ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

今日は神道と音楽についてです。

(神道は好きなので、少し長いです)

 

久々に神道の解説本を開きましたが、

神道は色々に分類される様です。

皇室神道、神社神道、民俗神道、教派神道。古神道、国家神道、等々

とたくさんあります。

歴史上、便宜的に色々と分岐してきた様です。

 

これ以外にも特に江戸時代の神仏習合みたいに、

神道と仏教は同じことを別の言い方で表しただけ、

みたいな考え方まで出てきています。

 

また、キリスト教で言う聖書の様な経典としては、

「日本書紀」、「古事記等」等

が神典と呼ばれ経典に相当します。

 

長い時代を経ているだけに色々な

流派の様なものがありますが、

今回は共通する大本の部分に目を向けたいと思います。

(この考えも古神道に分類されそうですが)

 

神道の大本、根幹は、

「祖霊崇拝」と「自然崇拝」

です。

 

なぜ、「ご先祖様」と「自然」

なのでしょうか。

 

この理由を解説した書物はなかなか見当たらないので、

私個人の推測に基づいて説明します。

 

縄文時代の日本は、

狩猟採取生活で、

大量の食物を保管することは難しく、

食料はじめ、すべての物を皆で共有しており、

個人で所有するという概念はなかったと思われます。

 

大陸の様に外敵がやってくることもなく、

平和に暮らしていた為、

個人の自我が薄かったのではないでしょうか。

 

そして、「集合的無意識(神)」と繋がっている「真我」が

自我よりも支配的だったと考えられます。

 

「真我」は人より神に近いものと繋がっていて、

その中で一番人間に近く、相互に影響しやすいのが

「ご先祖様」と

その土地の自然を代表した存在である「氏神」

だったと考えます。

 

現世の人間に最も近くて、

最もよく助けてくれるこれらの存在に

お返しとして「感謝」の祈りを捧げて、

共存共栄することが、

今を生きる人間の幸福につながったんだと考えられます。

 

ある程度食料が確保しやすく単一民族が維持された地域では、

こういう宗教が発生しやすいのではないでしょうか。

なので、アメリカ先住民とかアボリジニ等も

似た考えを持っていたのではないでしょうか。

 

 

神道には、

ブッダ、キリストみたいに教祖、開祖がいません。

なぜなら、部族のみんながあちらの世界と繋がっていたから、

とくに要らなかったのでしょう。

 

 

また、神道の特徴ですが。

私は、「感謝」だと思います。

普段目に見えない、

自分を支えてくれているものに「感謝」するということ。

これが第一義で一番大切なことです。

 

神社も本来は「感謝」の祈りをささげるところですし。

 

私は神社に「感謝」のお参りをするのが、

すごく好きです。

お参りした後に、

なぜか胸が温かくなった感じがして、

自分より大きいものと触れ合った感覚があります。

 

 

と、

ここで、神道に関係のある音楽ですが、

やはり「雅楽」ですね。

 

主な楽器としては、

三管、三鼓、二弦と呼ばれる様な、

管楽器、打楽器、弦楽器があり、

宮中祭祀等では

十人以上の編成を組むこともあります。

 

特に三管は

天:笙(しょう)、ハーモニー

空の龍:龍笛(りゅうてき)、主旋律の補佐

地の人:篳篥(ひちりき)、主旋律

という役割分担で、

自然観がそのまま役割分担となっています。

 

「雅楽」の世界は、

音楽としてすでに完成されてしまっている感じがあります。

それはそれでいいのですが、

しかし、現代の我々の心、

自我として一度神から離れて個別の人間として成長しようとしている

近代的な自我にとって、

雅楽だけでは音楽として受け皿になり切れないのもまた明白ではあります。

 

これに比べて、ヨーロッパのクラシック音楽ですが、

すでに200年前の昔にはハイドン、モーツァルト、ベートーベン

といった、教会や貴族向けではなく、

個人(大衆)向け音楽が生まれ、

 

その後、ロックを始めとした西洋のポピュラーな音楽が出来、

世界を席巻しました。

自然科学、技術と同じくです。

 

 

 

ここまでは、

今まである議論を繋げただけです。

問題はこれからですね。

 

今後、近代的自我を経験しつくし、

科学技術が当たり前となり、

情報技術で人類の心が人工的な技術を介して

全世界でつながりはじめる時代がくるのではないでしょうか。

 

一方、音楽も、

ポピュラーな音楽の世界にしろ、

クラシック音楽にしろ、

大きな進展が見られない、

足踏み状態という状況がしばらく続いている感じがします。

 

ここで、

多神教発である、

神道的、雅楽的要素を

いままでの西洋ポピュラー音楽、クラシック音楽に

加えることに意味があるのではないでしょうか。

 

多神教の側から世界をつなぐ感じです。

 

昔、始めてチェロのヨーヨーマさんが来日して、

テレビでその演奏を見聞きした時、

これは、いままでに全く触れたことのない、

「西洋と東洋が融合した音楽」だと感じました、

西洋の父性と東洋の母性が高度に合わさった感じです。

この時の東洋は中国でした。

 

今度は我々日本人によって、

西洋の神そして音楽を

「八百万の神」の一人として取り込んで、

新しい音楽が、クラシックでもポピュラーでも、

できるのではないかと思っています。

 

そうやっていくうちに、

日本の多神教的な神道の世界と、

一神教世界がじつは同じものの違う側面

ということが、音楽の世界から導き出される時代なんかも来るかも知れません。

 

そういう色々な発展の可能性を排除せずに音楽と付き合って行きたいと考えています。

 

 

それでは。