ようこそ、ひでちぇろブログへ。
今回は、ブラームスです。
表題にも書きましたが
筋金入りのロマンチストですね。
一方、押しも押されぬ
ロマン派の代表的作曲家です。
情熱を内に秘めたロマンチストだけあって生涯独身でした。
ベートーベンの正統な後継者とか、
三大B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)など、
偉大な部分に焦点が当たりがちですが、
ロマンチシズムの部分理解できて
初めて共感しやすくなる作曲家でもあります。
では、まずはブラームスの人生についてです。
1833年ハンブルクに産まれます。
家はそれほど裕福ではありませんでした。
ピアノの才能があり先生にもついていましたが、
小さい頃から飲食店がや酒場で弾いて家計を助けていた様です。
20歳でレメーニというバイオリニストと演奏旅行に出かけ、
そこで重要な人物と出会います。
まず、バイオリニストのヨアヒム。
高名な演奏家で、生涯の友人関係となります。
彼の為にバイオリン協奏曲を書いたりもしました。
そして、シューマン夫妻。
シューマンのところで詳しく述べましたが、
後のシューマンによる、
音楽面での影響、音楽界へのブラームスの才能のアピールと、
シューマン亡き後のクララとの生涯の親交など、
生涯にわたる深い関係を築きました。
音楽の世界で順調な滑り出しだったブラームスですが、
シーポルト事件
(長崎から持ち出し禁止だった伊能忠敬の日本地図を、オランダ人医師シーボルトが持ち出そうとして騒動となった)
のシーボルトのいとこの娘、
アガーテに指輪まで送りながら婚約破棄と、
対異性では、ここら辺から優柔不断ぶりを発揮し始めています。
39歳でウィーンに移住します。
現在のウィーンフィル本拠地の指揮者に就任が決まった為です。
しかし、思う様に作曲できないからか数年で辞めてしまいます。
そして、43歳でやっと交響曲第1番を完成させます。
19年がかりだったそうです。
大指揮者で親交のあったビューローに
ベートーベンの第「10」交響曲だと言わしめ、
この曲によってベートーベンの後継者として世の中に認められました。
その後は交響曲第4番まで作曲していきました。
また、バイオリン協奏曲でオーストリア皇帝から勲章をもらったり、
ハンガリー舞曲のピアノ演奏をエジソンの依頼で、
世界初の録音をしたりと、
音楽面では目立った話題に事欠きませんでした。
晩年に作った大きな曲は、
バイオリンとチェロの為の協奏曲くらいでしょうか。
その後、寂しさも漂うう様なクラリネットの曲やピアノ曲を作りました。
そして、晩年まで親交のあった
クララの死の翌年には63歳で後を追うように亡くなりました。
次にブラームスの人間関係についてです。
気むずかしくて、口べた、
皮肉屋で言葉で気持ちを伝えるの苦手
という感じの人だった様です。
不器用だったのですね。
仲がよかったのは、シューマン、クララ、ヨアヒム、
作曲家のヨハンシュトラウス二世、
指揮者ハンス・フォン・ビューロー等でした。
この時期のウィーンはブラームスを筆頭とした新古典派(絶対音楽)と
ワーグナー、ブルックナー等の新ドイツ主義(表題音楽)で
意見が対立していました。
批評家同士のでの中傷合戦に発展していました。
しかし、反ブラームス側のブルックナーとは、
行きつけの店「赤いハリネズミ」で会食し、
好物が肉団子で一致して意気投合、和解という場面もあった様です。
ワーグナーとも疎遠でしたが、ワーグナーとは
お互い一目置いてリスペクトしてもいた様です。
ブラームスの曲についてですが、
私が演奏した初めてのブラームスは
「悲劇的序曲」でした。
まだ20歳くらいの学生ながら、
ものすごくかっこいい曲だとおもいましたし、
チャイコフスキーやドボルザークとは違った
大人の魅力に憧れたのを覚えています。
その後「交響曲第4番」を大学のチェロトップで弾きました。
この時に、1年近くブラーム漬けだったおかげで、
ブラームスの音楽がだいぶ身近になりました。
その後1番、2番、3番とすべて複数回演奏しました。
どの曲もチェロのトップ席で一度は弾きましたが、
どれもブラームスの音楽として強く心に残っています。
あとは「チェロソナタ第1番」、
バッハ、ベートーベンの旧約聖書、新約聖書にならぶ曲ですね。
20歳くらいのころから、弾きかじっていましたが、
しかし、今思い返すとすぐに感情を込めすぎだった気がします。
今だったら俯瞰的に曲を把握しつつ、
抑制すべきところと出すべきところを考えて演奏できそうです。
ブラームスの音楽と人物について。
自然好き、優柔不断、
人間関係に不器用で、
普段の性格もベートーベンとは似ています。
しかし、というかだからこそ、
心の中には表に出ない美しい音楽が流れているのでしょう。
また、これまでのドイツの主要な作曲家の
エッセンスを引き継いでおり、
それをさらに先に進めることに成功しています。
それを世間にも理解され、
音楽家としては幸福な人生だったと思われます。
これまでのドイツ音楽の作曲家の中では、
最も成功した方ではないでしょうか。
が、
音楽では成功したものの、
異性に対してで見ると
音楽の様に成功したとは言えません。
ドビュッシーみたいに、
すぐ不倫したり、相手をピストルでの自殺未遂に追い込んだり
というふうに、女性を不幸にすることはありませんでした。
クララにしろ、
50歳で知り合った33歳下のヘルミーネにしろ。
アガーテとの婚約破棄が最大でしょうか。
しかし、
行動面で女性に対して最後の一押しが出来ない人の様です。
だからこそ、逆に想像の世界で恋愛感情が大きく花開き、
それが音楽の創造につながったのではないかと思います。
想像が花開きすぎた究極のロマンチストであり、
それが音楽につながったのだと感じます。
私は、
恋愛感情は子孫繁栄のため神様が人に与えてくれたものだと考えます。
ブラームスは生命エネルギー(生きる意欲)に直結する、
このエネルギーを、
実際の音楽に落とし込む術で抜きんでていたのではないかと思います。
プラスの感情もマイナスの感情も
実際の音楽に落とし込む術あれば
それが表現力であり、才能なのでしょう。
ブラームスの究極のロマンチシズムによる表現力、
共感すると共に自分の音楽にも生かしていきたいです。
では。