、

「明」になる4楽章に入った瞬間の高揚で初めて味わった感動は、

いまでも忘れられません。

 

 

次に夢中になったのが、

同じく交響曲の第6番「田園」でした。

 

父が、私があまりに夢中になっているのを見て、

カセットテープを買ってきてくれたのでした。

(まだCDのない時代です)

 

この曲もやはり、

美しい田園、小川のせせらぎみたいな

穏やかなシチュエーションだったのが、

嵐が来て雷がなってと「暗」の状態となり、

その後、嵐が去って田園のすばらしさを歌い上げる「明」

の状態となります。

 

この美しい描写とドラマチックなストーリーに、

またまた夢中になり、

運命と同じく何度も何度も聴きました。

 

 

 

その後、

都内の高校に入学し、

弦楽部という部活でチェロ始めました。

 

都内では、中央音楽会っていう催しがあり、

憧れの運命を、23区の北の方の地区の高校で

運命の4楽章だけを演奏しました。

 

やった感想ですが、

当時のメンバーにとっては

曲のレベルが高すぎて残念ながら消化不良でした。

 

その後、高校ではクラシック音楽の仲間もでき、

情報交換して、

ベートーベンの

他の交響曲、ピアノ協奏曲の「皇帝」、弦楽四重奏曲、

ピアノソナタ、バイオリンソナタ9番、5番

あたりを何度も聴きました。

 

 

中学、高校生時代の自分にとって、

ベートーベンは

高揚させてくれ、

感動もさせてくれる、

最高にカッコいいドイツの音楽でした。

 

 

 

その後私は、大学のオーケストラに入りました。

大学のオーケストラは、きっちり金管楽器のメンバーが

そろっていることもあり、若干小編成のベートーベンは

なかなかできませんでした。

主にロマン派が主体でした。

 

市民オーケストラの演奏会の手伝いで運命を弾いたくらいです。

 

 

そして、20台後半、

私にとって人生最初の暗黒期です。

仕事が大変かつ仕事そのものになじめず、

毎日が地獄という感じでした。

 

今から考えると、

うつ病に近い状態でした。

アルコールにも相当依存していました。

(今は健康の為、飲酒は週1~2回です)

 

この時期に弦楽四重筝曲の12~16番(後期の減額四重奏曲)に

救われました。

 

後期のこれらの曲は、

これまでの整ったストーリー展開から逸脱していて、

楽章が4個だけでなく、5や6のものがあったり、

厭世的だったり、

深いところから癒されたり、

ものすごく激しい感情が長時間つづいたり

という感じです。

 

暗黒期の自分にとって、

ダークな部分も含めて

非常に深いところでシンクロできました。

 

ベートーベンにとっても、

自分のより深いところを表現できた曲なのでしょう。

 

 

 

ベートーベンの人生は、

才能には恵まれて、

偉大な音楽家のおじいさんを尊敬して

音楽の道に進んだスタート地点は良かったのですが、

 

歌手の父は飲んべえで収入が途切れることもあり、

母も早くに亡くなって(しかもモーツァルトの弟子になろうかというタイミングで)

若い時から小さい兄弟を養わなくてはならず、

苦労が絶えなかった様です。

 

しかも、ご本人も癇癪持ちで、

変わり者だったらしく、

人間関係で色々苦労が絶えなかったでしょう。

 

そして、40で耳が聞こえなくなってしまい、

その状態で作曲は続けたものの、

56で亡くなるまで苦労の絶えない人生だったと思います。

 

しかし、

耳が聞こえなくなっても音楽への情熱を失わず、

貴族に雇われずに独立した音楽家の先駆け的存在であり、

文句なしに人類の財産と言える音楽をたくさん遺してくれました。

 

そして、ベートーベンの葬儀にはなんと2万人の人が訪れたそうです。

当時の人たちにも、

その偉大さは伝わっていたようです。

 

当時は当然キリスト教が強かった時代だと思われますが、

ベートーベン本人はキリスト教をあまり信じておらず、

リベラルな考えの持ち主だったようです。

 

あくまで私の感じるところですが、

「神」ではなく、「人類」を信じてその未来に

理想を抱いていたのではないでしょうか。

 

彼の音楽からは、

現代でも、その方向は間違いではなく、

普遍性があるということが強く感じられます。

 

ベートーベンの描く理想の世界。

 

人類がその状態に到達するまで、

彼の音楽は時代に合わせて演奏され、

聴かれ続けるのかもしれません。

 

 

ところで、

チェロの世界では、

 

バッハの無伴奏チェロ組曲が旧約聖書、

ベートーベンのチェロソナタが新約聖書

と言われています。

 

私もそろそろ、

バッハだけでなく、

ベートーベンの新約聖書の

どれか一曲に取り組んでみようかなと思います。

 

では、以上です。

こんにちは、ひでちぇろです。

 

今日はモーツァルトについてです。

 

 

クラシック音楽史上の作曲家に

優劣をつけるの難しいですが、

あえて比較するならば

バッハとモーツァルトが

突出しているのではないでしょうか。

 

中でも天才肌という意味も込めて、

私の中ではモーツアルトが一番です。

 

 

モーツァルトの音楽の特徴をあげてみると、

・美しい

・単純

・分かりやすい

・自由自在で囚われが無い

などでしょうか。

 

表面的には上に書いた通りですが、

モーツァルトの美しさは、

単純ではありません。

 

ネガティブな経験や

美しくないものなども含めて、

世界の森羅万象を知り尽くした、

その上で存在するような美しさです。

 

たくさんの挫折と成功、

喜びや悲しみ等を経験し、

人生のらせん階段を何フロアも登ってみて、

初めて分かる感じです。

モーツァルトが単純でつまらないと感じるなら、

それは単に理解するにはまだ時期が早いではないかと思われます。

 

 

私自身、

アマチュアながら、

オペラ、交響曲、カルテット、

ピアノやバイオリンの協奏曲等について

チェロでの演奏経験があります。

 

どれも強く印象に残っていますが、

中でもオペラでの、

神がかった美しさが

最も濃いモーツァルト体験だったと思います。

 

弾いている時の感覚としては、

音楽と一体となって疾走している感覚で

その事に強い喜びを感じます。

音楽することに、

自分という存在が強く喜びを感じているだけの

状態になります。

 

このモーツァルトを弾いた時だけに感じる、

独特の喜びと疾走感。

残念ながら経験してみないと分からないかもしれません。

 

また、聴く方では、

オペラ「魔笛」を、

最高峰と思われる、

ウィーン国立歌劇場で聴いたのが、

最高の体験でした。

 

異次元の説得力、迫力、美しさに

圧倒されました。

この時のモーツアルトの凄さは、

本当に言葉にするのが難しいです。

神体験としか言いようがないです。

宗教なら、バッハと並んで、

ブッダ、キリストレベルかもしれません。

 

これ以上の音楽家は、

音楽のジャンルを問わず、

もうこの世に二度と現れないのではないかと

思いました。

 

 

これだけ素晴らしい音楽を作り出したモーツァルト。

本物の才能に裏打ちされていたとはいえ、

作曲に注いだエネルギーと愛情は誰にも負けないという

並々ならない自負も有ったようです。

 

以下、モーツァルト自信の言葉をウィキペディアから引用します。

 

「ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、

作曲はまるっきり別の問題です。

長年にわたって、

僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は

他には一人もいません。

有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。

作曲家であるということは精力的な思考と

何時間にも及ぶ努力を意味するのです」

 

 

やはり、モーツァルト自身の努力と人生あってこその

天上の音楽ですね。

 

神の様な美しさとモーツァルトの努力の両方を感じながら、

今後もモーツァルトの音楽に関わって行きたいと思います。

 

では。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

ドイツ音楽の一人目ということで、

第一人者であるバッハについて書いて行きます。

 

 

まず、私なりにバッハの音楽の特徴を要約すると、

 

「人が人生で体験するすべての感情を理解し、

それをすべて表現できる。」

 

それと、

 

「神の愛に支えられた、普遍的な成長物語」

 

です。

 

 

バッハが活躍した頃は、

社会の中でも貴族や教会が力を持ち、

物事の真理は教会が決める時代でした。

皆の中にいるはずの神様も、

遠いところに置かれてしまった感じだったでしょう。

バッハも同じくその教会や宮廷に勤めていました。

そして、バッハの音楽の真髄は理解されず、

色々な楽器の演奏能力と作曲能力を駆使してなんとか生き延びていた状態でした。

 

しかし、バッハは音楽は、

教会の教え(キリスト様ご本人ではないです)の上を

行っていたのではないでしょうか。

キリスト教に全く関係の無い私たち現代の日本人にも、

大きな感動を与えるくらいですから。

 

 

私が初めて演奏したバッハの曲は、

バッハのバイオリン協奏曲2番のチェロパートでした。

高校の部活で、まだ何も分かっていない状態ながら、弾いたのを覚えています。

 

バイオリンソロが華麗に変化していき、

カデンツァでネガティブなところを通過しながら、

最後には華やかに終わるこの魅力的な曲がものすごく気に入りました。

♯が4つも付いていて初心者にはたいへんでしたが。

 

それから、

チェロの演奏で一番深く、長く付き合った曲は、

無伴奏チェロ組曲の1~6番です。

 

例えば、1番のプレリュード。

明暗の様々な感情が絶妙に交互に現れ、

らせん状に発展して高みに登って終わります。

最初の一曲から、

「神の愛に支えられた、人間の普遍的な成長物語」

が完璧に示されています。

 

また、5弦の高音が出る楽器用に作られた6番のサラバンド。

当時主流の対位法を離れ、

シンプルなメロディーに和声が付いた、

ハイドン、モーツアルトの時代を予感させるような形式です。

和声の運びが極上の幸福を感じさせてくれます。

金色の豊かな響きがするような曲で、

弾いていて、本当に幸せになれます。

この曲のおかげで、一生チェロと付き合うことになりそうです。

 

 

ところで、

当時、バロック音楽の世界で一世を風靡していたのは、

ヘンデルでした。

バッハはヘンデルに会いたかったのですが、

ヘンデル側はほとんど興味をもたず、

会うことはできなかった様です。

 

結局、聴衆を理解して時流に乗っていたのがヘンデル、

人間を理解し、音楽の真実を理解して、

時代の先を行き過ぎたのがバッハなのでしょう。

 

 

そして、

バッハ死後、作品は音楽家の多かった一族の子孫に受け継がれていきました。

細々と。

生きている間は実力はそれ程は評価されず、

経済的にもあまりど恵まれなかったし、

くやしい思いもたくさんした様です。

 

 

その後時代は下って、

当時天才の呼び声高かったメンデルスゾーンに再発見され、

広めてもらえて、

その凄さをヨーロッパ世界が知ることとなりました。

 

 

 

無伴奏チェロ組曲1番冒頭のプレリュード。

1日での成長、人生での成長、人類の成長など、

どれにも当てはまる様な

普遍的な成長、と愛が表現されています。

「神の愛に支えられた普遍的な成長法則」。

後のクラシック音楽の世界的発展の起点となっています。

 

宗教なら教祖的存在です。

 

世間一般的には、

モーツァルトより評価されています。

 

しかし、

私個人の感覚では、

2人は対になる存在と思います。

 

モーツアルトは天国からの視点、

バッハは地上からの人間からの視点で、

視点が一対で完璧になる感じです。

 

この一対がベースとなって、

ベートーベン以降の音楽が作られていくのだと考えています。

 

ということで、

次のテーマはモーツァルトです。

 

では。

ひでちぇろです!

昨日は佐世保で、弦楽合奏の演奏会を聴いてきました。
長崎県にも関わらず、結構有名な方が混ざっていて、実際ものすごく充実したコンサートでした。

中でも、チェロのお二人。
元神奈川フィル主席の山本裕康さんと、
読響主席でウェールズ弦楽四重奏団の富岡廉太郎さん。

まさに、私が日本で最も好きなチェリストの夢の共演!チェロパートがいい音過ぎて泣きそうになりました。

というわけで、お二人と記念撮影。
ホントにいい思いでになりました(^^)



こんにちは、ひでちぇろブログです。

 

今日は、クラシック音楽と神話についてです。

神話というと、

ギリシャ神話とか古事記のようなもののことです。

 

ところで、

そもそもなぜ神話は存在するのでしょうか。

あんな荒唐無稽な話に、

どんな意味があるのでしょうか。

 

 

ウィキペディアで調べてみると、

「存在理由を説明するためのストーリー」

と書かれていました。

 

そう。

神話とは、

ストーリーを使って

国なり、集団なりの

存在理由を示し、

生きる意味と方向性を与えてくれるものなのです。

 

なかなかに、大事なものです。

 

その集団が大切にしているものに畏敬の念を抱かせたり、

現実の社会や生活を秩序立ったものにする機能があります。

 

ある意味、神話は便利なものでもあるので、

昔から権力のある人やリーダーなどにも

利用されてきたのでしょうね。

 

 

この、

神話という考え方を当てはめると、

色々なものが見えてきます。

 

私はアマチュアとして、

クラシック音楽の分野で活動していますが、

自分にとって、クラシック音楽には、

どんな「神話」が当てはまるでしょうか。

 

もう少し範囲を拡げると、

日本人にとって、クラシック音楽にはどんな「神話」が有りうるのでしょうか。

 

 

 

クラシック音楽は最初、

キリスト教世界の神話(聖書)に含まれる神聖なもの

という位置づけだったのだと思います。

 

そして、キリスト教が科学で相対化されて、

西洋社会が教会権力から開放された後も、

キリスト教から独立して

さらに発展しました。

 

普遍的な何かにつながる手段である芸術としての

新たな神話をまとって。

 

その後、

日本において、クラシック音楽は、

近代の明治時代に、

西洋の教養として輸入されました。

日本が和魂洋才でずっと発展してきている間は、

進んだ西洋の文化としての神話をもっていました。

 

しかし、現代日本では、

西洋からの学びが減って、

新たな神話を必要とする時期に来ていると感じられます。

 

そもそも、

皆が一つの神話を生きるの時代は終わりが近いのかもしれません。

皆が自分の神話を追求する時代に入ろうとしている様な感じがします。

 

クラシック音楽は現在、

現代音楽がメロディー、リズム、ハーモニーの枠組みを否定し始めており、

つまり既存には神話はもう依って立つことができず、

価値観が崩壊しはじめている

段階に来ている様です。

 

崩壊を突き詰め、もう壊すものがなくなる段階の後、

新しい神話が新たに構築されるのかもしれません。

 

シュタイナー曰く、

3度の和音の時代の次には、

神の存在を証明する、8度の和音の時代が来るそうです。

 

本当に8度なのかは不明ですが、

クラシックのなかでの新しい神話の萌芽に

常にアンテナ張って見逃さない様にしたいと思います。

 

それでは。